7.願い・3
何度も携帯電話に表示される時刻を眺める。
午前11時30分。
何をどう話せばいいのか、公園の入り口に近いベンチに座り真奈美がやってくるのを待ちながら美夕はずっと考えつづけていた。
隣では北条がタバコを燻らしながら、ぼんやりと空を眺めている。
サヤサヤと春の渇いた風が青い木々を揺らす。
公園の片隅にあるジャングルジムで小学生が3人、声を上げて遊んでいるのが見える。
――話って何?
電話した時の真奈美の声を思い出して、美夕はぎゅっと膝の上で拳を握った。
「どうかしたかね?」
ちらりと横目で美夕を見ながら北条が訊いた。
「い……いえ、別に」
「緊張してるように見えるね。君の同級生なんだろ?」
「緊張なんてしてませんよ」
そう言って美夕は立ち上がった。「どうして私が緊張しなきゃいけないんですか?」
「さあね。そう見えたから訊いただけだよ」
北条は表情を変えずに言うと、フゥっと白い息を吐いた。「君とその浅生真奈美って子は仲良かったの?」
「ふ、普通です。何故ですか?」
落ちつきなく、美夕は再びベンチに腰を下ろした。
「もしその子が事件に何かしら関わっているとして、素直に話してくれるものかと思ってね」
「真奈美が事件に関係しているっていうんですか?」
「答えを急いではいけないな。関わっているともいえなければ、関わっていないともいえない。それを確かめるために私たちはここに来ている。だが、もし関わっていたとしてそれを素直に話してくれるかどうかはわからない」
「真奈美は嘘なんてつきません」
「どうしてそんなことが言える?」
「それは……」
「友達だから?」
「……」
美夕は答えるかわりに北条の顔を睨んだ。いったいこの男は何者なのだろう。まるで全てを見通しているかのような喋り方をする。
「君はその子に何か特別な感情を持っているようだね。だが、感情に左右されては冷静に物事を見つめることは出来ない」
「そんなこと……わかっています」
「なら、いいんだがね」
北条はポケットから携帯用の灰皿を取り出すと、そのなかにタバコを押し込んだ。
(そんなのわかってるわよ)
心のなかで呟く。
――あなたとなら本当の友達になれると思うの。
出会った頃の真奈美の言葉を思い出す。真奈美はあの時のことをまだ憶えているのだろうか。そして、今、どんな気持ちでいるのだろう。
「君、車の中で待っていてくれないか?」
ふいに北条が言った。
「どうしてですか?」
「そのほうが彼女も素直に話してくれるような気がしてね。会話の内容なら、これを使えばいい」
北条はポケットのなかから小さなラジオのようなものを美夕に差し出した。
「これは?」
「盗聴器だよ。電源をいれておけばイヤホンからこっちの声は聞くことが出来る。マイクは私が持っているからね。君は車のなかで聞いているといい」
ちらりと背後の道路脇に止められたBMWに視線を走らす。
「真奈美を呼び出したのは私です」
「だから? 彼女を呼び出したのは、彼女がゲームに関わっているかどうかを知るためだ。君の個人的な彼女への感情は邪魔になる」
「そんな――」
「さあ。彼女が来る前に車のなかに戻っていてくれないか?」
それはすでに命令だった。柔らかいが鋭い北条の言葉に美夕は従うほかなかった。ベンチを立つと、足早に柵を越えてBMWのドアを開く。
深くシートに身を沈め、ほんの少し頭をあげて北条のほうを盗み見る。
(何よ!)
