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オタク病  作者: 影山ナイト
2/15

同族


 昼休み。空馬は女子のグループで昼食を摂り、一ノ瀬も他の女子と一緒に昼食を食べている。俺はひとり席で弁当を食す。


 弁当を食べながらふと周りを見回すと久遠が目に入った。


 久遠もひとりで弁当を食べていた。白いヘッドフォンをしながらピンクの弁当に箸をつける。

 あいつもひとりなんだな。というか、今日の午前中見ていたがあいつが誰かと話したのを見た覚えがない。


 休みになるとすぐに白のヘッドフォンをして読書をする。席を離れるときもあったが、すぐに戻り同じようにヘッドフォンを着け、読書。


 まあ、たしかに、社会性はなさそうだな。


 俺は空馬と、あと一応、一ノ瀬と話しているが、それ以外の人間とは話さない。


 空馬以外の誰かと趣味を共有したいと思ったことは特にない。


 それにこのご時世、二次元に興味を持っているというだけで社会性欠乏障害を疑われることもあるのでオタクは煙たがられている。


 本当、迷惑この上ない。


 この障害が社会で認知されてからアニメや漫画などの創作物も以前に比べて供給は減った。

 俺が小学生の頃はもっと色んな作品があったのになあ。


 俺はそんなことを考えながら弁当を食べ終える。


 まだ休み時間は豊富にある。昼休みはいっぱいラノベが読めるから好きだ。

 俺はトイレに用をたしに行き、教室に戻ろうとする。すると――


 黒い髪が揺れる。

 肩には白いヘッドフォンがかけられている。

 後ろ姿だけでもわかった。


 久遠環だ。


 久遠は本を持って廊下を歩いてゆく。

 

 ひらり。


 久遠の本から一枚の紙のようなものが廊下に落ちた。


 ん? なんだあれ?


 凝視する。


……見覚えがある。


 もしかして、ポストカード?


 久遠の近くを歩いていた女子生徒がポストカードを落ちたことを認識し、手に取ろうとする。


「まっ!」


 体が勝手に動いた。

 俺はその女子生徒が取ろうとするところを奪い取るようにしてポストカードを取る。


「え、なに」


 女子氏生徒が俺に不審な目を向ける。


「あ、えっと……すみません」


 一ノ瀬以外の女子と話したことなんてほとんどない。どう話していいかわからない。

 俺はポストカードを持ったままその場を離れた。

 そしてポストカードを表にめくる。


「なっ」


 そのポストカードの表には『ボクの前ではみんな好き好き大好きっ子』のヒロインの全裸が描かれている。特定の本屋で買うとついてくる特典だ。


 あいつ、俺とおんなじラノベ読んでいやがる。しかも同じ場所で買っている。


 さて、これはどうしたものか。

 久遠はもうとっくにこの場にいない。いつの間にかどこかに行ってしまった。

 届けた方がいいってのはわかるんだけど、どうしたもんかな。


 あいつはライトノベルにブックカバーをしていた。ということはおそらく、周りにライトノベルを読んでいることを知られたくないと思っている可能性がある。そんなやつにどうやってポストカードを返すか。


 席に入れておく?

 下駄箱にいれておく?


 うーん、どっちも自分がオタクだと誰かにばれたことに困惑してしまうだろう。


 それじゃあ口頭で返すか。

 ふんっ、そんなこと俺にできるはずがない。


 俺の0コミュニケーション力でかつ、あいつを困惑させないように返す方法なんてあるか?

