開幕雑魚死
ポッドは海に囲まれた大自然の島に、パラシュートを開きながら着陸していく。天井のハッチが開くと、俺は這い出すようにしてポッドの外に出た。
「酷い目に遭った……」
絶叫系が苦手な俺には酷な旅路だった。まさか初っ端からこれほどパンチのある冒頭イベントを入れてくるとはな……。
気を取り直して立ち上がる。空を見上げると上から照り付ける陽射しがパンツ一枚の身体を焼き、軽く息を吸うと熱気を纏った空気が肺を満たした。
「あっつぅ……気候は熱帯か」
その事実を証明するように一息遅れて全身から汗が吹き出し、喉も少し乾いてきた。
太陽を見上げて目を細めていると、さっきまで座席から聞こえてきたアナウンスが今度は脳内で響いた。
『ポッドは仮のリスポーン地点となります。正式なリスポーン地点は早めに設定することをお勧めします』
「ふうん。じゃあポッドは他のプレイヤーに見つからないように隠しておくのが良いのか?」
質問に対する答えは返ってこない。アナウンスはあくまでも最低限必要な情報だけを伝えてくれるだけのようだ。
ともかくポッドをどうするべきか。隠すなら人目の付かないところが良いけれど、コイツはけっこうなサイズだ。完全に隠しきるのは無理そうだし、適当に茂みに隠しておくしかないな。
俺は熱帯の植物が旺盛に生えている茂みを掻き分け、ポッドを力一杯押して移動させた。
「……ふう、これでよしと」
大きな葉をポッドの上に被せて手を払う。
近づけばすぐに見つかってしまうような雑な隠し方だけど、砂浜に放り出しておくよりはだいぶマシなはずだ。しかしリスポーン地点は早めに設定したほうがいいな。リスポンが一箇所だけだとリスキルが怖い。
「さて、どうすっか」
チュートリアル的なイベントが始まる気配はない。普通のMMOならこれからすべきことを示してくれるNPCがやって来たりするのだけど、コスニアではまだチュートリアルが実装されていないのか、あるいはプレーヤーに手探りで攻略を進めてもらう形式なのか。
「――ッ!――ッ!」
「ん?」
俺が次の行動を考えていると、砂浜の向こうから猛然とダッシュしてくるプレイヤーがいた。
ゆさゆさと揺れている黒い髭に、白パン一丁スタイル。露わになっている全身の皮膚には太陽や月の模様の黒いタトゥーが彫られていてワイルドさが強調されている。
凝ったアバターだな。初めて会うゲーム内プレイヤーだし、挨拶くらいはしておこう。
「おーい、初めましてー!」
とりあえず気さくに声を掛けてみたつもりだが、直後、プレイヤーは聞き覚えのない言葉を喚いた。
「xin chào! Bạn có muốn chơi với chúng tôi không?」
「いきなり何語!?」
思わずキレ気味に叫んでしまった。
聞いたことのない発音で、どこの国の言葉かすら想像が出来ない。これがエルドガルフ語だと言われればそのまま信じられそうなほどだ。
相手の頭上を見上げると、そこにはプレイヤー名とレベルの表記が出ていた。
【Vua hiệp sĩ Lv.1】
見たことのない文字だ。アジア系ではない?ドイツ語……も違うっぽいし、ローマ字っぽい字面を見るにヨーロッパのどこかだろうか?正直、まったくわからん。
「bạn là người Nhật?」
「I can’t speak your language! Please English or Japanese ok!?(私はあなたの言語を話せません。英語か日本語で話せませんか?)」
「Có rất nhiều người Nhật Bản」
「「???」」
外国人プレイヤーは髭をさすりながら首を傾げた。俺も鏡合わせのように首を傾げて黙り込む。お互いの言葉がわからないとは困ったな。
一応、俺は父親がアメリカ人の日本語・英語のバイリンガルだ。だから相手がそのどちらかを喋れるのなら意思疎通が図れるのだが……こういうときは別の方法でコミュニケーションを取るしかない。
「Im friendly! Lets go with!(俺は友好的だよ。一緒にいかないか?)」
俺は伝わりやすそうな英語を喋りながら、身振り手振りでこちらの意図を伝えようとした。ボディランゲージは世界共通言語だ。細かいニュアンスは伝わりにくいが、大雑把でいいならこれでコミュニケーションは取れる。
ただまあ……向こうでしばらく暮らしていたとは言え、俺は生来こういう自分の感情を大げさに表現するのが苦手だ。だから出来れば向こうも素直にこっちの意図に乗ってきてくれるとありがたいのだが……。
「Tôi sẽ giết bạn vì nó rắc rối」
「え?うおっ、ちょい待て待て待て!」
俺の願いとは裏腹に、相手は唐突に殴りかかってきた。
「ぐほぁっ!?」
顔面目掛けてのストレート。それがモロに直撃して俺は吹っ飛んだ。砂浜に背中から打ち付けられ、肺の中の空気が押し出される。俺が怯んだところを相手はさらに馬乗りになろうと襲いかかってきた。
「かはっ……!ちょ、ま……!?」
「Chết! chết! chết!」
そのまま流れるように拳が振り下ろされる。そして的確に打ち抜かれる俺の顔面。痛みはほとんど伝わらないが、赤いポリゴンが飛び散り、深刻なダメージを受けていることを示していた。
「お、俺は殴られ屋じゃないんだっつーの!」
せめてもの抵抗にと足をジタバタさせる。だが、マウントを取られた状態ではそれも効果的な反撃とはならなかった。
「Chết! chết! chết!」
同じ単語を繰り返しながら相手は拳を振り下ろし続ける。頭を殴られ過ぎたせいか視界がボヤけ始め、何も見えなくなってきた。
「ぐは……っ、げふっ……」
なんも出来ねえ!こんなん勝てるか!
