表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/26

傍若無人の死霊魔術師2

 神奈川県小田原市立花北地区。

 その住宅街に建設された、日本には似つかわしくない洋館。

 ユリア・シンプソン=ロクスバーグ邸。

 その敷地のおおよそ半分を占める庭園は、細部に至るまで手入れが行き届いており、その美しさは誰もが息を呑むほどであった。


 そして彼もまた、その美しさに魅了された一人だ。

 屋敷の玄関口に立ち、美麗な庭園をその視界に映していた彼は、意識せずにポツリと言葉を漏らした。


「さすが……俺だ」


 自身が口にした、自身に向けられた賛辞の言葉に、彼は満足して頷く。

 この場には、彼以外の誰も存在しない。

 ゆえに、彼の独り言に反応する者など誰もいないはずだった。

 しかし数秒の沈黙を挟んだ後、彼は誰かに応えるように両腕を広げて天を仰ぎ見た。


「そう褒め称えるな。

 確かにこの美しい庭園は、俺がいるからこそ成り立っているがな」


 先も述べたように、彼の周囲には誰もおらず、彼の言葉に応えた者もいない。

 だが彼にとってそれは些末な問題でしかなかった。

 なぜならば彼の心内には、彼を心棒する大勢の存在(なにか)がいるからだ。

 その存在が、彼の一挙手一投足に感涙むせび泣き、崇拝の言葉を上げている。

 彼はその存在を『神の囁き(ゴッド・ウィスパー)』と呼んでおり、主はその存在を――


 妄想だと呼んでいる。


「ああ、分かっている。

 主とて過ちはある。

 俺はそれを責めたりなどしない」


 誰に向けてでもなく――否。

 その『神の囁き』に向けて――、呟いて、それからまたしばらく、彼は庭園を誇らしげに眺めていた。

 だが唐突に、彼はピクリと眉を一度撥ねさせると、おもむろにその視線を背後の屋敷へと向けた。


 彼は不満げに表情を歪めると、唇を尖らせてまたも独りで呟く。


「また主が屋敷を壊したのか?

 幾ら俺が有能だからと、それに甘えすぎではないか?」


 そう口にして、彼はすぐにとある事実に思い至った。


「ふむ……そう言えば、今日は新入りがくる日だったか?

 時間的には、主とその新入りが話をしているはずだが……あまり穏便にことが進んでいないのかも知れんな」


 やれやれと肩をすくめ、彼は溜息を吐く。


「主にも困ったものだ。

 ()()()などこの俺――プラトン様一人で十分だというのに」


==============================


「……今、何て言った?」


「やれやれ、仕方ない。

 もう一度だけ言うから、よく聞いておくのじゃぞ」


 ユリアがスッと碧い瞳を細める。


「お主は……わしの生き別れた息子なのじゃ」


「違うだろ!」


「おお間違えたわ。

 お主がすでに死んでおるという話じゃったな」


 さらりと言い直すユリアに、若干の気勢を削がれる玲児。

 彼は大きく溜息を吐くと、「馬鹿馬鹿しい」と肩をすくめ、ユリアに向けて無理やりに笑みを浮かべた。


「俺が死んでる?

