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暗い夜から逃げ出したい

 

 ディヴィスは何も変わらなかった。

 後から思い返せば、あの声ににじんだのは怒りではなく憎悪だった。殺意にも近い、憎しみ。むしろ、リリーの所へ頻繁に顔を出すようになった。仕事である。一月後の婚約披露宴へ向けて、あれこれと手配に忙しい。披露宴が終われば、次は結婚式への準備が始まる。


 変わったのはリリーの方だ。

 顔が見られない。会えば辛いのに、会えない日は安心するどころかディヴィスのことしか考えられない。聞きたいことがあるのに、何一つ、口にできなかった。ありえない、と自分のことなのに、信じられない。


 今日は呼ばれて王城に行ったにも拘らず、一室で待たされて王子に会えずほぼ門前払いされた。おまけに、待たされた時間が長くて後の予定がつぶれた。ドレスの仮縫いと経営学の授業が吹き飛んでいる。


 リリーを褒めそやし、夜会とあればパートナーとして出席してきた第二王子は、ここ最近とみに大人しい。ちなみに、女性を褒めるのはマナーだと主張する王子だ。大人しい、とはそういう意味である。彼の行動に怒らない、という点において、リリーは重宝されていると踏んでいる。一番美しいのは君だとささやく声には欠片も心は動かないが、相手を尊重しろと遠回しに一度告げたことはある。それが求められる立場だから。


 ただ、ふさわしくあれ、気高く、教養をと散々強要されてきた身の上としては、すべてがバカバカしい、の一言に尽きた。


 馬車の中で予定の調整をして、次に備えて着替えるつもりだった。が、自分の離れの入り口に立った途端、目の前は真っ暗になった。



 記憶が飛んだ。気が付いたらベッドの上だった。真っ暗で、誰もいない。夜目は利くから、出窓を開け放ってテラスに出た。空を見上げれば、満月と星が昇っていた。おやまあ、と驚いた。


 久しぶりにカーテンに手をかける。レースの瀟洒な布を、思い切り引き裂いて細長くし、簡易なロープにした。滑り落ちて地面に足が着き、厩に行って鞍を取り付けて跨る。どれもよどみなく動けた。


 王城と町は森に隣接している。見張りの兵士がいない所をすり抜けて、夜の森を駆けた。獣を恐れる理由はなかった。月の光は木々によってまばらになる。ただ、方向は教えてくれる。

 ほどなく、ぽっかりと木々が絶える場所に出る。池だ。丈の短い草の生えるそこに、寝転んだ。

 顔を寄せてきた馬を撫でる。賢い彼は、リリーに挨拶をした後、遠くへ行かずにあたりの草を食むだけだ。


 満月と、自分の髪を比べる。似ているとは思えなかった。どう見たって、空にある方が綺麗だ。座って池を覗くと、月影があった。ディヴィスの金色の方がまだ近い。


 ふぁ、とあくびがこぼれた。寝ていたはずなのに眠いとは、とおかしな気分だ。

 水面に星と月。これもきれいだと言いたかった。


 ディディ、と口にした。


 体が強く引っ張られた。


「このクソ猿!」


 とんでもない罵声が来た。怒っているのはディヴィスだ。今日はどうも、懐かしいことが多かった。


「ディディ?」

「何をのんきな! お前は――」

「ディディ。月が綺麗だよ。今日はまんまるね。池の方も、同じくらい綺麗」


 いつかと同じように指さすと、後ろは沈黙した。ただ、体に回った腕に力がこもる。ここは屋根の上ではないのだから、どこにも落ちないのにおかしなことだ。

 もう一度呼ぶと、振り返るくらい余裕が出来た。腕から抜けて、地面に座って向き合うと、分かりやすく、怒っていた。


 今しかない。何でもいい。謝れるのは、この時だけだと確信する。


「ディディ、ごめんね」


 何も知らなかった。隣にいるのは当たり前だった。もっと早く――


「ディ」

「黙れ」

「でも」

「違う。全部……お前は何も悪くない」


 それは嘘だと思った。たとえ一片の事実が含まれていても、それは嘘だ。

 首を振ると、ディヴィスの手が顔を覆う。目じりの涙を拭っていった。


「俺はあの腐れた男が憎い。俺の両親を不幸にした。そのくせ、恩を勝手に着せてさらに脅しまでかけてきた。だがお前は関係ない。親は選べない。俺と同じ立場だ……ただ、お前はあいつを憎んじゃいないだけだ」


