1-3 嚙み合わない関係 ⑦
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数学教師の北上は、元来、不器用な男である。物事を深く考え過ぎてしまうあまり、思考と発話とがズレることも多い。
教師という仕事が多くの人間と接する必要があることを考えると、北上のような人間には不向きにも思えることだろう。しかし授業力の高さと決して悪人ではない人柄とで、北上は彼自身が首をかしげるほどに、悪くはない評価を得ているのだった。
そんな北上は、校外のランニング途中に不思議な光景を目にしていた。顧問を務める男子空手部の部員達が、木の陰や植え込みの陰に隠れて、なにかを観察しているのだ。
北上が彼らと同じように背を屈めると、彼の目には、前方の草むらや植え込みに隠れる剣道部員の姿が映った。
「田中」
「押忍!」
北上が小声で名前を呼ぶと、左手の植え込みの陰から空手部主将が立ち上がった。察しの良い彼は、身を屈めると小走りに北上のもとに駆け付ける。
田中は北上の無言の問いに、シンプルに答えをよこした。
「走り込みの途中で、剣道部員が妙な行動を起こしているのを見つけたので、皆で心配しているのです」
なるほど、そのままだなと納得し、北上は理解したことを示すため頷いた。
「押忍!」
北上の視線で大体のことを察して、田中主将は彼に頭を下げる。そして彼は素早く他の部員たちを召集すると、空手部一同は再び元のルートに戻り走っていった。
心配しなくていい。後は自分がやるから、君は他の部員たちをまとめて学校へ戻りなさい――その言葉を北上の視線から読み取り、田中主将は速やかに行動を起こしたのだった。彼は北上だけでなく、部員達から厚い信頼を寄せられている。
余談だが、田中主将の友人間でのあだ名は通訳。彼の担任は、中学一年生の頃から高校二年の現在まで、五年続けて北上である。
空手部の部員たちが去ったのを確認してから、北上は一人の剣道部員の傍へ行き、そっと肩を叩いた。
「……っひ!」
(ひ?)
「き、北上先生……!」
(脅えているのか? どうした? 元気が良いのが我が校の)「剣道部じゃないか」
「はい! そう、そうです。スミマセン!」
(何故、謝る? 一体、なにがあったんだ? そういえば顧問の)「南城が見えないが」
「あ、あの、あちらです」
震える手で不憫な剣道部員が指さした先には、南城の後姿があった。彼女の両脇には、遠目にも目立つ顔立ちの良い女性と、大柄な青年の姿がある。
南城の両脇に立つ男女は、その雰囲気から、唯のビジネスマンでないことは明白だ。
(そうか。南城を心配しているのか)
北上は、状況を理解して頷いた。
(わかった。ここは自分がいく。君たちは安心して)「学校へ帰りなさい」
「は、はい……っ!」
北上に促された剣道部員達は、主将の中原を中心に集まってコソコソと話し合いを始めた。彼らとしては、顧問である南城を北上に任せてよいか、そのためにまた二人が揉めるのではないかと不安に思ったのだ。
剣道部員たちは時折、南城の方を見ては、彼女が自分たちに気付いてくれないかと念を送っていた。だが、北上の物を言う視線に気付くと、彼らは渋々岐路についた。南城を心配する気持ちと同じくらい、北上を恐れる気持ちもあったからだ。
(いい子たちだな)
恐れられているとも露知らず、北上は南城と部員たちとの関係に温かな気持ちを感じていた。生徒に慕われている教員というのは、同僚の立場から見ても素晴らしいものだ。
生徒たちの姿がすっかり見えなくなってから、北上は南城へと歩み寄った。
「南城先生」
声を掛けてから北上は、混乱のあまり脳をフリーズさせた。
振り向いた南城の顔は、幸福に蕩け切ったような笑みを湛えている。それは北上が知っている、いつもの南城ではなくなっていた。