怒髪衝天のメイド2
「お疲れ様です。
今朝も沢山の悪魔が来たようで大変でしたね。
リビングに朝食の準備をしておきましたので、顔を洗って着替えをしたら、召し上がってくださいね」
一通りの悪魔を退治し終わり、屋敷の中に戻った玲児とプラトンに、玄関を偶然通りかかったフィリナが、そう声を掛けてきた。
彼女の腕に抱えられた洗濯物の山を眺めながら――別に彼女の下着を探していたわけではない――、玲児は大きく欠伸する。
「助かる。
しかしクソ悪魔どもが……昨日といい今日といい、何だって朝っぱらに襲撃を仕掛けてくるかね。
テメエらが朝型の生活なのか知らねえが、こっちの都合も――」
「あああ!
朝っぱらだなんて!
つまり寝起き!
ひいては就寝!
イコール、大人の時間!
詰まるところ……セッ――いい……いけません、レイジさん!
朝からはしたない言葉を使っては――はっ!
朝から!?
つまり寝起き!
ひいては――」
「おーい、ループしているぞ」
顔を赤くしたフィリナに、適当にツッコミを入れる玲児。
するとここで、脳天に漫画のような大きなこぶを付けたプラトンが、「ふふん」と自信に満ちた笑みを浮かべた。
「泣き言をいうとは情けない奴だ。
いっそ貴様の代わりに俺が悪魔退治をしてやろうか?
塀の上に現れた悪魔を華麗に倒した俺の必殺技――『錐もみ回転頭突き』でな」
塀の上に現れた悪魔は、玲児に投げ飛ばされたプラトンの石頭により倒された。
てっきり、乱暴に投げ飛ばされて憤慨していると思いきや、意外にも上機嫌なプラトン。
技名までつけて、初めて悪魔を倒した――のだろう多分――余韻に、気持ちよく浸っている。
何にしろ、グチグチと文句を言われないのならば、面倒がなくて良い。
少年の脳天にあるコブも、少年の魔術を用いれば、治療することができるだろう。
玲児はそう考えると、もう一度大きく欠伸をして、ようやく暴走が鎮火したフィリナに、笑い掛ける。
「フィリナの料理はうめえからな、つい食べ過ぎちまうから気を付けねえと」
「本当ですか?
ありがとうございます。
お世辞だとしても嬉しいです」
フィリナがニコリと微笑む。
もちろん、玲児はお世辞を言ったつもりなどない。
昨夜に出されたフィリナの料理はどれもが絶品で、箸を動かす手が止まらなかったのだ。
人形に魂を憑依させている玲児は、本来であれば飲食による栄養補給が不要だ。
食べるという行為自体は可能だが、玲児にとってそれはあくまで、嗜好品の類に過ぎない。
食事が不要ということは、必然的に空腹を覚えることもない。
生前と比べて、食事に対する執着が薄れたような気さえして、昨夜の食事も純粋に楽しめるのか不安があった。
だがそれは杞憂に過ぎなかった。
生命の維持とは関係なく、味のみに意識を傾けることができる今の食事も、決して悪いものではない。
フィリアが用意した数々の料理に、舌を唸らせながら、玲児はそれを実感した。
唯一の問題点は、食事に歯止めが利かないということだ。
空腹を覚えないということは、満腹を覚えないということでもある。
食材も無尽蔵ではないため、どこかで食事を切り上げなければならないが、フィリナの料理を前にして、それは難儀なことであった。
何にせよ、玲児にとってフィリナの作る料理は、この死後生活における楽しみの一つとなっていた。
朝食を前に気分を弾ませる玲児に、フィリナが僅かに眉を落とす。
「しかし、期待して頂いて申し訳ありませんが、朝食は軽いものをと思い、サンドイッチを用意させて頂きました。
ガッカリされたら申し訳ありません」
「ガッカリなんてしねえよ。
フィリナのサンドイッチなら、美味いに違いねえからな」
本心でそう返す玲児に、フィリナが小さく首を傾げ、眉間に皺を寄せる。
「それならいいのですが……サンドイッチなんて誰が作っても、対して変わりませんよ」
「んなことねえさ」
玲児はそう断言して、ふと生前の記憶を思い出し、表情を渋くさせる。
「妹が作ったサンドイッチなんて、酷いもんだったぜ?
