武芸百般の退魔師4
氏神。
それは、同じ地域で暮らす人々によって、共同で祀られている神道の神である。
日本では引越しなどにより住居を移した際、近隣住民に挨拶をするように、その土地を守る氏神様に挨拶をするのが、風習として残されているのだ。
氏神様が祀られている神社は、インターネットなどを利用すれば、簡単に調べることができる。
ユリアのある屋敷――神奈川県小田原市立花北地区の土地を守っている氏神様は、犀川神社という比較的小さな神社であるらしい。
らしいというのは、この情報を調べたのが玲児ではないからだ。
これら情報を玲児に教えてくれたのは、家事全般を役割に持つ守護隷――フィリナであった。
「物知りなんだなフィリナは。
俺なんて氏神とかいう言葉さえ、初めて聞いたってのに」
玲児とユリア、そしてフィリナの三人――プラトンは屋敷を守ることが役割ということで留守番――は、犀川神社に向けて道を歩きながら、たわいのない世間話をしていた。
屋敷から犀川神社までは、おおよそ歩いて三十分。
都会と田舎の中間というような、適度に自然の残された道なりの景色を眺めつつ、玲児はそうフィリナに話題を振った。
自慢できないことを偉そうに語る玲児に、フィリナがクスリと笑う。
「ありがとうございます。
しかし白状しますと、私も屋敷でこの話題が出た時には、氏神様はもちろん日本の風習についても、何も存じ上げていませんでしたよ」
「あん?
だが氏神のことも、その神社のことも、フィリナが教えてくれたじゃねえか」
「あれは調べたんですよ。
インターネットで」
フィリナがそう話して、エアーでスマホを操作する仕草をする。
彼女の答えに、玲児は目を瞬かせた後、ひょこひょこと小さな歩幅で歩いているユリアに、視線を向ける。
「んだよ、フィリナにはスマホを渡してんのかよ?
俺には通信料が馬鹿にならないとかで、ガラケーしかくれなかったくせによ」
「お主……見た目が年下の女性から携帯代をめぐんでもらっておるくせに、偉そうに文句を垂れるとは何事じゃ。
あと携帯もあくまで業務用じゃからな。
私的に使うでないぞ」
「ちっ……生前に無課金でコツコツとレベルを上げたアプリが、無駄になっちまった」
不機嫌に舌を鳴らす玲児に、ひどく呆れたようにユリアが溜息を吐く。
「知らんわ。
あと勘違いしておるようじゃが、フィリナにもスマホは渡しとらんよ」
「ん?
それじゃあ、あの屋敷にネットにつながったパソコンでもあるのかよ?」
「あるにはあるが、そういうことではない。
フィリナ。
こやつに説明してやってくれ」
「分かりました。
すみません、レイジさん。
勘違いさせるようなことを言ってしまい」
一言謝罪を添えて、フィリナが玲児に柔らかく微笑む。
「氏神様の情報は、私の魔術で調べたんですよ。
能力名は『情報通信』。
インターネットを始めとする、多種多様な通信アルゴリズムを解析、及び再現することができる力です」
「ア……アルゴ……何だって?」
「えっと……つまり電波を媒体にしたデジタル信号を送受信することができ――」
「ばいたい……でぇじぃたぁるぅ?」
眉間の皺を深める玲児に、フィリナがふと思案する仕草をして、ポンと手を打つ。
「私はつまり、歩くスマートフォンです」
「納得した」
深々と頷く玲児。
だがすぐにまた疑問に眉根を寄せて、ユリアに首を傾げた。
「死霊魔術師だとか悪魔だとか、オカルト的な魔術が、どうして科学的な能力なんだ?」
「ん?
質問の意味が分からんな。
降霊術やら自然回復やら、物理に反した能力は納得しておるくせに、どうして物理に則した科学的な能力を否定するのじゃ?」
言われてみるとそうだ。
何となく科学とオカルトは相いれないと考えていたが、物理を捻じ曲げることが可能なオカルトならば、当然、物理に従うこともできるのだろう。
(まあ良くは知らんが……)
深く考えたところで理解できそうもないので、玲児はそう適当に納得することにした。
「歩くスマホねえ……便利なようなそうでないような……普通にスマホを持ってればいいような気もするが。
その通信料とかはどうなってんだよ」
「随分細かいことを気にするのう。
わしは電子機器を苦手としておるからな、それを補助する能力としただけじゃ。
あと電波にただ乗りしておるから、通信料は掛かっとらん」
さらりと犯罪を暴露するユリア。
まあ今更そんなことで驚きもしないが。
玲児は「ふうん」と気のない返事をしながら、ユリアからフィリナに視線を移す。
「……やっぱ便利っちゃ便利な能力か。
あれだろ?