心のなかで北条に毒づきながら、イヤホンを耳に押し当てる。
だが、その一方でわずかにほっとしている自分に気づく。
「あれかな?」
北条の声がイヤホンからはっきりと聞こえてくる。美夕は顔を上げた。
団地のほうからジーンズに黄色いトレーナー姿の真奈美が歩いてくるのが見えた。その姿にわずかに鼓動が早くなる。
真奈美が美夕のほうに視線を向けながら公園へと入ってくる。
美夕は拳を握ったまま真奈美が近づいてくるのを待った。拳のなかで爪が手のひらに突き刺さる。
やがて真奈美は北条の近くまで来るとキョロキョロと周囲を見回した。
「麻生真奈美さんだね?」
北条がベンチに座ったままで真奈美に声をかける。
「ええ……あなたは?」
「長瀬君の代理のものだよ。君はファンタジーロードXというゲームを知っているね?」
「美夕の代理ですって? あなた誰なの?」
真奈美は鋭い視線で北条を睨んだ。
「北条俊介。フリーライターだよ」
北条はポケットから名刺を取り出して真奈美に差し出した。おそらく、この前美夕に渡したものと同じものだろう。
「フリーライター?」
「杉村雛子という高校生が殺された。美夕さんの友達だ。そして、先日には仲崎幸一という高校生が殺された」
「新聞で読んだわ」
「二人を知ってる?」
「そんなんじゃないわ。ただ噂で聞いただけよ。その二人、何か関係があるの?」
「『ファンタジーロードX』というゲーム。そのなかで一つの事故が起こった。プレイヤーのなかで数人が影響を受け、病院に運び込まれた。彼らは同じように事故に遭った仲間を集め、原因を探ろうとした。二人ともその仲間だったんだ。ちなみに、長瀬君もそのなかの一人だ」
わずかに真奈美の表情に戸惑いの色が現れる。
「あの二人もゲームで事故に?」
「いや。彼らは事故には遭っていない。二人ともゲームのプレイヤーですらない」
「それなら二人に繋がりがあるとは言えないじゃないの」
「そうとは言えない。二人ともプレイヤーとしては参加していなかったが、その後、参加していたと嘘をついて美夕さんたちに近づいている。何かゲームに関わりがあったとしても不思議じゃないだろう」
「美夕もその一人だっていうの?」
「そうだ」
「本当なの?」
「そんな嘘をついて何になる?」
「それで? あなたは何なの? フリーライターのあなたに何の関係があるの? 取材?」
「いや」
北条は一度言葉を区切るとポケットからタバコを取り出した。「私も長瀬君たちと同じゲームのプレイヤーなんだ。私も同じように事故にあった」
「あなたが?」
真奈美が驚いたように北条を見下ろす。驚いたのは真奈美だけではなかった。美夕もまた北条の言葉に息を飲んだ。
(何を言い出すの?)
北条は落ち着いた様子で咥えたタバコに火を点ける。
「そうだよ」
「何を企んでるの?」
「企む? なぜ?」
「だってゲームに参加してたなんて嘘でしょ」
真奈美がすぐに言った。
「嘘? なぜそう思うんだね?」
「私、あなたとは会っていないわ」
「つまり君もゲームには参加していたということだね」
静かに紫煙を吐きながら北条は言った。
「……そうよ。でも、あなたのことなんて知らない」
「ゲームには1000人近い人間が参加している。君はその全員の顔を知っているというのか?」
「そういうわけじゃないわ。でも、あなたは事故に遭ったのでしょう? それなら美夕と一緒にいたってことだわ。私も彼女の近くにいたからわかるの」
「君はゲームのことを記憶しているのかね?」
「ええ」
「珍しいものだな。美夕さんや他の事故に遭った人たちはその時のことを憶えていないそうだよ」
「私が嘘を言っているというの?」
「いや。ただ、出来れば君が何を記憶しているのかを教えて欲しいものだな」
「そんなことにどんな意味があるの?」
「君の記憶が正しいかどうかを判断することが出来る」
「どういう意味?」