 いや、ひとつだけある。



「そんじゃまたな宅也!」

「ああ」


 放課後。空馬はアルバイトのためすぐに教室を後にする。

 俺は少し席で待機している。

 一ノ瀬は俺に構わず教室を出た。


 危ねえ。あいつが俺の席に近づいたら面倒なことになってた。


 一ノ瀬が教室からいなくなったところで俺も席を立とうとする。


 しかし、やつはきた。


「あなたが、猪尾宅也ね」

「あ、はい……、すみません」


 白いヘッドフォンを肩にかけた久遠が俺の席の前まで来て俺を見下す。俺は動揺を隠すように眼鏡を上げる。俺は一体どうして謝っているのだろう。


「ありがとう。これ、返すわ」

「お、おう」


 そう言って久遠はライトノベル『ボクの前ではみんな好き好き大好きっ子』の7巻、そしてその中にあるポストカードを受け取る。そのポストカードの裏には俺の名前、『猪尾宅也』と書かれている。というか、昼休みに書いた。


 俺が久遠にポストカードを穏便に返す方法。


 それは、『拾った俺が同類で、久遠がラノベを読んでいるということを知ったところで何も思われないと思わせる作戦』だ。

 長いですね。却下ですね。


 まあ要は、俺が直接話さず、ライトノベルを読んでいるとばれても久遠にとって問題ないと思わせればいい。


だから、俺は自分の本と名前が書かれたポストカード、それと久遠が落としたポストカードを本に挟み、久遠の机の中に入れたのだ。


 事の真相を知った久遠はてっきり俺の机の中に俺の本を入れてくれると思ったんだが、まさか直接渡してくるとは思わなかった。


「屋上に来て」

「え」


 久遠はそのまま教室を去ってしまった。


 え、屋上? 俺、行かなきゃダメ? 作戦上手くいったと思ったんだけど失敗しちゃった?

 ええ、今から何されるんだろう。口止めのために脅されたりすんのかなあ。


 怖いなあ、関わりたくないなあ。


 俺は気乗りしないまま屋上へと向かった。


 そして――――



「……っ、私と、付き合って。私の彼氏に、なって」


「へ?」


 久遠の髪が風になびく。

 沈黙が訪れる。聞こえるのは野球部員の掛け声とセミの鳴き声のみ。

 えっと……風のせいで聞き間違えたのかもしれない。


「今なんて?」

「難聴系主人公? そんなのは二次元だけで十分よ。私と付き合ってと言っているの」


 難聴系主人公だと? ふざけるな。俺は自分の陰口を教室の端から聞こえるぐらいの聴覚を持っている。難聴系主人公だったらよかったな……。


「付き合うって、どこに?」

「彼氏としてと言ったでしょう? 難聴だけじゃなく鈍感系なの? あなたヘイト買うわよ」


 誰からヘイト買うんだよ。というか超敏感だし、人の陰口を察すること――以下略。


「その、付き合うっていうのは、つまり、その、そういうこと、か?」

「ええ、そうよ」

「なんで?」


 俺が久遠に好かれているなんて思いもよらなかった。というか、久遠と同じクラスなのつい今日知ったばかりだし。


 それともあれか? 一番左後ろの席で本を読んでいる俺に主人公の面影を感じていつの間にか好意を抱いてしまった、とか? 服のはだけた表紙のラノベを読んでいる俺に?


「あなただと都合が良いからよ」

「ああ、付き合う上で同じ趣味の方がいってこと?」

「そうよ」


 へ、へえ。マジで俺、告白されたんだ。まったく実感ねえな。


 空馬のやつはこんなこと何回も経験してんだろうけど、はじめての俺はどうしていいかわからなかった。


「えと、ちなみになんだけど、いつから俺のこと好きだったの?」


 照れ臭くてつい、久遠から目を逸らしてしまう。顔が赤いのは暑いからです。


「は?」

「え?」


 久遠が俺を睨む。


「え、いやだからいつから俺のこと好きだ――」

「あなたのことはべつに好きじゃないわ」

「えぇ、最後まで言い切ってないのに……。つか! だったらなんで告白なんてするんだよ! 付き合う上で趣味が合うから良いって言ったじゃん!」

「それは私と同じオタク病だから、目的を果たす上でちょうどいいってことよ」

「目的?」

「ええ。私とあなたはただ趣味嗜好が人より熱狂的というだけで病気扱いされている。そんな世界間違っているわ。私は好きなものを自由に好きだと言える世界を求めているの。そんな世界を作るためにあなたが私と付き合うことに意味があるの」


 久遠は急に捲し立てる。なんか俺、こいつを怒らせること言っちゃいました……?


