4.理由・3
二日後、美夕は拓也と共にいつものファミレスに向かっていた。
拓也がアークシステムの人間に連絡を取り、会う事になっているからだ。
皆に会うのも雛子が殺されて以来のことだ。
やはり先日の雛子のことがあるせいか、拓也はいつもと違い口数が少なかった。黙ったまま淡々と足を動かす。
信号を渡り、ファミレスが見えてきた時――
「あの……」
美夕は耐え切れずに立ち止まった。「雛子のことなんですけど――」
皆と会う前に、やはりちゃんと話をしておきたかった。
「どうしたの?」
拓也も足を止め、ちらりと視線を美夕に向けた。
「どうして雛子は殺されたんでしょう?」
拓也の表情が曇り、視線が宙を泳ぐ。
「さあ」
「雛子の電話のことですけど……あの意味わかりましたか?」
「『大丈夫』ってこと? いろいろ考えてみたけど、俺にはやっぱりわからないよ」
「そうですか……ひょっとして雛子が殺されたのはゲームのことに関係があるんでしょうか?」
「――まさか」
拓也はすぐに否定した。「なぜそんなふうに思うの?」
「だって……アークシステムの名波さんが殺され、雛子までも続けて殺されるなんて……何か変だと思いませんか? 本当に何も関係ないんでしょうか?」
名波が殺された事件についても、未だに犯人が捕まったという話は聞いていない。美夕の頭のなかに、同一犯による事件ではないかという疑念がわずかに生まれていた。根拠となるものは何もない。ただの直感でしかない。
「考えすぎじゃないかな」
「でも――」
「雛ちゃんはゲームに参加すらしていなかったんだ。もし、雛ちゃんが殺されたのがあのゲームのせいだとすれば、彼女の嘘を信じた誰かのせいということになる」
「誰かって……」
「中尾さんたちの誰かだよ。でも、彼らだって雛ちゃんを殺さなきゃいけないような理由があるとは思えない」
「それは……そうですけど」
拓也の言うこともわかる。だが、それだけでは拭えない不安感が残っている。それでも言い返すことが出来ずに美夕は俯いた。
「あんまり考えすぎないほうがいいよ。犯人は警察がきっと見つけ出してくれるさ」
拓也はそう言って美夕の肩を軽くポンポンと叩くと再び歩き出した。
美夕もその後に続く。
確かに拓也の言うこともわかる。雛子はあのゲームに関して、特別な存在というわけではなかった。
だが……
何か心のなかに引っかかっている。もしあのゲームがなかったら、雛子は殺されなかったような気がしてならない。
ファミレスのドアを開け、中へ入る。
いつものように小笠原礼子と澤村が窓際の席に座っている。
テーブルに着くと、礼子がそっと声をかけた。
「大変だったね」
雛子のことは全国ニュースやワイドショーでも取り上げられている。当然、礼子たちも知っていて当然だった。
「ええ」
美夕はそっと目を伏せた。
「元気だしなよ」
礼子はそれだけ言うと、そっと美夕の手をぎゅっと握り締めた。
母親らしい暖かな手をしていた。
店のドアが開き、仲崎と中尾が姿を現した。二人はすぐに美夕たちを見つけると近づいてきた。
「二人が一緒なんて珍しいね」
「駅前で会ったんですよ」と中尾が答える。
「あれ? ゲームの関係者って人はまだですか?」
そう言いながら仲崎が美夕の前に腰を降ろした。
「藤原さんならもうすぐ来ると思うよ」
ちらりと腕時計を見ながら拓也は答えた。
「僕、今日は6時までに帰らなきゃいけないんですけど……」
申し訳なさそうに澤村が言った。
「大丈夫だよ。約束は4時半だし、あの人、几帳面な人だから。遅れてくることはないよ。何か用事があるの?」
「今度、家庭教師の先生が来る事になったんです」
「そうか。中学生だもんな。今年は受験か」
拓也はそう言ってから仲崎へ視線を向けた。「仲崎君は塾とかには――」
「行ってませんよ。前にも言ったでしょ。僕の場合、勉強はただの趣味ですからね。それに別に塾などに行かなくても、学校の授業に遅れるようなことはありませんよ」
「すごいね。仲崎君は優秀なんだな」
仲崎の隣に座った中尾は感心したように言って仲崎を見た。だが、仲崎はからかわれたと思ったのか、ジロリと中尾を睨んだ。
「中尾さんは大丈夫なんですか? 働いてるんでしょ?」
「会社員には有休ってものがあるから大丈夫だよ。それに今はあの事故の原因をはっきりさせたいからね」
中尾は真剣な面持ちで言った。
「そろそろかな……」
拓也が呟きながら再び腕時計を見る。美夕も携帯電話のサブディスプレイで時間を確認した。
午後4時27分。
その時、扉が開く音が聞こえ若い男性が走りこんできた。男性は店内を見回し、すぐに拓也を見つけると早足で近づいてきた。
「お待たせしちゃいましたか。ちょっと出がけにいろいろとあったものだから」
「いえ、こっちもちょうど全員揃ったところですよ」
