演奏会から逃げ出したい
一年たつと、怒られることはまずなくなった。夜中に星が見たくて屋根に上ったことと、朝日が見たくて夜明け前に勝手に馬に乗って飛び出したときぐらいだ。前者の時は発明されたばかりという天体望遠鏡が、後者の時には勝手に乗った黒い大馬よりも小柄なポニーが与えられた。何でも、馬の方は特に気難しい雄だったらしい。ものをねだったつもりはなかったのに、返品は不可だった。父親からだった。
そうじゃない、と訴えた。気まぐれな衝動で、今度からは違うことをするから、と主張した。気まぐれを起こすなら、と今度はピアノが来た。習い事が増えた。
ピアノの演奏は、悪くなかった。今までで一番相性も良かった。
なのに、うまくなったら演奏会に参加しろと来た。途端に面白みがなくなった。弾く曲が限定されて、周囲と合わせることが主体になる。
なんだかなぁ、と夜空を見上げていることが多くなったら、ディヴィスが折れた。
屋根に上るなら、監視役と一緒に、ということだ。
「……寒くないの、ディディ」
「そっくりそのまま返す」
冬の星座は見やすい。三ツ星のベルト、神話の大熊、天を動かない明り星。船乗りの目印だ。指さして一つずつ教わった。
やっぱり寒い、と毛布を取ってこようとして、足が滑った。屋根の上だが、素晴らしいバランスと瞬発力をディヴィスが発揮して、捕獲された。
長い手足に囲われて、後ろには背もたれまである。豪華な椅子だなと呟いたら、無言で頬をつねられた。痛い。容赦ない。カイロは黙っていろ、だそうだ。
夜空の縁の、明るい星が、手に取れそうだと言ったら鼻で笑われた。欲しけりゃ好きにしろという。なかなか面白い冗談だった。
二人だけの時、時折ディヴィスの口調も崩れた。普段は本邸の執事顔負けの堅苦しい物言いしかしない。
空を見上げていたはずが、背中が温かかったせいか、いつの間にか眠っていた。起きたらベッドの上だ。カイロはどっちだか、分かったものではない。
翌日にはものすごい文句を覚悟したのに、何も言ってこなくて拍子抜けし、数日は恐ろしくて内心緊張していた。結局、一週間たっても何も言われず、忘れていった。
リリーの背が、また少し伸びた。髪は手入れをしながら、ずっと切っていない。背中まで届くようになった。ピアノの演奏は、ずいぶんと評判になったらしい。ついには王城に呼ばれた。宮廷音楽家との演奏は、悪くなかったけれど、場違いだと感じた。遊びに付き合わせたに近い。きっと、父親が無理を通したのだと察した。
なのに、演奏会の後には第二王子が婚約者になっていた。緩くうねりながら儚げな顔立ちを彩る黒髪に、青い目を持つ王子は、ことさらにリリーを美しい、素晴らしいと称賛する。感想としては、王子も他の大人も耳があんまりよくないんだな、に尽きた。ただ、楽団にいたピアノの演奏家と顔見知りになって、もっと練習するといい、と励ましてもらえたことは嬉しかった。仕事の合間に離れにも来るという。よし、と内心で快哉を叫んで、いの一番にディヴィスに報告したのに、いい顔はされなかった。むしろ、婚約の話を忘れてしまって、あとから小言を貰う羽目になった。