 んじゃあテメエは、ここにいる俺を幽霊だとでも言うつもりか?」


「まさにその通りじゃ」


 断言するユリア。

 否定が返されると予想していた玲児は、躊躇いのない彼女の返答にむっと口を閉ざした。

 ユリアが人差し指を一本立て、それをクルクルと回す。


「お主はすでに魂だけの存在であり、そこにあるお主の体は、生前の姿を模した人形に過ぎぬ。

 わしが降霊術により、お主の魂をその人形に封じ込めたのじゃよ。

 とどのつまり、この幼子の器に魂を封じ込めておるわしと、お主は同じ境遇にあるということじゃ」


 クルクル回していた人差し指を、ビシリとこちらに突きつけてくるユリア。

 彼女のその、()()()()()()のように滑らかな指先を見つめつつ、玲児は口を開く。


「……どうして見ず知らずのテメエが、俺の魂を人形に封じ込める必要がある?」


「地下の試験場でも話したが……お主にはわしの()()()として働いてもらう」


 ユリアの言葉に、「あん?」と疑問符を浮かべる玲児。

 彼の高圧的なその態度を、特に気にした様子もなく、ユリアがこちらに突きつけていた指を、静かに下す。


「死霊魔術師は自身の身の回りの世話をさせるために、手足となり動かせる守護霊を、一体から複数体、所持するのが通例じゃ。

 わしの守護隷であるお主には、わしに降り掛かるであろう火の粉を払う役目を、担ってもらおうと考えておる」


「降り掛かる火の粉だと?」


 オウム返しに尋ねる玲児に、ユリアが何とも悩ましげに頭を振った。


「わしは生前、少しばかり無茶なことをやらかしてきてのう。

 本当にごくごく一部の者から恨みを買ってしもうてな、たまに命を狙われることもある。

 ベルリンでは相応の警備を敷いていたがゆえ、安全の保障がされていたが、日本に移住したわしは、今や無防備状態と言える。

 ゆえにお主には、その危険からわしの命を守ってもらいたいのじゃよ」


「命を狙われるって……テメエは一体なにをしてきたっていうんだよ?」


「稚児のイタズラ程度のことじゃ。

 ほとんどが逆恨みじゃよ」


 気楽な調子で話して、ユリアがきらりと碧い瞳を輝かせる。


「お主の実力は、地下の試験場にて見させてもろうた。

 わしが降霊術により召喚した下級悪魔を、一撃のもと打ち倒すさまをのう。

 満足といえるほどではないが、わしを護衛する資格ぐらいは認めてよいと考えておる」


 守られる立場だというのに、随分と恩着せがましい口調でそうのたまうユリア。

 玲児としては色々と言いたいこともあったが、今は彼女に合わせて、淡々と会話を進める。


「ベルリンでの暮らしのほうが安全だったなら、どうしてわざわざ日本に越してきたんだよ。

 そこに籠っていれば、俺みたいな護衛なんぞ要らなかったんじゃねえのか?」


「……それは確かにその通りじゃが、わしが求めるのは絶対的な安全ではないのじゃよ」


 溜息まじりにそう呟いて、やれやれと頭を振るユリア。

 背中を倒してソファの背もたれに寄り掛かると、彼女が碧い瞳で虚空を見つめて、穏やかに話をする。


「生前は行き急いでいたわしじゃが、もはやその一生を終え、今は()()()()を送るだけになった。

 これまで慌ただしく生きてきたでのう、これからは詰まらぬ些事には囚われず、ゆるりと平穏に過ごしていきたいのじゃ。

 ゆえに、しがらみの多い故郷を離れて、住みやすい日本に住居を移すことにした。

 多少なりと危険があろうともな」


「……なるほど。

 よく分かったぜ」


 玲児のこの反応を受けて、ユリアが「それは大義なことじゃ」と満足げに頷く。

 彼がユリアの言葉を信じて、納得したものだと彼女は考えたのだろう。


 だがそうではない。

 玲児は鋭く瞳を尖らせると、敵意を剥き出しにして言葉を続けた。


「テメエとは、まともに話もできねえってことが、よく分かった。

 黙って聞いてれば、俺がすでに死んでいるだの、命を狙われているだの、大層な作り話を長々と……何が死霊魔術師で降霊術だ。

 厨二病の妄言に付き合ってやるほど、俺は暇してねえんだよ」


 玲児の痛烈な言葉に、きょとんと目を丸くするユリア。

 しばらくの沈黙を挟んだ後に、少女がその丸くしていた瞳を半眼に細めて、呆れ口調で言う。


「なんじゃ。

 これだけ説明してもまだ納得せなんだか。

 頑固者を通り越して、ただの阿呆じゃのう。

 わしが人間の体でないことは、お主もすでに承知しておるな。

 ならばお主の常識など、もはや信に足るものではなかろう。

 第一、わしの言葉が嘘偽りならば、お主が地下の試験場で体験したことは何と説明する?」


「知らねえよ。

 特殊メイクだとか催眠だとかそんなんじゃねえのか?

