1.ゲーム・2
ジーンズとトレーナーに着替えると、美夕は改めて咲子が置いていったゲームの箱を手に取った。
『ファンタジーロードX ―母なる大地を求めて―このゲームが新しい自分へ誘う』
箱の外側には大きくそんな名前が刷り込まれている。
(新しい自分……か)
ただのゲームとは思っていても、その言葉に美夕はわずかながら惹かれるものを感じた。それはこの1年、いつも心のなかで呟きつづけてきた言葉だった。もし時間を戻すことが出来たなら……もし人生をやり直すことが出来たなら。そんなことを毎日考えつづけてきた。
こんなゲーム一つで新しい自分に生まれ変われるとしたらどんなに良いだろう。そんなことが出来るはずもない。
美夕は小さくため息をついて、箱をあけた。一瞬でもゲームに救いを求めてしまった自分自身に呆れてしまう。箱のなかには分厚い説明書といくつもの機材が入っている。その機材を見ただけで、美夕は憂鬱になった。昔からどんな電化製品を買ってきても説明書などまともに読んだことなどない。
(こんなのわかんないわよ)
美夕は立ち上がると、隣の部屋のドアを叩いた。
「康平! 入るわよ!」
だが、まるで反応がない。
それでも美夕は返事がないのを無視してドアを開けた。壁にもたれてゲームボーイに集中している康平の姿が見えた。パジャマ代わりに着ている黒いジャージのままだ。
「ちょっと――」
美夕が声をかけると、康平はちらりと視線を上にあげただけで、すぐにまたゲームの画面に視線を戻した。
「何?」
「あんた勉強しないでいいの?」
「今、休憩中」
ムスッとした顔つきで康平は言った。どうやら咲子と喧嘩して機嫌が悪いようだ。
「いつ勉強してるんだか」
「喧嘩しにきたのかよ?」
ゲームをする手を止めることなく康平は言った。
「違うわよ。このゲームなんだけど、私、よくわかんないよ。教えてくれない?」
美夕はゲームの箱を康平に突き出した。
「難しいことなんてないだろ?」
「いいから、教えてよ。私、ゲームなんてしたことないんだから」
「まったく」
康平は面倒くさそうにゲームを止め、美夕を見上げる。「説明書読めばわかるだろ」
「何よ、それ。もともとあんたの代役で私がこんなものやらなきゃいけないことになったんでしょ?」
「俺が頼んだわけじゃないよ」
ふてくされたように康平は言った。中学3年。まだ表情はあどけなさが残っているものの、年々少しずつ男っぽくなると同時に生意気さが増してくる。
「じゃあ、私が参加しなくてもいいわよね」
その言葉に康平はチッと小さく舌打ちをしてから手を伸ばし、美夕の手から乱暴に箱を取った。
「わかったよ。で、何がわかんないんだよ。どうせロクに説明書も読んでないんだろ?」
「それが面倒だから聞いてるんじゃないの」
美夕も康平の前に膝をつく。
「たいして面倒なことなんてないじゃないか」
そう言って康平は箱を開くと、なかから説明書を取り出し、ページを広げて美夕に向けた。「ここに書かれているとおりに身体にゲーム機を接続すればいいだけだよ」
「どれを?」
「これを――」
康平はゲーム機本体を取り出した。ポケットラジオくらいの大きさのゲーム機から何本ものカラフルな色のコードが延びていて、その先には吸盤がつけられている。
「ずいぶんいっぱい線があるわね」
「ちゃんと色分けされてるからすぐにわかるよ。これを頭と腕と胸の部分にくっつける。で、最後にゲーム機本体のこの太いケーブルに姉ちゃんが持ってる携帯電話を繋げばいいだけ」
「携帯使うの?」
「使わないでどーすんだよ。ネットにつなげないだろ?」
当然……という顔で康平は美夕を見た。
「お金かかるじゃないの」
憮然として美夕は言った。ただでさえ携帯電話の料金は少ない小遣いの半分以上を占めている。
その美夕の顔を見て康平はニヤリと笑った。
「それなら大丈夫だよ。今回はキャンペーン用のデモゲームってことで接続料金は無料になってるから」
ほっと胸を撫で下ろす。
「で? いったいどんなゲームなの?」
「なんだよ。全然、説明書読んでないんだな」
呆れたように康平は言った。
「文句言わないの。そりゃ、康平は興味があるんだろうけど、私は嫌々参加させられるだけなのよ。少しは悪いって気持ちにならない?」
「それは母さんに言ってくれよ。俺だってずっと前から楽しみにしてたのを取り上げられてがっかりしてるんだ。これはね、これまでなかったまったく新しいゲームなんだぜ」
康平は目を輝かせた。
「何が新しいの?」
「今までのRPGはテレビ画面に映るゲームのキャラクターを動かすだけだったろ。このゲームはプレイヤーがゲームの世界に飛び込むんだ」
「どういうこと?」
「そうだなぁ……言ってみればこのゲーム機はプレイヤーに夢を見させるんだ」
「夢?」
「それだけじゃないんだぜ。プレイヤーが夢のなかでどう行動したかまでをちゃんと理解して情報としてネットに流す。つまりさ、まったく見知らぬ人たちが夢を共有するんだ。すごいだろ」
まるでそのゲームを自分が作ったかのように康平は自慢げに言った。
「そんなことが出来るの? なんか凄すぎて怖くなるわね」
美夕は眉をひそめて言った。どこの誰とも知らない見知らぬ人たちと一つの夢を共有するなど、考えただけで怖い気がしてくる。
「怖いことなんてあるもんか。ゲームのなかで何かあっても、それはただの夢でしかないんだから。目が冷めたらゲームオーバーだよ」
康平はバカにするように鼻でフフンと笑った。その康平の言葉にふと『リセット世代』という言葉を思い出す。
ゲームをリセットするように現実をやり直すことが出来ればどんなに良いだろう。
「ゲームのなかで何をするの?」
「さあね。それは実際にやってみなきゃわかんないよ」
その質問には康平も首を傾げた。そして、説明書をパラパラと捲る。「ゲームの設定は今の日本。そして、プレイヤーは自分自身の存在のまま。つまり姉さんは『長瀬美夕』本人としてゲームに参加するんだ。ただし、ゲーム開始直後に次元の歪によって、別の世界と融合してしまう。それがテンプルム国。そこで何が起こるかはゲームが始まってからのお楽しみ……ってわけ」
「本当に参加しなきゃいけないの?」
話を聞けば聞くほど億劫になってくる。『新しい自分に会える』とはいっても、それはしょせんゲームのなかでしかない。
「ダメだよ。絶対参加がプレイヤーに選ばれる条件だったんだ」
「参加しないとどうなるの?」
「それはわからないよ。でも、あとで問題になるのも困るだろ。ゲーム不参加のため違約金――なんてこと言われても俺は知らないからね」
康平は突き放すように言った。
「嫌だなぁ。やっぱり康平が参加しなさいよ」
「それが出来れば初めからやってるよ」
「まったくぅ」
美夕は大きくため息をついた。