他人に見られたくないような怪しいサイトとか見てもバレねえんだろ?
便利な能力だよなあ」
「そうですね。
確かに銀行などのサイトを見る時は、他人に見られたくないですから」
ニコリと微笑むフィリナに、何となく拍子抜けする玲児。
下ネタに何でもつなげようとするフィリナの暴走癖を、もう一度確認しようとあえて餌を撒いてみたのだが、彼女はそれに食いつくどころか、気付く素振りすら見せなかった。
(今朝の過剰な反応はただの偶然で、彼女も常に反応しているわけじゃねえのかな)
考えてみれば、あのように何でもかんでも赤面していては、日常生活に支障をきたす。
彼女も守護隷になる前に、生きた人間の時期があるのなら、それは考えにくいだろう。
少しばかりフィリナに対する評価を変え、玲児は彼女の言葉に頷いて見せる。
「……まあな。
銀行のサイトとかは個人情報があるから、見られたくねえもんな」
「ぎ……銀行!
つまり定期預金!
ひいては夫婦の共有財産!
イコール、夫婦の営み!
詰まるところ……セッ――きゃああああああ!
レイジさん!
あれほどセクハラは駄目だと言ったじゃないですか!」
「……難しいぞ」
顔を赤く染めて、恥ずかしそうに腰をくねらせるフィリナに、玲児はひどく冷めた心地で呟いた。
そもそも銀行という単語を、始めに口にしたのは彼女なのだが、どうやらそういうことも関係がないらしい。
一度修正したフィリナの評価を、玲児は再び元に戻す。
そんな生産性のない会話をしていると――
「ようやく着いたぞ。
このすぐ先じゃ」
ユリアがそう声を掛けてきた。
少し先行していたユリアの、その横に並んで立ち止まる玲児。
彼の前方には灰色の鳥居と、百段を超える長い階段が、そそり立っている。
この階段の先に、この土地を守る氏神様が祀られているという、犀川神社がある。
もうひと踏ん張りと気を引き締める玲児。
そんな彼の裾を、ユリアがクイッと引っ張り――
「レイジ。
おぶれ」
そう無情に命令してきた。
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犀川神社。
県外からも参拝客が訪れるような有名な神社とは異なり、そこは周辺住民だけが参拝に訪れるような、小さな神社であった。
ただしその歴史の古さは、それら有名神社にも劣らず、源流に遡れば平安時代末期まで語ることができる。
神社の構成はごく平凡で、鳥居をくぐり百数十段もの長い階段を上ると、参道の先に拝殿が見えてくる。
拝殿の奥には御神体が収められた本殿があり、特別な祭事にのみ一般公開される。
さらに境内には、手水舎に絵馬掛けなどの設備と、お守りにお札、御朱印を扱う社務所があり、その社務所を神主及びその家族が、自宅として兼用していた。
その自宅兼社務所に彼女はいた。
少し前から感じる異様な気配。
彼女はノートパソコンのキーボードを叩く指を止め、表情を険しくしてその気配に注意を向けていた。
ノートパソコンのディスプレイに表示されている、犀川神社の境内を写した写真。
それは、十年ほど前に開設した犀川神社のウェブサイトであった。
犀川神社が執り行う行事日程や、日々の雑記が綴られているそのサイトの更新作業をすることが、犀川神社の巫女たる彼女の、仕事の一つでもあった。
彼女は更新途中の画面を、一度さらりと眺めて確認すると、作業内容を保存してノートパソコンを閉じた。
嫌な気配が徐々にこの神社へと近づいてくる。
この犀川神社は彼らにとっての天敵が存在する場所だ。
ゆえに思い違いかとも考えたのだが――
(どうやら、そうでもないらしいな。
奴らは確実にここに向かってきている)
一体どういった理由なのか。
それは分からない。
だがそれを考える必要もない。
彼らにどのような思惑があろうと――
(囚われた魂を浄化する。
それが――)
自分の役目だ。
彼女はそう気を引き締めると、淀みのない所作で立ち上がった。
正座していたことで僅かに乱れた袴を丁寧に整えつつ、これからする行動に向け、意識を集中させていく。
感じていた気配はすでに、鳥居を抜けて階段を登り始めている。
彼女は音もなく深呼吸すると、三つ編みにした長い黒髪をさわりと揺らし、背後を振り返った。
最低限の武器は常に装備している。
すぐにでも戦える。
彼女は一歩足を踏み出し――
「待っていろ。
悪魔め」
鋭い口調で、そう独りごちた。