 冷静に考えれば、テメエの首やら腕やらが取れたのも、トリックの類なんだろうと思えてきたぜ」


「やれやれ、また振り出しかえ?

 特殊メイクだとか催眠だとかトリックだとか、わしがなぜそんな手間暇を掛けてまで、お主を欺く必要があるというのじゃ?」


「だから知らねえよ。

 だが少なくとも、死霊魔術師だとか俺が死んでいるだとか、そんな突飛な話よりは、よほどそっちのほうが信憑性あるってことだ」


 自身の理屈が乱暴であることは、玲児も自覚していた。

 それでもやはり、ユリアの言葉はあまりにも、常識からかけ離れている。

 彼女が言うように、見ず知らずの彼女が玲児を欺く理由など思いつかない。

 だが全ての物事に理由が存在するわけではないだろう。

 それこそ一般人を笑いものにする、下らないテレビショーだという可能性も考えられる。


 否。

 これは理屈や可能性の問題ではない。

 仮にユリアの発言が、非常に的を射たものであろうと、玲児はそれを認めるわけにはいかない。

 認められるはずがなかった。


(俺がもう死んでいるなんて……納得できるはずがねえだろ)


 歯噛みしながら、玲児はそう思う。


「疑うのならば、自身の尻の穴でも確認するがいい。

 先も話したように、排泄を要さない人形に、尻の穴はない。

 それを見れば、お主が人形の体であることはすぐに分かるわ」


 ユリアからの指摘。

 確かに自身の体を確認すれば、彼女が真実を述べているか否かの答えを、容易に知ることができるだろう。

 彼女が偽りを述べていると確信しているなら、すぐにでもそれを確認して、その証拠を元に彼女を糾弾すればいい。


 だがユリアからの提案を、玲児は頭を振り一蹴した。


「……くだらねえ。

 んなことしなくても、俺は俺が人間であることを知ってる。

 テメエの口車に乗せられて、下半身さらして赤っ恥かくなんざごめんだね」


 これは体のいい言い訳であった。

 本当はただ、まだそれを確認する覚悟がないだけだ。

 ユリアの言葉を信じているわけではない。

 だが不可解なことが立て続けに起こっていることは事実だ。

 いずれ知ることであろうと、今はまだそれを先延ばしたかった。


 心臓の鼓動が早まるのを感じた。

 だが自身が人形ならば、心臓などないだろう。

 やはりユリアの言葉は偽りなのか。

 或いはその感覚自体が、幻覚に過ぎないのか。


 心内で渦巻く困惑と動揺。

 それを怒りの感情で無理やり抑え込み、ソファに腰掛けているユリアを鋭く見据える玲児。

 彼の敵意ある視線を受け、彼女が小さく肩をすくめる。


「困ったものじゃ。

 わしのようなオプションを、お主の体にもつけておけば良かったのう。

 自分の首が撥ね飛べば、さしものお主も認めざるを得なかったじゃろうて」


「勝手に言ってやがれ。

 とにかく、話がそれだけなら、俺は帰らせてもらうぞ」


 語気を強める玲児に――


「そうか。

 ならば仕方ないのう。

 気をつけて帰るが良いぞ」


 何ともあっさりと、ユリアはそう言った。


 ユリアのその反応に、てっきり引き留められると思っていた玲児は、怪訝に眉をひそめる。

 やはり彼女の言動は偽りであったのか。

 その疑いを強くした時――


 ユリアがおもむろに、懐から数枚のカードを取り出した。


「口で説明しても分からぬというのなら、その身に分からせるしかないからのう」


 そう独りごちて、ユリアが取り出した手のひら大のカードを、無造作にテーブルに放り投げた。

 ばさりと無数のカードがテーブルの上に散らばる。