「えっと……世界観広すぎてついていけないんだけど、要は、ふたりで協力して社会性欠乏障害、通称、オタク病の差別をなくしてゆきたいってこと?」

「そうよ」


 久遠は即答する。最初からもっとわかりやすく説明してくれよ。


「でもそれと俺たちが付き合う理由ってなんだ。べつに付き合う必要ないだろ」

「必要はある。私たちは碌に恋愛もできない人種だと思われているわ。まずはそのイメージを払拭する必要があるのよ」

「えっと、要は偽物のお付き合いってこと?」

「まあ、そうとも言えるわね」


 どこのラブコメ漫画だよ。どこの漫画とかは今は色々と問題があるから言えねえんだよ。

 まあでもとにかく、久遠の言いたいことはわかった。


 こいつは今のオタク病差別を積極的になくしてゆきたいと思っているのだ。そのために同じ俺と付き合い、周りに見せることによって社会性があることを主張する。その後、どうしてゆくかは知らんが、そうやってオタク病の俺らに社会性があることを見せてゆき、差別をなくしてゆきたいのだろう。


「はあ、そんなことのために俺と付き合うのかよ」

「そんなこと、なんて小さなことじゃないわ。おかしいと思わないの? ただ自分の好きなものを好きだと思うだけで世間に間違われていると言われていることに」

「まあ、おかしいとは思うけど、でも一理あるし。現に、俺らみたいなのは積極的に人と関わらない、異性と付き合うこともしない、結婚もしない、子どもも作らない、これを社会性がないという意見に関して反論する余地はないだろ」

「いえ、余地はあるわ」


 久遠は腕を組む。


「私は二次元の女の子と関わりたいし、付き合いたいし、結婚したい」

「あのな? そういうところが社会性ないって言われてんだよ」


 ああ、オタクって面倒くせえ。一ノ瀬も普段、俺に対してこんな風に思ってんのかな。

 人の話聞かねえし、自分の話したいことばかりつらつらと述べ続ける。あ、俺のことですね。


「とにかく、私は今の社会が嫌い。私の好きなものを否定する社会が嫌い」


 久遠は眉を顰める。


「べつに社会はお前の好きなものを否定してるわけじゃないだろ」


 昔より二次元コンテンツの供給が減っているのはたしかだが、完全に規制されているわけじゃない。


「いいえ、間接的に否定してるわ。趣味には色々あるけれど、私たちの趣味に関して熱狂的であることを社会は否定している。それはすなわち、私の好きなもの、漫画、アニメ、ラノベ、ゲームを否定していると同義だわ」


 まあ、そういう考えもあるか。


 社会としては社会性のある人間がいてほしい。だから、二次元に対して熱狂的であることに社会は否定的だ。なぜなら、あまりにも二次元に熱狂的だとリアルに興味関心を抱かず、社会性を失うと思われているからだ。


 二次元の趣味の繋がりで交際をすることもあるだろうが、それは稀なケースらしい。今の世の中では迷惑なことに二次元に没頭している人間はそれ以外の人間に比べ、社会性が少なく交際率、結婚率が低いと証明している論文がある。