中身の具材はほとんどはみ出しているし、そもそも具材が切られてなくて、トマトがヘタ付きで挟んであったりよ」
「それは……豪快なサンドイッチですね」
明らかに言葉を選んだフィリナ。
玲児は溜息を吐いて、肩をすくめる。
「ただガサツなだけだ。
梨々花の奴はいつもそうなんだよ。
世話焼きのくせしやがって、やることなすこと適当でな、俺が怪我した時も、治療してやるだなんて言ってよ――」
それからしばらく玲児は、ブチブチと妹の愚痴をこぼし続けた。
いかに妹が厄介者であるか。
いかに自分が迷惑をこうむられたか。
事細かくフィリナに説明してやる。
一分ほど話しただろうか。
それまで彼の愚痴を黙って聞いていたフィリナが、突然、クスッと吹き出すように笑った。
彼女の笑う理由が分からず、きょとんと目を瞬かせる玲児。
疑問符を浮かべる彼に、フィリナが「すみません」と謝罪し、微笑みを浮かべる。
「仲が宜しいようで、うらやましいと思いましてね」
「……今の俺の話で、どこをどう解釈するとそうなるんだよ」
「私にはそうとしか解釈できませんでしたよ」
微笑みを崩さず、そうきっぱりと言い切るフィリナ。
彼女の断言口調に、途端にバツの悪さを感じた玲児は、「ちっ」と軽く舌打ちをして、話題をさらりと切り替える。
「……そういや、プラトンやフィリナの生前の話は聞いたことなかったな。
名前からすると日本人じゃねえんだろうけど……出身地とか家族はどんな感じなんだ」
玲児としては当たり障りのない質問のつもりであった。
だが彼のこの疑問に対して、プラトンとフィリナが思いがけない反応を返してくる。
玲児の疑問に対して、まるで意味が分からないというように、二人がただただ目を丸くしたのだ。
二人のその反応に、玲児もまた目を丸くして、困惑顔で尋ねる。
「あん?
何か俺、変なこと言ったか?」
「変というより……もしかしてレイジさんは知らなかったのですか?」
眉根を寄せる玲児。
プラトンがまた無駄に胸を張り、玲児の疑問に答えた。
「俺達に生前などない。
よって、貴様の質問はナンセンスなものだ」
「は?
生前がないってどういうことだよ?」
困惑を顕わにする玲児に、フィリナが「えっと……」と目を瞬かせる。
「私達二人の魂は、ユリア様の手により人工的に造られたものです。
私達にとって初めて得た体は今の体であり、ゆえに生前という概念自体が、存在しません」
「人工的に造られた魂?」
フィリナの言葉を唖然と繰り返す玲児。
プラトンとフィリナを交互に見やり、彼は混乱する頭を必死にまとめながら、率直な疑問を口にする。
「……人工的な魂って……魂なんてそんな簡単に造れるもんなのかよ?」
「簡単ではありません。
恐らく死霊魔術師でもそれができるのは、ユリア様を含めてほんの一握りでしょう。
それに、技術的なこともそうですが倫理的な問題として――」
そこでフィリナが言い淀む。
彼女が見せた躊躇いに首を傾げる玲児。
フィリナが何かを振り払うように頭を振り、改めて言葉を続ける。
「何にせよ、難しい術法であるということです。
分かりやすく言えば、人工知能みたいなものでしょうか。
その基盤となる技術が、科学なのか死霊魔術なのかの違いだけで」
「人工知能……か」
それならば何となく理解できる。
もちろん技術的なことはさっぱりだが、人工知能という存在については、玲児も映画やニュースなどで耳にしたことぐらいはあった。
「それじゃあ……二人の記憶とか性格とか、そういったものも造られたものなのか?」
「そうなるな。
ユリア殿により事前入力されたものになる。
ゆえに俺達は、日本語を流暢に話せるし、基本的な社会常識も持ち合わせているということだ」
そう誇らしげに話すプラトンだが、これまでの様子を見る限り、二人が社会常識を正しく持っているとは、玲児には思えなかった。
プラトンは自己主張が強すぎるし、フィリナは妄想癖と暴走癖がある。
以前にもフィリナを見ていて感じたことだが、二人のこの性格では一般社会をまともに過ごしていくことは、難しいだろう。
だが彼らが、生前のない人工的な魂というのなら、玲児が抱いていたその懸念も解消される。
そういった意味では、二人が話した内容は腑に落ちるものでもあるのだが――
その代わりに大きな疑問が生じる。
ユリア・シンプソン=ロクスバーグ。
その死霊魔術師が使役する三体の守護隷。
そのうちの二体が人工的な魂により生み出された。
だとするならば――
(どうして俺だけが……人間なんだ?)