 テーブルに放り出されたカードは、デザインが全て統一されており、片面が無地の白色、そしてその裏面には――


 円形を縁にした奇妙な文様が描かれていた。


「何だこれは?」


 カードに描かれている、まるで迷路のように線の入り組んだ文様を見て、眉根を寄せる玲児。

 困惑顔をする彼に、ユリアが唇の端を吊り上げて、応える。


「構成陣じゃ」


「こうせい……?」


「とどとのつまり、()()()()()じゃよ」


 そう言われたところで、玲児に理解できるはずもない。

 だがそれ以上の説明をする気などないのか、ユリアが玲児から視線を外し、右腕を高く振り上げた。

 そして――


 バンッと力強くテーブルを叩く。


 直後――


 バリッ!

 とカードから稲光が奔り、突風が部屋の中に吹き荒れた。


「――なっ……んだこりゃあああ!」


 突然の強風にバランスを崩しつつも、テーブルにバラまかれたカードを見つめる玲児。

 稲光を走らせているカードが、まるで焼け付くように赤い明滅を繰り返している。


 時間にして三秒。

 唐突にカードは沈黙し、部屋にまた静寂が戻る。


 何が起こったのか見当もつかず、呆然と目を瞬く玲児。

 立ち尽くしているその彼に、さも可笑しそうに碧い瞳を細めたユリアが、挑発的な口調で言う。


「何をボケっとしておる。

 帰るのではなかったのか?」


「……テメエ、何をしやがったんだ?」


 瞳を尖らせて尋ねる玲児に、ユリアがニヤリと含みのある笑みを浮かべる。


「わしの降霊術を用いて、この屋敷に無数の悪魔を放っておいた。

 どれも下級悪魔でたいした力などないが、数が集まればそれなりに厄介な存在じゃぞ」


「悪魔って……そんなの――」


「無論、お主は信じぬのじゃろう?」


 玲児の言葉を先読みし、ユリアが小さな肩をクイッとすくめる。


「ならば何の問題もないじゃろう?

 わしが召喚した悪魔は、お主が屋敷の外に出ようとするのを阻止するが、これもまたわしの妄言に違いない。

 お主は何の障害もなくただ単純に屋敷の外に出て、自分の家にスタコラと帰ればよいだけじゃよ」


「……」


「グズグズするでないわ。

 わしを妄言者とするならば、躊躇うことなどなかろう」


「……そんなハッタリで、俺がビビるとでも思ってんのかよ」


 玲児は大きく舌を鳴らすと、大股で部屋の扉へと近づいていく。

 ニヤニヤと笑みを浮かべているユリアを横切り、彼は扉の前に立つと、若干の躊躇いを挟んだ後、右手でドアノブを掴んだ。

 ドアノブを回して静かに扉を開ける。

 だが――


 やはり何も起こらない。


 多少の安堵から玲児は息を吐き、首だけを回してユリアに振り返る。


「んじゃあな、イカれた嬢ちゃん。

 もう会うこともねえだろうさ」


「うむ。

 達者でのう」


 あくまで余裕の態度を崩さないユリア。

 玲児はふんと鼻息を吐くと、開いた扉からゆうゆうと廊下に足を踏み出した。

 そして彼の全身が部屋から出た、その直後――


 まるでバネが弾けるように扉が自動的に閉まり、再び玲児を部屋の中に押し戻した。


「ぐぉおおおおおお!?」


 閉まる扉に押され、部屋に転がり戻る玲児。

 ゴロゴロと後転を繰り返して、仰向けで停止した彼に、ソファに腰掛けているユリアが、何とも穏やかな口調で話し掛けてくる。


「おや?

 もう会うこともないということじゃったが、早速出くわしてしもうたのう?」


「やかましいわ!」


 ユリアの皮肉を怒声で返し、ガバリと玲児は立ち上がった。

 扉を睨みつけてギリギリと歯ぎしりする玲児。

 その彼に、ユリアが分かりやすい嘲りの笑みを浮かべる。


「どうした?

