6.嘘・6
北条の言っていたことがわかったのは翌日の放課後のことだった。
校門を出ると黒いセダンが止まっていることに気づいた。そして、先日のときと同じように新谷がその脇に立っている。
(なぜ?)
不安が胸を過ぎる。
「おかえりなさい」
「何かあったんですか?」
「いえ、ご心配なく」
美夕の不安に気づいたのか新谷は軽く微笑んでみせた。「今日はちょっとあなたに訊きたいことがあってね」
「何でしょう?」
「立ち話もなんですから……」
新谷は車の後部座席を開け、美夕は大人しく従った。二人が車に乗り込み、ゆっくりと動き出す。
美夕の隣で、新谷がポケットから手帳を取り出す。だが、いつまでも何も言い出そうとしない。
「訊きたいこってなんです?」
沈黙にたまりかねて美夕が口を開いた。新谷は視線を美夕へ向けた。
「失礼ですが、昨日、どこかお出かけになりましたか?」
ドキリとする。新谷の青い瞳が、美夕の表情を注意深く伺っている。瞬き一つからでも、心のなかを読まれてしまいそうな気がする。
「え……ええ……」
あくまでも自然に見えるように気をくばりながら美夕は頷いた。
「どちらへ行かれたか教えてもらえますか?」
「ど……どうしてそんなこと言わなきゃいけないんです?」
「質問しているのは私です。答えられないんですか? なら質問の仕方を変えましょう。あなたは、なぜ仲崎幸一のマンションに行かれたんですか?」
スッと身体の血がひいていく。
間違いない。新谷は昨日、美夕が六本木にあるマンションまで行ったことを知ったうえで聞いているのだ。
「答えてください。私はべつにあなたが犯人だと思っているわけではありません」
返事に困っている美夕に新谷は畳み掛けるように言った。
「どうして……」
「匿名の電話があったんですよ」
「電話?」
「ええ。あなたが六本木にある仲崎幸一のマンションを訪ねていったという電話です。しかもご丁寧に私宛てにね。違ってますか?」
「……それは……」
いったい誰がそんな電話をしたというのだろう。仲崎の友人である戸田直樹だろうか。だが、新谷の口ぶりではそのことについては知らないようだ。
「彼が六本木にマンションを借りていることは、彼のご両親も知らなかったことです。そのあなたがなぜ彼のマンションに?」
「それは……」
どう説明すればいいのだろう。北条のことを話すわけにはいかない。
「答えてください」
「……前に仲崎君に教えてもらったことがあるんです。六本木にマンションを借りてるって」
咄嗟に嘘をつく。そうでもしなければ、北条や戸田直樹のことまで全て話さなければいけなくなる。
「その話、他には誰が?」
「雛子と二人でいる時に聞いたので……他には誰も……」
「なぜ、先日は何も仰らなかったんですか?」
「忘れていたんです。あの後で思い出したんです」
「それで見に行ったというわけですか?」
「……はい」
果たして信じるだろうか。新谷はしばらく考え込むようにしていたが、やがて、顔をあげた。
「そうですか。わかりました。ただ、これからは何か思い出した時にはすぐに連絡をいただきたいものですね」
「すいません」
ほっとして小さく頭をさげた。そして、北条の言葉を思い出す。
――今度、新谷という刑事にあったら訊いてみてくれ。
北条は昨日のことが新谷に伝わることを予想していたのだろうか。
(まさか――)
警察に匿名で連絡したのは北条なのではないだろうか。だからこそ、昨日あんなことを言ったのではないだろうか。それならばわざわざ新谷を名指ししたことも頷ける。
「どうしました?」
考え込む美夕を見て新谷が声をかけた。
「いえ……あの……捜査は進んでいるんですか?」
美夕は新谷の表情を伺いながら口を開いた。これが北条の仕掛けたことだったとしても、美夕自身、情報が欲しい気持ちに嘘はない。
「まぁ、ぼちぼち……ですね」
新谷は曖昧に答えた。
「仲崎君について何かわかりました?」
「興味があるようですね」
探るような目で新谷は美夕を見た。
「興味ってわけじゃありませんけど……でも、雛子を殺した犯人がいったい誰なのかは気になってます」
「なるほど。確かにそうでしょう」
新谷は小さく頷いた。
「どうなんですか? 何かわかったんですか?」
「それを話す前に訊きたいんですが、あなたはこの事件の原因はいったいなんだと思っていますか?」
「事件の原因……?」
「やはりあのゲームの事故が原因だと思いますか?」
「どうして急にそんなことを?」
「実は、杉村雛子さんや仲崎幸一殺害のことであなたたちゲームのお仲間のことも調べさせてもらいました。その結果、ちょっとおかしなことになりましてね」
