6.嘘・3
北条の運転するBMWの助手席に乗りながら、美夕は北条から手渡されたリストを見つめた。
「ここにチェックされているのはどういう意味ですか?」
美夕は北条に訊いた。リストのなかには何人か赤いペンで丸をつけられているものがあった。
「さっきクラスの一人に電話して、仲崎幸一と親しかったと思われる人を教えてもらったんだ。今から行くのがそのなかの一人だ」
北条の行動力に美夕は驚いていた。思えば北条が美夕を訪ねて来た時も、雛子の知り合いということで疑いもしなかったが、ひょっとしたら雛子はそれほどまで細かく美夕のことを話してはいなかったのかもしれない。
BMWは新荒川大橋を抜けると、赤羽駅裏の駐車場に滑り込んだ。そして、美夕たちは車を降りると、すぐ近くの喫茶店へと入った。そこは一階がコーヒー豆の専門店、2階がカフェとなっており、店内コーヒーの香りが充満している。
美夕は思わず眉をひそめた。
「気分はどうかね?」
美夕の様子に気づき、北条が声をかけた。自分と康平の体調の変化については車内にいる間に話してある。
「平気です」
「ではやはりバロックコーヒーだけというわけか。それも事故に関わっているのかもしれないね」
そう言いながら店の奥に歩いていく。
北条は席につくとちらりと腕時計に視線を走らせた。
「約束は4時だから、もうすぐやってくると思うよ。何か食べる?」
「……いえ」
そんな気分にはならなかった。美夕はコーヒーを、北条はサンドイッチのセットを頼んだ。
やがて4時を少し回った頃、一人の若者が店に入ってきた。
膝に穴の開いた黒いジーンズと灰色のトレーナーを着ている。若者はキョロキョロと店内を見回し、誰かを捜しているように見えた。
すぐに北条が気づき、手をあげる。どうやら彼が仲崎の友人らしい。
「こっちだよ」
北条に導かれるように若者が近づいてきた。美夕はすぐに北条の隣へと席を移した。
「あの……北条さんというのは?」
「私だ。戸田直樹君だね」
「はい。仲崎君のことで話って?」
わずかに警戒するような眼差しで北条と美夕を見比べる。丸顔に垂れた目。最近良くテレビで見る子役上がりのタレントに似て、見るからに人の良さそうな顔をしている。
「座ってくれ」
北条に促されるままに戸田直樹は席についた。
「話ってなんです? 警察の方ですか?」
「いいや。警察はもう君のところに話を訊きに行った?」
「……はい。仲崎君が殺された次の日に」
おどおどしながら戸田は答えた。
「私は警察の人間ではないよ。あまり表に出る事の出来ない公的機関の人間だ。ここで君が話したことで、君が後に不利になるようなことはないから安心してくれ」
北条は声を潜めて言った。「私はある人からこの事件について依頼を受けてね、それで調べているんだ。だから今日、私と会ったことは他言しないようにしてくれ。もちろん警察にもね」
それが嘘であることは明白だった。それでも――
「はい」
北条の言葉を信じたのか、戸田は顔を強張らせながら頷いた。それから美夕のほうにちらりと視線を向ける。
「これは私の妹だ。若い人のことは私にもわからないので付き合ってもらってるだけだ」
北条が答える。この男、嘘をつくことに慣れているようだ。
「あ、そうですか」
戸田はペコリと美夕にも頭を下げた。
その時、かわいらしいピンクの制服を着た若いウェイトレスが近づいてきた。戸田の注文を聞いてウェイトレスが離れていくのを待って北条は口を開いた。
「彼のことをいろいろ教えて欲しいんだ。君、仲崎幸一君と仲良かったそうじゃないか」
「え……まあ……」
「友達は多かったかな?」
「いや……どっちかっていうと少なかったかな。あんまり学校にも来てなかったし」
戸田は緊張した面持ちで答える。
「君から見て彼はどんな人だったかな?」
「どんな人って……すごい人でしたよ」
「すごい?」
「僕は小学校の頃から彼のことを知ってますけど、その頃からパソコンでゲームとか作ってました。もちろんゲーム雑誌にもゲームプログラムとか載っていて、僕も簡単なものなら作れますけど、彼が作るのは本当にプロが作るような完成されたものでした」
