3度目の出会い
枕元の目覚まし時計は、7時31分を表示していた。
普段なら今頃は電車の中だが、今日は土曜日だ。
布団から抜けだし、立ち上がった私は、カーテンを一気に端に向かって払い除けた。途端、予想以上の陽射しを顔に受け、思わず目元を細めた‥。
(快晴の土曜日なんて、いつ以来だろう。今日は、絶好のテニス日和だな。)
顔を洗い、愛妻が用意してくれた朝食のサラダとトースト2枚を平らげた後、私は歯を磨き、身支度を始めた。
「今日は、何時までなの?」
玄関で靴ひもを結んでいる私に,妻の恵が聞いてきた。
「3時間の予定だから‥12時過ぎ位になるかな。」
今日は、テニスのオフ会だ。オフ会とは、インターネット上で交流しているメンバーが、実際に集うイベントの事である。
学生時代、テニス部に属していた私は、テニス愛好家の交流サイトに属しており、運動不足の解消も兼ねて、定期的にテニスのオフ会に参加してゲームを楽しんでいた。
「じゃあ、お昼は外で一緒にピザでも食べようよ。」
「いいねえ、じゃあカロリー調整上、目一杯駆けずり回ってこなきゃいけないなぁ。」
「アハハ、それが賢明ね。」
「じゃあ、行って来まーす。」
「行ってらっしゃい。」
集合時間に十分な余裕を持って、私は家を出た。
今日の会場は、南林間にある市営林間公園内のクレーコートだった。現地の駐車場に私が到着した時、今日のメンバーの1人であるサッシー(サッシーはハンドルネームで、本名は笹下)も、ちょうど到着した所だった。
「やあ、おはよう、ザッキー。」
「今日は天気いいねえ。いい試合ができそうだね。」
私同様、彼も今日は気合が入っているようだ。ちなみに、私のハンドルネームは『ザッキー・チェン』、略してザッキーという訳だ‥。
「そういえば、今日はサンシが仕事で来れないらしいよ。」
「それで、代わりの人を募集して、どうにか6人頭数が揃ったんだって。」
サッシーからの情報は、私をちょっと不安、ちょっと楽しみな気分にさせた。(初参加者か‥、どんな人が来るのかな?)
予約している3番コートに向かって、歩いていた私達は、そこに既に人影があるのに気付いた。コートの利用開始時間は毎日9時からで、今日は私達が1番手だ。つまり、恐らくは、今日の参加者に違いない。
その男性は、ホウキでライン上の土を掃いていた。
「おはようございまーす。」
私達は、金網の扉を開けてコートに入りながら、挨拶をした。
すると、その男性は、こちらを見て、軽くお辞儀をした。そして、また反転すると、土掃きを続けた。帽子を目深に被っており、顔はよく見えなかった。
「なんか、絡みにくそうな人だな。」
「まあ、テニスがそこそこ上手ければ、いいけどな。」
私達は、準備運動を始めた。
程なくして、主催者のモーサンがやって来た。その前にニノとアカマティは既に来ていたので、これで全員揃った事になる。
「ういっす、全員揃ってるね。じゃあ集合して。」
モーサンの呼びかけに、みんながコート脇のベンチ前に集まった。ライン掃除を続けていた彼も、ホウキを審判台に立て掛けて、やって来た。
「今日は、初参加者がいます。では、自己紹介御願いします。」
モーサンに促され、彼は挨拶する前に帽子を取った。
その顔を見て、驚いた私は、思わず声を発してしまった。
「青木さん。」
「おい、おい、ザッキー、ここではハンドルネームで呼び合うルールだろ。」
「あっ、すいません。」
モーサンに注意されてしまった。(まさか、彼とは‥。)
「じゃあ、改めて、挨拶御願いします。」
再度促された青木正義は、一歩前に出て挨拶を行った。
「一緒にやる相手が見つからず困ってたんですが、幸運にも初参加させて頂ける事になりまして‥。宜しく御願いします。ハンドルネームは『アオレンジャー』です。」
ププッ‥。サッシーとアカマティが吹き出しそうになった。
(青木でハンドルネームがアオレンジャーって‥安直な‥。)
(もっとも、私が本名を暴露しなきゃ、彼が笑われる事もなかったんだけと‥。)
一瞬、青木正義が、ジロリと私を見た気がした。
青木正義に対しての、私達の自己紹介も済み、早速それぞれのペアを決めて、ダブルスの総当たり戦を行う事となった。
先程の失言の天罰か、私は青木正義と顔見知りと受け取られ、彼とペアを組まされる事になってしまった。