「おかしなことって言うのは?」
「中尾竜平という男を知っていますよね。彼もあなたたちの仲間の一人ですね?」
「はい。中尾雅彦さんのお兄さんですよね。あの人がどうかしたんですか?」
「実はね、そんな人間は存在していないんですよ」
「存在って……」
一瞬、北条のことを思い出した。まさか中尾竜平も北条と同じように、この世に存在しない人間だとでもいうのだろうか。
だが、新谷が言ったのはまったく別のことだった。
「彼の本名は三代竜平。実家は九州の宮崎県。今は調布にあるアパートでひとり暮らしをしています。事故で死んだ中尾雅彦の兄というのは嘘なんです」
「嘘? どうしてそんな嘘を?」
「いや……正確にいえば、嘘をついたというわけじゃない。本人がそう思い込んでしまっているんですよ。自分が中尾雅彦の兄だとね」
「え?」
「不思議な話です。死んだ中尾雅彦は一人っ子で兄弟などはいないのです。それにも関わらず三代は、その中尾雅彦の兄だと信じ込んで、ゲームでの事故の原因を必死になって探っていました。仲崎幸一が殺される前日には彼のマンションを訪ねていたようです。何でもゲームでの事故のことを詳しく聞くためだったようです」
「いったいどうして?」
「理由はわかりません。ですが、彼のアパートからあのゲーム機が発見されました。つまり彼もまたプレイヤーの一人だったわけです。入院した記録は残っていませんが、ひょっとしたら彼自身、事故に遭ったんじゃないでしょうか。その後遺症で、そんなふうに思い込んでしまったと考えられます」
「そんな……それじゃあの人もゲームに参加を? 写真は? 私、中尾さんから子供の頃の写真を見せられました。弟さんと一緒の写真です」
「それはおそらく別人でしょう。彼は子供の頃に弟さんを事故で亡くしてるんです。二人で川に遊びに行った時に事故に遭ったそうです。その事故で弟さんは命を落としている」
「事故のせいで?」
その言葉に背筋が寒くなる。
「それは私にも何とも言えません。けど、まったく無関係とは言えないでしょうね。小笠原礼子も軽い記憶障害を起こしているようですし」
「礼子さん? 礼子さんがどうかしたんですか?」
「彼女、息子と一緒にゲームをしていたと話しているんです」
「それのどこがおかしいんですか?」
「実はね。彼女、半年前に離婚しているんですよ」
「離婚?」
美夕は驚いた。確か礼子はシングルマザーだと言っていた。
「お子さんを事故で亡くしたのが原因のようです」
「事故? え?」
「半年前に子供がホームに落ちて電車に轢かれた事故があったのを憶えていませんか? それが彼女の息子さんですよ。それなのに彼女は息子さんと一緒に住んでいると言い張っています」
「そんな……」
携帯電話に貼られたプリクラを自慢げに見せる礼子の姿を思い出す。
「ゲームの事故者が少なからず何かしらおかしなことになっています。あなたは大丈夫ですか?」
「……ええ……」
「それが事故の後遺症なのかどうかはまだわかりません。2人はそれぞれ症状が違っているようですからね。現に澤村信彦にはまったく事故の後遺症は見受けられません」
突然の話に頭が混乱している。
「中尾さん……三代さんの状態は? 酷いんですか?」
「彼の人格はすっかり中尾竜平という存在しない人間に置き換わってしまっていたようです。事故を境にプッツリと会社にも行かなくなり、それを心配した同僚が訪ねてきても『お前は誰だ?』などと言って追い返したそうです。なぜ彼がそんなふうに思い込んでしまったのか、それはまだはっきりしません。ただ、三代竜平と中尾雅彦との接点は今のところ何もありません。唯一、考えられるのが、二人があのゲームをやっていたということです。ゲームシステムの詳細が明らかになれば、それも判明するのかもしれません。いずれにしても今、三代竜平の行方を捜しているところです」
「行方って?」
「実は昨日、所轄の刑事が話を聞きにいったんですが、その際に何を思ったか急に逃げ出しましてね。今も行方がわからないんです」
新谷はバツの悪そうな顔をした。
「仲崎君は何か知っていたんでしょうか?」
「あなたもそう思いますか? その可能性は大きいでしょうね。そして、そのために殺されたのかもしれない。問題は何を知っていたか……ですよ。何か心当たりがありますか?」
新谷は美夕の顔を見た。
「いいえ」
美夕は視線を合わせないようにして首を振った。
すでに新谷は仲崎幸一がゲームシステムへハッキングをしていたことを知っているのだろうか?
