武芸百般の退魔師3
ユリアが用意していた服は、白のワイシャツに黒のスーツ、そして灰色のベストに赤のネクタイであった。
執事や使用人などが着るような――ユリアの意図としてはそうなのだろう――、何とも肩が凝りそうな服装だ。
玲児は少し悩んだ末、ベストとネクタイは無視して、ワイシャツと黒スーツだけを着ることにした。
ワイシャツは首元のボタンを一つ外し、スーツは正面を閉じずに開けておく。
ひどくだらしない恰好になったが、玲児にはこれが最も着心地が良かった。
革靴を履いて、玲児はユリアから言われていたように、リビングへと向かう。
リビングの扉を開けると、部屋には黒髪の少年が一人、ソファに座りくつろいでいた。
ユリアの守護隷であるプラトンだ。
小柄な体にスーツを着た、七五三を思わせる格好で、プラトンが独りブツブツと呟いている。
一体何を話しているのか。
玲児は音を立てずに、プラトンに近づいてみた。
「――かれこれ三時間ほど俺を褒めちぎっているが、まだ褒めたりないか。
まあ気持ちは分かる。
俺の偉大さを語ろうとするならば、人類の歴史が一回りはするだろう」
プラトンの言葉に眉根を寄せる玲児。
念のため部屋の中を見回すも、プラトン以外に人の姿はない。
困惑に首を傾げる玲児だが、そんな彼の様子には気付きもせず、プラトンがさらに存在しない誰かとの会話を続ける。
「――ああ、そうだ。
数多くの駄作を生み出した神も、俺という傑作を生み出し、その役割を終えたといえる。
つまり世界はこれより、終焉に向かうだろう。
だがそれも仕方あるまい。
生命という終わりのない芸術に、俺という終点が創られてしまったのだからな」
「……何言ってんだ、お前は?」
よく分からないことを呟いているプラトンに、半眼で尋ねる玲児。
明後日の方角を見つめていたプラトンの瞳が、少し驚いたように一度瞬きをして、玲児へと向けられる。
「む?
何だ新入り――もといレイジ。
来ていたのなら挨拶ぐらいしないか」
「ひどく話し掛けづらかったんでな。
一体誰と話をしていたんだ?」
玲児の問いに、プラトンが大仰に腕を組み「うむ」と頷く。
「『神の囁き』と呼ばれる存在と会話をしていた。
レイジ。
貴様には聞こえないか?」
「何を言ってんだ?」
「どうやらレベルが足りないらしいな。
雑魚狩りをして経験値を稼ぐがいい」
「繰り返すが、何を言ってんだ?」
「それはそうと……レイジ。
貴様なんだそのだらしのない恰好は?」
プラトンがビシリと玲児の着崩したスーツを指差す。
「俺達は、あの名高い死霊魔術師ユリア殿の、守護隷なのだぞ。
貴様のそのだらしのない姿が、主たる彼女の名声を汚すことにでもなったら、どうするつもりだ」
「知らねえよ。
別に素っ裸じゃねえんだから、いいだろうが」
髪をボリボリと掻きながら反論する玲児。
すると前髪を掻き上げたことで、今朝ユリアに付けられた眉間の傷が覗いたのか、プラトンがその眉間の傷に指先を向けた。
「何だ貴様。
怪我をしているではないか。
体調管理も主を守る守護隷としての責務だぞ」
「これはその主様にやられたもんだがな」
「仕方ない。
治してやるから見せてみろ」
玲児の眉間に指先を向けたまま、パッとソファから立ち上がるプラトン。
玲児は眉間の傷を指先で一度掻いた後、少しばかり身を屈めてプラトンに眉間の傷を見せた。
プラトンが、玲児の眉間の傷に指先を触れ、集中するように瞳を細める。
直後――玲児の眉間の傷が、パテで埋められていくように、修復された。
玲児の眉間から指先を下し、プラトンが腰に手を当ててふんと胸を反る。
屈めた腰を伸ばして眉間をなでる玲児。
痕も残さず修復された傷に、彼は感嘆の息を漏らした。
「たいしたもんだな……ああっと……これがお前の魔術って言ってたか?」
「うむ。
主はこの魔術を『継続再生』と呼んでいたな。
今したように俺の意思で特定の傷を治すことも可能だが、対象を定めることで俺の意思を介さずとも自動回復することもできる、便利すぎる能力だ。
通常はその対象を屋敷の敷地内に定めているわけだが……その効果は昨日、貴様も確認しているだろう?」
ドヤ顔でそう話すプラトンに、玲児は若干の反発を覚えつつも、素直に頷いた。
昨日の騒動により、至る箇所を破壊された屋敷と庭園だが、それらは全てプラトンの魔術により、一時間ほどで元の美しい姿に自動回復された。
