お茶会から逃げ出したい
昼間は、お嬢様、と、ディヴィスは呼ぶ。それは、リリーの事だ。子ザルじゃなくなったのは、いつだったか覚えていない。
背は伸びなくなった。ディヴィスの首下くらいで打ち止めだった。それでも、出会った時のように片手で持ち上げられる、なんてことにはならないだろうと思う。体重だって増えたことだし。残念ながら、全体としての凹凸はあまりない。おぼろげながら、母親は結構立派な胸があったから、期待していたのに駄目だった。
ディヴィスは出会った時には大人だったから、少しは追いつけるかと思っていたのに、向こうも何となく大きくなった気がした。肩幅がしっかりしたような、さらにいう事を聞かなければならない雰囲気を身につけた感じだ。貫禄が出る、という言い回しを後から知った。
仕事が増えたらしいディヴィスはリリーの離れに三日に一度、短時間しか留まらない。勉強はすべて違う人間が専門分野を教える。
用事としては顔を見がてら小言を持ってくるであるため、あまり歓迎したくない客になった。
星空観賞会は、滅多に開催しなくなった。しかし、なぜか一人でもやるかと決めた日には、来る。千里眼は相変わらずだった。今日はお茶会をさぼって欠席したため、仮病を見抜かれて小言に突入した。
お嬢様、から始まる。第二王子の婚約者として、ふさわしくなどと言う。別になりたくてなったわけではない。だから言い訳地獄だ。
「朝は具合が悪かったの」
「では午後から出席なさっては」
「知らせは出してしまったから」
「医者には知らせなかったのに?」
「熱が出てからにしようかと」
泥沼である。はあ、とため息をついて、ばれた。お嬢様、が出るより先に、ディディ、と呼んでいた。途端に、渋面が返ってくる。
「ディディ。どうして私、婚約者になったの」
「貴女がふさわしいからでしょう」
なんて白々しい、とは言えなかった。ディヴィスの言葉は、どんな戯言にも一片の事実がある。彼から見ればとるに足らない遊びじみた勉強も、演奏も、振る舞いも、王子の妃としてある程度は通用するのだろう。
小さなテーブルには茶器が並んでいる。挟んで向かい合う椅子に、ディヴィスがいる。決して届かない、高い壁。
「どうせお嫁に行くなら、ディディの方がよかったな」
「比べないでいただきたい」
「そしたら、ずっと隣で教えてくれるでしょう」
「……」
初めて見る顔だった。無表情、は何度か見たことがあるのに、また違う。無理矢理にすべてをそぎ落として、捨てた。空っぽの、無、だ。それから、瞬きの間に、こげ茶の目には火がともっていた。
「それはあり得ませんね」
「どうして?」
がたん、とディヴィスが立ち上がった。リリーの座るソファに手をついた。
「何もかも、まっすぐに聞くなと教えませんでしたか」
もちろん知っている。だから、ディヴィス以外にまともに何かを尋ねたことなどない。言い募るより先に、聞きたいですか、と遮られた。
「どうしても、知りたいのですか」
「……」
念を押されて、考えた。これはよくある、遠回しな「聞いてくれるな」なのかと。いつもより近い位置にあるディヴィスの表情を探っても、あいにく読めなかった。
金髪が、一筋リリーの方へ落ちて、かすかに、シダーウッドの香りがした。手が伸びて、毛先に触れる。触れた指は、さらに大きなディヴィスの手に囲われた。
知りたいか、という問いに答えるならば、是だ。
ディヴィスがさらに近づいた。体温を、布越しに。吐息を、耳のそばに。
「あんたの親父の節操ナシは、一人じゃ済まなかったんだ」
低い声。誰もが震えあがるような怒りに、びりりと背筋に怖気が走った。
残念ながら、その日は足が震えて屋根には登れなかった。