「記憶というのは曖昧なものだからね。君が記憶していると思っていても、それが全て正しいとは限らない」
「ふざけないで。あなたがどう言おうと、私はあなたのことなんて知らないわ」
真奈美は強く言った。
「おやおや。君は冷静に見えて、ずいぶんと激情型の人間のようだね。そういう意味では長瀬君と似たもの同士ということか?」
「あなたが私を嘘つき呼ばわりするからでしょう?」
真奈美はすぐに言い返した。
「なら話してもらいたいな。あのゲームのなかで君が何を記憶しているのかを」
真奈美が北条を睨みながら、拳をぎゅっと握るのが見えた。まるで今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。
だが、次の瞬間、真奈美はふっとその拳から力を抜いた。
「いいわ。あなたが何を企んでいるのか知らないけど、私が記憶していること全部教えてあげる。何が聞きたいの?」
顔をわずかに上に向け、まるで見下すような視線でベンチに座る北条を見る。それは真奈美が信頼していない相手に対するいつもの喋り方だ。
「君はゲームで事故には遭わなかったのか?」
「さあ……よくわからないわ。事故に遭ったのかもしれないわ」
「わからない?」
「変な感じがしたのは事実よ。でも、無意識のうちに暴れてしまって、そのせいでコードが外れてしまったみたいなの。だから、ただ目が覚めただけだったわ。あの後、事故のことを新聞で読んで、あれがそういうものだったのかもしれないって思っただけ」
「それじゃ君もマーテルの塔にいたのだね?」
「いたわよ。美夕はあの時のこと何も憶えていないの?」
「らしいね」
北条が頷くと、真奈美はふぅっとため息をついた。
「……そう。あの塔には私と美夕を含めて8人がいたわ」
「どうしてそんなにはっきり言えるんだ?」
「言ったでしょ。記憶しているからよ」
真奈美は北条に言った。「マーテルの塔には1度に8人までしか入ることが出来ないのよ」
「君はその全員を覚えているのか? そもそもゲームのなかで君が見たのが長瀬君であるとなぜ言えるんだ?」
「そうね。不思議に思うかもしれないわね。でも、私には美夕がはっきりわかった。どんなキャラクターであったとしても、私は美夕のことならはっきりとわかる自信があるわ。おそらくあの場にいた人が事故に遭ったんだと思う。でも、あの場にあなたはいなかった。感覚的にそれはわかるわ」
勝ち誇るように言って真奈美は北条を見た。
「なるほど。確かに嘘を言ってるようではないね。記憶も確かなようだ」
「当然よ。あんなマザコンゲーム。本当なら早く忘れたいものだわ」
「マザコンゲーム?」
「あら、あなたもゲームに参加していたのに気づいていないの?」
真奈美は皮肉をこめて言った。
「キツいねえ。降参だ。確かに君の言うように私は参加していない。ちょっと君の反応が見たかっただけだ。それでマザコンゲームとは?」
「マーテルの塔。あれは母体よ」
その言葉に背筋を冷たいものが走る。
「母体?」
「そうよ。女の私にはわかる。あれは母体を想像しながら作られたイメージだわ」
そう。あの温もり。あの身体に残る包み込まれるような微かな記憶。確かにその言葉がしっくりくる。
あの塔の階段を登っていくその感覚が身体に蘇ってくる気がした。
「あのゲームを作ったのはきっとすっごいマザコンだと思うわ」
と、真奈美は付け足した。
「面白い意見だ。ところであのゲーム以来何か変わったことはないかね?」
「変わったこと? さあ……別にないわね。強いて言えば変なメールが届いたことくらいかしら」
「変なメール?」
「迷惑メールみたいなものよ。なんかゲームのファンサイトみたいなところを教えるURLだったみたい」
「ファンサイトか……」
「こんな話で参考になったのかしら?」
「十分だよ。ところでなぜ君はゲームに参加したのかね? 君はそういうものには興味がないものと聞いていたけどね」
