3-2 素直で、でも不器用で ⑨
*
二十三時。
南城が風呂から上がって水を貰いに台所へ行くと、中からは愉快な笑い声が漏れていた。
南城が顔を出すと、皆が頭を下げて応える。
滝は調理台にもたれて椅子に腰かけ、川村と谷口は割烹着とエプロン姿のまま。山中と堀井は、既に顔を赤くしていた。
「年明け早々に、すまなかったね。父は、お部屋に戻られたのか?」
「グッスリお休みです。先程、滝さんをお呼びになってね、『随分、酔った。今日のことは、覚えておらん!』と、ね。旦那様は、そういうお人ですからねえ」
そう言った山中の手の中には、グラスがある。余った酒を、父親の秘書である堀井と呑んでいたようだ。
滝は本当に疲れ切ったような顔をして、湯呑を口に運んでいる。
南城は川村から水を貰いながら、付け足すように母の様子も尋ねた。母親はあの騒動の後に気を失って、自室に寝かされていたのだ。
川村は、南城の母も既に休んでいると答えた。
飲み干したグラスを、川村に戻す。そのまま南城は部屋へ戻ろうと思ったが、川村と谷口がなにか話したそうにしていることに気付いた。
「どうした? なにかあったのか?」
「いえ! いえ、その。……とても、お強い方でしたので」
口元に手を当てて、川村は笑みを溢した。
隣にいた谷口も、笑顔を見せている。
「お嬢様、ご覧になりました? ビールの大瓶が四本でしょう? 清酒も二合瓶が、五本。四合瓶が二本」
クスクスと笑いながら、谷口は空になった酒瓶を数えている。
その量を見て、山中と堀井も笑った。滝も顔は笑っていたが、呆れているようだった。
「他に、桝でもお出ししましたでしょう? それに、一升瓶も殆ど空けてらして」
谷口の指す先で、山中が掴んでいた薄いブルーの瓶を掲げて見せる。南城が、最後に部屋に持って行かせたものだ。
南城は、自分が客間に行った時のことを思い出した。あの時、北上は一人であの一升瓶を傾けていたように記憶している。
「すまないが、後で家の周りを見てきてくれないか? あれが倒れていたら、家の敷地から離れた所へ転がしておいてくれ」
南城が言うと、山中と堀井が手を叩いて笑った。
決して冗談を言ったつもりは無かったので、南城は自分でやろうと思い直した。
「バタバタしましたけれども……でも、とても賑やかでしたね」
笑いかける川村に、南城も笑顔で応える。それは殆ど反射のようなもので、彼女の心情とは異なっていたが。
「……しっかし、あの旦那様の顔! やはり、男親ですねえ。お嬢様が、可愛くて仕方がないのですよ」
山中は笑いを堪えているよな、にやけているような妙な表情をしている。激高する父親と冷静な求婚者という構図が、今になって面白おかしく思え始めたようだ。
「私が、奥様に間違った報告をしたからですよ」
「違う。北上が、言葉足らずなんだ。滝は悪くないよ」
「お嬢様」
「だって、そうだもの。滝は悪くない。桜を、可愛らしいなどど。そんな言い方じゃ、人間の方だと勘違いするのも無理はないよ」
滝を庇う南城を見て、皆はそれを微笑ましく思い目を細めた。昔から、南城は滝によく懐いている。
滝だけは、ぽかんとした表情で南城を眺めていた。
「あら、まあ。……北上様、なんと仰いました……?」
「桜は、真っすぐで可愛らしいだとか、言っていたが?」
まあ! と、滝が口元を押さえた。
湯呑が床に転がって、端が少し欠けたようだ。
皆の視線を感じたのか、滝がそうっと立ち上がった。それから彼女は普段のように落ち着き払った仕草で、何事もなかったように台所を出ていく。
明らかに、様子がおかしい。またなにか勘違いしているのではないかと、南城は不安に思った。
しばらくして、バタバタと騒がしく、滝がどこかへ走っていくのが聞こえた。
「今日はとても、賑やかですね」
谷口と川村が、顔を見合わせて笑っている。
騒々しいくらいだと、南城は心の中で呟いた。