 それは、知らないからだ。風より不確かで霧より見えない相手じゃ、感情なんて抱きようもない。知ろうともしなかった。


「私は、おなかが空くより、ましだと思っただけ」

「そうだ。そして誰にでも平等だ」

「平等?」

「お前にとって人間は、お前を生かす相手か、死なす相手か。害があるかないか。二つに一つだ。だから、お前にとって、父親は無害な生き物なんだろう」


 無機質な二択だ。けれど、言い当てられた気もする。

 美しく、カッコいい相手にきゃあきゃあと騒ぐ同年代の友人に、リリーはまるで共感できない。見てくれがよければ目に付くが、すぐに忘れた。無害なものは、記憶に残らない。代わりに、遠回しだろうと悪口や嫌がらせをしてきた実行犯と真犯人は、今どこにいるかまで把握していた。


 それでも、首を振った。ずっとそばにいてくれた侍女は好きだ。こっそりお菓子買ってきてくれた。あれは自分の給金からだった。料理長も好きだ。毎日ひとつは――つまみ食いには容赦しないけれど――好物を作ってくれる。


「ディディの事も、好きだよ」


 厳しくても公平で誠実だった。優しかった。いつでも真正面から向き合って、決して理由なく馬鹿にすることもなかった。


「博愛主義者か」

「なにそれ?」

「特別を作らない。いや、作れない、か」


 ディヴィスが独り言をつぶやく。拾って、少し考えた。


「特別って家族ってこと?」

「あの腐れ男との血縁を指しているなら殴るぞ」

「似ていないのに、家族かなぁ」


 今日はずいぶんと乱暴だ。一度見たきりの父はうろ覚えだが、リリーとディヴィスは見た目だけなら明らかに他人だ。だが、そうではなくて、と否定する。

 リリーに美しい母がいたように、ディヴィスにも両親と呼ぶ人がいる。言葉が見つからないままに、つたなく説明すると、なるほどな、と頷いた。


「つまりクソ猿は、俺が夜中に飛び出した挙句に馬に乗って森まで来た猿を追いかけてきたのは、俺がお前を妹だと思っていたからだと言いたいんだな?」


 違うのと首を傾げれば、馬鹿めとなじられた。


「そういえばディディ、馬は?」

「月夜に灯りもなく馬に乗れるのは、訓練を積んだ兵士か野生児だけだ」


 猿から少し人間に近づいたが、ふざけるなと小突かれた。危ないから二度とするなと厳しく言い渡される。背筋が伸びた。

 伸びた背に、腕が回る。膝の上に抱え込まれた。


「軽い。やせたな、すまん」


 そうだろうか、と腕や体を見下ろすが、あいにく違いは見つけられなかった。謝ってもらう理由も、不明だ。


「軽くない。大きくなった、でしょう?」

「阿呆。軽い。持ち上がる」


 膝裏にも手が入って、言葉通り浮いた。どうやら、もっと食べなければならないらしい。

 むっとしていると、顔にかかった髪を掬われた。するすると毛先の方まで指が辿って、こぼれた。追いかけて取り返そうと伸ばした手に、ディヴィスが触れた。


 優しかった。優しすぎて驚いた。そのまま――指先に唇が落ちた。

 こげ茶の瞳が、リリーを射止める。


「リリーシャ。俺はお前の兄に、断じてならない」


 不思議な宣言だった。リリーも兄が欲しかったわけではない。そもそも、兄がどんなものかもあいまいだ。ディヴィスは家庭教師で、指導係で……でも、結局事実は変わらない。父が同じなら、リリーは。


「……あれ?」


 ぼろっとあふれた雫が、足の上に落ちた。

 悲しいことは何もない。何もないのに、なぜか胸が痛い。


 今度は何を泣く、と尋ねるディヴィスは、飽きずに拭ってくれる。ちっとも止まらないせいか、ついに胸に抱え込んだ。


 泣くとまぶたが重くなる。重くなって体もだるくなる。抱かれていれば温かい。背中をさする手、涙を拭き取る指。頬をかすめる布の感触。


 必然、意識が遠くなっていった。


 沈む間際に、かすかな囁きを耳が拾った。



 愛している、と。私も、と呟いた。たぶん夢だ。




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