 はよう、わしが妄言者だということを証明して見せてくれんか?」


「これからするところだ!

 くそったれ!

 建付けの悪い扉だ!

 こんなもん――」


 全力で駆け出し、玲児は扉に向けて蹴りを放った。

 自身が思ったよりも、遥かに容易に蹴破られた扉が、向かいの壁に激突して廊下に横倒しになる。


「よっしゃああああ!」


 勢いよく廊下に出る玲児。

 左右に伸びる廊下の奥に視線を投げ、どちらに玄関があるか推測する。

 左手はすぐに壁。

 右手は十数メートル先にまで廊下が続いている。

 向かうべきは右手だ。

 そう判断して、今まさに一歩足を踏み出そうとした、その時――


 突然に足元の床がせり上がり、玲児を天井へと押し上げた。


「ぬぅおおおおおおお!?」


 天井にぶつかる。

 そう考えた時には、すでに天井をぶち破り、二階の部屋に体を放り出されていた。

 ベンベンと二階の床をバウンドする玲児。

 天井の強度を考えれば、体の骨が粉々になっても良さそうだが、不思議と軽い痛みのみで、怪我はないようであった。


(体が人形だからか……いや違う!

 そんなことあるはずがねえ!)


 素早く体を起こし、部屋の中を見回す。

 どうやらそこは寝室のようで、天蓋が設けられたキングサイズのベッドと、その周りにこれでもかと、多様な人形が飾られていた。


 自身が飛び出してきた床の穴に、視線を向ける玲児。

 せり上がった廊下が床の穴に蓋をしてしまっているため、その穴から一階に降りることはできそうになかった。


「くそ……と……とんでもねえカラクリ屋敷だ!

 だがこんなもんに騙されねえぞ!」


 自分に言い聞かせるようにそう叫び、玲児は部屋の扉に向けて、駆け出そうとした。

 だが瞬間、玲児は脳裏に閃くものを感じて、咄嗟に身を後方に引いた。


 頭上から走り抜けた黒い影が、玲児の鼻先を掠めて床板を踏み砕く。


「――な!?」


 素早く後退して、頭上より現れた黒い影の正体を確認する。

 それは――


 身丈がせいぜい一メートルほどの、何とも愛らしい姿をした、クマのぬいぐるみだった。


 動くはずのないクマのぬいぐるみが、踏み砕いた床板から自身の足を引き抜く。


「……どうなってやがる?」


 ユリアの放った悪魔が、ぬいぐるみに憑依しているとでもいうのか。

 否。

 そんなことはあるはずがない。

 玲児は馬鹿な考えを捨て、ぬいぐるみを鋭く見据える。


「つまんねえ小細工ばかり使いやがって!

