名前
採取を始めてから十数分が経った。
Takaとmiyabiの二人とはまだ合流できていない。心配して二度もメッセージを送ったのに反応すら皆無だ。メッセージを見逃しているのか、でなければ探検に熱中していて気付いていないだけなのか。
まあ……デート中に横やりを入れるほうが野暮ってものなのかもしれない。フューネスとは二人の事は探しに行かず、とりあえず連絡がつくまでは採取を続けようということで意見が一致した。
「ふう……」
種をインベントリに入れて汗を拭う。ゲーム内なので疲労感はほぼないけれど、システム画面を開くと、満腹度や栄養などの体調系ステータスがだいぶ下がっていた。
相方は大丈夫だろうかと隣を見れば、フューネスは真剣な表情で水面を睨みつけていた。ステータスは問題なさそうだけど、どうやら比較的浅瀬に生えていたニードルタレットを採り尽くして少々足場に困っているようだ。
ふと、先日かなこ♪に言われた言葉を思い出す。
『リオンさんはたぶん、コスニア以前にフューネスと面識があったんじゃない?』
あれから何度か記憶を掘り返そうと試みたものの、やはり俺はフューネスとは面識がない……と思う。少なくともVRゲームを始めてからそれらしい人と交流を持った記憶はない。
じゃあ、なぜフューネスは俺とギルドを組むと決め、その理由をかなこ♪にも話さないのだろうか。別に深く突っ込むようなことでもないし、俺が訊いていいことかもわからない。
でも、フューネスと二人きりになれる機会なんてそうそうないし、世間話程度にさり気なく訊くくらいならやってみてもいいかもしれない。
泥水を掬うような採取作業を続けながら、俺はそれとなく口を開いた。
「フューネスさんってさ、俺と別ゲーで会ったことある?」
「え……急にどうして?」
振りが唐突だったからか、フューネスは驚いたような顔でこちらを振り向いた。
「いやさ、フューネスさんとは初めて会った気がしないっていうか。前にもどこかで……例えばそう、別ゲーのギルドやクランで一緒になったことがあるんじゃないかと思ってさ」
単なるカマかけだ。言った内容は半分本当でもう半分は嘘。
俺はこれまでにゲーム内でフューネスと思わしきプレイヤーと仲良くなったことはない。だからここでフューネスが別ゲーで俺と会ったことがあると言うなら、それは単にフューネスが他人と俺を勘違いしているだけってことになる。
でも、『ゲーム外』にまで範囲を広げれば俺はフューネスと会ったことがあるかもしれない、とも思っている。この部分が半分の本当だ。
実際、フューネスがゲーム外の知り合いというのはあり得ない話じゃない。
俺は普段、自分がゲームをやっていることを家族以外には言っていないけれど、本名でプレイしている以上は同じ高校……あるいは、もっと遡って中学の同級生あたりにリオンという名前でプレイしていることがバレてもおかしくないリスクを背負っている。
三姉弟たちに本名で呼び合うことを禁止しておいて、当のギルドマスターがネットリテラシーに甘いというお粗末な話だ。
しかし、言い訳をするとリオンは長年使ってきたハンドルネームだし、同じ名前でプレイし続けるのはアカウント管理とか諸々の点で便利なのだ。それに正直、バレたところで大したことにはならないだろうという楽観的な考えもあった。
フューネスは少し黙って、それから首を傾げながら言った。
「カナが変なこと訊いた?」
「……」
図星だったのと、まさか問い返されるとは思っていなかったから答えに窮して黙り込んでしまった。かなこ♪の名前を一切出していないのに、なんでわかった?