 誰だよその論文書いた奴。論文書いてるやつもある意味、オタクみたいなもんだろ。しかし、二次元以外のオタク、他の趣味で熱狂的でも二次元ほど否定されてはいない。


 ああ、そう考えるとたしかに社会に二次元が否定されてると考えることもできる。


「まあ、俺も、好きなものが好きだというだけで障碍者扱いされんのは嫌だけどさ。鬱陶しく思うこともあるし」


 そのせいで一ノ瀬に付きまとわれているのだ。というか、哀れまれているのだ。


「障碍者であることは恥ずべきことではないわ」

「は? なんだよどういう意味だよ」

「障碍者は社会生活に制限を受ける状態にある人のことを言うわ。そういう制限があるのは仕方がないし、そういった人たちが社会に支えられるのは、社会のあるべき姿だわ」

「お、おう」


 なんだよいきなり捲し立てて。


「でも私たちは社会生活に制限を受けていない。制限なく社会生活が送れている。そんな私たちを障碍者とすることはむしろ、障碍者を軽視しているとしか思えない。あなたは自分が障碍者扱いをされるのが嫌だと言ったわね」

「あ、ああ」


 久遠の表情は険しくなる。


「それが軽視しているということよ。障碍者の人だって私たちと同じだとは思われたくないわ。障碍者は自分の意思で障害を持っているわけじゃない。支えられたくて支えられているわけじゃないの。好きでそうなっているわけじゃない。だから、好きでなっている私たちを同じ障碍者として扱うことを止めるべき。そうじゃなきゃ、障碍者の人たちが報われないじゃない……」


 環は右腕に左手を添え、斜め下に視線を向ける。


 久遠が何を考えているかわからない。でも――

 何か久遠にとってそこに何か重要なことがあることだけはわかる。


 障碍者であることに劣等感を抱いているわけではない。それ自体はべつにどうでもいい。


「お前は、ただ自分が障碍者だと思われたくないから社会を変えたいってわけじゃないってことか」

「ええ、今の社会が嫌いだから変えたいのよ」


 今の社会が嫌い、か。

 たしかに俺も今の社会、というかリアルの世界が嫌いだ。


 俺はリアルの世界をひとつのコンテンツとして認識している。だから、俺はひとつのコンテンツとして二次元よりもリアルにただ、興味がなく、そして、何も期待していない。何も求めていない。


