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オタク病  作者: 影山ナイト
13/15

夢の終わり


 ショッピングモールに行った翌日。俺は遊園地に来ていた。


「お待たせー。ごめんね待たせちゃって」

「いや、大丈夫だ」


 遊園地の入り口。人だかりがある中でもなんとか一ノ瀬と合流できた。

 

 息を切らす一ノ瀬はいつもより数段大人っぽかった。


 いつも後ろにまとめているポニーテールはおろし、川が流れるような綺麗な茶色の長髪。ピンクで袖にフリルの付いたフレンチスリーブに黒のタイトスカートを履いていた。


「どう、かな?」


 一ノ瀬は両手を広げてみせて俺に問う。


「お、おう。似合ってると思う。なんか、いつもと全然違うな」

「そりゃあデートだもん。気合い、入れなきゃね」


 昨日、観覧車で一ノ瀬に打ちのめされた後、よく覚えていないが、今日、ふたりで遊びに行くことになっていた。俺はそれを断れなかった。


 断る理由が思いつかなかった。


 俺を受け入れてくれる人間に、ただ従うことしかできなかった。俺が二次元に理想を求めているように、一ノ瀬が俺を求めてくれているなら、それを否定することはできなかった。


「猪尾くんは相変わらずだね。そんなに大きなリュックじゃアトラクション乗れないんじゃない?」


 一ノ瀬は上目遣いで首を傾げる。


「ロッカーあるからそこにしまうよ」


 俺たちはロッカーまで行き、俺は必要最低限の荷物だけを回収し、リュックをロッカーにしまう。

 その間、一ノ瀬は自販機でジュースを買って飲んでいた。


「飲む?」


 一ノ瀬は飲みかけのジュースを俺に向ける。


「い、いい」


 俺たちはそのまま遊園地に入場する。

 この遊園地は日本で最も大きい遊園地だ。


 世界的に有名なアニメをモチーフにしたアトラクションが多い。絶叫マシンも多くある。


「猪尾くんは『フィズニー』とかのアニメも好きなの?」

「うーん、あんま見ねえかな」

「そうなんだ。アニメといっても何でもかんでも見るわけじゃないんだね」

「まあ俺が好きなのは可愛い女の子が出てるアニメばっかだからな」

「むぅ、デート中に他の女の子のこと考えるのは厳禁だよ」

「に、二次元は別だろ」


 そういや、環は今頃何をしているだろう。昨日の観覧車の後、よく覚えていないが、ずっと俯きがちのまま去って行った。


 一ノ瀬が言うにはこれから環の社会性を取り戻すために全力でサポートしてゆくとのことだった。具体的にどうするのだろうか。


 環を受け入れてくれる人を見つけ、その人と一緒に歩んで、今までと違う世界を見られると言っていた。


 それってつまり、環が別の誰かと一緒に二次元とは別の世界を見てゆくってことだよな。環はそれを望んでいるのだろうか。


 環にとっての二次元は俺と同じくらい、もしくはそれ以上大切なものだ。それをちゃんと理解し、支えてくれる人がいるのだろうか。


 もしいるのならば、それで環の世界が変わるのであれば、それが一番良いのかもしれない。


 俺にできなかった、環の世界を変えること。それができる人間がいるなら、俺の出る幕じゃないんだ……。


 それに今の俺には――


「さ、じゃあどうしよっか」


 俺と一ノ瀬は入場し、メインエントランスで立ち止まる。周りには多くの人がいる。アキバよりも多くの人間がいる気がする。さすが国内最大遊園地。


「なんか、ショッピングできるみたいだし行ってみるか?」

「うーん、お土産とかは最後に買いたいけど、うん、そうだね。先に買いたいものがあるんだ。行こ」

「おう」


 ――俺には、一ノ瀬がいる。俺を求めてくれる人がいる。


