黒い島 前編
沖に抜けると波はある程度落ち着き、イカダの上でくつろぐ余裕も出てきた。順調に目的地へと進むイカダの上で、フューネスはほっとしたように溜息を吐いた。
「このまま風向きが変わらなければ島に到着できると思う」
「お疲れ。感じは掴めてきた?」
「まあまあね」
少し疲れた顔をしているけど、フューネスは多少イカダの操作に自信が持てたらしい。
俺もずっと見ているだけだったけど、なんとなく仕組みは理解できた。
イカダは帆が向いている方向に真っすぐ進路を取る。速度は帆の開き具合と風の強弱に左右され、天候の影響を受けやすい。かなり受け身というか風任せな代物だ。
いまは追い風が吹いているから良いものの、これがもしも逆風だったらどうなるんだろうか?帆を張ったままだと戻されそうだし、帆を閉じて風向きが変わるのを待つしかなくなったりして。
少々不安に思いながら頭の中で答えを探していると、Takaはそれまでマストに付きっきりだったフューネスに言った。
「あの、帆の操作少しやらせてもらっていいかな?ここまで僕だけ何にもしてないし、せっかくだからやり方を覚えておきたいんだけど」
Takaに続いてmiyabiも小さく手を挙げた。
「あ、私もいい?見てるだけじゃ暇だし」
「いいですよ。こっちどうぞ」
フューネスは二人に帆の操作を譲り、俺の横に座った。ようやく操船から開放されたおかげかほっとした顔をしている。
「疲れてる?」
「まあね。まさか帆の操作がこんなに神経使うとは」
「ずーっと風向きを気にしなきゃだったしな」
風は目に見えない。帆にどう風が当たればどう進んでいくのか。その見極めは慣れないと難しそうだった。
ゲーム内のシステムとしてはかなり難しいやつである。簡略化してコレなんだから、実際にイカダで漂流しようと思ったら遭難死は間逃れないな。イカダよりもランクの高い船とかならもっと楽に乗れたのかもしれないけど……。
「雑に任せちゃって悪いね」
「別にいい。やるって言ったのは私だし」
フューネスは気が抜けた表情で、海面に目を向けた。
「ところでコスニアって海獣系のモンスターっているのかな?」
「どうだろう。いてもおかしくはないけど、襲われたら割と詰みじゃね?」
それとなしに海中を覗き込む。砂浜からはライトブルーに見えた海は、ここでは暗黒が広がるだけの黒い海だった。そこには何かが潜んでいても不思議じゃない不気味さがある。
「定番どころで言えば、クラーケンとかは出てきそうじゃないか?」
「ありそう。大きさは戦艦並みのやつとか」
「そんなの出たら100%アウトだ」
冗談じゃなく本当に現れそうなのが怖いところだ。既に空を飛ぶ大型モンスターは目にしているし、海に棲む巨大モンスターがいてもおかしくない。
フューネスは笑いながら言った。
「そしたらどうする?海に飛び込む?」
「飛び込む以前にそのままイカダごと食われそう」
「まーそうだよね」
「ホラゲーすぎる」
海マップというのはゲームジャンルを問わず若干ホラー要素がある。溺れるとか、サメに襲われるとか、海賊が出没するだとか。とにかく恐怖を煽る要素がてんこ盛りだ。そしてリアルでは王道ホラーの墓地とかは、逆にあまり怖くなかったりする。
「タカ、いきなり帆を全開にし過ぎだっつの。もっとゆっくりやって」
「ええ……これでもゆっくりやってるんですけど」
どうやら帆の操作には二人も苦戦しているようだ。
「フューネスさんは休んでていいよ。俺も帆の操作に慣れてくるから」
「りょ」
省きすぎて何の言葉かわからない呟きを残して、フューネスはアイテムボックスに寄りかかったまま目を閉じた。
航海は長くなりそうだ。俺は到着までの間、操船をみっちり練習することにした。
そして交代で帆を操作しながら十数分。ついに目的地の島が目前に迫ってきた。
♦♦♦
「うわー鳥がやたら飛んでる。糞とか落ちてこないよな」
空には海鳥らしき白い鳥が何羽も飛び交っている。島に近づくにつれてその数はどんどん増えて、いまでは鳥の居ない青空を探すほうが難しいくらいだ。
「なんだか変わった島」
フューネスはぼそりと感想を呟く。
たしかにと頷いて、改めて前方に目を向ける。その島には砂浜がなかった。外周をゴツゴツとした黒い岩や崖に囲まれていて、まるで隕石をそのまま浮かべたような有様だ。たまーにニュースになる海底火山の噴火で出来た島っていうのが大体こんな感じだったと思う。
見たところ草木も見えないし、おそらくこの島ではニードルタレットの種は入手できない。だからわざわざ上陸する価値もないのかもしれないけど……せっかく来たんだしどんな資源があるかくらいは確認しておこうということで、俺たちは上陸の準備を進めている。
miyabiは揺れの激しくなったイカダの上で、アイテムボックスに掴まりながら言った。
「これ上陸しようがなくない?」
「うーん……フューネスさんなんとか上陸できない?」
「イカダを付けるのは無理だと思う。この波じゃ岩にぶつかる」
先ほど操船を代わったフューネスは、イカダのコントロールにだいぶ苦労しているみたいだった。島に近づいてから周囲の波が荒い。イカダも目に見えて揺れが大きくなっていた。
フューネスの言うように、このままイカダを寄せれば勢いよく海岸の岩に叩きつけられる恐れがある。
「上陸は厳しいか……」
取り付く島がないって言うと誤用だろうけど、そう言いたくなるくらいイカダを寄せ付けない頑なな島だ。こりゃ諦めて別の島に行くしかないか?
