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ゲノム・レプリカ  作者: 伊都川ハヤト
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3-5 think ⑨

 *



 南城家の玄関に脚立を置いて、北上は電球を取り替えていた。南城家はどこもかしこも部屋が広く、天上は高めに設計されている。北上は昼食を終えた後、普段の礼にと南城家の雑用を買って出ていた。


「北上先生。すみませんねえ。普段なら、庭師の倅の奴に頼むんですがね」


 車係の山中が、ゴツゴツした手で額を搔いている。彼によれば、庭師の息子はインフルエンザで寝込んでいるのだという。


「いえ。他には、ありますか?」


「いえいえ。もう充分過ぎる程です! 雨どいまで綺麗にしてもらって……。こりゃあ、旦那様に怒られるなあ」


 客人を働かせてしまったと、山中は肩を落としている。普段、雨どいなどの高い所は庭師の息子と山中とで対応しているのだが、彼は数日前から腰を悪くしていた。


 他にあれば言って欲しいと伝えて、北上は脚立を抱えて外の物置へ向かう。その途中で、彼は離れた所から家政婦に声を掛けられた。


「北上先生。あちらでお休みになってください。片付けは、こちらでやっておきますので」


 駆けてきた家政婦は、川村という女性だった。南城家には三人の家政婦が居るが、その中でも一番若いのがこの川村だ。


「重いですから」


 頭を下げて礼を述べると、北上は川村を残して倉庫へ。その途中、北上は強い視線を感じて倉庫の前で立ち止まった。強烈な、睨みつけるような視線を感じる。


 目を向けると、母屋の二階の窓辺に人影があった。ダラリと長い髪を垂らして、それは北上の方を見ている。


 北上が軽く会釈すると、それはカーテンの向こうへ消えていく。しかし姿が見えなくなった後でも、そこからは強い怨念のようなものが届くようだった。


 北上は見たことを忘れようと努めて、倉庫に足を踏み入れる。倉庫は土と埃の匂いがしたが、少し前の北上家よりも掃除が行き届いていた。


 脚立を元の位置に戻して外へ出ると、倉庫の入り口では小柄な老婆が北上を待ち構えていた。家政婦の滝だ。


「先生。お茶のご用意が出来ました」


 滝の言葉は短く穏やかだったが、言外に、それ以上のなにかを多分に含んでいる。


 頭を下げて、北上は滝と並んで歩き出す。


 滝はせっかちで、歳の割には早く歩く。北上はそれに、ついていく。


 しばらく歩くうちに滝は、違和感を覚えた。いくら自分が早歩きでも、北上の歩幅では直ぐに彼女を追い抜いてしまうことだろう。北上は、滝の歩幅に合わせているのだ。その自然な様子を好ましく思って、彼女は思わず目じりを下げる。


「南……お嬢さんは?」


「お嬢様でしたら、先に縁側でお待ちですよ。……お部屋をご用意したのですけれど、どうしても縁側がいいと仰って」


 滝は不満そうに、口をすぼめている。若い二人が気兼ねなく過ごせるようにと、滝なりに気を遣って離れの部屋を用意していたのだ。


 自分の家でも南城は縁側に居ることが多いなと気付いて、北上は僅かに口元を緩ませる。南城は、まるで猫のようだ。


「それで、北上先生。その……ご首尾の程は……?」


「……シュビ? 守備ですか」


 北上に話が通じていない様子なので、滝は少し苦い顔をした。


「ですから! その、お嬢様との、関係についての……」


 滝はもモゴモゴと口ごもっていたが、やがて腹を括った様子で北上に目を向けた。滝と北上の身長差は相当なものだったので、彼女はほとんど見上げる形になっている。


「先週、外泊なさったでしょう!」


 滝の言葉で、北上は背中に嫌な汗を掻く。確かに家に泊めたのだが、南城がそれを家の者に報告しているとは考えていなかったのだ。それを知っていたら、やはり菓子折りの一つでも持参していたのだが。