何か理由があるのか。
それとも、特に理由などないのか。
気にするほどのことでもないかも知れないが、喉に刺さった小骨のように、その疑問が頭にこびりついて離れない。
(……ちっ、まあいい。
後でユリアにでも確認すればいいことだしな)
一旦はその疑問を脇に置き、玲児は「なるほどな」と一つ頷いて見せる。
「つまり、二人には兄妹も家族もいねえってことか。
それはちと、寂しいもんだな」
「どうでしょうか?
元々いないとなれば、それが寂しいかどうかも分かりませんね」
そう話すフィリナの表情に、特に強がっている様子は見られない。
恐らく、彼女はそれを本心で語っているのだろう。
玲児なりに気を遣ったのだが、どうやら無用な心配であったらしい。
若干拍子抜けする彼に、フィリナが「それよりも」と青い瞳を瞬かせる。
「レイジさんこそ寂しくはないのですか?」
「俺が?」
自身を指差す玲児に、フィリナがこくりと頷く。
「こうして死後の生活を手に入れたのですから、家族に会いたいと考えないのですか?」
「ああ……どうだろうな。
どっちにせよ、死人が家に帰るわけにもいかねえしな」
「ですが、遠目から眺める分には良いんじゃないですか?
ユリア様も多少の外出ならば許して下さると思いますよ。
まあ遠出ともなれば難しいでしょうけど……」
ここでフィリナがおもむろに尋ねてくる。
「ところで玲児さんの実家は、どこなのですか?
この近くなのでしょうか?」
「実家の……場所?」
なぜか疑問形になる玲児に、小さく首を傾げるフィリナ。
その彼女から視線を逸らして、玲児は口を閉ざした。
自身の実家。
そのようなもの考えるまでもない。
思案する必要すらなく、自然と口を突いて出る、基本的な個人情報であるはずだ。
だが――
玲児はそれを答えることができなかった。
(何だこりゃ……実家がどこにあるのか……どうしてそんなことも思い出せねえんだ?)
ただ単純にど忘れしてしまったのか。
だがそのような感覚とも違う気がする。
曖昧な記憶を手繰り寄せるというよりも、初めからその記憶自体が、存在しない感覚。
下陰玲児として生きた十七年間もの記憶。
それが確かにあるというのに、そのとある一部分だけが虫に食われたように抜け落ちている、悪寒を伴う喪失感。
この感覚は以前にも経験したことがある。
ユリアの守護隷として、玲児が屋敷の地下で目覚めた時。
当時の彼は、どうして自分がこんな場所で眠っているのかを疑問に感じ、意識を失う直前の記憶を探ろうとした。
だが幾ら記憶を探ろうとしても――
まるで闇雲に虚空を掴もうとするかのように、何の手ごたえも感じられなかった。
(そうだ……そもそも俺は、自分がどうやって死んだのかも分かっちゃいねえんだ)
いつの間にか、当然のように死を受け入れていたが、自身がどのような経緯で死亡に至ったのかを理解していなかった。
立て続けに起こる非日常の数々。
その対処に気を取られ、そんな当たり前の疑問を考えることすら、忘れていた。
自分はどこで暮らしていたのか。
自分はどうやって死んだのか。
なぜ記憶が不完全なのか。
なぜ記憶が欠落しているか。
そもそも存在する記憶自体が――
本当に正しいものなのか。
「何をこんなところで、立ち話をしておるんじゃ?
お主らは」
ここで少女の声が聞こえてくる。
玲児はハッとすると、思考を中断して廊下の奥に目線をやった。
金髪を縦巻きにした少女が、廊下を歩いてこちらへと近づいてくる。
「ユリア様。
申し訳ありません。
少し話をするつもりが、思ったより長くなってしまい」
金髪の少女――ユリアに、フィリナが頭を下げる。
律儀に謝罪するフィリナに、ユリアが「別に謝るようなことではないぞ」と立ち止まり、玲児に視線を向けた。
「だが丁度良い……レイジ。
さっさと着替えを済ませてしまえ。
出掛けるぞ」
「出掛けるって……んな話、聞いてねえぞ?」
「話しておらんからな」
悪びれる様子もなく、肩をすくめるユリア。
少々イラっとするも、こんなことでユリアに怒っていてはキリもないので、玲児は軽い舌打ちだけして、少女に尋ねる。
「……どこに出掛けるつもりだよ?」
「目的地は、わしら死霊魔術師にとって唯一の拠り所といえる――」
ユリアが桜色の唇をニヤリと曲げた。
「死霊魔術協会じゃ」