 俺たちは欧風なお店に入る。そこにも多くの人がいた。


「人混み大丈夫?」

「まあアキバで慣れてるからって言いたいところだけど、さすがにこの数がずっと周りにいると思うと少し疲れるかもな」

「そうだよね。さすがにわたしも疲れそうだよー。アトラクションの待ち時間とか1時間超えそうだしね」

「まじか……。そんなに待つの?」

「ま、その間ずっと話していようよ。カウンセリングだね」

「俺もう社会性取り戻せたんじゃないの……?」


 一ノ瀬は指を横に振る。


「まだまだなのです。というわけでちょっと買いたいもの買ってくるね」

「おう」



 一ノ瀬は人混みの中なんとか欲しいものを取ってレジで会計を済ませたみたいだ。


「いや……これはさすがに」

「いいじゃん。せっかくなんだしさ。ほら。ぷっ、あははは」


 一ノ瀬が買ってきたのは猫の耳のカチューシャだ。俺はシンプルに頭に猫の耳がついたカチューシャ。一ノ瀬のやつは耳にリボンのついたカチューシャだった。


 一ノ瀬は俺にカチューシャを付け、笑っている。


「おい、面白がってるだろ」

「いや、似合わなくて。あっははは」


 笑いをこらえきれないようでずっと笑っている。


「やっぱつけない」

「え~、ごめんって。ほら、わたしも付けるからさ」


 そう言って一ノ瀬はリボンの付いたカチューシャを付ける。


「…………」


 似合ってる、と思う。少しいつもの雰囲気になった。


 それにしても今日の一ノ瀬は大人っぽい。

 いつもの子犬みたいな一ノ瀬と全然違い、なんだか調子が狂う。


「なあに? そんなに無言で見つめて」

「いや、お前いつもと違い過ぎてちょっと違和感がな」

「変かな?」

「いや、変とかじゃない。むしろ良いと思う。その、ギャップ的な?」

「ふふっ、ありがと」


 俺は結局、猫のカチューシャを付けられ、そのまま遊園地を周ることになった。


「うわあ、でけえ城」


 俺はマップを見る。俺たちがいるのはちょうどマップの中央付近。中央からは白を基調とされた城で、あまり詳しくない俺でも見たことのある城だった。


 城。マジで城。迫力ありすぎて語彙力がなくなる。


「あのお城の前でプロポーズとかってよくするみたいだよ。なんだかロマンチックだよね」

「こんな大勢の前でプロポーズするのか? 逆に変じゃないか?」

「『スンデレラ』知らないの? まさにあのお城の前でプロポーズされることに意味があるのですよ。あー、わたしもいつかプロポーズされたいなー」


 一ノ瀬は城を見て目を輝かせている。


「一ノ瀬は結婚願望があるのか?」

「そりゃああるよ。私の前にいつか王子様が現れて、その王子様と結ばれたい。王子様は強くてかっこいい感じね」

「俺とは正反対だな」

「……それは、どうかな」

「…………」


 俺と一ノ瀬はそれぞれ違う方向を向く。


『わたしが、猪尾くんのことが好きだから』


 昨日の観覧車での一ノ瀬の言葉を思い出す。

 ……本当に、一ノ瀬は俺のことをその、好きなのだろうか。


 想像がつかない。

 俺は今まで誰かに好意を抱かれたことはない(二次元を除いて)。


 だからその好意が果たして本当のものなのかわからない。そしてそれを疑うことがとても残酷なことだとわかっている。それでも疑ってしまう。


 そもそも好意とはなんなのだろうかということさえわからない。


 俺は二次元の女の子にしか恋愛感情を抱いたことがない。そして、それとともに異性として欲情することもある。


 好きとは、異性として欲情を抱くことなのだろうか。

 だとしたら……一ノ瀬も俺を異性として――


 って! 俺何考えてんだ!