「泊めました。……なにも、ありませんでした」


 北上は、脳内では、滝だけでなく南城父母に対しても頭を下げている。成人済みとはいえ嫁入り前の娘を無断外泊させたのだから、彼女の両親は相当に怒っていることだろう。


 しかし滝は、北上の言葉に別の意味で怒っていた。


「ああ、もう! じれったい! 抱いておしまいなさいな!」


 耳を疑って、北上は息をのむ。滝の表情は、冗談を言っている様子ではなかった。


「ご友人の家に泊ったと仰っていたのですよ。でも、私の目は誤魔化せません! お二人は、男女の関係なのでしょう?」


「いえ」


「まあ! では一体なんと仰るおつもりですの? 片恋とでも?」


「はあ。それは……はい」


 まあ! と、滝は口元に手を当てて頬を赤らめた。二人の若者の関係は自分の思ったものではなかったが、それはそれとして、この展開も中々に興味深いものではあると考えたのだ。


 北上は南城を泊めたことを白状させられたうえ、恋心まで認めることになり、頭の中は混乱していた。聞かれたことに答えたという体ではあるけれど、いざ口に出してみると、自分がいかに無謀か思い知らされるようだ。


「南……お嬢さんの中では、自分はただの同僚で、猫飼いでしかないと思います」


 親切な老婆に余計な期待をさせないつもりで、頑張って言葉を紡いで、北上はそう言った。その言葉は、自分にも突き刺さった。


 北上の名前を呼ぶと、滝は立ち止まって彼と向き合う。


 北上も同じように立ち止まって、滝の方を見た。滝の目は、メラメラと燃えるような情熱を宿して見える。


「北上先生の中では、その程度のお気持ちですの?」


 グサリと、北上の胸には幾本目かの刃が刺さった。


 北上は、南城の思い人を知っている。それは女性で、北上がこれまで見てきた中でも限りなく完璧に近いような存在なのだ。それを相手に、自分がどうこう出来るとは思えない。


 しかしそれを口にすれば、南城が同性愛者であることが家族にバレてしまう。勿論、既に知っていればなにも問題はない。だが、もしそうだとしたら、滝は北上にこんなことを言うだろうか。北上は、それを心配している。


「歳の差なんて、ほんの小さな問題でしょう? 大切なのは、お気持ち! それだけですよ! そんなことでは、ややこはいつになるやら……」


 ブツブツと呟きながら、滝は昔を思い出している。南城は昔から病気もせず、よく食べてよく眠る手のかからない子だったが、イヤイヤ期だけは大変だった。割烹着の裾に齧りついて泣きじゃくる幼い南城を思い出して、滝は目を細める。


 北上は滝の言葉で、二人の歳の差についても思い出していた。南城は北上よりも、一回りは年下なのだ。そんなに歳の離れた相手に好意を向けられては、彼女は困るかもしれないし、気味悪く思うかもしれない。


 ただ、そうは思いながらも、北上の中では小さな変化が起きていた。自分の気持ちを諦めるために相手を理由にするのは、間違っていると思い始めたのだ。


 今の自分は思いやる風を装いながら、その実は相手を悪者にしていないだろうか。滝の言うように、大切なのは自分自身の気持ちではないか。


「ああ、まったく。それで、北上先生。どうなんですの? お遊びのつもりでしたら――」


「本気です」


 北上が強い口調で言い切ったので、滝は一瞬たじろいだ。しかし、直ぐに表情をキリリと引き締める。


「よろしい! では、抱いておしまいなさい。お嬢様もあの性格ですから、多少強引な相手でないと。ただし、傷つけるようなことは許しません!」


 滝は、真剣だった。


 北上はすっかり困り果てて、言葉を無くしている。滝の言うようなことが、出来るはずもない。それは、北上の心意気とはまた別の話だからだ。


 南城家は過激な人間が多いなと、北上はそんなことを思っていた。

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