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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
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3-7 my sweetie pie ①

七、my sweetie pie

 

 二〇×二年 二月 四日 金曜日


 十一時二十五分。


 ヒカルたちは、食堂で早めの昼食を取っていた。午後からはスキー教室で、彼らは既に着替えを済ませている。


「お、旦那改めチチマイもスキーか! 一緒だな」


「ヨロシクな! 旦那改めチチマイ」


 後ろの席にいたお調子者の男子たちが、ヒカルの肩をポンと叩く。それを見たクラスの男子は笑い、女子は遠巻きに冷めた視線を寄こした。


 ヒカルは額に手を当てて、数時間前の自分を恥じている。


 ヒカルの正面でカツ丼を口に運んでいたクラス委員の長山は、そんな彼を慰めた。しかし長山も悪いとは思いつつ、実のところは笑いを堪えている。


「ヒカル。気にすることねえよ。一緒に、さらなる高みを目指そうぜ!」


 ヒカルの右隣でカレーを食べていた山田が、彼を元気づけようと声を掛けた。しかしそれは完全に逆効果で、クラスメイトの男子は大喜びし、ヒカルはテーブルに伏してしまう。



 話は、数時間前に遡る。


 新幹線の座席をボックス型にして、ヒカルは正面の山田とトランプで遊んでいた。つい先程までは長山も加わっていたのだが、彼は乗り物に弱く、今は背もたれに体を預けて顔にタオルをかけている。


 ヒカルの隣に座っていた男子は、先程から隣の車両へ行ったきり帰ってこない。彼はトイレだと言っていたが、実際は彼女に会いに行っているのだと皆が勘づいている。


 山田と長山の後ろの席には、担任の上川と北上とが座っていた。上川はイビキを掻いて寝ているが、北上はノートパソコンを広げて仕事をしている。


 流石に二人でババ抜きをするのはツライとヒカルが言うと、山田は少し考えて、それからスマートフォンを取り出した。山田によれば、彼はつい最近、一つの真理に辿り着いたのだという。


「おっぱいってさ、上の方はよく見えるじゃん?」


 山田の一言で、彼の隣にいた長山と周辺の席に座っていた男子生徒が反応する。勿論この言葉は、北上の耳にも届いていた。


「下の方だけ見える時もあるじゃん? こういうやつ」


 山田のスマートフォンの中では、アイドルがボトルネックのセーターを下から持ち上げて微笑んでいる。


 ヒカルは写真を見て、うんと頷く。


「ってことはさ、これとこれを一緒に見ればさ……全乳見たのと同じじゃね?」


 山田の隣で、長山の体が少し揺れた。彼は、余りのくだらなさに笑いを堪えている。


 北上は、隣の上川に目をやった。担任が爆睡しているので、こんなことでも自分が注意しなければならない。


「山田さあ……それじゃ、せいぜい七割だろ?」


 予期せぬヒカルの返答に、長山の顔からはタオルが浮きかけた。彼は吹き出したのだ。


 北上は不意をつかれて、注意するタイミングを失ってしまった。


 周囲の男子たちは遊んでいた手を止めて、二人の会話を盗み聞くことに集中している。


「七割ってことはないだろ。上乳に下乳足したら、そんなん、ほぼ全乳じゃね?」


「横乳が無いじゃん」


「あ~! 横ね。はいはい。一理あるわ。じゃあ、九割乳でどうよ?」


「これで九はないよ。せいぜい、八ってとこじゃないかな」


 山田とヒカルが大真面目なトーンで話しているので、長山を始めとするクラスメイトの男子は皆が笑いを堪えている。


「じゃあさ、こっちはどうよ?」


 山田が、別のアイドルの写真を二枚並べて見せた。


 ヒカルは真剣な表情で二枚の写真を確認して、それから七割だと答える。


「七? 渋いね~。お前の判定は渋すぎだわ」


「山田の判定が緩いんだよ」


「そうかあ? ……じゃあ、七?」


「七だね」


「そっか。……だってよ、長山!」


 突然話を振られて、長山はブーッと吹き出した。油断していたところをつかれたというのもあったが、単純に限界でもあったのだ。


 普段は真面目なクラス委員の長山が盛大に吹き出したので、周囲の男子もついに堪えきれなくなって笑い出した。運動部や文化部、文系や理系といったあらゆる垣根を越えて、彼らは今、謎の笑いを共有している。


 完全にタイミングを失ってしまい、北上は注意することを諦めて窓の外を眺めていた。景色はこれから段々と、雪化粧を帯びてくる。


(良い子にしているだろうか)


 荷物を詰めたボストンバッグに入り込もうとしていた子猫の姿を思い出して、北上は口の端で笑った。

 


 そして再び、現在――。


 新幹線での出来事から、ヒカルはクラスの男子によって「おっぱいマイスター」という不名誉な称号を与えられていた。もちろんヒカルは抵抗したが、最近カワイイ彼女が出来たということもあってクラスの男子からの当たりは強い。


 称号は短時間に幾度も呼ばれるうちに形を変え、さらに現在は省略されて「チチマイ」になっている。そしてそんな低俗な話題で盛り上がる男子には、クラスの女子全員から氷河期を連想するような冷めた目を向けられていた。


「もお……ほんと、ああ……」


 後悔しか出来ず、ヒカルは頭を抱えている。そんな様子が彼に人間味を与えているのか、クラスメイトの男子からヒカルへの現在の好感度は悪くない。


「マジ、気にすんなって! てか、山代が凄いの持ってるってよ。……ほぼ全乳」


「……マジで?」


 ヒカルが目を向けると、離れた別のテーブルからサッカー部の山代がサムズアップで応えた。


 イケメンで有名な山代でもおっぱいは好きなんだなと思うと、ヒカルは彼に親近感を覚える。運動部でイケメンというだけで、自分とは別世界の人間のように思えていたというのに。


 そんな彼らから少し離れたテーブルでは、男性の教員たちが食事を取っていた。


 ヒカルの担任の上川は男子生徒がワイワイと騒いでいる理由をイマイチ理解していなかったが、今日も元気だなと微笑ましく思っている。


 その隣では生物の中林がラーメンを啜り、英語教師はスマートフォンに夢中で、物理教師は誰も聞いていない学生時代の登山を語っている。北上は、黙々と食事していた。


「おっぱいって……凄いよなあ」


 感嘆とした様子の山田少年の呟きを拾ってしまい、北上は真顔で味噌汁を吹き出した。


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