ついでに、玲児の砕かれた左腕も、プラトンの腹部の風穴も、その魔術により治療され、今は傷跡すらなくなっている。
再生した自身の左手に視線を下す玲児に、プラトンが恩着せがましい口調で言う。
「俺に感謝するがいい。
貴様が五体満足でへらへらしていられることも、この屋敷や庭園が美しさを保ち続けていることも、最強守護隷たる俺の魔術あってのものだからな」
「……その最強の守護隷さんは、昨日どてっぱらをぶち抜かれて気を失っていたがな」
「勘違いだ。
腹に穴が空いた直後、ちょうど眠たくなったから眠っただけに過ぎん」
恐らくそれが、気を失ったということなのだが、そこは指摘せずに、玲児は肩をすくめるだけに留めた。
実際のところ、プラトンの魔術に助けられたことは間違いない。
すると――
「レイジは悪魔退治。
プラトンは状態維持。
守護隷にはそれぞれ役割があるのじゃよ」
少女の声が聞こえてくる。
背後を振り返る玲児。
彼の視線の先に、廊下からリビングへと入る、金髪を縦巻きにした少女がいた。
守護隷である玲児とプラトンの主――
ユリア・シンプソン=ロクスバーグだ。
玲児とプラトンに碧い瞳を向けて、ユリアが桜色の唇に微笑みを浮かべる。
「今後とも必要に応じて、その役割に特化した守護霊を生み出していくつもりじゃ。
今回も同様……彼女にはこの屋敷のおける家事全般を担当してもらおうと考えておる」
「彼女?」
疑問符を浮かべる玲児に、ユリアが歩く足を止めて、背後を視線で差し示す。
「紹介するぞ。
今朝に召喚されたばかりの新たな守護隷――フィリナじゃ」
ユリアのその言葉を合図にして、廊下に面した扉から――
一人の少女が姿を現した。
十代後半と思しき女性。
腰まで伸びた落ち着きのある青い髪に、きめ細やかな白い肌。
髪と同じ色をした穏やかな瞳に、ぷっくりと膨らんだピンクの唇。
服装は黒を基調としたゴシック的なドレスで、膝頭が隠れるスカートにロングブーツ、そして――
大きな胸を強調するものであった。
男の視線を否応なく吸い寄せる少女の豊満な胸。
そこから意識的に視線を逸らして、玲児は彼女の表情を見つめた。
少女が瞳を柔和に細めて、微笑みを浮かべる。
「初めまして。
紹介にありましたフィリナです。
不束者ですがよろしくお願いします」
まるで恋人の両親にするような挨拶をして、ぺこりと頭を下げる少女――フィリナ。
彼女の動きに合わせて揺れる胸。
またも目線が女性の胸元に落ちそうになるのを何とか堪え、玲児は「ああ……まあどうも」と曖昧な返事をフィリナに返した。
玲児の答えに、微笑みを満面の笑顔に変えるフィリナ。
彼女の温かくも愛らしい表情に、玲児は思わず赤面した。
何となく気恥しさを覚える玲児。
そんな彼に、ユリアがひょこひょこと近づいてきた。
玲児のそばに寄り、ユリアが声を潜めて尋ねてくる。
「どうじゃ?
気に入ったか?」
「……何の話だ?」
眉根を寄せる玲児に、ユリアが「むろんフィリナのことじゃ」と、ニヤリと笑う。
「日本の男というのは、童顔で乳のでかい、ああいう女が好みなのじゃろう?
お主が気にいると思うてな、敢えてあのような容姿にしてみたのじゃが?」
「はあ?
なんだよソレ?」
ユリアを半眼で睨む玲児。
ユリアが腕を組み、うんうんと一人頷く。
「今朝はああ言うたが、わしはお主の働きには期待しておる。
そんなわしからお主への、せめてもの心配りじゃよ。
好みの女が一つ屋根の下におるなど、嬉しかろうて」
「……けっ、馬鹿らしい」
舌を打つ玲児。
彼の気のない返事に、ユリアが「む?」と、きょとんと目を丸くする。
「なんじゃ?
お主の好みではなかったか?」
「そう言う問題じゃねえ」
玲児は溜息を吐くと、何とも浅はかな考えをしたユリアに、嘲りの眼差しを向ける。
「確かに彼女は可愛いとは思うが、俺は人を容姿じゃなくて中身で見る。
童顔だ胸がでかいだとかで喜ぶような、底の浅い男だとは思わないで貰いたいな」
「ほうほう」
「そもそも、俺は男とつるんでいるほうが性に合っていてな、女と一緒にいたいなどと考えたこともない。
むしろ女など、ピーピーと喧しくて苦手なぐらいだ。
お前が俺を喜ばせるために彼女を守護隷としたというのなら、まったくの見当違いだったな」
「なるほど。
お主の気持ちはよく分かった」
硬派に満ち溢れた玲児の心からの言葉に、ユリアは真剣な面持ちで、深く頷いた。
「では、今からでも間に合う故、彼女の容姿をゴリゴリのマッチョボーイに変更――」
「嘘です!