 そんなわけないだろう。


 一ノ瀬の俺に対する感情はきっと純粋な好きとは違うだろう。今まで世話をしてきた対象としての母性的な好意だと思う。というか、それしか考えられない。


 俺を異性として純粋に好きだとは思えない。俺はそれだけリアルの自分に魅力があるという自意識はさすがに持っていない。俺が憧れの対象とは、今でも思えない。


 母性的な好意だとしたら、一ノ瀬が俺に求めているのは成長だ。


 今回の遊びで、少しは成長したところを見せなくてはならないだろう。


「じゃあ、行くか」

「え、うん。どこに行くの?」

「どこに行きたい? そこに行こう」

「そうだなー。やっぱり絶叫系は行ってみたいな。あと『フィズニー』っぽい世界観のある乗り物とか」

「よし、それじゃあまずは絶叫系マシンに行くか」


 俺は歩き出す。それに一ノ瀬は付いてくる。


「エスコート、してくれるんだ」

「べつにそんなつもりじゃない」


 俺は前を真っ直ぐ見て答える。


「ふふっ」


 一ノ瀬は微笑んでいるようだった。その微笑みは同情の微笑みじゃない。



「100分待ち……? え、単位おかしくない?」

「こんなもんだよ」


 俺たちはマップ右側にある『ギャラクシーマウンテン』という絶叫系マシンの列に並んだ。列から見える電光掲示板には待ち時間が表示されている。


「よし、帰ろう」

「ダメだよ! この100分をどう過ごすかも社会性が試されているんだからね」

「100分の間何をすれば社会性があることになるんだよ……」

「ずっとおしゃべりするとか」

「大学教授もびっくりなスキルだな」

「まあまあ。積もる話もあるじゃないですか」


 一ノ瀬はそう言って、列に並ぶ。


 はあ、マジで100分も待つの? 100分って何? アニメ5話? この遊園地の待ち時間だけでアニメ2クール分観られるわ。あ、そうか。アニメ観ればいいのか。


 俺はスマホを取り出し、アニメ見放題のアプリを開く。


「ちょっと? 何いきなり会話を放棄してるの? そういうところだよ?」

「そういうところって言うのやめて? なんか人格全否定されてる感じになるから」

「否定してることは否定しない」

「そこは否定して?」

「猪尾くんは社会性がない人です」

「いや俺の人格を否定してって意味じゃないから」

「ふふっ、本当に不思議な気分」


 一ノ瀬は楽しそうに微笑む。


「なにが?」

「教室でずっと自分の世界に入っている猪尾くんと、世界を共有できてる感じがすごく不思議」


 俺だけの二次元の世界。今は俺だけの世界じゃない。俺と一ノ瀬だけのリアルの世界。


「大げさだな。俺だって普段教室でみんなと世界共有してるから。二酸化炭素レベルで」

「それ空気の中でもほとんど共有してないよね。というかなんか空気共有してるって気持ち悪いからやめて」

「気持ち悪いとかも言わない。こう見えてダイヤモンドのメンタルなんだから」

「やっぱり猪尾くんは強いよね。もう人間じゃないね。ゴキブリなの?」

「たしかにあいつらメンタル強いけど一緒にするな。というか俺のこと気持ち悪いと思い過ぎてない? どんだけ俺のこと嫌いなの?」

「嫌いじゃない。好き、だよ」


 一ノ瀬は上目遣いで頬を染め言う。


「…………」

「あ、照れてる」

「照れてねえ! 俺は断じてリアルには照れない!」

「え~? じゃあどうしたの? 顔赤いけど風邪でもひいた? この一瞬で?」

「そうだよ一瞬で風邪ひいた。あーもう救急車来ないかな。お前、救急車に運ばれてどっかいけよ」

「あー、そういうこと言う。救急車に運ばれるのは猪尾くんだよ? 運ばれたらわたしが病院で看病してあげる。首に注射すればいい?」

「いや致命傷。殺意高すぎだろその看病」

「ま、猪尾くんはそれぐらい刺激的に看病してあげないとまともに話してくれないからね。すぐに二次元、二次元言い出すから。だから、こっちからどんどん攻めるの」

