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囲いの腕から逃げ出したい

 

 横に座ったディヴィスから、お前の罪はなんだ、と尋ねられて、さあ? と首を傾げた。とりあえず平手打ちは罪になると思っている。あとは無断で出国したことか。


「婚約者ともめて男に手を上げた程度だろう。事実無根で責められたことを加味したら、むしろ釣りがくる」

「あの話、聞こえていたの?」


 つまり、あの会場にいたことになる。リリーは気づかなかったが、ディヴィスは苦虫をかみつぶした顔でそうだ、と認めた。事実無根、ということは、あの長い話を聞きとって調べたのだ。リリーはすべて忘れたのに。


「じゃあ、不敬罪は?」

「あれに適用する必要はない」


 断言された。法律の専門家が言うなら、間違いないかしら、とリリーは反論しないことにした。


「無断出国は罪だな――お前が、リリーシャ・エヴァンズ・サスリートンなら」


 久しぶりに聞いた長い名前。確かにそんな名前だった。


「私は……」

「リリーシャは、記念すべき婚約披露宴で、手ひどい裏切りに合って、あまりのことに儚くなった」

「……」

「らしいな」


 ディヴィスの横顔は動かない。じっと見上げて、ふうん、と呟いた。出奔せず、国内で本当に死んだことになっていても、別に感慨はない。用無しになれば捨てられることは、想像がついていた。


「なら、ディディは」

「ディヴィス」

「私がリリーシャじゃなくなったから、結婚しに来たの?」


 あの男の娘――ではない。ならば、確かに「血のつながり」はない。

 返答は、ぐいっと鼻をつままれたことだった。


「ふざけたことを。俺を間抜けで阿呆にするな。卑怯千万だろう。仮初にもお前を殺して手に入れるなど」


 ちょっと痛い。いや、地味にとても痛い。まさかこんなに怒ると思っていなかった。軽はずみな口で、何とか謝ると、ようやく解放された。と思ったら、膝の上に連れていかれた。

 こつん、と額が頭のてっぺんに遊ぶようにぶつかった。


「お前は、何もしなくてよかった」


 あの日、ディヴィスの手の内にはその場にいたほとんどの行動が前もって予測できる情報があった。王子の騒動もその一つ。事前に無視をするよう、周囲の何割かに根回しも出来た。

 わめく王子を糾弾し、さらにその奥にいる黒幕を引きずり出す算段は付いていた。


 だが。

 たった一つ、誤算があるとすれば――リリーだけ。


「お前はいつも逃げる」


 リリーは頷いた。面倒くさいお茶会、嫌な人間、居たくない場所。自慢の足で、いつでも遠ざかった。


「いつも逃げる癖に。ずっと逃げて、逃げることしか能がないと俺に錯覚させて――あの日だけは、戦ったな」

「……」


 それだけが、唯一にして最大の誤算だった。

 どうだ、と柔らかく責められて、リリーがうん、と認めた。


 王子の口を、なんであれ強引にふさぐしかなかった。内容は知らなくても、ディヴィスを苦しめることを告げると分かっていたから。


 それから、やっぱり逃げた。ディヴィスの追いつけない所まで。


 まったく、とディヴィスが息を吐く。

 変わり身の早さ、逃げ足の速さ。知り尽くしていたのに、ディヴィスの手からこぼれた。

 夜の街を、鞍もない馬で疾走できる人間は――いや、そもそも人間ではない。

 遠ざかる蹄の音が、どれほど忌々しかったか。

 何より、己の手落ちが許せなかった。急にいなくなった必要な手駒リリー、のせいで、すべては一度仕切り直しになった。その上、きれいさっぱり清算した方がいいと、第一王子に持ち掛けられて、押し負けてさらに時間がかかった。


「お前が逃げなければ、エヴァンズの家を丸ごとくれてやったのに」

「要らないなぁ」


 くく、とのどの奥でディヴィスが笑った。笑いながら、すっと俯く。

 リリーの髪に唇が落ちた。耳のすぐそば。思わず身をすくめた。


「リリー」


 名前が、むずがゆい。体の奥が痛みとも震えともつかない不安定な軋みを訴えた。


「リリー」

「止めて」


 胸に手を当てて逃れる。距離を取ったはずが。腕を取られてあっという間に元通りだ。いや、さらに近い。顎の下に、ディヴィスの指が潜る。抵抗する間もなく、見たくなのに、ディヴィスと見合った。


「リリー」

「あ……」

「お前は、俺の妹ではない」

「……」


 ディヴィスの言葉には、いつも一片の事実がある。けれど、いつだってすべてではなかった。

 ひどく近いこげ茶の目の奥を読もうと、ひたすらに見上げた。

 黙ったままでいると、目をそらしたのはディヴィスの方だ。初めてのことに、戸惑う。


「信じられんか」

「違う。意味を考えている」


 教わったことを忠実にこなしているだけだ。だがディヴィスはやや苦く笑った。


「似合わんことをせんでいい」

「だけど」

「リリー。お前はただのリリーだろう。何も考えなくていい。そのまま受け取れ。俺はあの男とつながりはなかった――他人だ。おそらくは、お前も」


 灯ったのは、一瞬の炎。暗くて、背筋が寒くなる光。低く、かすかに耳に残る声で、ディヴィスが暗く断言した。


「――あの男に、血は残せん」

「……」


 すべては、そこから始まっていたという。若いころに熱病を患い、けれどたった一人の医者以外からすべてを隠し、隠すためにあらゆることをした。同時に、誰もかれもを黙らせるための権力を求めた。保身か野心か、本来の目的がどちらかだったかは、当人以外誰も分からない。

 あらゆる人間を巻き込んで、暗い闇の渦の中心にいた事だけが確かだ。


 情報量の多さに、瞬きをしながら考える。ふと、リリーはそれって、と口を開いた。


「ディディが調べたの? あの人と女の人の」


 ディヴィスの手が素早くリリーの口をふさいだ。半眼になって見下ろされて、しまったと反省する。どうも、慎重さなどはのんびり過ごしたせいで忘れつつあるようだ。


「ディヴィスだ。今の話で聞きたいことはそこか。なんなら一覧を渡してやる」

「いや要らない」


 想像もしたくない。


 調べたのは女性遍歴だけでなく、エヴァンズ家の家系、加えて、最新の血の検査を行ったそうだ。人には四種類の血液があり、それぞれ親から子へ交わって、決まった法則で繋がっていく。

 ディヴィスの両親、兄弟、そして、リリーの父親。比べた血筋から、分かったことだ。

 ディヴィスの血は、両親の血を継いでいた。両親でなければ、現れない種類だった。


 淡々とされる説明に、リリーはやや呆然としていた。体に流れる赤い液体から、そんなことが証明できるなんて、驚きだ。


「お前が言った」

「?」

「お前と俺は他人だと。だからすべての根本から、調べ始めたんだ」


 最新の研究に行きついたのは、今調べ直したからこそだった。たった一言を当てにして動いた、ディヴィスに驚く。あいにくと、リリーは覚えていないのに。


「で、他に気になることはなんだ?」




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