3.記憶・1
3.記憶
あれから拓也たちとは2回会ってゲームについて話し合った。
だが、相変わらずあの事故の時の記憶は戻らず、いつもそれまでの流れを確認するに留まった。美夕にとって、ゲームの内容や事故のことを思い出すことはそれほど重要なことではなかったが、それでも拓也や雛子たちと会って話をすることは、不思議と心地よい充実した時間のように感じられた。思えば高校に入学して1年間。ほとんど友達との付き合いというものを無意識のうちに避けてきたせいかもしれない。何より雛子の明るい無邪気な存在は、どこか心を和ませてくれるような気がした。
拓也から連絡があったのは、それから2週間後のことだった。
――3人目が見つかったよ。
電話から聞こえる拓也の声は興奮気味に、そのことを美夕に伝えた。
日曜日の午後、美夕はデニムのスカートと黄色いシャツに白いカーディガンを着て家を出た。そして、雛子と駅近くのコンビニの前で待ち合わせる。やってきた雛子はピンクのアンサンブルにピンクのスカートという服装だった。そのいでたちはいかにも雛子らしく、可愛らしいものだった。
美夕たちは待ち合わせ場所である駅ビルのなかの喫茶店に向かった。
「あたしは参加していたわけじゃないから『仲間』ってわけじゃないのにね」
並んで歩きながら雛子が言った。
「でも、西岡さんには呼ばれているんでしょ?」
「うん。ゲームに参加して、事故に遭ったことにすればいいって言われてるの」
「嘘つくの?」
「一人でも仲間が多くいるように見せたほうが、みんな集まりやすいんですって。昔からそういうとこは強引なんだ」
雛子はそう言って肩を竦めてみせた。
「ねえ、西岡さんとの付き合いって長いの?」
「うん、わりとね。うちのお母さんと拓ちゃんのお母さんがお友達だったから。子供の頃からよく遊びに行ってたの」
「それじゃ、ずいぶん親しいのね」
「おばさんって良い人でさ。あたし、おばさんのこと好きだったなぁ。5年前に病気で死んじゃったんだけどね。あん時は拓ちゃん、すっごい凹んじゃって。拓ちゃんがパソコンに没頭するようになったのはあの頃からかもしれない。それから拓ちゃんはお父さんと二人暮らしなの。だからたまにあたしが行ってお料理してあげたりするんだよ」
「西岡さんって21歳だったよね」
「うん。あたしと同じ12月生まれなの。あ、そうだ! そういえば美夕ちゃん、誕生日はいつ?」
何かを思いついたように雛子が訊く。
「6月7日よ」
「えー、もうすぐじゃないの。それじゃプレゼントしなきゃ」
なぜか雛子は声を弾ませた。
「いいよ、そんなの」
「よくないよぉ。だって美夕ちゃん、あたしの友達でしょ?」
「え? うん」
迷いながらも美夕は頷いた。
「だったらプレゼントさせてよ。良いものがあるんだ。拓ちゃんの誕生日の時にもプレゼントしたんだよ。美夕ちゃんも喜んでくれるといいな」
「何なの?」
「内緒」
雛子は唇の前に指を立てると、嬉しそうに軽くスキップを踏んだ。
喫茶店に入ると、窓際の奥のテーブルに拓也の姿があった。そして、その向かいには黒いシャツを着て鼈甲のフレームの眼鏡をかけた若者が座っている。美夕たちと同じくらいの年頃だろうか。色白でほっそりとした顔立ち。神経質そうに小さく貧乏ゆすりをしている。
二人は拓也のいるテーブルに向かって歩いていった。
「よぉ」
すぐに拓也が気づいて手をあげると、すぐに立ち上がって向かいの若者の隣に移動する。黒いシャツを着た若者も顔をあげて美夕たちを見た。
「仲間ってこの人のこと?」
雛子が正面の席に座りながら訊いた。美夕もその隣に座る。
「そうだよ。仲崎幸一君だ。桐蔭学院の1年生だ」
美夕は思わず息を飲んだ。
「桐蔭?」
雛子が仲崎の顔を食い入るように見つめた。桐蔭学院といえば都内では有数の新学校として知られている。かつて親友だった真奈美が桐蔭学院に通っている。そして、美夕が1年前に受験して失敗した高校だった。
