怒髪衝天のメイド6
「わざわざお越しいただいて、申し訳ありません。
ご連絡いただければ、こちらから屋敷をお訪ね致しましたのに」
「気遣いは無用じゃ。
わしは礼儀をわきまえているでのう、世話になった者には平身低頭の姿勢を心掛けておる。
ところでこの茶はまずいぞ。
もっとうまいものを寄こさんか」
低姿勢でそう要求するユリア。
テーブルを挟み向かいのソファに座ったキリウが、「それしか茶葉がないんです。
申し訳ありません」と頭を下げた。
黒髪を肩口で切り揃えた五十代男性。
年齢の割には顔付きが幼く、三十代前半だと言われても不思議には思わないだろう。
白のワイシャツにグレーのズボンとラフな格好で、ストライプのネクタイは巻かずに、ただ首に掛けていた。
死霊魔術協会横浜支部局局長、志田桐生。
名の知れた死霊魔術師にして――
ユリアの弟子でもある。
「しかし、大変だったのではないですか?」
キリウがちらりと視線を上げ、再びユリアに視線を戻す。
「何がじゃ?」とすっとぼけるユリアに、キリウが「分かっているでしょ?」と苦笑を浮かべた。
「死霊魔術師の中には……特に若い世代は、先生をただの狂人だと考えている者も少なくありません。
そんな先生が協会を訪れれば、騒ぎが起こるのは目に見えていたはずです」
「わしと師弟の関係あると、協会にバレることが恐ろしいか?」
「まさか……私は貴方が師であることを隠すつもりはありませんよ。
もちろん、進んで吹聴するつもりもありませんが、私が気にしているのは先生の安否だけです」
「それこそ要らぬ気遣いじゃ。
そのような些事の対処は、守護隷に押し付けておるでな」
ユリアの言葉が意外だったのか、キリウが「ほう」と目をぱちくりと瞬かせる。
「守護隷とはいえ、先生が誰かを信頼するのは珍しいですね。
それほど優秀ですか?」
「出来損ないじゃ。
だがからかい甲斐はある」
訝しげに眉をひそめるキリウ。
ユリアの言葉に困惑しているのだろう。
だがそれ以上、この話を深掘りするつもりはなく、ユリアは不味い茶を一口だけ口に含む。
気を取り直したキリウが、会話を再開させる。
「新居の居心地はどうですか?」
「悪くない。
良い業者を紹介してくれて、感謝しておるぞ」
「それは良かった。
それでベルリンにある住まいのほうは、やはり予定通り?」
「うむ。
すでに取り壊しておる」
「そこにあった、先生の研究資料も?」
「九割九分、処分した」
「残り一分は?」
「新居に移した。
何に使うわけではないが、ちょっとした思い出の品としてな」
ユリアの答えに、キリウが「……そうですか」と眉間に皺を寄せた。
「でしたら……お気を付けください。
ほんの一部とはいえ、先生の研究資料を欲しがる死霊魔術師は大勢います。
ここ日本では、厳重な警備を敷いていたベルリンとは勝手が違いますからね。
この機会にと、悪巧みを巡らす者がいないとも限りませんよ」
「お主がそうであるようにか?」
「……或いは、そのぐらい警戒していたほうが、良いかも知れませんね」
ニコリと微笑むキリウ。
その邪気のない笑みに、ユリアもまたニヤリと唇を曲げ――
挑発するように笑った。
==============================
瞬間的に赤い炎に包まれた左腕。
咄嗟に顔面を左腕で庇わなければ、頭部が炎にくるまれていただろう。
玲児はそんなことを冷静に考えながら――
自身の左腕を肩口から捻じり切った。
「――ぐっ!」
脳裏に走る激痛。
玲児は苦悶に表情を歪めつつ、燃え上がった左腕を放り投げた。
床に転がった左腕が、炎に焼かれて瞬く間に黒く炭化していく。
明らかに通常の炎よりも燃焼速度が速い。
玲児は奥歯をギリリと噛みしめ、おかっぱ少女を鋭く睨みつけた。
床に倒れていた少女が、ことさらのんびりと立ち上がる。
「……炎がテメエの魔術か?」
「……」
沈黙する少女。
自身の手の内を明かすほど馬鹿ではないらしい。
目尻の垂れた少女の気だるげな瞳。
その左右で色が異なるオッドアイの、左の赤い瞳に――
濃厚な殺意が灯る。
横に身を躱す玲児。
直後、一瞬前まで玲児のいた空間に炎が出現した。
ガソリンでも吹き付けられたように荒れ狂う炎に、玲児は鳥肌を立てつつ、冷静に分析する。
(あの赤い左目で見るだけで、好きな場所に炎を出せる魔術ってか?)