「ゲームプログラマーとしては一流だったわけだね」
「ええ。将来は会社を作るんだっていつも言ってました。でも、あれだけの技術力があれば今すぐにでもプロになれたんじゃないかな。実際にバイトしてるって言ってたし」
戸田は心から仲崎のことを尊敬しているようだった。
「バイトっていうのは?」
「広告収入っていうやつらしいですよ。ホームページとかに企業の広告を貼ってそのアクセス数でかなりの収入があったみたいです」
「大したものだな。彼が得意だったのはゲームソフトを作ることだけではなかったわけだね?」
「ええ。彼はパソコンにもすっごい詳しくて、自分でパーツ集めて作っちゃうし。僕が今使ってるのも彼に作ってもらったものです。それにハッカーとしてだって――」
「ハッカー?」
「あ……」
言いすぎたことを後悔するように戸田は俯いた。
「大丈夫だよ。別に彼がやったことを今更咎めるつもりなどない。今はとにかく彼がなぜ誰に殺されたのかを調べるのが目的だから、どんなことでも話してくれ」
北条は安心させるように優しく促した。
「は、はい」
「それで? 彼はハッカーとしても一流だった?」
「たぶん……僕はあんまりそういうことはよくわからないんだけど、いつも学校で侵入したサイトについては話してくれました」
「すごいんだねぇ」
感心したように北条が言う。「どんなところにハッキングを?」
「そりゃもういろんなとこです。有名な会社だったり、プロバイダだったり……」
友人が褒められたことに気を良くしたのか、戸田は嬉しそうな顔をした。そして、ウェイトレスが持ってきたアイスコーヒーに口をつけた。
「最近はどんなところに?」
「えっと……確かゲームサイトに侵入したって話してましたよ。あの……この前事故があったゲームあるでしょ?」
それを聞きドキリとする。
「ファンタジーロードX?」
北条の瞳の奥が妖しく光る。
「そう、それです。それでゲームの最中にサイトに侵入したって言ってました」
「あれは特殊なオンラインゲームだろ? 彼は本当にあれに侵入を?」
「ええ。そう話してましたよ」
「じゃあ、そのゲームの時のこと、彼はどんなふうに話してたかな?」
「あれについてはあんまり話してなかったです。ただ、ハッキングしてゲームの流れを見ていたとしか言ってなかったですね。ただ……」
戸田は少し俯いて何かを思い出したようにそっとこめかみを手で押えた。
「ただ何?」
「なんかあの時はいつもと様子が違うような気がしました。なんか心配事があるような……」
「心配事? それはどんなことか言ってなかった?」
「いいえ。でも、ちょうどあのゲームの次の日からだったし……やっぱあのゲームが関係しているのかもしれません」
「ふむ。彼の家は北千住だったね」
北条がリストに書かれた仲崎の住所を眺めながら言った。
「はい」
「彼が殺されたのは六本木の地下鉄のトイレだったね。なぜ彼はそんなところへ行ったんだろう?」
「たぶん……仕事場に行ったんだと思います」
「仕事場?」
「六本木にマンションを借りていたんです」
「君も行ったことがあるの?」
「ええ……何度かですけど」
「部屋はどこ?」
「703号室です」
「誰か他に知っている人はいるかね?」
「クラスの何人かは知ってますけど……他にもいたんじゃないですか?」
「どうしてそんなことが言えるんだい?」
「だって、この前、クラスの仲間と遊びに行ったんですけど、急に電話が入って追い返されちゃったんですよ。入れ替わりに男の人が入っていったの俺、見ましたよ」
「どんな人だった?」
「なんかおっかない感じの男の人です。スーツ着てたからたぶん働いてるんだと思うんですけど」
一瞬、頭のなかに中尾の姿が蘇る。
「この話、警察にはしたのかい?」
「いえ……やっぱりしたほうが良かったんでしょうか? 前に親に内緒にしてるって言ってたんでなんか言い出せなくて……」
「気にすることなどないさ。そんなことくらい君が言わなくても警察はすぐに見つけるだろう。もし気になるのなら、今度警察に聞かれたときに思い出したように答えればいい」
そう言うと北条はすっくと立ち上がった。