 しかし久遠は違うのだ。リアルというひとつのコンテンツに希望を抱いている。

 いや、それは果たしてリアルに希望を抱いているというのだろうか。


 少なくとも俺のように、閉鎖された世界で満足している人間じゃないのだ。


 久遠だって俺と同じように二次元の世界に満足したいのかもしれない。だからこそ、閉鎖された自分の世界を守るためにリアルというコンテンツを変えようとしているのだ。


 到底、俺には考えられないものだ。いや、世間のオタクたちも考えないだろう。


 どうして自分の閉鎖された空間にいるだけじゃ満足しないのだろう。

 満足すればいいじゃないか。周りにどう思われようが、俺たちの閉鎖された幸せな世界はたしかにそこに存在する。そこにいれば、周りにどう思われようが、気にならない。


 俺はそうだ。


 井の中の蛙だ。井戸の中にいるだけでいい。その方が心地良い。わざわざ大海に手を出す必要はない。大海にあるのは俺たち蛙を容赦なく波打つ反発しかない。


 だがそれでも久遠は大海に手を伸ばす。そこには久遠にしかわからない動機があるのだ。

 その動機とはなんだろう。多分、自分の好きな二次元を否定されるから社会を変えたいという理由だけではない気がする。もっと、久遠の中で確かな意思があるのだ。


 閉鎖された世界ではなく、どこまでも無限に続く世界を変えたい。

 なぜ、そう思うのだろう。どうしてそこまでするのだろう。


「どうしてそこまでして社会を変えたいんだよ」

「言ったでしょう。嫌いだから社会を変えたいのよ」


 どうしてそこまで嫌いなのかが知りたいんだけどな。まあ、社会、リアルが嫌いな気持ちは俺も共感できる。


「とにかく、社会を変えるために、俺に協力しろってことか。はぁ、なんだかねぇ」


 面倒だ。そんなことに付き合う義理はない。というか付き合ったところで俺、何もできないし。


「私と同じ立場で、それであなたは自分の好きなものを堂々と好きだと言える力がある人だわ」

「え、俺そんなにすごい人なの?」

「……認めたくないけどそうだわ。今の世の中で堂々とエッチな表紙のラノベを読める胆力があるのはあなたぐらいだわ」

「あれは牽制のためだ」


 ふっと鼻で笑う。


「牽制?」

「ああ、今読んでいるヒロインは俺の嫁だから他のやつは手を出すなってな」

「は? あなた何様? 『ボクの前ではみんな好き好き大好きっ子』のメインヒロイン如月かのんちゃんは私の嫁よ」

「はあ!? お前何様!? お前女だろ? 女のお前の嫁にはなれませ~ん。俺の嫁です~」

「障碍者軽視の次は、男女差別。あなた本当に性根が腐ってるわね。いい? 良く聞きなさい? 愛に性別は問わないわ。つまり、かのんちゃんは私の嫁。OK?」

「OKなわけあるか! これだけは絶対に譲れない!」

「あなた、3か月に一度嫁が変わるタイプでしょ? あなたのことだから他のラノベを読んでいるときはそのヒロインを嫁だと言っているでしょう?」

「ぐっ」

「図星ね」


 こいつ、痛いところついてきやがる! 弱点が見える目を持っている的なあれか!?


「じゃあお前は違うのか!? ずっとかのんちゃんが嫁なのか!? 絶対に3か月に一度嫁が変わることないんですかぁ? 他のラノベ読んでるときもずっとかのんちゃんのこと考えてるんですかぁ?」

「ぐっ」


 久遠は腕で顔を防ぐようにして前に出し、一歩下がる。


 いやお前も図星かよ。もっと頑張れよ。もろにカウンター食らってんじゃねえか。


「というか俺、お前より絶対オタク度高いし! どうせお前『あい♡ぷり』観てねえだろ。ちょっとラノベ読んでっからってオタクぶるんじゃねえよ!」

「はっ! 『あい♡ぷり』は毎週生で観てるわ」

「や、やるな。誰推しなんだ」

「私はハコ推しよ」

「で、た、よ、ハコ推し! それは愛が分散してヒロインたちに届いてませ~ん。俺のすたあちゃん愛はお前より大きい!」

「私のすたあちゃんの愛はあなたより絶対に大きい。問題よ! すたあちゃんの身長は何センチでしょう?!」

「えっと、たしか140――」

「ぶっぶ~残念時間切れです~。正解は140,3センチでした~。はぁ、これだからニワカは」


 久遠は俺を見下した顔をして肩をすくめて見せる。


「おい! 今俺答えようとしただろうがよ! 制限時間1秒のクイズなんてあってたまるか! はぁ、これだからオタクは。す~ぐ、マウント取りたがる。嫌だなぁ」

「あなたにオタク呼ばわりされたくないわ。というか、いい歳した男が女児向けアニメ観ているんじゃないわよ」

「お、お前! どの層が『あい♡ぷり』支えてんだと思ってんだ! 誰がブルーレイ買ってんだと思ってんだよ。俺たち縁の下の力持ちが支えてんだぞ!」

「はぁ、これだから害悪キモオタは。あなたたちのせいで本来の年齢層向けのイベントもあなたたちのようなむさいオタクが占領するのよ」

「もう占領してませ~ん。女児対象のイベントには男性の入場制限があるから入れませ~ん」

「はっ! 通りで前より気持ちよくイベントに参加できると思ったわ」

「お前もイベント行ってんじゃねえか! 結局、むさいオタクが占領してんじゃねえか!」

「あなたと同じむさいオタク扱いしないでもらえる? 私は純粋な愛でヒロインたちを愛でてるのよ」

「俺だってそうだよ!」

「性欲が一切ないと言い切れる?」

「ぐっ」

「図星ね」


 こいつ、痛いところついてきやがる! やっぱりこいつはそういう血筋のやつなのか!?


