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第33話 さあ、行こう


 身体は水に沈んでいく。もう、これが夢なのか走馬灯なのか妄想なのか。それとも現実なのか。

 タケトには判断できなくなっていた。


『お前はよっぽど死にたいらしいな。人間よ。なぜ、そこまでする』


 そう声が問いかけてきた。


(そんなこと言われたってわかんないよ)


 明確な理由なんてない。

 でも。


(ただ。許せなかった)


『許せない?』


 視界はとっくにブラックアウトしていた。ただ、思考だけで会話する。タケトは頷いたつもりだったが、いまいち身体の感覚が曖昧だ。


(許せなかった。生き物が、人間の勝手なワガママで雑に扱われるのが許せなかった)


 自分だって肉は食べる。それは生きてるうえで仕方ないと思うし、それは構わない

 と思っている。

 しかし、密猟や乱獲、違法な取引は違う。


 嗜好品の毛皮用としての乱獲。粗悪な動物工場。動物たちが毛皮を傷つけない残虐な方法で毎日殺される、そんな工場の摘発をしたこともあった。

 自分の国ではペット用に頻繁に動植物が密輸されてくる。隠すために、鞄や荷物の狭いところに押し込められ、ポケットに閉じ込められ、小動物や鳥がペットボトルの中で身動き取れない状態で何十時間も運ばれてくる。当然死ぬ動物も多い。密猟者たちはその死損分も勘定に入れて流通価格をつける。


 そういうものを沢山見てきた。あまりの残虐さ非道さに、吐いたこともあった。いつまでも頭から離れず、うなされたこともあった。


 だから。許せない。そういうことをする人間達を。それを知らずに消費する一般の奴らを。

 でも、そんなこと世間に言ったところで仕方が無い。見ようとしない知ろうとしない、そういう奴らが容易に買い求め、市場ができる。


 だから。


(せめて俺は、守る側に回りたい。水際で食い止めたい)


 自分の手の届く範囲にいる生き物くらいは。


(助けたい)


 ただ、そんな純粋な思い。


『…………』


(なぁ。だから。助けてくれ。今なら、まだ間に合うかも知れない)


 殺さずに、傷つけずに。どちらも助けられるかもしれない。

 人も。魔獣も。だから。


 《《助けるのを助けてくれ!!!!!》》 《《ケルピー!!!!》》


 わずかな沈黙。


 ふいにそれまで虚空を掴むだけだった手に、何かが触れる。タテガミのようなさらさらとした、しかし確かな感触。タケトはその感触にすがりつくように抱きついた。身体がふわりと流れに逆らって持ち上がる。


『いいだろう。我はまだお前に恩を返しておらぬ』


 荒れ狂う濁流の中で、蹄の音が轟いているような気がした。

 タケトが水面から顔を出す。黄緑色の馬のようなものにしがみついていた。タケトを背に乗せて、濁流の中からケルピーが駆け上がってくる。まるで流れの中に坂道でもあるかのように力強く水を踏みしめて駆けあがると、ケルピーはその四肢で水面を強く蹴って走り出した。


「げほっごほっ……お、俺、報酬なら受け取ったけど」


 肺に入った水を咳き込んで吐き出しながら、タケトはそんなことを言う。


『お前は我が渡したモノを全て、他の人間に渡してしまっただろう。我は見ていたのだぞ。我はお前に恩を返したかったのだ。他の人間のためではない』


「……一応、貰ったって。指輪」


『その程度では、お前に恩を返したことにならん。そして、これもおそらくな』


 タケトを乗せたままケルピーは水面を駆ける。それはまるで、海を渡る風のような速さだった。


『我がここに来たのは、悲鳴を聞いたからだ』


「悲鳴?」


『水を通して、聞こえたのだ。悲痛な叫びだった。人間。お前の声ではない。精霊に近い我らの仲間の声だ』


「砂クジラか……」


 暴走を始める前、砂クジラが何度か悲鳴のような声をあげていたのを思い出した。あれをこのケルピーは聞きつけて様子を見に来たようだ。


『あれをしずめる策はあるのか?』


 タケトはコクンと頷いた。砂クジラの頭上に付けられた装置。あれを壊すことができれば、もしかしたら。


「でも、そのためにはあの砂クジラの背中まで登らないといけない」


『問題ない。我は水の眷属けんぞく

 