悩んでいると、フューネスは船の帆を完全に畳んだ。そしてイカダのアンカーを降ろして帆から離れる。何をするんだろうと思っていると、フューネスはいきなり装備を外し始めた。
「ちょ、フューネスさん!?」
「え、あぁ……泳いで上陸すればよくないかなって」
「それはわかるけど一言くれないとビビるから」
「あ……ごめん」
初期装備のタンクトップとパンツ姿で、フューネスは申し訳無さそうに言った。本人はゲーム内だからと無意識だったのかもしれないが、こちらはいきなり服を脱がれると何事かと驚かざるを得ない。
この人たまに常識が抜け落ちた行動するよな……ほか二名はちょっと引いちゃってるし。
いや、フューネスがあまりVRゲームで羞恥心とか感じないタイプなのはわかるけれども。
彼女の唐突な行動に面食らったような顔をしていたTakaは苦笑しながら言う。
「ははは……先輩も泳ぎます?」
「嫌だよ冷たそうだし見られたくないし」
「ですよねー」
まあmiyabiのような反応が普通だよな。ともかく、島にはフューネスがやろうとしたように泳いで上陸したほうが手っ取り早そうだ。問題は誰が残って誰が泳ぐかってことだけど。
「フューネスさん、とりあえず島には俺とタカさんで行くよ。代わりにイカダをこのあたりの位置でキープしておいてくれる?」
泳ぐにしても、操舵に一番慣れているフューネスはこの場に残したい。探索に出るのは俺とTakaだけでも十分なはずだ。
フューネスは残念そうに頷いた。
「まあいいけど」
「タカさんはそれでいいですか?」
「大丈夫ですよ~」
ひとまず余分な装備はアイテムボックスにしまうことにした。装備は鉄の槍一本で充分。島に何がいるのか、何があるのか。期待と不安を胸に抱きながら、俺とTakaは海に飛び込んだ。
「ぶぼぉっ、冷だ!?」
海面に顔を出して叫ぶ。
熱帯気候の海とは言え、いきなり飛び込むとブルっとくるな。そして潮がしょっぱい。再現性が高いってのも困りものだ。学校のプールとはいろいろ勝手が違う。
「大丈夫?」
「平気!」
船から呼び掛けるフューネスに手を振って、平泳ぎで島へと向かう。泳ぎにはあまり自信がなかったのだけど、システムアシストのおかげか着実に前に進んでいる感じがする。
ただ、スタミナが保つかどうか。泳ぎ始めた途端に視界には体力バーの代わりに、スタミナのゲージが表示された。そのゲージは腕をひと掻きするたびにごっそり削られていく。
泳ぎの早さにどのステータスが影響するかはわからないけど、少なくとも泳げる距離にはスタミナが関係していそうだ。
「ふー、けっこうギリだった」
島に辿り着き、俺は岩をよじ登って乱れた呼吸を整えた。後ろを付いてきていたTakaもスタミナをだいぶ消耗したのか呼吸が荒い。
Takaは「ふー」と空を仰ぎながら言った。
「はぁ……はぁ……これ、スタミナ切れてたらどうなってたんでしょうね?」
「別ゲー基準だと、手足が動かなくなって溺れるってのが多いんじゃないですかね?あんま考えたくはないけど」
「たしかにね……」
Takaは嫌な想像を振り払うように、遠くに浮かんでいるイカダに手を振った。
溺死はVRゲーム界隈ではトラウマ製造機として有名だ。基本的に溺死系は感覚カットが適応されるけど、それでもなおあの死に方はストレスがエグい。そこら辺を考慮してか、溺れるのが確定したら即デッドするようになっているゲームも多い。
「よし、タカさん行けますか?」
「はい」
スタミナを回復させてから、俺たちは一面黒い岩だらけの島の奥へと進んでいった。周りを見回すと辺りには鳥の巣がいっぱいあった。親鳥たちは雛に餌を運ぶために海と島を往復し、忙しなく飛び交っている。
偶然近くに降りた鳥を見ると、それらの鳥にはシーバードという名が付いていた。リアルに存在する動物とほとんど生態の変わらないモンスターほど、単純な名前が付けられるみたいだな。
辺りに飛び散っているシーバートの糞を極力避けながら歩いて行くと、その先の低地にはとてつもない光景が広がっていた。
 




