1-3 嚙み合わない関係 ⑨
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そうこうして、北上は南城の隣に立っていた。彼はいつもの通り、無表情だ。
南城はというと、北上と目を合わせた直後は能面のような表情を見せたが、今は再び緩み切った表情でアオイに熱視線を注いでいる。
別人が憑依したとしか思えない南城の顔を正面から見ることが出来ず、かといってこのまま立ち去るわけにも行かず、北上はすっかり困り果てている。
「あら。じゃあ、北上先生も白鷹高校の先生なんですね。いつも弟がお世話になっております。一年の、東條ヒカルの姉です」
「はあ。どうも。北上です」
南城に紹介されてアオイに頭を下げると、不意に北上は隣から漏れ出る殺気を感知した。南城だ。表情に変化はないが、南城は明らかに殺気を放っている。
何故だろうとぼんやり視線を向けて、北上はアオイの隣に立つ淡路の不自然さに気付いた。淡路は南城とは対照的に、不自然な程に気配が無い。こちらも笑顔で接しているが、どことなく他者を観察するような鈍い光を纏った目をしている。
そしてそんな二人を傍に置いて、全く動じる様子の無いアオイ。
「北上先生も体育を?」
アオイの質問には、北上より先に南城が反応した。
「いえ、この者は数学教師です」
「道着姿ですね」
「北上は、男子空手部の顧問なのです」
「相当なお手並みのように、お見受けしますけれど」
「そうなのか? 北上?」
(空手は二十年近く続けている。だが、精神の面でいえば)「まだまだです」
「謙遜なさるのね」
「ハッキリしろ! 北上」
南城に責められても、北上はどのように応えるべきか分からずに黙っていた。取得した段位でも、大会成績でも答えればいいのか。しかし、そうしたところで、自身が求めている精神の強さを証明することにはならない。
「まあまあ。いいじゃないですか」
南城を宥めながら間に入った淡路を、北上は少し好きになった。
「ところで、アオイさん。先ほどの南城先生からの質問に、まだお答えしていませんよ」
淡路の言葉にアオイがピンと来ていない様子を見せると、南城が間に割って入った。
「そうです。先輩。この方とは、どのようなご関係なのですか?」
北上は、南城の横顔にどこか必死さを見て取った。アイアンレディと揶揄されるようないつもの彼女は、すっかり姿を消してしまったようだ。
「淡路は……」
「婚約者です」
淡路がアオイの言葉を遮って、彼女に体を寄せる。
アオイは何か言いたげな表情を見せたが、直ぐに諦めた様子で口を噤んだ。
北上にはその様子が、素直になれない女性が照れ隠ししているような姿にも見えた。
「こん……?」
ふと聞こえてきた声の先に目を向けると、北上の隣では南城が壊れかけの機械のように言葉を繰り返している。
「こん、え……こんや、こんやく?」
「ええ。婚約者です」
映画や小説でもあるまいし、こんなにも独占欲を見せつけるような男がいるのかと、北上は淡路にある種の関心すら覚えた。自分には出来そうにもない振舞いだ。
「こん、こん……」
(ああ。南城がキツネのようだ)
状況を飲み込めていない様子の南城の横顔に、北上は憐みを込めた視線を送る。きっと南城は、婚約者ではなく、慕っている先輩の口から聞きたかったのだろう。
勿論、北上のその考えは、事実とは異なっていた。
アオイは淡路のついた嘘について説明をする手間を考えて気を遠くし、南城は恋が敗れたショックで正常な判断が出来ない状態にある。この場で気分を良くしているのは、淡路だけだ。
北上は呆けたような南城の姿を見て、この場は自分が会話を作ってやらねばならないような気持ちになった。
「おめでとうございます。式のご予定があるのですか?」
これで聞きやすくなったろうと、北上は南城の横顔に微笑みかける。だが余りに不器用なために、それは不遜な笑みを向けたようにしか見えない。
「いえ。あの、私たち」
「今は色々と忙しいので、落ち着いたら行うつもりでいます。事件が多いですから」
北上の目には淡路が、彼女の代わりに堂々と対応する男らしい人物に映った。
「事件、ですか」
「はい。申し遅れましたが、こういう者でして」
淡路がジャケットから手帳をチラリと見せたので、北上は彼らが警察の人間なのだろうと理解した。
「アナザーの関係で、色々と」
アナザー。その単語が淡路の口から出たとたん、呆けていた南城の表情に変化があった。
そして淡路も、北上と南城の表情の変化に気付く。
アオイは、もはや誰の顔も見ていない。
「それは、大変なことですね。市民として、お二人のような方にご尽力頂けるとは心強い限りです」
北上のそれは、取ってつけたような感謝の言葉だった。
「ありがとうございます。まあ、そういう訳なので、このあたりで失礼しますね」
「ごめん、南城。また連絡するから」
この場を早く去りたいという目的は一致していたので、淡路とアオイはそそくさと連れだって歩き出す。
その背をぼんやりと眺めながら、北上は二人を似合いのカップルだなと羨ましく思っていた。アオイは美しく、淡路には自分にない男らしさがある。
二人がすっかり見えなくなってから、北上は再び南城に視線を送った。
いつの間にか南城は、いつもの彼女に戻っていた。
「お前は、私に恨みでもあるのか?」
思いもよらない言葉に、北上はたじろぐ。それは余りに僅かな変化だったために、南城には全く気付かれていない。
「婚約? 結婚式? ……そんなことが、あってたまるか」
「南城」
「煩い」
声のトーンこそ普段通りだが、南城の声には寂しさが感じられる。
(すまない。余計なことをしてしまっただろうか? 俺は言葉が足りないから、なにか不快な思いをさせてしまったのなら謝る。本当にすまない)「南城」
「なにも言うな、北上」
(南城。……もしかして君は、あの男性が)「好きなのか?」
「……関係のないことだ」
少し間を置いたその答えが、北上の問いを肯定しているようだった。
南城の見せた表情に思うところがあって、北上はこれまでのことを注意深く思い返す。よく考えてみれば、あれは殺気ではなく愛の視線だったのだ。不器用な南城には、愛情を表現する術が足りていないのだ。
「そうだったのか、南城」
勝手な妄想と同情とを向けられているとは露知らず、南城は見えなくなった二人に視線を送り続けている。
その横顔に、北上は別の感情を抱いていた。
(なんといえばよいか分からないが、君のその不器用なところも決して欠点ではない。少なくとも俺は、そう思ったぞ)「南城」
「黙れ」
「照れるな、南城」
「殺されたいのか……?」
そこまで言われるようなことだろうかと凹み、北上は言葉を返せずに視線を落とした。その姿は殆ど無表情のまま行われたので、南城の目には北上が彼女の言葉を全く意に介していないようにしか映っていない。
南城にとって北上は、いつも一言も二言も多い嫌味な男だ。
対して北上にとっての南城は、不器用だが可愛らしい女性だった。
二人は犬猿の中で有名だが、そもそも根本の部分がすれ違っていることについて、互いに全く気付いていないのだった。