そう言って拓也は立ち上がると、みんなに顔を向けた。「アークシステムでプログラマーをしている藤原さん。アークシステムの社員ではないんだけど、フリーのプログラマーでアークシステムにも出入りしているんだ。以前からネットではいろいろ話をしていたんけど、今度のことでいろいろ教えてもらおうと思ってきてもらったんだ」
「え? ちょっと待ってください。この人たちは……」
藤原は驚いたようにテーブルに座る四人の顔を見回す。「まさか……」
「ええ、事故に遭った人たちです。あ、中尾さんだけは実際に事故に遭ったのは弟さんのほうですが……どうかしました?」
「いや……今日は西岡さんだけかと思っていたものですから」
「皆を呼んではいけなかったんですか? あの事故に遭ったのは俺だけじゃないんで、皆も話を訊きたがると思ったんで呼んだんですが」
「ええ……その気持ちはわかるんですが、今日、私が来たことが会社に知られるとちょっとヤバイんで……」
「大丈夫ですよ。今日のことを外に漏らすようなことはありませんから」
「でもねえ……」
「お願いしますよ。俺たち、別に裁判起こそうなんて考えてるわけじゃないんだしさ。それに藤原さんはアークシステムの社員ってわけじゃあないでしょ。決して迷惑かけるようなことはしないから」
拓也は軽く頭をさげながら藤原の腕を掴んだ。
「……わかりました。まあ、私もそれほど多くのことを知ってるわけじゃありませんけどね」
藤原はそう言うと席に着いた。
そのタイミングを計っていたかのように、若いウェイトレスが近寄ってくると藤原たちの前に水を差し出す。それぞれ飲み物を頼むと、ウェイトレスは軽く一礼して離れていった。
「まずゲームのことについて話してもらえますか?」
一呼吸置いてから拓也が藤原に促すと、皆の視線が藤原に集まった。藤原は困ったように頭を掻いた。
「困ったなぁ……実際、私はあまりあのゲームのことには詳しくないんです。それにあれはシステムのほとんどを名波さん一人で作っていましたからね」
「一人で? あれだけのものをですか?」
澤村が驚いたように言った。
「実際には他に手伝っていた人がいたようです。いや……むしろ名波さんのほうが手伝っていたのかもしれませんね。ただ、それは社内の人間ではなかったようです」
「社内の人間じゃない?」
「これは私も噂で聞いたことなんですが、もともと名波さんが今回のゲームシステムを提案したのは5年も前のことなんだそうです。ただ、その時は社内でも賛否両論ありましてね。結局、社内ではその開発に着手することは出来なかったのです。それが半年ほど前になって突然、彼は再び同じ提案をしたんです。しかも、その時にはシステムの骨組みはすでに出来上がっていた」
「けど、あれだけのシステム。一人や二人で出来るものではないでしょう?」
「確かに。そう思うのも無理はありません。ただ、難しいのは名波さんが作り上げたシステムの骨組み部分のみ。あとはシナリオの用意するだけなんです。我々は名波さんが作り上げたシステムに、シナリオを組み込んだだけでね。ですから、システムの骨格部分がどのように作られているかについては、まるでわからないんですよ。ちょっと情けない話ですね」
「ソースコードは残っていないんですか?」
仲崎が言った。
「ソースコードってなんです?」
その言葉のわからない美夕が口を開く。仲崎はそんなことも知らないのかというようにジロリと美夕を睨んだ。
「プログラムを書いた原本って言えばいいかな」
と、拓也が説明してくれる。「コンピュータは人間の言葉はわからないからね。プログラマーはコンピュータ言語に変換可能な言語を使ってプログラムを書くんだ。それがソースコード。実際にはそのソースコードからコンパイルという処理を行なって、コンピュータが理解可能なモジュールというものを作ることになる。だからソースコードさえ見れば、わかる人にはそのシステムを分析することが出来るんだ」
拓也の説明が終わるのを待って藤原は口を開いた。
「残念ながらソースコードはないらしいですよ」
「なぜ?」
「さっきも言ったようにシステムの中核部分は名波さんが作っていました。そこはブラックボックスになっていて、第三者は見ることが出来ないんです」
「第三者って? 会社の人間が第三者ってことはないでしょう?」
拓也が呆れたように訊く。
「それはちょっと理由がありましてね」
「どんな理由ですか?」
「実は今回のゲームはトライアル版なんです。このゲームがうまくいったら初めて名波さんの作ったシステムを会社として買い上げることになっていたんです。だから会社にはソースコードは残っていません」
「ではログはどうです?」仲崎が訊いた。
「ログ?」
「ゲームがどのように進行したか、それぞれのプレイヤーの動きやシナリオの流れを表すようなログは残っているのでしょう? 事故の時のログを解析すれば何かわかるんじゃありませんか?」