他に細かい条件などあるかも知れないが、大筋でそう判断して構わないだろう。
とどのつまり、彼女の左目に映る景色のその全てが、玲児を瞬時に殺せる領域ということだ。
(くそ!
こんなこと――)
少女の赤い瞳が、身を躱した玲児を追随する。
玲児は全速力で部屋を駆け回り、少女の赤い瞳から逃れようと試みた。
だがしかし、広い部屋とはいえ密閉されたその場所で、少女の視線から逃れ続けることは、難儀なことであった。
というよりも――
(無理ゲーだろ!?)
うなじを撫でた炎に背筋を凍らせて、玲児はそれを苦々しく認めた。
身動きをせずに、赤い視線で空間をなぞるだけの少女。
それに比べて、こちらの運動量は遥かに大きい。
このままではいずれ体力も突き、彼女の視線に捕まるだろう。
(どうする?
どうする?)
逃げ回りながらも、足りない頭で打開策を思案する玲児。
だがそれを考える時間的余裕など、どこにもなかった。
少女の赤い視線から闇雲に逃げ回っているうちに、いつの間にか燃え盛る赤い炎の壁が、彼の周囲を取り囲んでいたのだ。
「冗談だろ!?」
炎の壁に逃げ道を塞がれて、玲児は駆ける足を咄嗟に止める。
炎の壁に姿が隠れているためか、少女の赤い視線が玲児を瞬時に焼き払うことはなかった。
だがじりじりと迫りくる炎の壁を見る限り、いずれは炎の餌食になるだろうことは容易に知れた。
「……もうおしまい」
炎の壁の奥から、やる気のない少女の声が聞こえた。
その淡々とした口ぶりに、苛立たしく瞳を尖らせる玲児。
だが幾ら炎を睨もうとも、打開策など浮かんではこない。
仮にこれが通常の炎ならば、思い切って飛び込んでも良いだろう。
だがこのような、燃焼物のないコンクリートに囲まれた部屋で、鎮火することなく燃え続けていることから、この炎が通常のそれとは異なる、決して消えない炎であることが分かる。
そんな炎に無闇に飛び込んだりして、体のどこかに引火でもすれば、仮におかっぱ少女を倒すことができても、玲児が火だるまになることは、避けられないはずだ。
「こんな……クソ……クソったれ!」
口汚く毒づきながら、玲児は拳を握りしめた。
迫りくる死の気配。
炙られた肌から滲む汗。
玲児は歯をギリギリと鳴らすと、口惜しく呻いた。
「きたねえぞ……こんなの――」
「きたない?」
少女の声が炎の奥から鳴る。
若干の沈黙を挟み、少女から疑問が投げられる。
「何がきたない?
自分が負けるから?」
少女のその問いに、玲児は頭を振る。
「……そんなんじゃねえよ」
玲児の返答に、炎の奥にある少女の気配に困惑が混じる。
玲児は、徐々に迫りくる炎など気にも留めず、ただただ理不尽なこの事実に嘆きの声を上げた。
「何だってテメエは『炎』なんて、ド定番でそれっぽい魔術だってのに、俺の魔術はただの馬鹿力ってだけなんだ!
こんなの納得できるわけねえだろうがああああ!」
玲児の叫びに――シンッと場が凍るのが分かった。
炎に炙られて全身から汗が滲んでいるというのに、心なしか肌寒さを感じる。
少女の嘆息が聞こえた。
五秒ほどの間を空けて、少女が呆れた声で呟く。
「……死んで」
だがその直後――
「はいストップ!
ここまでにしてよ、キシリアちゃん!」
聞き覚えのない男の声が部屋に響いた。
そして少女の声に狼狽の色が混ざる。
「……キリウ……どうして?」
キリウ?
確かそれは、ユリアが会いたがっていた、男の名前だ。
炎の壁に隠れて見えないが、少女がいるだろう方角から、キリウなる男の声が聞こえてくる。
「この人は殺しちゃ駄目だよ。
私の先生の大切な守護隷だからね。
ほら早く炎を消して。
彼が丸焦げになっちゃったら、ユリア先生に私が丸焦げにされちゃうよ」
「……分かった」
そんな少女とキリウの会話の後、周囲に猛っていた炎が、ふっと消失する。
映画などで場面が切り替わるように、あまりにもあっけなく消失した炎に、先程まで肌を炙っていた炎が、ただの幻だったのではないかと、思えてしまうほどだった。
猫耳に猫の尻尾、アイドル的な衣装に身を包んだ、おかっぱ頭の少女。
左の瞳に輝く赤い視線で、玲児を焼き殺そうとしたその少女の隣に、見覚えのない男が立っていた。
黒髪を肩口で切り揃えた中年男性。
その男が、玲児に柔らかい微笑みを浮かべる。
「初めまして。
私は志田桐生。
横浜支部局の局長を務めさせてもらっている。
君はユリア先生の守護隷だよね?