 ケルピーは遮るもののない水面を真っ直ぐ疾駆する。すぐに前方を暴走している砂クジラの巨体がタケトの視界にも捕らえられる距離まで近づいた。


『水がある以上、我はどこにだっていける。行くぞ、人間よ』


「ああ、頼んだ!」


 タケトの声を合図に、ケルピーの足がぐんと速まる。水しぶきを散らしてその太い四肢で水の上を駆けた。みるみる、砂クジラの巨体が近づいてくる。


 タケトはウルの姿を探したが、視界の届く範囲にはそれらしきものは見当たらない。砂クジラに攻撃をするために、もっと前方に行ってしまったのかもしれない。

 もうどれくらいの距離を進んできたのかもわからない。そもそもタケトたちがあの砂クジラを発見したのは砂漠の周辺部だった。オアシスとの距離はもうさほどない可能性が高い。一刻の猶予も無かった。


「行こう、ケルピー!」


 砂クジラのテラテラとした銅色の尾ビレがすぐ間近に迫る。ケルピーは砂クジラのすぐ隣まで駆け寄ると、しばらく併走した。そしてタイミングを見計らって、砂クジラの身体に軽々と飛びうつり、そのままその尾ビレを駆け上る。ウルの時と違って、ケルピーの蹄はぴったりと砂クジラの表面にくっつくかのようで、水面を走るときと変わらぬ様子で砂クジラの表面を走っていた。


 ただ、斜面を走るケルピーの身体の角度はしだいに増していく。タケトは落っこちないようにその長い首にしがみつくので精一杯だった。


『落ちるなよ、人間』


「わ、わかってるよ!」


 斜めに大きく傾むくケルピーにしがみついたまま、タケトはそっと下を見る。水面が遙か下方に見えて、思わずヒエっと肝を潰した。地上からは少なく見積もっても五十メートル以上高い場所に自分たちはいる。その斜面をかなり不安定な体勢のまま横切っていた。手を離して落ちれば、まず助からないだろう。


 タケトは顔をあげて、前方に視線を向ける。激しい雨の中、怪しく赤く光る小さな点のようなものが見える。あれがタケトたちが目指す場所。白フードたちが取り付けた装置だ。


 ケルピーは砂クジラの背骨の上まで登りきる。体勢が安定したため、足でしっかりケルピーの胴体を挟んでおけば、片手くらいは離せる余裕ができた。


 腰に回してあるホルスターから精霊銃を手に取り、回転式弾倉をずらして中の魔石弾を確認した。今残っているのは、赤い魔石が三つと青い魔石が一つ。赤は火、青は水だ。他の予備の魔石は全部鞄の中にあった。その鞄は溺れた拍子にどこかへ行ってしまったのでここにはない。これが今タケトが持っている魔石弾の全てだ。大事に使わないと、と肝に命じる。


「なあ。ケルピー。お前、水球みたいなので攻撃できるよな」


『ああ』


「見えるだろ? この前方にまっすぐ行ったとこに見える赤い点。あれは何かの装置だ。あれが取り付けられてから、砂クジラがおかしくなって暴走をはじめた。だから、あれをぶっ壊すか取り除くかできれば、もしかしたら砂クジラは正気に戻るかもしれない」


『なるほど。やってみよう』


 ケルピーがそう言うと同時に、彼の周りに落ちてきた雨つぶが、時間が止まったかのように空中で停止した。そして雨つぶは急速に集まりだし、ドッチボールくらいの水球が数個できる。


 赤い装置に駆け寄りながらケルピーが首を前に揺らすと、水の球はタケトたちを追い越して前方に高速で飛んで行った。それは弾丸のように赤い装置に命中するが、破壊するには至らず、あえなく水しぶきとなって四散した。


「ダメか……」


『あれには、水の精霊の加護がかけられているな。我の力とは相性が悪い』


「やっぱ俺がやるしかないのか……」


 まだ精霊銃の扱いに自信があるわけではない。しかし、自分しかやれるやつはいないのも確かだ。躊躇うわけにはいかなかった。

 刹那、ケルピーの身体がぐらりと揺れる。


「どうした?」


 砂クジラの身体の前方三分の一ほどが斜めに大きく起き上がろうとしていた。タケトはその動きの意味にすぐに気づく。砂クジラが口を開けようとしているのだ。


(そうだ。口を開けた瞬間、ウルが攻撃する手はずになってたんだった!)

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