武芸百般の退魔師2
生前より、玲児にとって喧嘩は日常的なものであった。
別段悪ぶっていたわけでもないが、何かと不良どもに因縁をつけられることが多く、半ば強制的に喧嘩慣れさせられた。
だがそうは言いつつも、玲児も喧嘩が嫌いなわけではない。
自ら積極的に喧嘩を売ることはないが、売られれば余程の理由がない限りは買ってやるし、ひとたび殴り合いが始まれば、その高揚感に我を忘れて夢中になる。
相手が誰であろうと恐怖したことはない。
否。
正確には、喧嘩が始まるその直前までは、相手がナイフや鈍器など、武器をちらつかせれば、素直に背筋を凍らせていた。
だが喧嘩の最中に怖気づいたことはない。
高揚感が恐怖を麻痺させているのだろう。
ひとたび喧嘩に集中すれば、相手が武器を持とうと、体格のいい大男だろうと――
仮に悪魔だろうと戦える自信があった。
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「ふはは!
まさかこのような場所に隠れていたとはな!
死霊魔術師ユリア・シンプソン=ロクスバーグ!
いや……ここはあえて『漆黒の墓守』と呼ばせてもらおうか!」
早朝七時。
まだ眠気眼の玲児は、敷地を囲う塀の上に仁王立ちしている、何だか虫っぽい――カマキリかな?
――物体を、寝間着姿でぼんやりと見上げていた。
玲児の何とも薄い反応が気に入らないのか、二足歩行カマキリがさらに声を高らかに上げる。
「我こそは『十二星座』が一角――リブラ!
貴様らが我らの同士たるサジタリアスを打ち倒したことは聞いている!
だが調子に乗るな!
我らが『十二星座』において、サジタリアスは最弱の悪魔!
何か裏金とかで入団したんじゃないか説があるほどだ。
無駄な抵抗は止め、我らが悪魔の敵、『漆黒の墓守』の首を素直に献上することを勧めるぞ!」
二足歩行カマキリ――リブラの声を聞き流しつつ、玲児は大きく欠伸をする。
滲んだ涙を左手の指先で拭う彼に、リブラが「ふっふっふ」となぜか肩を揺らして笑う。
「なるほど。
その態度から察するに、『自身が仕える主を裏切る気など毛頭ない。
一昨日きやがれ。
この産卵後にメスに食われる哀しい種族め』と言ったところか。
勝ち目がなくとも、守護隷としての責務を全うするその心意気や良し。
敵にしておくには惜しい男だ」
勝手な解釈をして賞賛を送ってくるリブラ。
しかしあくまで玲児は口を挟まず――
ただ静かに右拳を握りしめた。
「良いだろう!
ならば貴様を殺して『漆黒の墓守』を始末するま――ごべはああ!」
長々と話していたリベラを、玲児は急接近からの正拳突きで、粉々に破壊した。
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早朝八時。
庭園に悪魔の声がこだまする。
「わっちこそは『十二星座』が一角――エリースなり!
『十二星座』に属する二体の悪魔を倒し、自惚れておろうが、残念ながらわっちは、前の二体を遥かに凌ぐ力を持っているなりよ!
さあ殺されたくなければ『歩く死刑台』を素直に――うにょら!?」
玄関口にいた毛むくじゃらの悪魔を、玲児はダッシュからの一蹴りで破壊した。
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早朝九時。
庭園に悪魔の声がこだまする。
「死にゆく者に名乗る意味はない。
だがここはあえて語ろう。
『十二星座』が一角――スコーピオだ。
同士の仇討ちなどと思わぬことだ。
俺は自分の強さを知りたい。
悪名高き死霊魔術師『無口の殺人者』なる奴ならば、それを教えてくれよう――ぐぼえええ!」
噴水に腰掛けていた黒ずくめの悪魔を、玲児は木製バッドで叩き壊した。
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早朝十時。
庭園に悪魔の声がこだまする。
「私は迷える魂を救う者。
『十二星座』が一角――ヴァーゴです。
悪いことは申しません。
『となりの晩御飯』こと、おぞましき死霊魔術師ユリアを連れて――プチッ!」
何やら後光が差していたゴキブリサイズの悪魔を、玲児はスリッパで叩き潰した。
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立て続けに来訪する悪魔がようやくひと段落ついたところで、玲児は欠伸を噛み殺しながら屋敷の中へと入った。
強い眠気に頭がぼんやりとする。
気分が昂っていたためか、昨日はあまり寝付けなかったのだ。
「今日は休日だし……て、別に学校があるわけでもねえけど……もうひと眠りするかなあ」
そんなことをぼやきながら、玄関から廊下に上がろうとする。
その直後――
玲児の眉間にスコンと包丁が突き刺さる。
「ぬぉあああああああああ!?」
玲児は悲鳴を上げながらも、すぐさま包丁を引き抜いて、それを乱暴に床に投げ捨てた。
カランと音を立てて、包丁が廊下に転がる。
包丁が突き刺さった眉間を、ペタペタと触れて確認する玲児。
血が滲むことなど当然ないが、それなりに深い刺傷が指先に触れた。
玲児は眉間の痛みを堪えつつ、包丁が飛んできた方角を、鋭く睨みつける。
視界の奥へと伸びていく廊下。
その半ばほどに、不機嫌そうに唇を尖らせている――
金髪の少女がいた。
屋内だというのに外套を羽織った少女が、玲児に向けて非難がましく溜息を吐く。
玲児はこめかみがヒクつくのを感じながら、極力冷静に少女に尋ねた。
「……念のために確認するが……この包丁を投げつけたのはテメエか?
