1-3 嚙み合わない関係 ⑧
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時間は、北上が南城に声を掛ける十分ほど前に遡る。
「東條先輩!」
抱き着こうとして、南城は広げた両手を所在なく宙に浮かべた。さり気なく間に入るような形で、淡路がアオイの腕を引き寄せたからだ。
南城と淡路とは、目を合わせた数秒でお互いが敵同士であることを悟る。それはアオイには悟られることなく、二人は笑顔を崩すことなく、ごく自然に行われた。
「南城! 久しぶり。卒業以来じゃない? 今は、稽古中?」
「先輩……!」
耳に届くアオイの声に心を乱されて、南城は思わず声を詰まらせた。
「久方ぶりの再会ですのに、こんな姿でお恥ずかしい。今は、部活の指導中なのです」
「そっか。あ、淡路。こちら、ヒカルとリリちゃんの学校の先生で、私の後輩」
どうせ知っているでしょうけどと言外に皮肉を込めつつ、アオイはあくまで形式上の紹介をした。
「そうでしたか。初めまして、淡路です」
「こちらこそ。南城です」
「アオイさんの後輩を紹介してもらえるなんて、幸せです」
淡路は顔を寄せて、ニコリともしないアオイの横顔に微笑みかける。
南城は、眼前の二人の距離に強い違和感を覚えた。
「先輩。失礼ですが、その方とはどのようなご関係なのですか?」
落ち着いているというよりは覚悟が座っていると言った方が適切なほど、南城の声のトーンは一定で淀みがなかった。笑顔を崩していないが、声は水面のように静まり返っている。
南城も淡路も表情や声に感情を表すことをしないが、その内面は荒れ狂っていた。互いに、相手が厄介な障害になることを悟っているからだ。
当のアオイは二人の心模様など知る由もなく、純粋に後輩との再会を喜んでいた。仕事に忙殺される日々で忘れかけていた大学生活の思い出が、花開くように次々思い返されたからだ。
「本当に久しぶり。南城、私もね、ずっと会いたかったの」
「先輩……!」
ずっと会いたかった――そのフレーズが、南城の頭の中で何度もリフレインする。彼女は淡路のことなどすっかり頭から追い出して、やがてアオイのことだけを考えるようになっていた。
(先輩も私に会いたかったなんて……! こんな幸せがあって良いのだろうか)
南城は静かに幸せを噛み締めるうちに、段々と表情を緩ませていった。
「――南城先生」
声を掛けられて、南城はウットリとした気持ちのまま振り返る。すると彼女の前には、辛気臭い現実があった。現実は稽古着を纏って、葬式のような表情をした北上の姿をしていた。