「なぜって……」
突然、真奈美は言葉に詰まった。「……なんとなくよ」
「なんとなく?」
北条はその真奈美の表情を見て小さく笑った。
「何が言いたいの?」
「べつに。君たち二人は似ていると思っただけさ」
「私たちが?」
真奈美は一瞬驚いたように北条の顔を見てから吹き出した。
「そんなこと言われたの初めてだわ」
笑いながら真奈美は北条に言った。
「君はそう思わないのか?」
「さあ、どうかしら? 人間って誰しも似たような部分を持っているものよ」
「無難な答え方をするね」
「あなたは何を企んでいるの? 本当に事故のことが知りたいだけ?」
「君はなかなか頭の回転が速いようだね」
「誉めてくれてるの?」
「感想を言ったまでだよ。私は事故そのものよりも、人間という生き物に興味があってね」
「あなただって人間でしょう? 研究したいのなら自分自身を研究すればいいわ」
「そう出来れば一番手っ取り早いのだが、どうやら私や私の周辺の人間は一般的な感情を持ってはいないらしい」
「だから私や美夕を?」
「そういうことだ」
「失礼な人ね」
そう言った真奈美はなぜか笑みを浮かべている。
「マナーには疎くてね」
「面白い人。他に質問はある?」
「話したいことはいろいろある。美夕君も面白いが、君も面白い存在だ。だが、とりあえず今日はここまでにしておこう」
「犯人を見つけるつもり? どうしてあなたが?」
「私ではないよ」
「それじゃ美夕が?」
「殺された杉村雛子君は彼女の友達だったからね」
「あなたが嗾けたの?」
「なぜそう思う?」
「……なんとなくね」
「なんとなく……か。君の『なんとなく』はどうやらいろんな意味を持っているようだね」
北条はからかうように言った。だが、真奈美はあくまで真剣な表情で、すっと北条に近づいた。そして、美夕を背にして、そっと何かを呟いた。それはあまりに小さな声で美夕の耳に聞き取ることは出来なかった。
それに対して北条もまた何か話している。やがて、北条は立ち上がった。
「何か参考になったかしら?」
「ああ。十分さ」
「それじゃ、私行くわね」
真奈美が北条に声をかける。
「あ――待って」
美夕は急いで北条の携帯に電話をかける。
――何かね?
わずかに視線を美夕がいる車のほうに向けながら北条が訊く。真奈美はその北条の様子をじっと眺めている。
「真奈美に訊いてください」
――何をだね?
「どうして学校を辞めたのか」
――学校? 事件に何か関係が?
「いいから訊いて!」
――わかった。わかった。
北条は携帯を耳から離すと、視線を真奈美に向けた。
「どうしたの?」
「司令官殿からの電話さ」
「司令官殿?」
怪訝そうに北条を見る。
「君、学校を辞めたのかね?」
「え? ええ……」
「なぜ辞めたのかね?」
「そんなことにまで答えなきゃいけないのかしら?」
「その理由を知りたがってる人がいてね。もちろん答えたくなければそれでも構わない」
北条はちらりと美夕のいるBMWを振り返りながら言った。その視線に気づき、真奈美も美夕のほうを見る。
美夕は思わず頭を引っ込めた。
「いいわ。答えてあげる」
すぐにイヤホンから真奈美の声が聞こえてくる。「意味がなかったから辞めたのよ」
「意味って?」
「あの学校に行く意味」
その言葉が美夕にはわからなかった。真奈美はさらに言った。「あなたの司令官殿に伝えてくれるかしら?」
「何をだね?」
「私、待ってるからって」
そう言うと真奈美はくるりと背を向けて歩き出した。
顔をあげ、背筋を伸ばして去っていく。その姿にどんなに憧れたことだろう。
真奈美の姿が眩しく見えた。そして、車のなかに隠れてその姿を見送る自分自身が惨めに思える。
(待ってる? 何を?)
何か言わなきゃいけない。そう思いつつも言葉が出てこない。
美夕はただ真奈美の後ろ姿を見送るしかなかった。