「やめたげて? もう攻められすぎてぼろぼろだから」

「もっとぼろぼろにしてあげる」

「ドS過ぎんだろ」


 一ノ瀬はにししと笑う。ああもう、なんかやっぱり今日の一ノ瀬は普段と全然違う。完全に一ノ瀬のペースにのまれている。


 それからも一向にペースを一ノ瀬に握られたまま話し続けた。そうしたいつの間にか順番が回ってきていた。


「ほら、話してたらあっという間でしょ?」

「ああ、たしかに。時間が短く感じた」


 スマホで時間を確認する。


 実際に待った時間は90分ほどだったが、一ノ瀬と話していたらいつの間にか時間が過ぎていた。


「まずは第一関門合格ですね」


 一ノ瀬は頭の上で丸を作る。


「よし、合格したことだし帰るか。ほら見ろよ。非常口あるぞ。非常だ。今の状況は誠に非常だ。避難しよう」

「ダメ!」

「いっ!」


 俺が非常口を指さしていると一ノ瀬が俺の腕を絡み取る。

 その瞬間、一ノ瀬の体の柔らかさを感じてしまった。


「どうしたの?」


 きょとんと首を傾げている。どうやら無意識のようだ。


「い、いやなんでもない。ああでもそれにしてもだ。絶叫系大丈夫かな俺」


 俺はなんとか話を逸し、意識をべつにする。


「え、猪尾くん絶叫系苦手なの?」

「いや、わからん。乗ったことがない」

「家族とかで来たことないの?」

「俺がこんなところに連れられても来ると思うか?」

「……猪尾くんは昔から変わらないんだね」

「不安だ。ぶっちゃけ昨日の観覧車とかもめちゃくちゃ怖かったし」

「えー、夜景綺麗だったじゃん」

「うん、まあ」


 俺が恐怖したのは観覧車の高さだけじゃなくて、お前の迫力のせいでもあるんだがな。


「さて! 順番来たことだし乗ろっか!」

「ああ」


 俺と一ノ瀬はロケット型の座席に座り、やけにテンションの高いスタッフさんに何か言われた後、ロケットは動き出した。


「うわあ、マジで動き出したよ。速いよぉ。怖いよぉ」

「まだ全然動いてないじゃん。こっからだよ~」


 一ノ瀬は体を横に揺らし、はしゃいでいる。なんでこんな拷問にはしゃげるんだよ。


 ロケットはどんどん速度を上げる。周りは暗く、星のような光がきらきらと輝いている。


 うわあ、綺麗だなあ。このまま観てるだけでいいんじゃないでしょうか。


 と、俺が恐怖で身がすくんでいる間、どんどんロケットは速度を増し、縦に揺れ、横に揺れ、縦横無尽に暴れまわる。


「ぬわああああああ!」

「きゃああああああ!」


 俺が叫んでいる中、一ノ瀬も叫んでいる。

 俺は頭をがくがく揺らしながら、絶叫した。



「はあ、はあ、はあ」

「大丈夫?」


 絶叫アトラクション『ギャラクシーマウンテン』を終え、俺は外で息を切らす。


「予想以上に速かった。というか真っ暗過ぎて何が起きてるかわからなかった。気絶するかと思った」

「もう~男の子なのに情けないなー。ほら! 次行くよ次!」


 一ノ瀬が鼻歌を歌いながら歩みだす。


「ちょ、待って」



 それから俺は一ノ瀬に付き合わされ、昼食をはさみつつ3つほど絶叫マシンに乗った。


「はっ、ははははは!」

「だ、大丈夫!? ついにおかしくなっちゃった!?」

「いや、なんかめちゃくちゃ怖いんだけど、なんか癖になってきた。怖さが逆に気持ちいい。快感だぁ。超キモチイイィ!」


 俺は興奮のあまり両手を空に掲げる。


「まあその気持ちはわかるけど、表現の仕方が気持ち悪いから素直に共感したくない」


 俺が両手を掲げニヤついていると、一ノ瀬は俺から一歩離れる。


「なあ! 他に絶叫マシンはないのか!?」

「うーん、だいたい乗っちゃったからね。それにもう結構いい時間だし、他のも乗りたいな」