「じゃあお前は一切よこしまな気持ちなく見てんのか!? ヒロインの入浴シーンやラッキースケベに一切何も感じないんですか!?」

「ぐっ」


 再び久遠は一歩下がる。


 いやだから図星かよ。こいつなんなんだよ。自分が攻められるポイントで攻めてくんじゃねえよ。

 久遠は咳ばらいをして、姿勢を正す。


「あなたと言いあっていたら日が暮れるわ」

「誰のせいだよ」

「あなたのせいよ」

「あ!?」

「は!?」


 俺と久遠はバチバチと睨み合う。


「本当にきりがねえ。なんだっけ? 俺とお前が偽物カップルになるんだっけ? まったく、どこのラブコメ参考にしてんだか、リアルと二次元の区別もできねえのか」

「あなたに言われたくないわ。そもそもポストカードの返し方もなにあれ? 何ラノベの主人公っぽくしようと恰好つけているの? 全然格好よくないわよ?」

「お前に気を遣って返したんだろうが!」

「私がそんなお願いした?」

「くっ、こんなことなら返さなきゃよかった」

「とにかく、今から私たちは恋人よ」

「いや今の流れでなんで普通に戻れるんだよ。嫌だよ。なんで俺がそんな面倒なことに付き合わされなくちゃなんないんだよ」


 たしかに二次元が好きでリアルに関心が無いからといって、それだけで差別され、同情されるのは気に食わない。でも、社会がそういう風になってんだからもう仕方がないだろ。今さら社会に俺たちの世界の肯定を主張しても意味がない。リアルに期待したってしょうがない。


 だからもういいんだよ。


『リアルには何も求めない』。


 この信条がある限り俺はリアルでは何もしない。


「あなたが動かなければ、誰が動くのよ」

「は? 知らねえよ。そんなのやりたいやつがやればいいだけだろ。ていうか、お前がやればいいじゃん。俺を巻き込むなよ」

「私とあなたが協力すれば社会を変えられえる」


 久遠は真っ直ぐ俺を見つめる。


「……なんでそんなこと言い切れんだよ」

「言ったでしょう。あなたはただのオタクじゃない。自分がオタクだということを一切恥じていない。一切、劣等感を抱いていない」

「当たり前だ。恥じたり劣等感を抱くなんて、そんなの俺の好きな二次元を否定しているようなもんだろ」

「そんなあなただからこそ、変えられるのよ。報われるべき人が救われる」


 報われる。救える、か。


「俺にそんなことできねえよ……」

「単体ではできないでしょうね。でも私と組めば、少なくとも今の状況は変えられる」

「今の状況って?」

「あなたは普段の学校生活で劣等感を抱く瞬間が一切ないと言い切れるの?」

「…………」


 言い切れない。俺は一ノ瀬と話すとき、空馬と話すときに多少の劣等感を覚える。


 オタク病の俺に同情しているのではないか。同情で話してくれているのではないか。空馬は違うかもしれないが、一ノ瀬はそうだ。


 あいつは、俺に同情してカウンセリングなんてしているのだろう。話しかけられるのが鬱陶しい以前に、俺は、同情で話しかけられることに劣等感を抱いている。


「あなたは本当に、今の状況をまったく! 変えたくないと思っているの? 現状に満足しているの?」

「……満足なんて、してるわけねえだろ」


 一ノ瀬のことだけじゃない。

 過去を思い出す。

 俺がオタクだからって、俺の人格を否定してきたやつら、俺を弱者のような目で見つめるやつら、そして、その状況が当たり前だと思って、受け入れてしまっている自分。


 そんなの、満足しているわけねえだろ。

 本当は自分の気持ち押し殺して必死になって我慢してんだよ!


