3-4 ビタースウィート ①
四、ビタースウィート
二〇×二年 一月 七日 金曜日
二十三時過ぎ。
玄関のドアが開く音がしたように思って、ヒカルは洗面所から顔を覗かせた。玄関には淡路が立っていて、腕にはアオイを抱えている。
目が合うと、淡路はヒカルに、リビングとアオイの部屋のドアを開けるようにと頼んだ。
状況が飲み込めないまま、ヒカルは言われるがままドアを開けにいく。左手には、歯ブラシを持ったまま。
「今日、随分と忙しくてね。寝ちゃったんだよ」
アオイをベッドに寝かせながら、淡路は小声でそう説明した。
ヒカルの目に映ったアオイの顔は青白く、目元の化粧は少し擦れて見える。
車で寝たのかと、ヒカルは尋ねた。淡路は頷いて応えたが、ヒカルはそれを素直に信じることが出来ずにいた。
「アオ姉……姉は、乗り物じゃ眠れないんですよ。傍に人が居るのもダメみたいで。あの、具合が悪いんじゃないですよね?」
「うん。本当に、疲れただけみたいなんだ。年末頃から、ずっと忙しくしてるだろう?」
淡路が間を置かずに答えると、ヒカルは不安そうな様子を残しながらも彼なりに納得した表情を見せる。淡路の言葉を疑っていると、誤解させたくなかったからだ。
淡路はアオイの体に毛布を掛けると、ヒカルを残して部屋を出ていく。
ヒカルはアオイの傍へ行って、彼女の表情を眺めた。それからアオイの頬に手を伸ばし、途中で思い直して、掌をグッと握りしめる。
リビングに戻ると、淡路がソファに腰を下ろして天井を仰いでいた。彼はまだ、コートを着たままだ。
「ありがとうございました。運んで頂いて」
「構わないよ。……ヒカル君は、本当に良くできた子だね」
淡路は、横顔で笑っている。
ヒカルは、淡路に何か飲むかと尋ねた。彼なりの気遣いだ。
淡路は軽く礼を言って、それから、直ぐにシャワーを浴びるのでなにも要らないと返した。
ヒカルは洗面所に戻って口を濯ぐと、歯ブラシとコップを棚に戻してリビングへ戻る。
リビングには、まだ淡路がいた。
「洗面所、空きましたから」
淡路はヒカルに、片手を軽く挙げて応えた。
中々立ち上がろうとしない淡路を眺めていると、彼の目が不意にヒカルへと向けられた。
「なにか、聞きたいことがあるって顔をしてたよ」
淡路の顔は、いつものように笑っている。
なにも無いと答えようとして、ヒカルは出来ずにいた。こんな時、傍に他の誰かがいてくれたら。例えばリリカがいてくれたら、もっと違う言葉が出たのかもしれない。だが今は、頭の中を同じような言葉だけがグルグルと回っている。
「――どうして、姉なんですか?」
淡路は、ヒカルの言葉を笑顔で受け止めている。
ヒカルは無意識に、拳を握りしめていた。
淡路はそんなヒカルの様子に気付いていたが、それでも表情は変えずに向き合っている。
「多分ね、君と同じだよ」
「同じ?」
「そう。愛してるんだ」