2.ソウルメイト・2
二人の男が訪ねてきたのは、あの事故から1週間後のことだった。
美夕が学校から帰ると、玄関に男物の靴が二足並べられているのが見えた。そのまま2階に上がっていこうとするのを、リビングから咲子の声が呼び止めた。
「美夕かい? ちょっと来てちょうだい」
仕方なく美夕はリビングのドアを開けた。グレイの布張りのソファに神妙な顔で座っていた男たちはいきなり立ち上がり、美夕に向かい深々と頭を下げた。
「このたびは大変申し訳ありませんでした」
テーブルの上には菓子折りらしい箱が置かれている。意味がわからず美夕は男たちの正面に座る咲子のほうを見た。
「どういうこと?」
「この前のゲームを作った会社の人なんだって」
半ば怒ったような顔をしながら咲子は二人に視線を向けた。
「私、アークシステムの島崎と申します。このたびはこちらの手違いでご迷惑をおかけしてしまってすいません」
背の小さな中年の男がわずかに顔をあげた。40歳前後だろうか。分厚い眼鏡をかけ、頭はかなり薄くなっている。額にはじっとりと汗をかいている。もう一方の男はまだ黙ってじっと頭を下げたままだ。
「あの……いったいどういうことなのか説明してもらえませんか?」
美夕が訊くと、島崎という男は頭を下げたままの隣の男を肘でつついた。
「じ、実は――」
と、恐る恐る隣の男が顔を上げた。中年の男から比べると顔立ちはずっと若い。頬骨の張ったいかつい輪郭をしているが、対照的に目つきは弱々しく感じられる。「あの時、ゲームサーバーがトラブルを起こしまして……もう一つの使われるはずのないゲームシナリオがロードされてしまったんです」
「は?」
言っている意味がわからず美夕は頭を傾げた。「あの……もう少しわかりやすく教えていただけないでしょうか?」
美夕はそう言って咲子の隣に腰を降ろした。それを見て二人の男もソファに座る。咲子の前に二つの名刺が並んでいる。
向かって右に座った中年の男が『島崎幸一』。そして、若いほうが『名波勝行』という名前らしい。
名波が小さくコホンと咳をしてから話し始めた。
「先日のゲームですが、正確に言うと962人の方に参加していただきました。ゲームはその全ての方にある同じゲームシナリオを進んでいただくように作られています。ただし、あくまでもゲームの進行はコントロールセンター側で行われます。そういう意味では今回のはゲームというよりも『映画』のなかにエキストラのような形で出演してもらうようなものといったほうがいいかもしれません。そして、それを実現するためにはネットゲームと同じようにコントロールセンター側にゲームサーバーを置いて、各プレイヤーの方々にシナリオの情報を送らなければなりません。しかも、今回は夢のなかでそのゲームを体感出来るようにされています。送るデータは膨大な量となります」
名波は一度、言葉を切って不安そうに咲子の顔を見た。「ここまでよろしいでしょうか?」
「ええ」
美夕がすぐに答えた。咲子がこんな話を聞いても理解出来るはずがない。現に一言も発しようとせず、ただぼんやりと聞いているだけだ。美夕がすぐに答えたことで名波はほっとしたような顔をしてさらに話を続けた。
「プレイヤーに送るデータはゲームの進行に合わせ、リアルタイムでサーバーからプレイヤーに送られます。ゲームシナリオは細かく分けられ、ゲームの進行に合わせロードされるのです。ですが、先日、ゲーム開始から30分ほどのところで、そのゲームサーバーがトラブルを起こしました。今回のゲームとは違うシナリオをロードしてしまったようなのです。二つのゲームシナリオはゲームサーバー内で混じり合い、そのデータをプレイヤーへ送信してしまいました。もちろんそんな二つのシナリオが混じりあったデータなど、シナリオを進行するうえで正常なデータではありません。シナリオを実行しようとしたサーバーはストップし、そのシナリオを送られたプレイヤー側のゲーム機もストップしてしまったんです」
