3.記憶・7
その日、結局、雛子の姿はどこにも見つけることが出来なかった。
自宅はもちろん、よく行く喫茶店や本屋にもその姿はなかった。そして、何度携帯に電話してみても、電源は切られたままで連絡を取ることは出来なかった。
午後10時を過ぎても、見つけることは出来ず、美夕と拓也はとりあえず雛子の両親に後を任せ自宅に戻ることにした。
無事に見つかって欲しい。
美夕はそう願いつづけた。だが、翌日も雛子の姿はようとして見つかることはなかった。
そして、二日後――
そのニュースに真っ先に咲子が気づき、驚きの声をあげた。
「この子って美夕の学校の子じゃないの?」
母の咲子は驚いてテレビの画面を食い入るように見つめた。そこには雛子の顔写真が大きく映し出され、『高校生の死体発見』のテロップが表示されている。
(雛子……)
一瞬、頭のなかが真っ白になる。
美夕は息を飲んでじっとアナウンサーの声に耳を傾けた。
テレビ画面に見慣れた景色が映し出される。それが雛子の家の近所であることはすぐに美夕にもわかった。
死体は帰宅途中にある建築途中の家のなかで見つかった。
今朝早く、緑色のシートの外側に雛子のバッグが落ちているのを近所に住む主婦が見つけ、そのことで雛子の死体も発見されたのだ。
ナイフで腹部と胸元を刺され、出血多量で死んだのだと若いアナウンサーが冷静な口調で報じている。
――遺体は毛布に包まれており、発見現場ではその前日にも作業が行なわれていたことから、死後どこからか運ばれたのだろうと警察は見ている模様です。
その姿を想像し、美夕は身体が震えた。
(どうして?)
いったい誰に殺されたというのだろう。そして、なぜ雛子は殺されなければいけなかったのだろう?
――美夕……
いったい雛子はあの電話で何を伝えようとしていたのだろう。
「通り魔かしら。嫌ねぇ」
咲子はそう呟いて振り返った。その声にハッとして顔をあげる。すでにニュースは次の話題へと移っている。
「あんたの知ってる子?」
咲子は美夕の表情を見て、そっと声をかけた。
「う……うん……友達」
「あら、やだ」
咲子は眉をしかめた。「それじゃ昨夜言ってたのって――」
「……うん」
昨日のことは咲子にも話している。
「可哀想に……」
咲子はそう言ってそっと目を閉じると胸の前で手を合わせた。
その時――
玄関のチャイムが鳴り響く音が聞こえた。
咲子がすぐに立ち上がり、早足で玄関に向かっていく。やがてドアが開く音が聞こえ――
「美夕!」
と、咲子の呼ぶ声が聞こえてきた。
美夕は指先でわずかに瞳に溢れた涙を拭いながら玄関へと歩いていった。玄関先では咲子が妙な真剣な顔で美夕に視線を向けている。見ると銀縁の眼鏡をかけ、黒いスーツを着た男が玄関口に立っている。
「あなたが長瀬美夕さん?」
男が訊いた。ほっそりとした顔立ち。髪を綺麗に整え、目は優しく美夕を見る。
「はい」
「警視庁の新谷です」
男は警察手帳を開いて美夕に向けた。
(警視庁? 刑事?)
美夕は驚いて男の顔を見つめた。雛子の死を知った瞬間から、いずれ警察がやってくることは想像出来ていた。雛子から美夕に電話があったことは雛子の両親にも話している。きっと警察にもその情報は届いていることだろう。むしろ驚いたのは目の前にいる男が刑事であるということだった。美夕が想像していた『刑事』というイメージに、その男はあまりにもかけ離れているように思われた。
ブランド物らしい黒のストライプ柄のネクタイが襟元に見える。しかも、カラーコンタクトでもしているのか、その瞳が青く輝いている。わずかにそのファッションはアンバランスに見える。
その柔らかな表情は刑事というよりも、小学校の教師と言ったほうがピッタリと似合っている。実際、男の顔を見た瞬間、美夕は小学校5年の時の担任を即座に思い出した。決して声を荒げることも、生徒に手を上げる事もなかった。
「あなたに訊きたいことがありましてね」
丁寧な口調で新谷は言った。
「……雛子のことですね」
「その通りです。もう彼女のことはお聞きになられてますか?」
「今、ニュースで見ました」
「なら話は早い。彼女が姿を消す直前、杉本雛子さんからあなたに電話があったそうですね」
新谷はじっと観察するように美夕を眺めた。
「はい」
美夕はまっすぐに新谷の顔を見て頷いた。隠すことなど何もない。知っていることを全て話すことが、雛子を殺した犯人を早く見つける手がかりになるはずだ。
「その時のことを教えてもらえますか?」
「はい――」
美夕は有りのままに昨日のことを話して聞かせた。新谷は手帳を覗きこみながら小さく頷いて話を聞いていたが、そこには一切書き込もうとはしなかった。やがて美夕の話が終わるとゆっくりと顔をあげた。
