3-5 think ⑩
*
目の前に缶を差し出されて、ヒカルは反射でスマートフォンから顔を上げた。淡路だ。
淡路はヒカルに缶を手渡すと、承諾を得てから隣に腰を下ろす。
ヒカルは手の中のストレートティーの缶を握りしめて、指先を温めた。夕方の高地は風が強く、身を斬るように冷たい。
「沢山、撮ってたね」
淡路はヒカルの隣で、ミルクティーの缶を開けて口に運んでいる。
アオイとリリカは土産物を選んでいるのだが、店が混んでいるので、ヒカルと淡路は先に外に出ていた。
ヒカルは、再びスマートフォンに視線を落とす。そこに収められたリリカの写真は、どれも笑顔だ。
「ありがとうございます。淡路さんも疲れてるのに、連れてきて貰って」
淡路に礼を言ってから、ヒカルも缶を開けて紅茶に口をつける。温かさが、体に染みていく。
「いいんだよ。アオイさんを喜ばせたかったんだ。そのためには、君を喜ばせればいい。で、君を喜ばせようと思ったら、リリカちゃんを。だから、いいんだよ」
ヒカルが目を向けると、淡路はワザとらしく舌を出して見せた。
淡路の優しさを感じて、ヒカルは微笑む。
淡路は紅茶を口に運んで、時折空を見ながら白い息を吐き出している。
ヒカルもその隣で、同じように空を見ていた。
「僕、来月スキーに行くんです」
「言ってたね。滑ったことは?」
ヒカルは、首を横に振る。
「ヒカル君は、大丈夫だと思うよ。そういえば、こないだもホームランを打ったらしいね」
「リリカですか? そんなの、言わなくていいのに。多分、アオ姉にも言ってますよね?」
「そうだね。『見たかった』って言ってたよ」
ヒカルは照れ隠しするように口を少し尖らせて、それから紅茶をゴクゴクと飲んだ。
淡路の横顔は笑っていて、ヒカルの目に映るそれは普段の笑顔とは少し違うように見えた。
淡路が東條家で暮らすようになって、もう直ぐ一か月になろうとしている。
この一か月の間に、大掃除や年越し、北上と南城の訪問など様々なことがあったのだが、どの場面でも淡路は既に馴染んでいた。ヒカルも、それを自然に思う自分の気持ちに気付いている。
淡路がアオイを大切に思っているのは事実で、恐らくアオイはそれを不快に思っていない。ヒカルは、それにも気付いてしまっていた。
「――今度」
緊張して、ヒカルは一度唾を飲み込んだ。
「もし時間があったら、ロープを教えてくれませんか? ロープワークっていうの、ネットで見たんです。面白そうだなって」
言い切ってすぐ、ヒカルは紅茶を口に流し込む。
淡路は横目でヒカルの様子を眺めて、それから口元に優しい笑みを浮かべた。
「勿論。僕でよければ。今度、二人でキャンプに行こうか。最初は日帰りでいいからさ。ヒカル君は、焚火とかも好きそうだ」
「焚火、やってみたいです。何処まで行くんですか?」
「そりゃあ、西の方でも、東の方でも。バイクで直ぐだよ。林でも森でも、海や湖の傍もいいね。気に入ると思うよ」
楽しみだと、ヒカルは笑う。
淡路が微笑んでいるのを見て、ヒカルは自分が正しいことをしているのだと思った。
ヒカルには、予感があった。いつの日か、アオイは淡路を選ぶのだろう。その時に弟の自分がそれを受け入れなければ、アオイを悲しませることになる。
きっとこれで良いのだと、ヒカルは自分に言い聞かせていた。