「じゃあ、やることはひとつよ」

「え」

「現状を変える」

「変えるって……」

「私とあなたが恋人関係になる。それだけでも、あなたの世界は大きく変わるわ」

「俺の世界が……変わる?」

「少なくとも、教室の中だけでも変わるわ」


 教室の中で変われば俺は、一ノ瀬から同情の目で見られなくなる……。

 空馬と同じように、対等に扱ってくれるかもしれない。


 それに、社会が変わる。俺と久遠なら変えられる。


 久遠はたしかにはっきりと確信している。

 どうしてそこまで言い切れるんだ。


 久遠の強い意思と確信は、どこから来ているんだ。本当に、変えてしまえるのだろうか。

 気になってしまった。だからつい――


「…………付き合うっていうのは、それだけは、いいかもしれない。あっ――」


 言ってしまった。


「じゃあ決定ね。えっと、名前なんだったかしら? オタクくん?」

「……その呼び名はやめろ。猪尾宅也だ。さっき名前言ってただろ。お前アニメの見過ぎで記憶ストレージもうねえんじゃないの?」

「は!?」

「あ!?」


 再び睨み合う。


「いちいち癇に障るわね。とにかく私のことは名前で呼んで、連絡先も交換するわよ」


 久遠はポケットからスマホを取り出す。


「……な、名前で呼ぶのか?」

「恋人なのだから当たり前でしょう。それとも、あなたはオタクのくせにリアルの女に惑わされてるのかしら? あら~? 自信持って二次元が好きだって言ってたオタクはどこに行ったのかしら~」


 久遠は右手を目の上にかざし辺りを見渡す。


「た、環! 環だろ! ふんっ! 俺がリアルの女に惑わされるわけないだろ。じゃあお前も俺のことは名前で呼べよな」

「そ、そんな必要あるかしら」

「お前が言ったんだろ。それとも何だ~? おっとこれは少女漫画の展開かなぁ? リアルと二次元を区別できない女の気配がするな~」

「た、宅也! 宅也でしょ! はっ! あなたみたいなモブキャラが少女漫画のヒーローなわけないでしょう」

「誰がお前のヒーローになってたまるか」

「誰があなたのヒロインになってたまりますか」


 何度目か睨み合う。


「で、どうやって連絡先交換すんの?」

「知らなわいよ」

「なんで知らねえんだよ! お前が言い出したんだろ! なんかお前メッセージアプリ持ってないの?」

「はっ、そんなもの私に必要ないわ」

「社会性持つ意思ある? んじゃあ、電話番号交換するだけでいいか」

「そうね。それじゃあ後はよろしく」


 そう言って環は俺にスマホを渡す。


「は?」

「私が人との連絡先交換ができると思ってるのかしら」

「……堂々と言うんじゃねえ」


 かく言う俺もやり方がわからず、なんとか奮闘した後、連絡先を交換した。


 ちなみに環のスマホの待ち受けはポストカードを直に写真で撮ったものだった。どんだけ好きなんだよ。いや! 俺も負けてないけどな!


「はい。これでできたぞ」

「ありがとう、と言っておくべきかしら」

「言っておくべきだよ。迷うな」


 環は俺からスマホを受け取り、ポケットに入れた。


「それじゃあ、明日からよろしくね。宅也」

「お、おう。よろしくな。た、環」

「あれ~? 照れてるのかし――」

「照れてねえ!」


 こうして俺と環の偽物恋人物語が始まるのであった。


 つい、引き受けてしまった。

 俺は現状を少しでも変えたかった。ただ、それだけじゃなかった気がする。


 どうしてだろうか。リアルと二次元の区別がついていないと糾弾したのは俺にも関わらず、俺はつい、あいつの強い意思に惹かれてしまった。


 その強い意思はまるで、主人公のようだったから。

 つい、あいつの理想を見てみたくなってしまった。


 強い意思を持つあいつが報われてほしいと思ってしまった。


『リアルには何も求めない』。


 そう言いつつ俺は、見えない何か(・・)を求めてしまったのかもしれない。


 面倒なことになってしまったが、一度引き受けてしまったことを断ることもまた面倒だ。面倒なことは避けたい。だから――


 ちょっとだけ様子を見てみようかなと、そう思ってしまった。


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