「それにしても仲崎幸一というのはすごい高校生ですよ」
新谷はふっと笑みを漏らした。「六本木のマンションを調べてみたんですが、まるで学者でも住んでいるかのような状態でしたよ。パソコンも大型のものも含めて6台所有。コンピュータから心理学、さらにはマーケティングの専門書が山になっていました。あんな高校生もいるものなのかと驚きましたよ」
「マーケティング?」
「彼は将来ゲームソフト会社を起こすつもりだったそうじゃないですか。しかも、ただのゲーム会社じゃない。ゲームと広告を一つにしたものを想定したようです。私には何がなんだかよくわかりませんけどね。それでも、それはただの若者の夢というものではなかったようです。実際に彼はいくつかの企業と契約を結んでいました」
「契約?」
「彼の口座に大手企業に月に数百万もの金が振り込まれていたんです」
「ホームページとかの広告収入じゃないんですか?」
「確かにバロックコーヒーの営業担当もそう言っていました」
「バロックコーヒー?」
美夕はハッとした。自分たちが吐気を覚えたあのコーヒーは確かバロックコーヒーのものだった。
何か関係があるのかもしれない。
「そうです。なんでも新発売の缶コーヒーの広告を依頼していたそうです。けどね、それにしちゃあ金額が大きすぎるんです。広告費用として高校生相手に200万もの金額用意すると思いますか? それに彼が運営しているホームページ、最近ではほとんど手付かずでアクセス数も伸び悩んでいたようです。こんなのおかしいでしょ?」
「そ、その会社の人は何て言っているんですか?」
新谷に表情を読まれないように気をつけながら美夕は訊いた。
「仲崎幸一がどんな広告を出していたかは知らないといってるんです。仲崎幸一はどのような広告を出していたのか、担当の人間にも教えなかったようです。教えていたのは広告を出す日付だけ。それでも仲崎が告げた日にち以降は間違いなく売上が上がったそうです」
「仲崎君は何をしていたんでしょう?」
「彼のマンションにあったパソコンを今、署で解析しているところです。データ量が多すぎてなかなか進みませんが、いずれ彼が何をしようとしていたかもわかるでしょう。そうそう、言い忘れてました。彼のパソコンのなかにはゲームについてのデータも残っていたようですよ。どうやら彼はあのゲームシステムにハッキングを行なっていたようです。ハッキングってわかりますか?」
「ええ。それじゃ事故の時の記録もあったんですか?」
ゴクリと息を飲み込んで新谷の顔を見る。
「真っ先に私もそれを調べましたよ。いや、調べてもらったといったほうが正しいですね」
「何かわかったんですか?」
「いや、さすがにそう簡単にはわからないそうです。それでも残されていたログからゲームで事故にあった人数だけはわかりました」
「何人ですか?」
「8人です。あなたと西岡さん、そして、事故で死んだ中尾雅彦にその兄と偽っていた三代竜平。小笠原礼子。そして中学生の澤村信彦」
心のなかで、その中に康平のこともプラスする。
「一人……足らない」
「二人でしょ?」
新谷がすぐに言った。
「そ、そうですね」
慌てて訂正する。「それが誰なのかも仲崎君のパソコンの分析でわかるんですか?」
「さあ。私も専門じゃあないので、そこまで調べられるものかどうかはわかりません。ただ、ゲームが原因でこの事件が起きたのだとすれば、明らかにする必要もあるのかもしれません」