「そうか。俺たちがあの塔にいた前後のところさえ見ればいいわけだよな」
「『マーテルの塔』でのログの部分だけでも解析出切れば、それぞれのプレイヤーの動きもわかるはずでしょ? ブロック毎に進行状況にあわせてファイル化して残してあるんでしょう? 特にあの部分はif文が複雑に絡んでいるんだ。どこかに制御不能になるようなコードでもあった可能性だってあるわけだし」
仲崎は藤原に詰め寄った。
「それが……」
藤原はますます困ったような表情になった。
「そのくらいなら残っているんじゃないんですか?」
「確かに残っていました。ただ、つい先日、それが消えてしまったんです」
「消えた?」
「いや……消されたといったほうが正しいのかもしれない」
「どういうことですか?」
「事故の後、会社はその原因を調べるために名波さんに対してシステムの仕様書の公開とログの分析するよう指示したようです。そして、名波さんはログによる解析を始めていたようなんですが、つい先日、そのログが全て消去されてしまっていることに気づいたんです」
「それじゃ名波さんが?」
「わかりません。事情を聞こうにも彼はすでに殺されてしまいましたからね」
「それじゃ、名波さんが殺されたのはそのせいなんですか?」
美夕は思わず訊いた。
「いえ……それが原因とはまだ言えませんよ。犯人が何者なのかもわからないし……」
「確かに。あの事故と、今回の事件が関連している証拠もない」
拓也もそう言って美夕を見た。
「いずれにしても事故の原因を突き止めるものは何もないということですね」
仲崎が冷静な口調で言った。
「今のところは……」
「それじゃ、この会合ももう意味などありませんね」
「それってどういう意味?」
仲崎の言葉に驚いて拓也が訊く。
「言葉の通りですよ」
仲崎がすっくと立ち上がる。「僕はこれで失礼させていただきますよ」
「おい、待てよ――」
拓也が立ち会って声をかける。「まだ何もわかっていないじゃないか」
だが、仲崎は取り合おうとはしなかった。
「これ以上何がわかるっていうんですか? 事故を解析ももう原因を調べることは不可能。それが答えでしょう。もう十分ですよ。これ以上皆で集まったところで何の意味もありませんよ。もちろん皆さんがそれでも集まりたいというなら僕は止めませんけどね。でも、少なくとも僕は今後みなさんと会うつもりはありませんから。それじゃ」
軽く手をあげながら振り向こうともせずにテーブルを離れていく。その瞬間、美夕はその仲崎の横顔を見てハッとした。
(笑っている)
仲崎の横顔がわずかにニヤニヤと笑っているように見えた。
「なんだ。あいつ」
中尾が不愉快そうに仲崎の出て行ったドアを睨む。
「まあまあ。あとでもう一度話をしてみますから」
拓也は諦めたように再び腰を下ろした。
「これからどうするの?」
礼子が拓也に訊いた。「何も調べる手立てがないならどうしようもないわね」
「そうですね」
拓也は藤原に顔を向けた。「今回、事故に遭った人は皆掴めているんですか? 我々以外にも事故に遭った人はいるんでしょうか?」
「どうでしょうね」
「実際、事故者ってどうやって掴んだんですか? 会社では事故者全員、掴んでいるのかしら?」
礼子が訊くと、藤原は表情を曇らせた。
「いえ、全員把握しているかどうかはわかりません。実際、会社に連絡が入った人についてしかわからないと思います」
「つまり会社にクレームをいれた人しか把握出来ていないってことですか?」
拓也ががっかりしたように言う。
「ええ。そういった人についてはだいたいのところは掴んでいると思いますが」
「リストはあるんですね?」
「ええ……あの事故のリストは島崎さんがまとめていましたから」
「すいませんがそのリストを手に入れることは出来ないでしょうか?」
藤原はますます困ったように首を捻った。
「それは無理ですよ。いくら事故の原因を突き止めるとはいえ、会社にとってお客様の情報ですからね。いくら社外の人間だからといって、私が皆さんにこうして会っていることもヤバイかもしれないんですから」
「無理ですか?」
「すいません……そもそも島崎さんとは連絡が取れないらしいですよ」
藤原は声を潜めた。
「どうして?」
「実は名波さんが殺された翌日から島崎さんは行方をくらましてしまっているらしいです。リストはあの二人がまとめていたものですから……警察でも島崎さんの行方を捜しているようです」
「そんな……まさか島崎さんが名波さんを?」
拓也の言葉に藤原はギョッとしたような顔をした。
「そ、それは私には何ともわかりませんけど、中にはそういう見方をしてる人もいるみたいです」
「結局、何の手立てもないってことか」
中尾が残念そうな顔で言う。
誰もそれに対して何も言うことが出来なかった。皆、心のなかで大きな壁にぶつかっていることに気づいていた。