「『助けて』。杉村さんはあなたにそう言ったんですね?」
「たぶん……」
「たぶん、とは?」
一瞬、新谷の目が鋭く光る。
「はっきり聞き取れたわけじゃありませんから……」
「杉本さんはあなたに助けを求めるためにあなたに電話したということでしょうか」
「……そうかもしれません」
答えてから美夕はぐっと唇を噛んだ。あの時、電話の向こう側で雛子は必死に自分に助けを求めていたのかもしれない。
「『拓ちゃん』というのは西岡拓也さんのことですよね」
「ええ。雛子は西岡さんのことをそう呼んでました」
「『大丈夫』とは何なんでしょうね?」
「さあ……わかりません」
「それにしても、どうしてあなたなんでしょうね?」
「どうしてって?」
新谷の質問の意図がわからなかった。
「杉村さんはどうしてあなたに電話をしたんでしょう? もし助けを求めるのならば、家や近所に住む西岡さんのほうが良かったんじゃありませんか? どう思います?」
美夕は首を傾げた。新谷の言いたいことはわかるが、それに対する答えは持ち合わせてはいない。
「さあ……それは私にもわかりません」
「犯人が杉村さんの顔見知りの人間とは考えられませんか? そして、あなたもその人を知っている?」
心を読み取ろうとするように、新谷は美夕の顔を見つめた。
「そんな……」
「長瀬さんは杉村さんとは親しいんですか?」
「そう……ですね」
美夕は頷いた。
これまでの関係から考えて、特別仲が良かったというわけではないが、ここ1週間あまりの関係を考えれば、普通に親しかったと言ってもいいだろう。
「杉村さんはどんな人でした?」
「どんな? 明るい人でしたよ」
美夕はすぐに答えた。
「人付き合いは? 周りの人と仲良く出来るタイプでしたか?」
「ええ」
「では、誰かに恨みを買うようなことは――」
「なかったと思います」
美夕は自信を持ってきっぱりと言い切った。「彼女に限って他人から恨みを買うなんてことはなかったと思います」
雛子の無邪気な笑顔を思い出す。誰があの雛子を恨むようなことがあるだろう。それだけははっきりと言える。
「彼女に限って……ですか。ま、いいでしょう。――だとしたら、彼女はいったい誰に殺されたんでしょうね」
「それはわかりません。それを調べるのが警察でしょう?」
「もちろんですよ。ただ、そのためには彼女と親しかった人からも情報をいただかないとね。彼女、最近何かトラブルを抱えているというようなことは?」
美夕は小さく首を振った。
「わかりません……でも、そんな話はしていませんでした」
「トラブルもなく、恨まれもせず……ですか」
新谷はまるで独り言のように呟いた。
「あなたは名波勝行という男を知ってますか?」
「アークシステムのですか?」
名波の名前が突然出てきたことに美夕は面食らった。
「知っているんですね?」
「知っているっていうか……一度、家に来た事があります。ゲームでの事故の説明に島崎さんという方と一緒に来られました。なぜです? 雛子が殺されたことと関係があるんですか?」
「さあ。今はまだはっきり言えませんね」
新谷は誤魔化すようにわずかに下を向いた。だが、きっと何かを掴んでいるのだろう。でなければそんなことを言い出すはずがない。
「通り魔の仕業じゃないんですか?」
背後で話を聞いていた咲子が口を出した。
「通り魔?」新谷が咲子に視線を移す。
「つい先日もあの辺で女子高生が変な男にナイフで切りつけられるっていう事件があったばかりでしょ?」
「ああ……そうですね。確かにその可能性もありますね」新谷は相槌を打った。
「警察でちゃんと取り締まってくれないと。安心して外に出られないじゃないですか」
自分の考えを認められたと思ったのか、咲子はまるで新谷を責めるように言った。
「もちろんです。ただ、こういう問題は警察だけじゃ何ともし難いというのが実情でしてね」
まるで全てが通り魔の犯行であるかのような話の流れに美夕は思わず口を出した。
「待ってください。さっきのニュースじゃ、雛子はどこか別の場所で殺されて運ばれたって言っていました。通り魔がそんなことしますか?」
「しないでしょうね」と、新谷はあっさりと答える。
「だったら――」
「慌てないでください。私は一つの可能性を言ったに過ぎません。遺体は確かに真新しい毛布に包まれていました。着衣にも乱れはなかったし、財布も携帯電話も彼女のバッグに入っていた。警察としても必ずしも通り魔や物取りという見方を強めているわけじゃありませんよ」
新谷は一通りの質問が済んだのか、手帳をスーツのポケットに押し込んだ。
「早く……犯人を見つけてください」
「言われるまでもありません。もし、何か気づいたことがあれば教えてください」
新谷は軽く頭をさげると去っていった。