 ぶっ壊してやるから掛かって――」


 その言葉の途中で、クマのぬいぐるみがパカンと口を開けて、そこに自身の腕を深くねじ込んだ。

 ぽかんと目を丸くする玲児。

 ぬいぐるみが口にねじ込んだ腕を、ゆっくりと引き抜く。

 引き抜かれたぬいぐるみの手には――


 刃渡り六十センチほどの刀が握られていた。


「んな馬鹿な!?」


 玲児はそう叫びつつ、振り抜かれたぬいぐるみの白刃を、紙一重で躱していた。

 ぬいぐるみの動きは俊敏で、普通なら反応すらできないはずだが、これも降霊術による――


「だから――んなわけがねえだろう!」


 内心の呟きを全力で否定して、玲児はクマのぬいぐるみを蹴り上げた。

 天井や床を数度バウンドして、ぬいぐるみが仰向けに転がる。

 これで倒したのかは分からないが、動きだす気配もないため、玲児は素早く部屋の扉へと駆けていき、廊下に飛び出した。


 廊下に出てすぐ、玲児に向かって壺やら植木鉢やらが飛来してくる。


「こなくそがああ!」


 拳と蹴りを遮二無二に振るい、飛んできた壺や植木鉢を破壊する。

 廊下に散乱する陶器の破片。

 玲児はその欠片を踏みつけながら、廊下を全力で駆け出した。

 だがその直後に、廊下に敷かれていた絨毯がめくれ上がり、彼にグルグルと巻き付いてくる。


「しゃらくせええ!」


 両腕を広げて力任せに絨毯を引き千切り、また廊下を駆ける。

 下り階段を見つけ、玲児は足を階段に掛けようとした。

 だがその時、階段が大きく震える。

 そして――


 エスカレーターのように階段が動き始め、玲児を上へ上へと押し上げる。


「……地味だコラァアアアアア!」


 しばらく上っていくエスカレーターに歩調を合わせていた玲児だが、特にこれ以上何も起こりそうにないので、階段を踏み抜く勢いで一階に向けて駆け出した。

 仮にこれが悪魔の仕業というのなら、この階段に取り憑いた悪魔は、恐らく小心者なのだろう。


 そんな愚にもつかないことを考えていると、突然脳天に重い衝撃を受けた。

 ぐらりと足元が揺れるも、すぐに膝を曲げて踏ん張りを利かせる。

 視線だけを動かして頭上を見上げると、頭の上に直径一メートルほどのシャンデリアが乗っかっていた。


「殺す気か――くそが!」


 首を大きく振り、シャンデリアを振り落とす。

 その間も、ウィンウィンと二階へと静かに上るエスカレーター。

 その何とものんびりとした動きに、無性に苛立ちを覚える。


「この……階段テメエ、コラ!

 ちったあこのシャンデリアを見習いやがれ!」


 なぞの非難を上げて、玲児は階段を一気に駆け下りた。

 その直後、廊下に掛けられていた絵画が外れ、まるでブーメランのように回転しながら迫りくる。


 玲児は迫りくる絵画を冷静に観察すると、ぱっと空中で絵画を掴み取り、絵画をへし折って廊下に捨てた。

 そしてすぐに、ぴょんとジャンプする。

 それと同時、廊下に落とし穴が出現した。

 玲児は空中で壁を蹴って、落とし穴の縁にまで移動し、着地する。


 すぐに視線を巡らし玄関を確認。

 左手の奥に玄関らしき扉が見えた。

 床を蹴り駆け出す玲児。

 廊下を駆けている間も、壺やら植木鉢やら間接照明やら、はては台所から飛んできたのか、ナイフやフォーク、包丁までも玲児に向けて飛来してきた。

 だが玲児はそれを、破壊したり叩き落としたり躱したりと、駆ける速度を緩めずに対処する。


 玄関まであと五メートル。

 この調子ならば屋敷の外に出ることができる。

 そう考えていた矢先、玲児は玄関口に立っている一つの人影に、ふと気が付いた。


 それは少年であった。

 見た目の年齢は、ユリアよりも幼い十歳前後。

 黒い髪に黒い瞳。

 服装は緑のスーツで、少年の幼い顔立ちと相まって、七五三のような印象を受けた。


 その玄関口に立っている少年が、駆けてくる玲児に向けて、胸を張って声を上げる。


「貴様!

 何を屋敷の中で暴れているか!

 ここはこの俺、プラトン様が管理する神聖な場所だぞ!

 これ以上騒ぐというのなら、この俺が自ら貴様を処分――ぐぼはああ!」


 足を止められなかった玲児が、走る勢いそのままに、話の途中であった少年を蹴り飛ばす。

 少年が錐もみ状に回転しながら、玄関の扉をぶち抜いて、屋敷の外に放り出された。


 走る速度を緩めて、玲児は玄関から屋敷の外に出る。

 玄関近くにある階段の下で、うつ伏せに少年が倒れていた。

 ピクピクと痙攣している少年から視線を外し、玲児は頭上を見上げる。

 青い空に浮かぶ太陽。

 照り付ける光に瞳を細め、玲児は感慨深げに独りごちた。


「……勝った。

 俺は勝ったんだ」


「おいいいいいいい!