ユリア」
「違うぞ」
玲児の問いに首を振る少女――ユリア。
眉をひそめる玲児に、彼女が続けて言う。
「昨日憑依させといた悪魔が残っていたのでな、そやつに命令して突き刺したまでじゃ」
つまり投げてはいないと、言いたいのだろう。
子供じみた言い訳に――実際に見た目は子供だが――苛立ちを強める玲児。
だが先に愚痴をこぼしたのは、少女のほうであった。
ギラギラと瞳を尖らせる玲児に向け、少女が溜息まじりに呟く。
「まったく……朝っぱらか騒がしいぞ。
おちおち朝ドラもまともに見れんではないか」
果てしなく理不尽なユリアのクレームに、玲児は頬を引きつらせつつ反論する。
「こちとら、テメエを狙ってわんさか現れる悪魔を相手にしてんだぞ。
ねぎらいの言葉を掛けるならばまだしも、文句を言うなんざお門違いなんじゃねえか、ああ?」
すごむ玲児に、ユリアは何とも呆れた様子で、やれやれと頭を振った。
「お主はまだよく理解しておらんようじゃな。
守護隷たるお主の役割とは、わしが生前にしてきたことにより生じる、そのような些事の一切を受け持つことなのじゃぞ。
どのような理由があろうとも、その些事によりわしの平穏な死後生活に支障をもたらすことは、決して許されんのじゃよ」
「……だったら悪魔さんに菓子折りでも包んで、丁重にお引き取り願うんだな」
「それでわしの生活に支障が出ないのならば、そうするがいい。
お主の判断でな」
悪魔に命を狙われているのは自分だというのに、その悪魔の対処には一切係わろうとしないユリア。
納得できずに瞳を尖らせる玲児に、ユリアが気楽に肩をすくめる。
「嫌なら見捨てても良いぞ。
ただし、死人のお主に帰る場所などあるのかえ?」
「……テメエ、マジでいい性格してんな」
死人である自分が暮らしていける場所は、この屋敷以外にはあり得ない。
それを不承不承に認めて溜息を吐く玲児。
せめて不満だけでも表そうと唇を尖らせ、ユリアに尋ねる。
「……ていうか、あんな躍起になって悪魔がお前を狙うなんてよ……お前は生前に連中に対して、どんだけのことしてきたんだよ?」
「たいしたことはないぞ。
連日連夜、悪魔の連中を狩り続けて、バラバラに分解しては魂の情報を調べていただけじゃ。
死霊魔術師としてそれぐらい普通じゃろう?」
「……よく分かんねえけど」
「悪魔を人間、死霊魔術師を医者と例えるならば、医学の発展を目的として、連日連夜、人間を誘拐してはバラバラに分解し、その体の仕組みや臓器の役割を調査する、心優しく志の高い医者が、わしだということじゃ」
「ただのシリアルキラーじゃねえか」
若干のうすら寒さをユリアに覚える玲児。
だが悪魔と人間とを同一視して、単純に善悪を語ることなどできないだろう。
死霊魔術師の事情など知らないが、存外とそれが彼らの常識的なやり方なのかも知れない。
何にせよ、ユリアが悪魔に恨まれている理由は理解できた。
だが疑問はまだある。
「……何だってお前、その……二つ名?
みたいなもんが沢山あんだよ。
『悪魔狩りの魔女』だとか『漆黒の墓守』だとか、果ては『となりの晩御飯』だとかよ」
「そんなもの、わしが知るか。
向こうが勝手に呼んでいるだけじゃよ」
まあ、確かにそれはそうなのだろう。
別にさして重要な疑問でもないため、適当に納得しておく玲児。
ユリアが一度碧い瞳をぱちくりと瞬かせ、微笑みを浮かべた。
「それはそうと、悪魔退治がひと段落したのなら、さっさと寝間着を着替えて、リビングに来るがいい。
お主に紹介したい者がいるのでな」
「紹介?
誰だよ」
疑問符を浮かべる玲児に、ユリアがウィンクをして、上機嫌に言う。
「わしの新しい守護隷じゃよ」