第79話 秘めた想い
辺りを満たす雨音の中、トン吉のポツポツとした言葉が続く。寒いからなのか、その小さな身体が小刻みに震えていた。
「それが……あるとき、ポッと空に窓みたいなのが浮かびあがったんであります。吾輩驚いて、ずっとずっと見入ってたです。久しぶりに見た、黒じゃない色……灰色で覆われていて……今思うと、あれは雨空だったように思うであります。驚いてじっと見てたら、そのうち声も聞こえて」
「声?」
タケトの言葉に、トン吉は頷く。
「その声であります。ご主人の。その声」
「え? 俺の?」
「なんだか、雨の中で何度も精霊銃を使ってました。ご主人が魔石を銃に込める度に、そこから漏れた精霊の力が吾輩にも入ってきたです。たぶん、そのおかげで吾輩もこうやって実体を取り戻せたのかもしれないであります」
雨の中で精霊銃を何度も使ったというと、記憶にあるのは砂クジラのときぐらいだろうか。そのときこの精霊銃の中でそんなことが起こっていただなんて、まったく知らなかった。
「ご主人の前にも、その精霊銃を使う人は、いないわけじゃなかったであります。ときどきモソモソと声が聞こえてきたりはしてましたから。でも、こんなに何度も何度も頻繁に使ってくれたのは、ご主人がはじめてなんであります。おかげで、吾輩は力を溜めてこうやって外に出ることもできるようになったです」
精霊銃を使えば使うほど、この奇妙な魔物にエネルギーを補充することにもなっていたようだ。
トン吉は頭を起こすと、そのつぶらな瞳で膝の上からタケトを見上げた。
「だから。吾輩は、何をしても……どんだけへりくだっても、この雨空を失わないようにしようと心に決めたであります。そのためには、何でもするであります! だってもう、真っ暗な中に一人でいるのは、……もう、嫌だから……」
ぐしゃっとトン吉は双眸を歪める。
タケトはそれを、しばらくじっと眺めていた。眺めながらも心の中でトン吉の言葉を反芻し、その真偽を検証しようとしてしまうのは元刑事としての職業病なのだろうか。トン吉は、全てを話してくれたわけじゃないかもしれない。でも少なくとも、その言葉に嘘はないようにも感じられた。
(本当に自分が何者なのかも、わからないのか……弱ったなぁ)
ということは、トン吉の正体を探るのがさらに難しくなったということだ。生まれたときからこの精霊銃の中にいるのか、それとも後天的に誰かに封じられたのか、それすらわからないらしい。
わかったことといえば、トン吉の復活を助けたのは紛れもなくタケト自身だったということ。知らなかったこととはいえ、自分が精霊銃を使うことがトン吉に力を与えていたという事実は変わらない。
「だから……どうか、吾輩を捨てないで……。その銃を廃棄しないでほしいであります」
そもそも、こんな小さな毛玉にそんな泣き顔で縋られたら、タケトが無碍にできるわけがない。
「ああ、もう。廃棄なんて、しないから。だから、そんな顔すんなよ」
この精霊銃を使うのやめようかどうしようか迷ったことはあったけれど、それは言わないでおいた。
タケトはトン吉を抱いて、よっこらしょと立ちあがった。
「ほら。帰ろう。シャンテも心配してる。腹も減ったろ?」
そうタケトが言うと、胸の中でトン吉がコクンと頷いた。いつのまにか震えは止まっていた。冷え切ってはいるが、それでもじんわりとした温かさが抱いた腕に伝わってくる。トン吉が何者なのかいまだに判然としていないが、少なくとも自分たちに敵意があるわけでもなさそうだ。なら、いまはそれだけわかれば充分なのかもしれない。
「……と。ここどこだっけ」
無我夢中でトン吉を追ってきたので、一体ここがどこなのかさっぱりわからずタケトはキョロキョロと辺りを見回した。
雨煙に霞んで視界が悪いが、目を凝らすと離れたところに灯りがポツポツと見えた。
「あ、食堂はあっちか。ということは……え?」
食堂の位置関係、自分が走ってきた方向などを頭の中に浮べた地図に落とし込んで、ようやく自分がどこにいるのか理解した。そしてその事実に、驚く。
「……じゃあ、ここって」
おそるおそる後ろを向くと、ほんの数メートル先にあの壊れた老ゴーレムの巨体があった。
ここは、思いっきりゴーレムの攻撃範囲真っただ中だったのだ。
「……ゴーレム!」
タケトは思わず、一歩後ずさる。
雨が降りしきる中、霞んだ大地にくったりと力なく座り込んだ老ゴーレム。その片目に爛とした赤い光が灯っている。その目がこちらを見ていた。その目と目があったまま、タケトは動けなくなる。
(やばい……こんな近くで襲われたら……)
逃げ切れるわけがない。あっという間に追いつかれて踏みつぶされる。
その目に睨まれて、すくんでしまい逃げることもできず、老ゴーレムを凝視したままごくりと生唾を飲み込んだ。
と、そのとき。腕の中にいたトン吉がピョンと地面に飛び降りた。
「あ、こ、こら……!」
屈んで捕まえようと手を伸ばすが、それよりも早くトン吉は短い四肢で雨に濡れた地面を蹴って、転がるように老ゴーレムの方へと走っていった。
そして、老ゴーレムの膝の上にピョンと飛び乗る。
トン吉がゴーレムに潰されてしまう!
そうタケトは焦ったが、タケトの予想に反して老ゴーレムは赤い爛とした片目で膝の上の小さなトン吉を見下ろしたまま、それ以上動かなかった。
トン吉は恐れも知らず、膝の上から老ゴーレムに声をかける。
「なんで、そんなに無理するでありますか? 無理してでも、譲れないものがあるんでありますか? 吾輩が雨空を見て心沸き立つように。お前にも、何か。老体を鞭打ってでも動かずにはいられないものがあるんでありますか?」
老ゴーレムはしばらく目を赤く爛とさせたまま身動き一つさせずトン吉を見ていたようだったが、やがてフツッと目の光が掻き消えた。目の光が消えてしまうと、それはもう、単なる小岩の山と変わりはなかった。
トン吉はタケトの元へと戻ってくると、ぴょんと自分からタケトの胸に飛び込んできた。それを受け止めて、タケトはそっと老ゴーレムの傍をあとにする。
後ろから襲ってきたらどうしようと少し心配になったが、老ゴーレムが動き出すようなことはなかった。
「アレは、もうとっくに寿命が来てるであります。動くのが不思議なくらいなのです。生命の力がほとんど感じられないでありますから」
「そっか……」
寿命が尽きかけている老ゴーレム。それが命令権者の命令に背いてでも、自分の生命としての理を破ってでも。
「譲れないもの……か」
よくよく考えてみると、あの老ゴーレムはずっとあの場所にいる。反撃のために追いかけてくることはあっても、ある一線を越えて遠くへ逃げると追ってはこないようだった。
ということは、老ゴーレムには人を攻撃する意図はなく、単にあの辺りに人間が近寄ることを拒絶しているだけなのかもしれない。
なぜ、あの場所に人を近づけたくないのだろう?
「それがわかったら、お互い納得できる解決策が見つかるかも、なんだけどなぁ」
食堂に戻ると、雨と泥でドロドロになったタケトとトン吉を、シャンテと食堂の女将さんがお湯をたっぷり沸かして待ってくれていた。




