86 哀れな少女の思い
続きです。
出血は止まっても、剣を振るう腕も無ければ駆ける脚も無い。それでも生憎と俺は一人じゃなかった。
本能が心の中で叫ぶ。諦めるな、命ある限り貪欲に、執拗に目の前の強敵に食らいつけ!
「があぁぁ!!」
あぁ、やってやろう。君の赴くままに。
獣のように口が裂けんばかりに大きく開き、力を振り絞って俺の姿によく似た死塊の細い喉に食らいつく。
虚を突かれたのか、それともこの程度で自身が傷付かないとでも思ったのか、死塊はそのまま押し倒されても抵抗してこない。
だったらそのまま俺達の最後の一撃をくらってくれ。
『範囲重力――』
俺が最後に魔法をかけたのは俺と死塊が重なる丁度真上に存在する、幾度も折られ飛び散った魔剣の破片一つ。
狙いは完璧。後は君に任せたよ。
『破滅!!』
ズドン!
「ごはぁっっ!!」
「□□!!」
超重力で落ちてきた小さな破片は心臓の真横を貫通し、更には死塊の身体までを貫き、地面に深く突き刺さった。
短く声にならない叫びを上げた死塊は地面に溶けるようにして姿を消し、張ってあった結界までも綺麗さっぱり無くなった。
今の一撃が致命傷になったと確信する。片方の肺が傷つき上手く呼吸が出来ないが、それでも憎まれ口の一つは溢したい。
「かはっ、ざまーみろ」
最大の脅威は無くなったが、痛みと流しすぎた血液のせいで意識が朦朧になる。
ここまできて……
「流石は魔人。死塊を単独で倒すとは天晴れだ」
コツコツと足音が近づいてくる。それしか分からない。
「だれ……」
「けれど、ここで死なれると困る」
地面に横たわっている俺の下まで来た男は、突然バシャリと液体をかけてきた。
「なに……がっ!」
「安心しろ。お前にとっては回復薬のような物だ」
かけられた場所の傷が焼けるように熱く、肉が蠢いているのが分かる。
「ぐぅぅぅ、はぁ、はぁ。なにを」
「後はこれを飲め」
「んぐぅ!?」
「こぼすなよ」
更には口にも瓶のような物を無理矢理突っ込まれ、ご丁寧に鼻までつまんで中の液体を飲まされる。
「ごほっ、ごほっ。一体何!?」
中の液体を飲み干したところで解放された俺は堪らず男に聞く。こっちが動けないからってやりたい放題するなよ。
「何って、応急手当てだ」
そう言われて身体を確認すると腕の再生まではしていないものの体力も少しは回復し、さっき負ったばかりの胸の怪我まで治っていた。
こいつは誰とか、さっきの液体は何なのかとか色々疑問はあるがとりあえずはお礼を言っておこう。
「ありがとう。でも、乱暴にしないで」
手当してくれたのは本当に有り難いが、全身疲労の上に強化の無い生身の状態なんだ。
「ふむ、善処しよう」
横たわる俺を男は片手でひょいと持ち上げ、全身を布で包む。そして俺を肩に担ぐように持ち歩きだす。
今の俺は人目をはばかる姿をしているから正直助かるが、ジークが見たら一発で誤解するな。
「何処に向かっているの。避難所?」
「違う。お前が何を勘違いしているか知らないが、俺はお前を攫いに来た道化の一人だ」
「……そっか」
そう簡単に全部上手くいくわけない、か。
「抵抗しても無駄だ。本気の死塊とは戦いたくないだろう?」
この言葉で腑に落ちた。
違和感はあった。態々俺の姿を真似て見せたり、律儀に魔法の撃ち合いと接近戦に付き合ってくれた。
あの時、腕では無く首を、心臓を斬る事が出来たはずだ。
さっきの死塊は最初から俺を殺すつもりなど無かったのか。
「私は、どうなるの?」
「協力するなら、悪いようにしない」
協力しても、しなくても、どうせ結果は変わらない。
「どうして、私なの」
どうして、どうして、ドウシテ。
「俺はお前ほど、誰かのために全てを犠牲に出来る者を知らない」
「私の何を知ってる」
俺でさえ自分の事を分かっていないと言うのに。お前に何が分かる。
「知ってるさ。誰よりも嫌いな存在のために頑張り、好きな男にさえ思いを伝えられない、いじらしい少女を」
「……」
「憎いだろう、彼女の存在が。彼女が現れなければ、お前はもっと別の生き方が出来たはずだ」
「……まれ」
「いっそ彼女を消して――」
「だまれっ!!」
やめろ、やめてくれ。それ以上、なにも言わないで。
「……俺達はよく知ってる、お前の思いも願いもその全てを。だからこそ見ていられない。だって今のままじゃ、お前が余りにも報われない」
そんなの俺が一番知ってる。
◆
自分の中にもう一人の誰かがいる。それを自覚したのは一年と少し前。
辛い訓練とリハビリの毎日を過ごしていた俺は決まって同じ夢を見ていた。
暗闇の隅っこで蹲って泣いている女の子を懸命に励まし、慰める。そんな夢。
でもそれは、月日が経つに連れて変化していった。夢の中の女の子が泣かなくなったのだ。
ある日の訓練で心が挫けそうになった時、あの子が現れた。大丈夫? と心配そうに聞いてくる女の子は遠慮がちで、夢で見た彼女とそっくりだった。
それからあの子とは夢の中以外でも会話出来るようになっていった。そこでふと思った。もしかして、あの子は自分が作り上げたもう一人の自分なのでは、と。
それが勘違いだとも知らずに。
思い知らされたのは、あの子が自分の知らない記憶を語った時だ。懐かしむように瞳を失う前の記憶を話すあの子はとても嘘をついているとは思えなかった。
どの果実が美味しかったとか、何の風景が綺麗だったとか、聞けば聞くほど他愛ない昔話であったが、そこに自分は一度も登場しない。それが不安を掻き立てた。
自分には瞳を失ってからの記憶しかない。過去の記憶は実験の後遺症で消えてしまったと思っていた。なのに何故、あの子は記憶を保持している?
話を聞き続けても一向に思い出せない。それどころか全く関係の無い、別の記憶の断片が頭に浮かぶ。
考えれば考えるほど最悪な答えに辿り着く。
偽物は自分だった。
愕然とした。恐怖した。絶望した。
辛い過去も、苦しい訓練も、何もかもが無駄だった。いつか消えてしまうかもしれない、自分には何も残りはしない。結局は全てをあの子に奪われてお終いなのだ。
だから、ひび割れそうな心に蓋をして、誤魔化すようにあの子のために行動した。自分が唯一残せるのはそれぐらいだったから。
気付けば自分は化け物になっていた。
周りの多くの人間は異常な自分を怖がった。媚び諂う人間も増えた。利用しようと近づく人間も現れた。
その中で最初からずっと変わらずに隣にいたのが彼だった。自分の側で笑って、怒って、心配してくれる。あの子の存在を知っても、自分だけをちゃんと見てくれる優しい人。
出会った当初は打算的な目的があった。彼を自分が消えた後もあの子を護ってくれるように仕向けていた。
けれど、いつからだろう。
あの子にも渡したくない、自分だけのモノにしたいだなんて、欲張りになったのは。
なぜだろう。
あの子の声で愛を囁くのも、あの子の身体で感じるのも、嫌だなんて思ってしまうのは。
どうしてだろう。
奪われ続けた人生で、彼になら奪われてもいいと思ってしまったのは。
それは哀れな少女が希う、叶いもしない思い。




