6.嘘・5
上野の駅前で車を降りると改札へと向かう。
北条は家まで送ってくれるとは言ってくれたが、少し一人になって考えたかった。それに北条といると妙に精神的に疲れる気がする。どこかいつも心の奥底を覗かれているような感じがするせいかもしれない。
改札脇の切符の自動販売機に近づいていくと、そこで美夕は改札脇に立つ女性の姿に視線を向けた。
(あれは――)
見た憶えのあるその姿。
小笠原礼子だった。
グレイのパンツスーツを着た礼子は時間を気にするように腕時計をチラチラと見ながら、周囲を伺っている。
誰かを待っているのだろうか。
美夕は切符を買ってから、ゆっくりと礼子に近寄っていった。
「こんにちは」
と声をかけると、礼子はハッとしたように美夕を見た。
「あら美夕ちゃん」
「どうしたんですか? 誰かと待ち合わせですか?」
「うん。息子とね。これからデートなんだ」
そう言って礼子は笑って見せた。
「でも、礼子さんって確か家は練馬区じゃなかったですか? どうしてここに?」
以前、光が丘公園の近くのマンションに住んでいると聞いたことを思い出した。
「うん……ちょっとね」
礼子は一瞬表情を翳らせた。その表情に、何か訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうかと不安になる。だが、すぐに礼子は明るい笑顔で言った。
「実家が王子にあるんだ。昨夜、そっちに泊まったから迎えに来たのよ」
その答えにホッとする。
「ああ。そうなんですか」
「子供ってさ、目を離すとどこ行くかわかんないから大変だよ。でもね。子供の成長を見るのは楽しいもんだよ。子供には子供の悩みもあるようだけどね」
「悩みですか」
「人間、生きてる限りは誰でも悩みがあるもんだよ。だからこそ生きてるって言えるんだけどね」
知り合って間もないが、それでもその言葉は実に礼子らしい気がする。
「礼子さんも悩みがあるんですか?」
「そりゃあ私だって人間だからね」
礼子はふっと小さくため息をついて遠い目をした。だが、すぐに礼子らしい明るい笑顔を見せる。「悩みがないのは澤村君くらいかなぁ。いや、彼にも悩みがあったかな。彼、いつも紙袋持ち歩いているだろ。中身は何だと思う? アニメのセル画だよ。なんでも家に置いておくとお母さんに捨てられてしまうからっていつも持ち歩いてるんだって。趣味にとやかく言うつもりはないけど、あれはちょっとねぇ」
ケラケラと大きな声で笑う。
「その後、どうですか?」
美夕は恐る恐る訊いてみた。
「その後って?」
何の事かわからない様子で礼子は不思議そうな顔をした。
「事故の後、身体、大丈夫ですか?」
「ああ。ゲームのことね。うん。何も問題ないよ」
あっさりと答える。
「そうですか」
「運が良かったのかもしれないよね」
「どうしてですか?」
「それこそ中尾さんみたいに弟さんを亡くした人もいるわけだしさ。息子と私、二人とも元気でいられるって幸せだと思わなきゃ。美夕ちゃんも忘れちゃいけないよ」
まるで諭すかのように礼子は言った。
「そうですね」
その通りだ。自分はきっと幸せなのだ。いつもそのことを忘れがちになる。理想を目指すのは大切なことだが、自分よりも不幸な人がいることも忘れてはいけないことだ。
「中尾さんから連絡あった?」
「いえ、何の連絡ですか?」
「連絡っていうよりも事情聴取かな」
礼子は軽く笑った。「事故の時のプレイヤーの動きを、一つ一つ細かく調べてるみたい。事故にあわなかった一般のプレイヤーにまで問い合わせてるらしいよ。彼も必死だね」
「本当に原因なんてわかるんでしょうか?」
「どうだろうね。でも、そうしないと彼の気が治まらないんじゃないかな。彼、弟さんを本当に大切に思ってたみたいだし」
「ええ」
大切な人を失う。それがいかに悲しく苦しいことか、それは美夕にも少しはわかる気がする。
「そろそろかなぁ」
と、礼子は改札のほうを気にする。改札からはひっきりなしに人が溢れて出てくる。
「それじゃ、私はこれで」
「家に帰るの?」
「はい」
「気を付けてね」
まるで母親のように心配そうに言う礼子の言い方に少し可笑しくなる。
「はい」
美夕は軽く頭を下げて、改札を抜けていった。
礼子は相変わらず時間を気にしている。気のせいだろうか。どこかその姿がいつもよりも寂しく見えた。