怖い思いをさせて申し訳なかったね」
「ユリア……先生だあ?」
首を傾げる玲児に、中年男性――志田が一度目を瞬かせ、すぐに「ああ」と頷く。
「彼女から聞いていないのか。
彼女は私にとって師にあたる人でね。
今の彼女の姿からは想像しにくいと思うが、かれこれ三十年以上前から彼女に師事している」
そう淡々と話をする志田に、玲児は視線をキョロキョロと回し、怪訝に尋ねる。
「……んで、そのユリアはどこにいんだよ。
アンタに会いに行ったんじゃねえのか?」
「ああ……先生ね」
玲児の疑問に、表情を渋くさせる志田。
眉をしかめる玲児に、彼が躊躇いがちに言う。
「実は先生から、君に伝言を預かっていてね」
「伝言?」
「えっと……『メイド達が騒がしいから、自分は緊急避難用の出口から先に帰っている。
お前も詰まらない用事など片付けて、さっさと帰ってこい』とのことだよ」
志田から伝えられたユリアの言葉に、玲児は頬を引きつらせる。
「あの……クソ野郎」
「ははは……彼女らしいけどね。
君も帰るときは、緊急避難用の出口を使うと良いよ。
この地下二階までは喫茶店の子達も追ってはこないけど、上に戻ったらまた大変だろ?」
もはや怒るのも疲れた。
がっくりと肩を落として顔を俯かせる玲児。
ユリアと出会ってまだ三日目だが、彼女に振り回されることに早くも慣れ始めている自分がいた。
玲児の消沈した姿を見たから、志田が取り繕うように言葉を続けた。
「先生に悪気は……まあないわけじゃないんだろうけど、君を信頼しているからこそ、先生も好き勝手に振る舞っているんだと、私は思うよ。
それに悪魔は普通、退治されてもおかしくない存在なんだし、彼女の守護隷になれたことを感謝しないと」
「んなふうに考えられるか。
そもそも俺は悪魔じゃなくて人間だ。
人間でユリアの守護霊をやらされてんだよ。
そんな俺が、どうしてユリアに感謝しなきゃならねえんだ」
玲児のこの反論に、志田がきょとんと目を瞬かせ、怪訝に眉をひそめる。
「ん?
ちょっと待ってよ。
君は悪魔だろ?
人間って何?」
この志田の反応に、今度は玲児のほうが、怪訝に眉をひそめる。
「何って言われてもな……俺はもともと人間だよ。
下陰玲児って名前もある。
どうして死んじまったのかは思い出せねえけど、人間の俺をユリアが守護隷にしたんだ」
そう玲児は説明するも、それに納得できないのか、志田が困惑顔のまま頭を振る。
「そんなわけないだろ?
私達のような死霊魔術師や悪魔……あと退魔師なら、人間の魂と悪魔の魂を見間違えたりなどしないよ。
君の魂は間違いなく――悪魔のものだ」
そう至極当然のように断言する志田に――
玲児の背中がゾクリと冷える。
思い出す。
昨日、参拝した神社で出会った退魔師の女性。
玲児を見るなり彼女は、開口一番に『悪魔』という言葉を口にした。
玲児はそれを聞き間違い、あるいは罵りの言葉だろうと解釈していたのだが、退魔師にその真意を確認してはいない。
そして今日。
志田の隣に立っているおかっぱ頭の少女。
この少女もまた、玲児を差して『悪魔』という言葉を述べた。
果たして彼女はそれをどのような意図で使用したのか。
二人の少女が玲児に向けた『悪魔』という言葉。
彼女達はその言葉を――
そのままの意味で使用していたのだろうか。
「だが名前があるのは確かに奇妙だ……人間だというなら家族に連絡したことある?」
連絡をしたことはない。
そもそも住所すら覚えていない。
家族と過ごした日々があるのに、重要なところだけが、すっぽりと記憶から抜け落ちている。
下陰玲児が人間であることを示す情報だけが――
まるで意図したように存在しない。
(俺は……自分が下陰玲児だということを……証明することができない)
口を閉ざして沈黙する玲児。
表情を蒼白にした彼に、志田も口を閉ざして沈黙した。
志田とおかっぱ少女が視線を交わし合う。
二人の間でどのような意思疎通が図られたのか、玲児には分からない。
だが何かしらの決断が下されたのだろう。
呆然とする玲児に向けて、志田が柔和な微笑みを浮かべた。
「もし良かったら、少しだけ君の話を聞かせてもらえないかな?
私はこれでも死霊魔術については詳しいからね。
君が知りたいことを、教えることができるかも知れない」
その志田の言葉に――
玲児は力なく頷いた。




