3-1 (don't) wake me up ③
*
二〇×一年 十二月 三十一日 金曜日
「……ル。ヒカル!」
アオイの声で、ヒカルはベッドの上に跳び起きる。息も絶え絶えに、全身汗だくで、顔面は蒼白だ。
弟の額から零れる汗を拭ってやりながら、アオイは心配そうにヒカルの顔を覗き込んだ。
ヒカルは辺りを何度も見回して、自分が悪夢を見ていただけだと理解する。
時計は、午前三時を過ぎたところ。
「大丈夫? 随分、うなされてたみたいだけど」
「大丈夫。大丈夫だよ、アオ姉」
ヒカルは無意識に、アオイの左手に視線を送っていた。そしてそこに彼女を縛るリングがないことを確認すると、ヒカルは心の底から安堵する。
「ちょっと、変な夢を見ただけだよ。全然、大した事ないんだ」
ヒカルは、ほんの少し強がりを言った。
アオイはヒカルの隣に腰を下ろすと、彼の頭を自分の方へ寄せて髪を撫でてやる。
「ここのところ、ずっとでしょう? ……さっきも、『やめてくれ』って叫んでたの。どんな夢をみてたの?」
そんなことを叫んでいたのかと、ヒカルは焦りを覚えた。淡路が越してきてからのこの数日間、ヒカルは同じような夢ばかり見続けている。このままでは、うっかり夢の内容まで口にしてしまうかもしれない。
大した夢ではないと、ヒカルは答えた。
アオイの目には、ヒカルがなにか隠しているように映る。
あのクリスマスの日――それは、アオイが林の中で白衣の男と対峙した日だ――に、ヒカルもアドベンチャーワールドに居た。そのことが、アオイにはヒカルの夢になにか関係しているように思えているのだ。
夢の内容を教えるようにと、アオイがヒカルに迫った。
ヒカルはアオイの声のトーンが変わったのを察して、正直に答えることにした。
「アオ姉が……。アオ姉、急に結婚するって言い出したんだよ。夢の中で」
「結婚?」
「そうだよ。急に、指輪して。あの人なんか、『本当の兄弟』とか言い出して」
そんなことかと胸を撫で下ろして、アオイは声に出さず笑った。
ヒカルはアオイが笑ったことに気付くと、急に安心して眠気を覚える。
「大変だったんだよ。びっくりしたんだ」
アオイに撫でられながら、ヒカルはゆっくり瞼を閉じた。安心しきって本音を口にしたことには、全く気付いていない。
「変な夢なんだよ。凄く。部屋は暗いし、リリカも居ないし。アオ姉なんか、髪の色まで違うんだ。リリカみたいな髪してさ」
アオイの手が、止まった。
違っていたのは瞳もだったかと、ヒカルは夢の内容を思い返そうとする。しかし夢の記憶は、既に薄れかけていた。
アオイはヒカルの頭を枕に戻すと、彼に布団を掛け直してやる。
「まだ早いから、もう少し寝ていなさい。いい子だから」
ヒカルの額に掛かる髪の毛を、アオイの手が左右に払った。
ヒカルは、段々と遠くなっていくアオイの声を、微睡ながら聞いていた。
お休みなさいと言って、アオイは部屋を後にする。
廊下に出て、しばらくアオイはヒカルの部屋の前を動けずにいた。なにかが、彼女をその場に縛り付けている。
やがて耐えきれずに、アオイは口元を押さえて泣き出した。堪えても堪えても、涙は止めどなく溢れ出る。
覚束ない足取りで正面の洗面所へ行くと、アオイは後ろ手にドアを閉めた。
リビングのドアの向こうから、淡路がその様子を静かに見守っていた。