 俺の存在を無視するんじゃない!」


 階段の下で倒れていた少年が、ガバリと起き上がり抗議の声を上げた。

 その少年の反応に、玲児は「あん?」と怪訝に眉をひそめて、少年に尋ねる。


「もしかして、お前は人間なのか?

 例のクマのぬいぐるみや壺や何かと違って?」


「よく分からんが、どう見てもぬいぐるみでも壺でもないだろ!

 馬鹿なのか貴様!」


「んじゃあ、テメエは誰だよ?」


 特に訊きたいわけでもないが、会話の流れから、少年について尋ねてしまう。

 玲児の疑問に、少年が眉尻を吊り上げて、ふんと不機嫌そうに鼻息を吐く。


「無礼者の貴様なんぞに、誰が教えてやるものか。

 貴様には俺の名前を知る資格もない」


「名前はプラトンだろ?」


「まさかエスパーか貴様!

 本物ならば早急にサインを要求するぞ!」


「自分で言ってたじゃねえか。

 名前」


 なぜか興奮気味の少年――プラトンに、ひどく冷めた心地で指摘する玲児。

 彼の言葉に残念そうに肩を落とすプラトンだが、ふと何か気付いたように、ポンと手を打った。


「む?

 そうか。

 貴様が主の話していた、新入りというわけだな。

 よくよく考えてみれば、この屋敷には主と俺を除き、その新入りしかいないはず。

 つまりこれは自明だ」


「……新入りってなんだよ?」


 安易な推測を、回りくどく話すプラトンに、玲児はこめかみを掻きつつ――単純に痒かった――そう尋ねた。

 玲児の疑問に、プラトンが腰に手を当て、居丈高に口を開く。


「もちろん主――ユリア・シンプソン=ロクスバーグ殿の守護隷としてだ。

 なるほど。

 守護隷となれる栄誉に喜びのあまり、屋敷を発狂がてら駆けずり回ったというところか」


「全然違う……て、あ?

 てことは、テメエもあのユリアの守護隷ってことか?」


「そういうことだ。

 つまりこのプラトン様は貴様の先輩にあたるということだ。

 ということで、先程の非礼を詫びて、首をぐるりと一回転させてみると良いぞ」


 プラトンの世迷言は無視して、玲児は先程から気になっていることを、さらに尋ねる。


「それじゃあ、あの噴水の上あたりを飛んでいる変な奴も、守護隷ってやつか?」


「……む?」


 プラトンが怪訝な表情を見せる。

 庭園の中心に設けられた噴水場に指先を向ける玲児。

 その彼の指先を視線で追いかけ、プラトンがくるりと背後を振り返った。


 玲児とプラトンの視線の先。

 立派な噴水場のその頭上。

 そこに――


 漆黒の翼を生やした人間がいた。


 否。

 よく見ればそれは、人間の姿ではなかった。

 黒い服に見えていたものは、全身を覆う黒い体毛であり、頭部からは捻じれた二本の角が突き出している。

 腕や脚は奇妙なほど細長く、その指先には刃物のような鋭い爪が生えていた。


 噴水の上を飛んでいるそれは、地下にいたヤギの頭部をした怪物に、近い雰囲気を湛えていた。

 ユリア曰く、その怪物は降霊術により召喚した、下級悪魔だということだが。


「……いや、あれは俺も知らん。

 誰だ?」


 噴水の上で翼を羽ばたかせる怪物。

 それを見上げて、訝しげに首を傾げるプラトン。

 少年のその疑問に応えるように、怪物が頬まで裂けた口をゆっくりと開いた。


「……確かに感じた……死霊魔術師ユリア・シンプソン=ロクスバーグの気配……」


 潰れた声でそう話した怪物が――


「ここに『悪魔狩りの魔女(デーモン・リッパー)』がいるな」


 裂けた口に笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