カッコつけました!
本当はめちゃくちゃ嬉しいっす!」
早々に前言撤回する玲児。
ユリアがやれやれと肩をすくめ、頭を振る。
「初めからそう素直になっておれば良いのじゃ。
しかし言っておくが、守護隷どうしの恋愛はご法度じゃぞ。
特別な感情を抱き、仕事に支障が出ても困るからの」
「ふん。
要らねえ世話だな。
恋だ愛だと下らねえ感情なんてな、初めから――」
「だが息抜きとして、週一ペースで、フィリナが入浴中に浴室の扉を開けといてやる」
「気が利いているぞ、ユリアさん!」
つい欲望が口からこぼれ出る。
そんな玲児とユリアのやり取りを、当のフィリナは笑顔で眺めていた。
声を荒げてしまうこともあったが、基本的にユリアとは小声で会話していたため、フィリナに話しの内容を聞かれることはなかったらしい。
安堵に胸を撫で下ろしつつ、玲児はフィリナに向き直り、小さく頭を下げる。
「ああっと……ほったらかしにしてすまねえな。
下陰玲児だ。
よろしくな」
「はい。
こちらこそよろしくお願いします」
玲児が挨拶した後、プラトンがズズイと玲児の前に進み出て、ふんぞり返る。
「俺はプラトンだ。
頼りになる大先輩、もしくは『時の狩人』とでも呼んでくれ」
「よろしくお願いします。
プラトンさん」
プラトンが提示した呼び名を、さらりと無視するフィリナ。
だが特に気分を害した様子もなく、少年が微笑み掛けるフィリナに、「苦しゅうない」と大仰に頷く。
プラトンの尊大な態度にも、嫌な顔一つせずに笑顔を保つフィリナ。
幼い顔立ちながらも、大人の気品に溢れた余裕ある態度。
さらに巨乳とくれば――
(欠点が何も見当たらないな)
玲児はいたく満足して一人頷くと、何の気なしにフィリナに尋ねる。
「ところで家事全般がフィリナの役割なんだよな?
料理とかも得意なのか?」
それは本当に、ただ何となくの質問であった。
料理が得意ならば、日々の食事が少し楽しみ――死人である彼に食事は基本不要だが――だなと思っただけだ。
しかし玲児にとって、当たり障りのないその質問に――
フィリナが急速に顔を赤らめた。
「そそ……そんな……いい……いけません」
「……いけないって何が?」
困惑する玲児。
フィリナが恥じるように赤らめた顔を逸らし、口を震わせて呟く。
「料理が得意なのか。
つまり家庭を築くことを考えている。
ひいては私を嫁に迎えることを望んでいる。
イコール、夜の営みを求めている。
詰まるところ……セッ――」
「は?」
「ななな……何を言わそうとしているんですか!
セクハラですよレイジさん!」
なぞの連想により、唐突にセクハラ扱いを受ける玲児。
当然そんなつもりなど欠片もなかった彼は、「いやいや」と手を振り、慌てて釈明を口にする。
「そんな意図なんてねえよ。
それに答えたくないなら答えなくて構わねえし――」
「なな……破廉恥です!
レイジさん!」
またも心当たりのない非難を受ける。
首を傾げる玲児に、フィリナが顔を赤らめる。
「答えたくないなら答えなくていい。
つまり私を蔑ろにしている。
ひいては放置プレイ。
イコール、夜のお遊び。
詰まるところ……セッ――」
「って待て、コラ!」
「いい加減にしてください!
私は下ネタとかそういうの苦手なんですから!」
何が何でも下ネタにつなげようとするフィリナ。
プンプンと湯気を出す彼女から視線を外して、玲児はユリアを見やった。
彼の視線を受け、ユリアが淡々と言う。
「フィリナは少々、妄想がいきすぎる癖があってのう。
まあ気にせんでくれ」
「……会話もできんぞ」
そう半眼でぼやく玲児だが、ユリアはそれを無視したようだった。
話題を切り替えるように――或いは誤魔化すように――、ユリアがぱちんと手のひらを叩く。
「これで最低限の守護隷は揃ったかのう。
当面はお主ら三人で、わしの快適で穏やかなる死後生活を守ることになるわけじゃが、それにあたり、まずやらねばならぬことがある」
「……何をしろってんだ?」
首を傾げる玲児に、ユリアはピンと人差し指を立て、さも当然のように言う。
「日本に越してより三日目。
生活基盤を整えた後にすることと言えば、一つじゃろう?」
立てていた人差し指をさっと下に向け、ユリアがニコリと笑う。
「日本の風習に則り、この土地の氏神様にお参りせねばなるまい」