「ああ、そうだったな。何乗る?」


 俺は興奮を抑えて一ノ瀬に問う。


「『イッツアビッグワールド』とかかなー」


 俺はマップを見て、『イッツアビッグワールド』の場所と概要を見る。


「上ら辺にあるのか。えっと、『世界で一番大きな船旅』。人気アトラクションなんだな」

「けっこう迫力あるんだよー。ほら、行こっ」

「おう」


 俺と一ノ瀬は目的地に向かう。



 何度見てもビビるスタッフさんのハイテンションに合わせ、船が動き出す。


「おお、本当に船だな。めっちゃ水」


 俺は船から身を乗り出す。


「危ないよ。ほら、それよりも景色を見てよ。すごいでしょ?」

「ああ、たしかに」


 軽快な曲に合わせて船が進む。周りには小さな山で踊る小人、上を見上げると三日月の上に小人が座っている。


 ゆっくりと、ゆっくりと船は進む。色んな世界の土地を模した作り物の上に小人がいる。そうか。ここは世界を表現しているのか。


 たしかに一ノ瀬が言った通り世界観に迫力がある。なんだか気圧されるほどだ。


 怖いとまでは言わないけど、身が引く。鳥肌が立つ。それだけこのアトラクションに表現力があるのだ。


「これ、全部作り物なんだよな」

「そうだよー。ほんと、すごいよね」


 一ノ瀬は目を輝かせて景色を眺めている。

 作り物でこれだけの表現ができるのだ。このアトラクションが人気なのも頷ける。


 作り物、フィクション、偽物。

 そんな事実と感動は関係がなかった。作り物で、これだけ人は感動できるんだ。


 その事実は、俺には覚えがあった。

 二次元。無限大に広がる世界に俺は感動をする。リアルという世界にはない感動がそこにはあった。


 たとえリアルじゃなくても、作り物、フィクション、言ってしまえば偽物でも、そこには確かな感動があった。感情を揺さぶる世界がそこにはあった。そこにしかない感情があった。


 やっぱり俺は、二次元の世界が好きだ。


 このアトラクションを乗って改めて思わされた。二次元には無限大の可能性があって、その可能性ひとつひとつに感情を揺さぶられる。そうして、俺の感情は作られていた。


 ――――二次元、フィクション、偽物でも、人の心は動くのだ。


 それは事実だ。創作物はときに現実よりも心を揺るがす。それを否定する人もいるだろう。結局、作り物は偽造でしかない。それ以上のものはない。


 でもきっと、このアトラクションに乗って感動している人はそういう考えを持っていないのではないだろうか。


 そして、このアトラクションが人気ということは、多くの人がフィクションによって心が動かされているということなのではないだろうか。


 この無限大な世界に、多くの人の感情が揺さぶられている。


 それは決して間違っていない。悪ではない。


 だから、同じように無限大な世界が繰り広げられている二次元が人の心を揺さぶるのは決して悪とは言えないのではないだろうか。


 無限大な世界に熱狂的であることは、決して間違っていることではないのではないだろうか。


 それでときに現実世界に目を向けず、フィクションに没入することもある。


 でも、それは本当に悪なのだろうか。


 フィクションに、二次元に心を動かされる人、俺や、あいつ(・・・)は間違っているのだろうか。


 俺はたとえ俺たちを間違っているという人たちがいても、決して自分たちの世界を否定することはしない。なぜなら、二次元にはたしかに本物が、本物の心が動く力があるから。


 あいつ(・・・)はたしかにフィクションに心を動かされ、そして社会を変えるために動いた。絶望の最中、フィクションによって救われ、勇気を持って、前に進んだ。


 そうだ。二次元でも、フィクションでも、偽物でも、それでもいいんだ。

 そこには確かな本物がある。だから、胸を張って偽物を誇っていいんだ。

 

