坂東蛍子、卵を割る
その卵は、特別な卵だった。「財部花梨にとって特別」という意味あい以前に、そもそもの価値が凡百の鶏卵とは一線を画す輝きを持つ卵だった。というより、実際に輝いていた。鶏卵ではないし、食べられもしない。ロシアのファベルジェ家にて三十年ほどの間にその殆どが形作られ、やがて紛失していったその高貴な卵の美術品は、名をインペリアル・イースター・エッグと言う。
「まさか校長先生がこんなものを隠し持っていたなんてね・・・」
放課後の理科室で一人ほくそ笑む科学教師・財部花梨二十九歳は、ある野望を果たすため、校長室のコレクション・ルームからその宝を一時的に借り受けていた。
「これを解き明かせば、私はようやく魔法を手にできるかもしれない・・・いえ、きっと手にするわ」
財部の野望、それは彼女が魔法少女であることに関係している――財部花梨が魔法少女であるという”意味合い”や、年齢的不調和、魔術の定義の解説などの質問には、きっと彼女自身も一言でしか回答できない。それは「本人がそう思っているのだから絶対そうなんだもん」である。それ以上踏み込むと弁護士を呼ばれる危険がある――。
財部は内に渦巻く魔法への探究心にせっつかれ、時折古市に赴いては本物の魔術品を探しだすべくアンティーク雑貨を漁って生きている。日々街角で古物への嗅覚を磨く彼女が、先日校長室に眠る秘蔵コレクションの山から見つけ出したのが、この歴史あるイースターエッグだった。
「私とエッグが引き合わされたのも、私がエッグの謎を解くのも、きっと前世から決められていた運命に違いないのよ」
そう、財部はこのエッグが魔術的な理由で作られた”魔道具”だと睨んでいるのだ。推測を越え、確信すら得ていると言っていい。本人がそう言っているのだから、絶対そうなのだろう。(※)
「でも、考え始めてからもう三日・・・そろそろ謎を解かないと・・・先生方に見られて面倒なことになる前に」
彼女がエッグに拘泥しだしたきっかけは、エッグの持つサプライズギミックにあった。サプライズギミックとは、多くのインペリアルエッグに見られる「仕掛け」のことで、例えばどうにかしてエッグを開くと中がオルゴールになっていたり、化粧鏡になっていたりするわけである。基本的には単純で実用的なギミックに留まるが、財部が手にしたエッグのそれは少し風変わりなものだった。
卵の腹の部分にある引き出しを開くと、中から六体の人形が出てくる。人形は大人の男女がそれぞれ三組ずつで、皆一様に裏側に奇妙な穴が開いていた。調べたところ、六体はエッグ頭頂部の「王冠飾り」装飾の六つの先端部にぴったり嵌ることが判明した。つまり、人形を正しい先端に正しい方向で挿すことが出来れば、何らかのサプライズが起きるということになる。
問題はどうさし込むかなのだ。
財部は改めて人形を確認した。人形は男女が三体ずつだ。全員が成人しているようだが年齢はバラバラだった。はじめ、財部はこれらが人間の一生を表しているのではと考えたが、そもそも子供の人形がないことから「一人をメタ的に表現する」という方向性ではない、と早々に案を棄却した。
「気になることと言えば、やっぱり女性の方がオシャレな感じがすることよね」
オシャレというより、華美という表現の方が適切かもしれない。女性の人形は三体とも派手なドレスを着ており、中でも最も若年の女は華々しさが一段抜けていた。
(もしかしたら女性にフォーカスした祝祭のようなものではないかしら)
あるいはヒントはやはりギミックに込められているように思える。王冠の上に誂えられた円形の舞台は六つの角が等間隔に並んでいるわけではなく、不自然に歪んだ楕円形をしているのだ。内、二つの角だけ僅かに寄せてあり、残りの四つはそれを遠目に囲うような配置だ。
円を作るロシア女性の祝祭――思い浮かぶ祭は人それぞれにあるかもしれないが、魔法少女であるところの財部花梨の脳裏に真っ先に浮かんだのは祭などではなく、魔女狩りであった。
(でも、インペリアルエッグが作られたのは十九世紀後半からで、魔女狩りは十八世紀までには下火になっていたはずよね。そもそもロシアでの魔女狩りとなると、十六世紀まで遡ることに・・・流石に年代的なズレが見えてくるけど・・・)
でも、と財部は顎に手を当て考える。彼女は自分の考えが、方向性としては間違っていないように思えていた。ひとまず、魔女という象徴と、それを囲う構図という仮定のまま考えを進めよう。なら二つの魔女席に座るのは誰だ。それはもちろん、年をとったこの二人の女性人形に違いない。