「はじめまして」
仲崎はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま小さく頭を下げた。
「昨日、俺のところに彼から連絡があったんだ。仲崎君も俺たちと同じようにゲームに参加をしていたんだそうだ。やはりあの時、マーテルの塔にいたらしい」
「それじゃ仲崎さんも事故に?」
「え? ええ……」
仲崎はわずかに視線を俯かせたまま、2、3度瞬きをすると、拓也に視線を向けた。「それにしても掲示板の書き込みを見て驚きました。こんな形で事故のことを調べようとしている人たちがいるなんてね」
「あなたは事故の時のことを憶えてるの?」
「いや……残念だけど」
雛子の質問に仲崎は言葉を濁らせた。「僕もあの時のことはみなさんと同じようにほとんど記憶していないんです。そういう意味では何のお役にも立てませんけど」
「いや、そんなことはないよ。一人じゃ思い出せないことでも、皆で話をすることで思い出せることもある」
拓也がポンと仲崎の肩を叩く。
「皆さん、あの時のことを思い出しているんですか?」
「断片的には少しずつ思い出せそうなんだけど、まだまだあの時何があったのかはわからないよ」
「他の人はまだ見つからないんですか?」
仲崎はポケットのなかから右手を抜いた。その手にはプラダの三角ロゴプレートのキーホルダーが握られ、鍵がいくつもつけられている。
「残念ながらね」
「ところで……」
と、仲崎は拓也たちの顔を見回した。「いったいなぜ事故に遭った人たちを捜しているんですか? 何か目的が?」
「いや……そういうわけじゃないんだけど」
「まさか警察沙汰にするとか?」
仲崎は拓也の真意を計ろうとするように、じっと拓也の顔を覗き込む。手のなかでは鍵を落ち着きなくガチャガチャと遊ばせている。
「いやいや」
拓也は大きく首を振った。「そんなこと考えてないよ」
「それじゃどうしてですか?」
「うーん……ちょっとした興味って言えばいいかな。全国的なオンラインゲームで事故に遭ったのはわずか数人。それがどんな人たちなのか直接会ってみて話をしてみたいってとこだよ」
「あなたたちも同じ考えなんですか?」
仲崎は美夕や雛子に目を向けた。
「そうねぇ……あたしたちは拓ちゃんに付き合ってるだけだけど、それであの事故の原因がはっきりするならそれもいいわよね」
雛子はそう言って美夕の顔を見た。
「ええ。そうね」
「杉村雛子さんって言いましたよね」
仲崎は雛子に視線を向けた。「あなたも事故に?」
「……そうよ。どうして?」
「い、いえ……なんかゲームとかする雰囲気に見えなかったものだから」
「そう? あたしは小学校の頃からゲーム大好きよ。美夕ちゃんは弟君の代理だけどね」
「代理?」
「弟君が模擬試験でゲームに参加が出来なくて、仕方なくだもんね。でも、どっちかっていうとあたしたちより仲崎君のほうがそういうタイプに見えないわよ。ゲームより勉強が似合ってるかも」
そう言って雛子は明るく笑った。
「そうですか?」
仲崎は眼鏡の中央部分をクイと押し上げた。
「だって桐蔭学院って言ったら、24時間椅子に身体を縛って勉強している人もいるって噂があるくらいよ。ゲームなんてしてて大丈夫なの?」
「たまには息抜きも必要だよなぁ」
拓也が庇うように言う。そんな拓也を仲崎はキッとした目つきで見た。
「息抜きじゃありませんよ。あれは僕の仕事ですから」
「仕事?」
「僕は将来、ネット関係の会社を起そうと考えています。ゲームだってビジネスの一つです。ゲーム開発だってもう5年以上前からやってることです。僕の場合、どちらかといえば勉強が息抜きと言ったほうがいいですね」
仲崎は自慢気な顔で言った。
「そりゃ凄いな。それじゃ『ファンタジーロードX』みたいなゲームの解析なんて簡単かな?」