 俺もあいつ(・・・)も、胸を張って前に進んでいいんだ。リアルに何もなくても、その先にある無限大の理想を追い求めてもいいんだ。


 俺は広大な世界を前に目を瞑る。


 俺たちの世界は、理想は、無限大に広がっている。


「ありがとう、一ノ瀬」

「え?」

「お前のおかげで、前に進めそうだ」

「何のこと?」


 一ノ瀬は首を傾げる。


「後で話す。今は、この世界を楽しもう」


 一ノ瀬は今何を考えているのだろう。俺を好きだと言ってくれた一ノ瀬は今、幸せな気持ちでいてくれているだろうか。


 だとしたら嬉しい。二次元とリアルは違うけれど、それでもちっぽけな俺でも一ノ瀬に希望を与えてあげられたのなら来た甲斐があった。


 でも、申し訳ない。


 こうして改めて思ってしまったんだ。フィクションの偉大さを、無限大に広がる理想があることを知ってしまった。


 それは、今目の前にあるリアルを否定することになってしまうから。


 今ではない、その先にある理想を俺は、求めてしまうのだから。


「うん!」


 一ノ瀬は俺に向き、大きく頷き、満面の笑みを浮かべる。

 今、俺を求め、受け入れてくれる人がいる。はっきり言って幸せだ。


 でも、俺は前に進むと決めたんだ。


 俺たちはゆっくり、ゆっくりと船に揺さぶられ、やがて夢の世界が終わる。



「いやーすごかったね! でもさすがに疲れたー」

「そうだな」


『イッツアビッグワールド』に乗った後、日も暮れる頃、一ノ瀬の笑顔は輝いていた。


 俺たちは遊園地を出るため中央の城が見える広場を歩いていた。


「それで?」

「うん?」

「さっき言ってた、前に進めるってどういう意味?」

「ああ、それな。やっぱり、偽物でもいいんだって思えたんだ」

「どういう意味?」

「偽物でも、人の心は動く。そしてそれは間違っていないってことだ」

「また二次元のお話? それとも別のお話?」

「どっちもだ。俺たち(・・)は間違っていないってことに気づいた」

「俺……たち。そっか」


 一ノ瀬は薄く微笑みながら下を向く。


「だから俺はやっぱりあいつと――」

「待って」

「え」


 俺の言葉は一ノ瀬に遮られる。


「なんとなく、わかったよ。だから、一応さ、わたしが後悔しないために言わせて」

「何をだよ」


「わたしは猪尾くんのことが好き」


「お、おう」


「だから、わたしと付き合ってください」


 大きな城の前で、小さな手が俺に差し伸べられる。


「すまん。それはできない」


 俺は身が引き裂かれる思いで言葉を発した。しかしはっきりと意思を持って。

 もし、俺が二次元に興味を持っていなかったら別の返事をしていただろうか。


 いや、そもそも二次元が好きで、それを貫いてきたからこそ、一ノ瀬は俺に興味を持ってくれたんだ。


 それじゃあもし、俺が環と偽物の恋人関係になっていなかったらどうなっていただろうか。


『リアルには何も求めない』。しかし、自分を求めてくれる人がいたら俺はどんな世界を選択していただろうか。


 たぶん、俺はリアルの、一ノ瀬の本物の気持ちを選んでいただろう。俺はそういう人間だ。『リアルには何も求めない』と言いつつ、誰かが俺を求めてくれていることを望んでいたんだ。


 俺は本当に中途半端なダメ人間だと実感させられる。


 でも、俺はそれを知った俺だからこそ、前に進める。自分が中途半端な偽物だったからこそ、今確かにある本物の気持ちを持てた。


 もう逃げない。もう中途半端にはしない。


 今、目の前にある本物の幸せがあると知っていても、俺は、その先にあるフィクション、理想を追い求める。


「そっか」


 一ノ瀬は俯きがちに呟く。


「……すまん」


 逃げない。中途半端にしないと決めているにも関わらず、俺は後悔のような気持ちが心の中でざわめく。幸せなリアルを突き放すことが、こんなにもつらいと思わなかった。


 俺は歯を食いしばる。


「なあにそんな顔してるの。わかってたから。そう言われるの」


 寂し気に一ノ瀬は微笑む。


「…………」

「猪尾くんは本物じゃなくて、偽物を選ぶんだね」

「そうだよ」


 俺はもう決めた。リアルじゃなくて、理想を追い求めることを。その覚悟を決めた。


「じゃあ、今度こそちゃんと向き合うんだよ」

「ああ」


 俺は真っ直ぐ、一ノ瀬を見つめる。一ノ瀬の気持ちを切り捨てた。リアルの幸せを切り捨てた。


 だからもう、絶対に逃げない。どんなことをしてでも俺は理想を掴んでみせる。その気持ちを真っ直ぐ一ノ瀬に向き合い、逃げないことが俺の誓いだ。


「ごめん、ひとつだけお願い聞いて?」


 一ノ瀬は俺から目を逸らし、呟く。


「なんだ?」

「出口まで、夢の終わりまで、手、繋いで」


 再び手を差し出される。


「わかった」


 俺はその手を取り、夢の出口までともに歩いた。



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