たしかロシアにはヤガー婆さんという魔女がいたはずだ。ヤガーとは東欧にも見られる「巨大な鳥足一本の上に立ち、グルグルと回る恐ろしい小屋」に住み、異界との境界を管理する有名な魔女だ。人を救うこともあるようだが、その小屋の柵が人骨と髑髏で出来ていることを鑑みるに、その確率はそこまで高くない人物である。「鳥足の上に住む魔女」と「卵の上の舞台に立つ魔女」なら、魔女狩りよりも距離感が近いように思える。
「思えるけど、まだ符号が弱いわね・・・そもそも鳥足と卵というスタートラインから・・・そうだ、スタートライン!そこから考えれば良いのよ!」
コシチェイだ、と財部は膝を打った。ヤガーと同じくロシアの民話に登場する不死身のコシチェイという人間は、たしか自らの命を体から出し、鴨の卵の中に隠していたはずだ。つまりこの卵もそれに見立てられた仕掛けがあるはず。そして仕掛けを解いた先にあるのは、命と同等の価値を持つ宝なんだから、つまり賢者の石か、はたまた死者の門の鍵か・・・。
(とうとう核心に迫りつつある。やはりこれを解けるのは私以外いないんだ。現代の魔法少女である、この私以外には)
財部花梨は使命感と高揚感に思わず笑顔を浮かべ、卵をその手に掲げる。――とピッタリ同じタイミングで理科室のドアが勢い良く開けられた。
(※)このエッグだが、確かに財部の言うとおり魔術的と言えなくもない。ある女性が生涯を賭して作らせ、ただ一つの強い願いが込められているからだ。それは何物にも代えがたい契約の込められた、たった一つの願いだった。
坂東蛍子が理科教室のドアを開くと、そこに財部花梨の姿があった。何故か卵型の美術品を掲げ持っている。不意打ちを食らい停止している財部を見て、蛍子は石化の魔術を使うメデューサにでもなった気分だった。メデューサは嫌だな、と蛍子は思った。髪が蛇とか原宿っぽくて清楚キャラが台無しだし、夜にシュルシュルうるさいとご近所トラブルにもなりそうだ。
「あ、すみません。先生がいるとは知らずに」
蛍子は財部に僅かに恐縮の態度を向けた。
「い、いえ、良いんですよ。放課後の理科室に何のようかしら」
「クマちゃん・・・友人の忘れ物を取りに来たんです。・・・先生は?」
「私は、こほん、調べ物です。ああそうだ、坂東さんもやってみます?」
財部は何かをはぐらかすように、唐突に蛍子に話を振り、持っている卵を差し出した。
「これはある仕掛けを解くと秘密が現れる卵なの。具体的に言うと、この頭の王冠部分に、六体の人形を正しい場所と向きに差し込むことが出来れば、サプライズが現れる仕組み」
へえ、と零す蛍子の瞳は好奇心で瞬く間に輝いた。
「でも、とても難しいわよ。学校のテストとはレベルが違う、奥深い知識が求められるに違いないわ」
「なんだか先生、いつになく真剣ですね」
蛍子が何気なく放った言葉に、財部は僅かに顔を強張らせ、少し間をとってから返事をした。
「・・・だって私は、この卵に命を賭けてますから」
変な冗談、と蛍子は思った。命となんて、初めから比べられるものはない。教師の冗談を聞き流し、蛍子は机の上に置かれた卵の華やかな装飾と、手の中に収まった六体の人形を何度か交互に見た。
「あ、わかった!」
「ええ!?そ、そんな、馬鹿な!」
蛍子は男女三組の中から若い一組を選び、王冠で隣り合う二席に挿した。残りも男女の組み合わせで、二人を見守るように挿していく。コサージュなどで何処に置けばいいかはある程度判別出来る。
結婚式だ、と蛍子は笑顔になった。これってどう考えても結婚式の風景だ。スーツを着た男の人の隣には、この世界で一番美しいお嫁さんが立つ。そんな幸福なカップルを二人の両親が祝福している。蛍子は並べ終わった人形を見て、「なんて素敵な卵だろう」とうっとりした。
カチャ、という音がして、卵の足下に取っ手が浮き上がる。何事かと蛍子が手を伸ばし、その戸を引いた。
「わあ、これって・・・」
引き戸に入っていたのは指輪だった。きっと結婚指輪に違いない、と蛍子は思った。じゃあこのエッグは旦那さんが送ったサプライズだったのかも・・・。
少女の解答は正しい。それは誰しもが願う凡庸な幸せがこもった指輪だ。眠りにつく時に外され、この場に再び収められるまで、ずっと薬指で幸せの象徴だった指輪である。魔法は使えずともかけられることはあるし、解けてしまうとも限らない。現に、一度かけられた魔法が今も解けずにこうして残っている。
蛍子は二体の人形を見て、柔らかに微笑んだ。そして目を閉じ、ちょっとだけ自分の未来について考えた。未来は卵の中にあって、見えなかった。しかし安心してほしい。卵である以上は、必ず何かが中に入っている。それはもう、ぎっしりと。
【財部花梨前回登場回】
魔法の杖を振る―http://ncode.syosetu.com/n5950dd/