ていうか、こいつ初心者じゃないだろ。いやいまは全員初心者なんだろうけど……たぶん、この手のサバイバル系ゲームに慣れているプレイヤーなんじゃないか?
俺が出来るのはそうして敗北の理由を探すことくらいだった。そして、俺はそのまま無抵抗にキルされた。
死の直後に視界が真っ暗になり、アナウンスの声が聞こえた。
『Vua hiệp sĩにキルされました。 リスポーンしますか?リスポーンしない場合はキャラクターを初期化して降下からやり直すこともできます』
「了解……うーん。物凄く理不尽な開幕雑魚死だったけど、俺らしい死に方ではあったな……」
ゲームを始めてからここまで五分も経っていない。つまり、ゲームがサービス開始してから五分も経っていない。もはやコスニアで一番最初にキルされたのは俺なのでは?あまりに簡単に死んだせいか、逆に冷静になってきたぞ……。最速死亡特典とか貰えないのかな。
「はぁ、まあいいや。リスポーンさせてくれ……」
宣言すると、薄っすら発光している横長の地図らしきものが現れた。紙面はほとんどが黒一色で塗り潰されていて何が何だかわからない。どうやらマッピングは地道に歩いて明らかにしていくシステムらしい。
地図内で唯一塗り潰されておらずピンが立っていた地点をタップすると、周りを取り囲んでいた暗闇が晴れて、俺はポッドの座席に座った状態で復活していた。
「リスポーンはこういう感じね」
身体の調子を確かめながらポッドを降りて周囲を窺う。キルされた位置はすぐ近くだったけど、人の気配がないのを見るに俺をキルした外国人プレイヤーは別の場所へと移動したらしい。
なんつーか、天災のような負けイベントだったな……。
RPGの最序盤でいきなりラスボスと戦った気分だ。お互いに装備差はなかったはずだが、ゲームの実力や経験で完全に負けていた。
あんなのと同じ島でスタートするとは俺も運がない。
この島で生活する限り、きっと俺はあの外国人プレイヤーに遅かれ早かれ再会することになるんだろうな。その度にこんな目に遭うのだとしたら地獄だ。出来れば敵対したくないけど……交渉が可能な相手にも思えなかった。
「今度会ったらこっちから先制攻撃を仕掛けるしかないか……」
勝てるかはわからない。だが、そういう心づもりで決意を固めておかないとまた無抵抗にキルされるだけになる。切り替えよう。まずは現状の把握……そんでレベル上げだ。
俺は何もない空中を人差し指で横に切った。するとシステム画面が呼び出され、視界に表示された。
システム画面にはステータス、設計図、インベントリ、ギルド、ヘルプなどゲームに関係する情報タブが表示されている。俺は自分自身の状態を知るためそれらの中からステータスを選択した。
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【レベル】1
【名前】リオン
【体力】100/100
【持久力】100/100
【器用】100%
【重量】0/100
【攻撃力】100%
【肺活量】100%
【移動速度】100%
【状態異常耐性】100%
【熱耐性】40
【寒耐性】10
【昏睡値】0/100
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【満腹度】98/100
【水分】95/100
【栄養】98/100(詳細データ)
【病気】なし
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【装備】
【武器1】なし
【武器2】なし
【頭】なし
【胴体】なし
【腕】なし
【腰】なし
【脚】なし
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見慣れないステータスがやけに多い。
俺は頭を掻きながら一覧を睨みつけ、すぐさま考えるのをやめた。
普通のMMORPGに比べると、どうにもステータスが取っ付きづらいと思う。いきなり全部覚えようとしても無理そうだし、徐々に慣れていったほうが良さそうだ。ともかくまずはレベル上げ。ステ振りで悩むのはその後だな。
俺はシステム画面を閉じ、周囲を見回した。
辺りには美しい景色が広がっている。海は旅行雑誌の表紙を飾れそうな透き通ったライトブルーで、砂浜は宝石のように白く、空は紺碧が鮮やかに映えている。
そんな自然豊かな島のあちこちにモンスターサイズの生物たちが闊歩していた。そのうちの一つ、俺の前を横切ろうとする黒い影へと視線を向ける。
「カチカチカチカチ」
黒い影はクリック音のような硬質な音を鳴らしながら、砂を食んでいた。
「でっけぇー」
それは尋常じゃない大きさの蟹だった。姿は川などに住んでいるサワガニのようなフォルムに近いのだが、甲羅からハサミまで何もかもが分厚くマッシブ。
大きさはベビーカー並みで、ハサミを掲げた姿はさながら蟹というよりも立ち上がった熊だ。蟹の頭上には『ジャイアントクラブ♂ Lv.20』と表示が出ていた。
「え、Lv.20って……?初っ端からレベル高すぎでは」
こっちはまだLv.1の新参者だ。MMORPG的な考えに則れば、Lv.20とLv.1の間にある隔たりは絶望的。どう足掻いても勝てないし、攻撃を仕掛けてもダメージが通らない可能性すらある。
――だが、いまはさっきやられた腹いせに少し暴れたい気分だった。
まあ単なる腕試しだ。始めたばかりで失うものなんて何もない。デスする覚悟で手を出してみて、ダメだったらごめんなさいしてまたリスポーンすればいい。
俺はジャイアントクラブの背後にこっそり回り込み、甲羅に向かって瓦割りの要領で思いきり拳を叩き込んだ。