「どうでしょうね」
「さすがに無理だよね。あれだけ複雑なロジックのゲームなんだから」
「いや、そんなことありませんよ」
仲崎はすぐに言い返した。「あれってコアの部分さえしっかり作ってあれば、あとはそれほど難しくないんじゃないですか? シナリオ部分だけはかなり人手をかけなきゃならないでしょうけどね」
「へぇ」
拓也は驚いたように仲崎の顔を見た。「すごいなぁ」
「別に」
「そんなに詳しいならゲームサーバーへのハッキングとかも出来るんじゃない?」
拓也はポンと仲崎の肩に手を置いた。
「え? そりゃ……方法はわかりますが……」
「出来たらそのあたりのことも教えてくれないかな。もしそういうことが出来るなら、あの事故の原因を調べるのに役立つかもしれないからさ。君、得意なんじゃないの?」
「僕はそんなことやりませんよ。必要なら西岡さんがやったらどうです? ハッキングなんてそんな難しいことじゃない。誰だって出来るでしょ」
仲崎はそっけなく言うと身体をわずかに傾けて拓也の手を払った。
「そうかなぁ」
「てっとり早くやりたければ、その辺の本屋で売ってる雑誌の付録のソフトを使えばいいだけですよ。よくネットで自分はハッカーだとか言って威張ってるような人もいるみたいだけど、そんなのバカらしくって」
「バカらしい? 確かに君の言うように雑誌の付録やそういうサイトからダウンロードしたソフトである程度のことは出来るかもしれないし、そういうソフトを使うだけでハッカー気取りの人もいるかもしれないよ。でも、中にはそれなりの技術を持ったハッカーもいると思うよ」
「そんなのごく一握りですよ。でもね、技術なんてものは少し勉強すれば誰だって習得出来るものですよ。そうそう、みなさんは『レクス』って知ってます?」
「うんうん。ネットで有名なハッカーでしょ?」
雛子がすぐに反応する。
「ネットの世界でちょっと名前が知られてるみたいだけど、そんな誰でも出来ることを自慢したって何にもならないじゃないですか。本当にそれだけの知識と技術があるなら、もっと実益のあることをすればいいんです。そういう意味じゃ本当の才能とは違うと思いますよ」
「なんかまるで『レクス』よりもあなたのほうが才能があるって言ってるみたいね」
雛子は少し口を尖らせた。
「いえいえ、そんなこと僕は言いませんよ。そんなことを言ったところで何のプラスにもなりませんからね。それなりの技術を持った人が見ればわかることだしね」
「どうわかるって言うのよ。少なくとも『レクス』はネットのなかで皆に認められた存在だわ。あなたは誰に認められてるっていうの?」
雛子には珍しく口調が険しい。
「誰にってわけじゃないけど――」
「だったら、あなたが『レクス』よりも上だなんて言えないんじゃないの」
「それじゃ君は僕より『レクス』のほうが上だとでも言うんですか?」
仲崎の青白い顔の頬が少し紅潮している。
「まあまあ――」
と、拓也が割って入った。「そんなどこの誰かもわからない人と比較されても仲崎君だって困るだろ。それよりもこれからのことを話し合おう」
「え……ええ」
仲崎は雛子から視線を外すと拓也に顔を向けた。「このメンバーでゲームの解析をするつもりですか?」
「さすがに俺たちだけじゃね。他にも仲間を集めたほうがいいだろうね」
「それなら――『DEAD・WOMAN』っていうゲームを知ってますか?」
「名前だけは聞いたことがある。興味はあったんだけど、まだやったことはないな」
「実はそのファンサイトがあるんですよ。僕が『ファンタジーロードX』のことを知ったのもそこのサイトなんで、もしかしたらゲームに参加した人は多いかもしれませんよ」
「じゃあ事故に遭った奴も――」
「見つかるかもしれませんね」
「わかった。それじゃ俺のほうで捜してみるよ」
その後、4人は携帯電話の番号を交換して別れることにした。