すぐに否定の言葉を捻り出そうとする俺に、フューネスはやっぱりという顔で肩を竦めた。
「別にいいよ。カナがリオンさんに何か訊くだろうことは予想してたから」
溜息を吐いて、フューネスは続けて言った。
「カナに訊かれたんでしょ?私がどうしてギルドに入ったのかって」
「ま、まあ……」
完全に見透かされていた。さすがに話題の持っていき方が下手過ぎたかな……こうなったら仕方がない。言葉を弄するよりも、素直に全部話してしまったほうがいい。
結局、俺はフューネスにかなこ♪との一件をすべて話すことにした。
フューネスがかなこ♪とのデュオでずっとゲームをやってきたこと。唐突にギルドに入った理由の不明瞭さ。かなこ♪に教えてもらったことを話す間、フューネスはずっと黙っていた。
「――というのがカナから聞いた話。それで話を戻すけど、フューネスさんはどうして俺とギルドを組んでくれたの?言いにくいことなら別に言わなくてもいいんだけど……出来れば教えて欲しい」
なんだか少し気まずい。理由がどうであれ、騙すような言い回しをしてしまったことへの罪悪感がある。しかし、フューネスはそのことは全然気にしていないようで、むしろ照れるように言った。
「実は、リオンさんが昔の友達と同じ名前だったんだよね……」
「友達?それってリアルの話?」
「そうだね。小学校時代のリアルの友達」
「……へ、へえ、リオンだなんて珍しい名前だな。え、てか本当にそれだけのことで俺をギルドに誘ったの?」
「うーん、ギルドを作ろうって言ったのは流れかな。最初はそんなつもり全然なかったから」
あのときは拠点作りを続けるためにはギルドを結成する以外に方法がなかったのはたしかだ。だから流れで作ったというのは理解できる。
しかし、リオン、っていうのはまさしく俺の名前なんだけど。まさか最も懸念していたリアルバレ説がガチであり得るのか……?
困惑を顔に出さないように気を付けつつ、俺はフューネスに訊いた。
「そのリオンさんはどんな人だったの?」
「どんな……か。うーん、ゲームが下手で、いつも対戦では負けっぱなしだったね」
「えっと……名前だけじゃなくゲームの下手さ加減も俺と似てるの?」
全国にリオンって名前の奴が何人いるかは知らないけれど、俺以外にそんな奴がいるのだとしたら相当な確率だろう。
フューネスは「ね」と同意を求めるように言う。
「凄い偶然だよね。ギルドを組んで、リオンさんもその友達みたいにゲームが下手だって知ったときは本当にびっくりした」
「そんなにストレートに下手とか言われるとちょっと……」
「あ、ごめん。でもリオンさんとその友達って本当に――」
口では謝りながらも、フューネスは冗談っぽく笑っている。
その表情を見て、俺は一瞬ドキりとしてしまった。友達のことを語るフューネスはあんまりにも楽しそうだった。
「そっちのリオンって人とは仲が良かったんだな」
「うーん、仲が良い……とは当時は思ってなかったかな。その頃はゲームの上手い下手が絶対で、弱い人を見ると心底いらいらしたから」
「まあ……小学生はそうだよな」
小学生くらいだと、ゲームが下手な奴に人権はない。高校生にもなると進学やリアルのことで重要な物事が分散するけれど、小学生はそんな余計なことには悩まされない。
ゲームが日常を占めるウェイトは大きくて、人間関係に影響を及ぼすことだってある。俺たちはちょうどSoul Linksという名作ゲームが直撃した世代だ。対戦ゲームが流行れば、そういう気色も伝播する。
「やっぱり当時流行ってたのってSoul Links?」
「うん。リオンさんの周りも?」
「もちろん。全国的に似たような感じじゃないか?小学生くらいの流行りって一極集中しやすいらしいし」
学校ではゲームの話をしない俺だけど、同級生と話をするときにはSoul Linksのことがしばしば話題に出る。Soul Linksはそれだけ俺たちの世代では広く知られているのだ。
「……ところで、その友達とはもう会ってないのか?」
「ううん、最近久しぶりに再会したんだけど……昔と今とじゃ趣味趣向まで変わったみたい。別人みたいになっちゃってちょっと戸惑ってるかな」