第1試合はモーサン、サッシー組VSアカマティ、ニノ組で、私と青木正義は審判役だ。私が副審で彼が主審を務める事となった。
試合となると、やはり独特の緊張感が漂っている。久しぶりという事もあり、みんな気合も入っているようだ。
「ザ ベスト オブ 6ゲームス マッチ アカマティ 2サーブプレイ。」アオレンジャーのコールで試合が始まった。
アカマティのトスが上がり、試合の初打となるファーストサーブが放たれた、それとほぼ同時だった‥。
「フォールト!」
当然、ボールは、まだネットにすら到達していなかった。
が、アオレンジャーはコールした。
(まさか‥。)
唖然とする一同に、アオレンジャーが
「フットフォルトです。」
と補足した。
(確かに、アカマティはサーブの際にラインを踏んだのかもしれない。しかし、普通、こういう親善試合でフットフォルトなんか取らないだろう‥。)
私だけではなく、みんなそう思ったに違いない。
「マジかよ‥。」
アカマティが、不満げに呟いたのが聞こえだ。
但し、異議は唱えなかった。10センチ程足の位置を下げると、セカンドサーブのモーションに入った。
(嫌な予感がするな‥。)
私は、不安を覚えた。
私の不安をよそに、試合は白熱した。まさに一進一退の攻防てゲームカウントは6対6のタイブレークとなった。あの後は、フットフォルトも出ていない。
そして、ファイナルゲームも大詰めとなり、ポイントは5対6とレシーブ側のモウサン、サッシー組がマッチポイントを迎えている。但し、サーブ権はアカマティにあり、実質的には、五分五分だ。
ファーストサーブ、ワイドを狙ったアカマティのサーブは僅かにサイドに逸れフォルトとなった。そして、セカンドサーブ‥。
アカマティがトスをあげ、まさにサーブを放った瞬間だった。
「フォールト、フットフォルト。」
アオレンジャーがコールした。
まさかのコールに、皆、一瞬言葉を失った。
「ゲーム アンド マッチ モーサン、サッシー組。ゲームカウント 7ゲームス トゥ 6。」
続けてコールをし、アオレンジャーは審判台を降りてしまった。
皆が、反論する機会を失った格好だ‥。
「やってらんねえよっ。」
そう叫んだアカマティが、自らのラケットを地面に叩きつけた。
そして、しばしの静寂の後、アカマティはラケットを拾い上げると、形だけの握手を3人とした後、ラケットをカバーにしまい込み、持参したリュックを持って立ち上がると、
「悪いけど、俺、今日は帰るわ。」
そう言って、コートを出て行ってしまった‥。
「おい、待てよ。」
モーサン達3人が後を追った。
取り残された私に、青木正義が聞いてきた。
「私、何か間違った事しましたか。」
平然とした口調の、彼の問いかけに対して、私は
「間違ってはいないかもしれないけど‥。」
と答えたきり、沈黙した。
それから10分位経っただろうか‥。
モーサン1人が、戻ってきた。
そして、私に言った。
「ザッキー、悪いけど、今日は中止にする事になった。」
「皆、怒っちゃって‥試合する気分にはなれないみたいでね。」
「それから、君。」
青木正義の方を見て、モーサンは厳しい口調で言った。
「君は、今後、このオフ会に出入り禁止ね。」
「そうですか。わかりました。」
青木正義は、いつの間にか、既にまとめてあった自分の手荷物を持って立ち上がり、去っていった‥。
彼のテニスの腕前がどの程度か、知る機会は失われた‥。
「あら、随分と早かったのねぇ。」
家に帰り、玄関で靴ひもを解いている私に気付いた恵が、驚いた口調で、声をかけてきた。
「ちょっと、トラブルが発生してね‥。」
私の返事の声のトーンから、たいしたトラブルではないと悟ったのか、恵は「あら、大変ねぇ。」とだけ言ってリビングに戻って行った。
リビングのテレビでは、恵の好きな俳優Mが出演している刑事ドラマのエンディングテロップが流れていた。
「やっぱり、正義を貫く人って素敵よねぇ。」
と、感化された恵が、同意を求めてきた。
さっきまて一緒にいた正義の人の事が頭に浮かび、否定したかったが、女というものが『自分の問い掛けに対して、意見ではなく、同意のみを求めている生き物』だと、この年になって理解した私は、
「そうだな。」
と答え、その場をやり過ごした。
機嫌を損なう事もなかった恵は、
「出掛ける準備するから、待っててね。」
「ピザ、ピザ!」
と言いながら、洗面所の方に向かって駈けていった。