名波の言葉全てを理解することは出来なかったが、何を言おうとしているかは何となく掴むことが出来た。
「それであんなことに?」
「申し訳ありません」
名波の言葉に合わせ、島崎ももう一度頭を下げる。
「それじゃ、ゲームに参加した人たちみんながあんなことになったんですか?」
「あ……いや……」
名波は顔を上げ、言いにくそうに口を開いた。「実はそういうわけではありません」
「違うんですか?」
「ええ……シナリオはプレイヤーの行動にあわせて変わっていきます。そして、シナリオはそのプレイヤーの動きにあわせなければなりません。そのためシナリオはいくつかのブロックに区切られそれぞれロードされていきます。もちろんあの事故によってゲームは中断してしまい、プレイヤーのみなさん全員にご迷惑をかけることにはなってしまったのですが……長瀬さんのような事象は他の方々には起こりませんでした」
「どういうことですか? あんなふうになったのは私だけ?」
「いえ……長瀬さんだけというわけではありません。他にも数名の方が事故に遭われました」
「数名ですか?」
「はい……」
申し訳無さそうな目で名波は美夕を見た。
「どうしてですか? 私、間違った操作でもしてしまったんでしょうか?」
「いえ、そういうわけじゃありません」
名波は慌てたように顔の前で大きく手を振った。
「なら、どうしてですか?」
「いや……それは……」
困ったように口篭もる名波を見て島崎が口を出した。
「申し訳ありませんが、その点に関してはまだ調査中ではっきりとお答えすることが出来ません。我々としても全力で調査をしているのですが、なぜあんなことになったのか……そもそもどうしてロードされるはずのないシナリオがロードされてしまったのか、まったくわからない状態なのです」
島崎はポケットからハンカチを出して、額に滲んだ汗をふき取った。
「我々としても全力をあげて原因を調べているところです」
名波がさらに付け加えた。「それで……大変申し訳ないのですが……出来ればあの時のことを少し教えていただけないでしょうか?」
「あの時って?」
「事故の時です。何かゲームのことで憶えていることはありませんでしょうか?」
「……いえ」
美夕は小さく首を振った。「あの時のことは何も憶えていません。私、ゲームがどんなものだったかも憶えていないんです」
「やっぱりですか」
がっかりしたように名波はため息をついた。
「やっぱり?」
「ええ、事故に遭われたかたみなさんがゲームについては記憶をなくしてしまってるんですよ」
「やはり事故のショックで?」
「きっとそうなんでしょうね。ゲームは直接脳にゲーム情報を送るように出来ていますから、脳にもかなりの衝撃があったのは違いないでしょう」
「まさか何か傷害なんてことないでしょうね」
と、すかさず咲子が口を挟む。
「い、いえ……今のところそういった報告はありません」
すぐに島崎が答えた。
「ええ。衝撃といっても……それは物理的なものとは違いますから」
名波も慌てて説明する。
「そんなこと言って、現に子供が一人死んでるじゃないの」
咎めるように咲子は言った。
「あ……あれについてはゲームとの関連性を現在、調査しているところで、まだはっきりとゲームが原因とは言い切れない状況です」
「原因が何であれ、こんなこと二度とごめんですよ。もしうちの娘に何かあったらどうするつもりなんですか? 訴えてもいいくらいですよ」
「わ、わかっています」
島崎はそう言うと上着の内ポケットから封筒を取り出し咲子の前に差し出した。「これはほんのお詫びの気持ちです」
わずかに厚みのある封筒。それが何であるかは一目瞭然だった。
「何ですかこれ? 口止めのつもり?」
「そんなつもりはありません。あくまでもお詫びというだけですので」
島崎は何度も頭を下げながら、受け取ろうとしない咲子の前に封筒を置いた。そして、改めて名波と二人立ち上がると、深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」