そう言うフューネスは苦笑しているが、どこか残念そうに見えた。
デジャブだった。この表情……最近どこかで見たことがある。いつだったか、たしか……篠原と高校で初めて再会したときのことだ。あいつは俺がゲームをやらなくなったと聞いて、似たような苦笑を浮かべていたのだった。
……いや、いやいやいや。なんで篠原とフューネスが重なる?こんなに性格が違うのに。
「リオンさん?」
「な、なんでもない。その昔とは変わっちゃったリオンさんもいろいろあったんだろうなって」
「そうだろうね……正直、責任はちょっとだけ感じてるんだよね」
「責任って?」
俺の問いかけにフューネスは答えづらそうに一旦間を置いた。
「下手くそがゲームなんてやらないほうがいいとか。酷いことを言っちゃって」
「それはまた……」
俺も篠原に言われたことのある言葉だ。
「酷いよね。その友達とはそれっきりになっちゃったし、私の言葉でゲームをやらなくなっちゃったんだとしたら、それってとても罪なことだと思うから。割といまでも言ったことを後悔してるんだけど」
「再会したなら本人に直接謝ってあげればいいじゃん」
フューネスが篠原なのかとかは関係なく、後悔しているならそれは正して欲しいと思った。
フューネスは渋るように言う。
「でも、今更じゃない?」
「相手がどう思うかは知らないけど、フューネスさんはすっきりすると思うけどね。自己満足でも謝っちゃえば後腐れがないよ。いまを逃したら再会することなんて一生ないかもしれないんだしさ」
これは俺がそうしてあげて欲しいという願望で言っているだけのこと。やっぱり、向いてないとか引退しろとか下手すぎるとか。そういうことを言われると人間誰だって傷つく。
でも、言ったほうもずっと後悔を引きずるなんて誰も得をしない結末だ。それなら今更でもなんでも、一言口にしてしまうほうがよっぽど良いと俺は思う。
「そっか……そうだよね」
フューネスは納得したように頷いた。
「ごめん、なんだか説教みたいなこと言って」
「ううん、むしろ悩みが吹っ切れたから。ありがとう」
そう言って、フューネスははにかんだ。
一方で、俺の心の中にはもやもやとしたものが残った。フューネスは篠原なのかもしれないという疑いが生まれたからだ。ただの間違いや勘違いである可能性はある。リオンなんて名前も実はそこそこありふれているのかもしれない。
でも、だからこそ、それ以上はフューネスと篠原を結び付けるような証拠を集めることができなかった。
もしもイコールが結ばれてしまうなら……どうしたらいいんだろうな。いざ事実がわかっても乾いた笑いしか出なさそうなんだけど。
煮え切らないものを抱えながら、俺は表面上は腹に収まったという態度で言った。
「でもなるほど。フューネスさんが俺の勧誘を受けてくれたのは、俺の名前が友達と同じリオンだったからなんだな」
「うん。ごめんね、大した理由じゃなくて」
期待ハズレだったよね、と若干自嘲を含んだ声音でフューネスは答える。
「まあ元々そんな深い理由だとは思ってなかったよ。でも、もしかしたらフューネスさんが別ゲーから俺を追ってきたストーカーなのかもって1%くらいは怯えてた」
「それどんな妄想よ」
「いや、俺って下手過ぎて他人に恨まれる性質だから」
「実体験?」
「……」
そんな冗談を言い合って、俺たちはひとしきり時間を潰した。
そして、くだらない話をやめて作業に戻ろうとしたタイミングで、フューネスは思い出したように言った。
「ところで気になったんだけど、カナのこと呼び捨てで呼ぶようになったの?」
「ああ、同年代みたいだからそっちのほうが自然かなと思ってさ。というか、呼び方を変えるときにフューネスさんのことも呼び捨てにしようって話したんだった」
日を跨いだから完全に忘れてたな。まあ、どっちみちこうして二人きりで話す機会でもないといきなり呼び捨てなんてやりづらかっただろうけど。
「呼び捨て、ね。しばらくは慣れないだろうけど、長い付き合いになりそうだしいいよ。今後ともよろしくお願いします。えっと……リオン」
「フューネスこそよろしく」
ギルドを結成したときを思い出した。俺たちは呼び名を改めて、なんだか微妙な笑みを浮かべ合ったのだった。
 




