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Piece 6. 夢ひとひら



「うっは。マジかよ! それってデートじゃん!」

 大阪から帰って戦況報告をすると、ニートが扇子で左団扇しながらご機嫌そうに笑った。

「マジかよ、マジかよ! かぁ~~っ! 苦節四十年! ついに我が弟子もその域まで来たかぁー!」

「いや、四十年もあなたのシェフはやっていませんよ」

 そんなことをツッコミつつ、ニートに目玉焼きを差し出す。今日は付け合せのベーコンを四枚も使ってある。僕なりの、感謝の形だ。

「しっかし、実際よくやったよなぁ~。二ヶ月ちょいだぜ、二ヶ月ちょい! 彼女いない歴=人生の素人どーてーが、まさかたったの二ヶ月でここまで来ようなどと誰が予想しただろうかっ!!」

「……まぁ確かに、誰も予想できなかったでしょうね。僕もビックリしてます」

「いや、私は普通に予期してたぞ?」

「アンタは神かっ!?」

 ツッコミも思わずハイテンション気味になってしまう。非常に恥ずかしいけど、自分でも分かるほど浮かれている。顔が弛む。今の僕は人生で一番気持ち悪い顔をしているだろう。

「実際、『思考が現実化する』ってのは一部の業界じゃ有名な話だからな。ただひたすら欲しいモンを頭に思い浮かべて、『それが手に入るのは当たり前だ』くらいのテンションで行動し続ければ、嫌でも『それ』は手に入るもんなのさ」

「そうなのかもしれませんね~」

「おっ。今回は素直じゃねーか。いつもみたいに「そんなことあり得ないでしょう!」とかツッコまないのか?」

「いや、事実ここに生き証人がいますから」

 うん……。本当に、まさかたった二ヶ月でこんな所まで来れるとは思っていなかった。

『普通』を望んで。ずっとありきたりな、オーソドックスな人生を希望して生きてきて。大学入試で躓いて、京都に来て。人生が詰んで、もう死んでしまおうかと思った時期もあったけど……そんな僕が今、四人もの女の子に囲まれている。

 奇跡だ。

 本当に、信じられないほどの奇跡だ。

 そして……その奇跡は全て、目の前にいる師匠のお陰で手に入った。僕自身は全然何もしてなくて。ずっとこの人の後ろについて来ただけだ。

「ありがとうございます、師匠。本当に……あなたのお陰です」

「……お、おおっ? な、なんだよ、急に! むず痒い! そういうのは、ちゃんと彼女ができてからにしろよ!」

「そうですね。頑張ります」

 僕のストレートな答えが意外だったのか、師匠がびっくりした顔でこちらを振り返った。……ベーコンを食べてる最中だったので、なんか色々とひどい絵面だったけど、ごはんのお茶碗を持っていたこともあり、食べ物を粗末にすることだけは防げたようだ。

「……お前、ひょっとして告白すんの?」

「ええ、まぁ……。ダメでしょうか?」

「……………………」

 てっきり諸手を挙げて喜んでくれると思っていたけど、師匠はベーコンを飲み込み、ポリポリと頭を掻いた後……少しだけ真面目な表情でこちらに向き直った。

「……なあ、お前……あのロリ高生が好きなのか?」

「ロリ……っ!? ま、まあ確かに愛歌は幼く見えますし高校生ですけど……年齢的には一つしか違いませんし、学年的に考えても二つだけです。十七歳なので法律的にも問題ないはずですが……」

「いや、そうじゃなくてよ。お前はあのロリ高生が好きなのかって聞いてんだ」

「…………」

 少し、目を瞑って考えてみる。

 初めて出会った雨の日。バイトで一緒に働く時間。そして、なにより……カラオケで聞いた、あの歌声。

「はい、好きです。だから、告白しようかと思います」

 これまでのことを回想して、そう言葉にできた。僕がそんなことを言う日が来るなんて、数ヶ月前までは想像もできなかった。全部、師匠のお陰だ。

「……ん。そっか。そいつはよかったな!」

 いつも通り師匠がニッと笑う。

 僕も同じようにして笑った。今なら、僕も師匠と同じように笑えると思ったから。

「向こうからデートに誘ってきたことを考えても、ロリ高生のお前に対する好感度は並以上と見た! これは完全にチャンスだな! しっかり気張って来い!!」

「了解でありますっ!!」

 ふざけて敬礼をして、また師匠と笑い合った。

 ようやく僕も、自然に笑えるようになってきた気がする。



 その土曜日は、珍しくシフトが入ってなかった。

 僕のバイト先は基本的に人手不足の上、土日が異常に忙しいので、土日のシフト希望が削られることは非常に稀だ。

 どうしてなのかな……と考えたところで、そもそもシフトの希望を出していなかったことを思い出した。先日、師匠に土日の遊びを誘われたので、次の週の土日は師匠と遊ぶために空けておいたのだ。結局、その大阪行きは前倒しになり、元々シフトの入っていなかった水曜日になったんだけど。

 バイトが終わるのは18時。そこから後片付けや終礼があって、なんだかんだで帰れるのは19時近く。現在時刻は14時。愛歌と合流するまでまだ五時間もある。

「うぅ……緊張するなー」

 待ち合わせ時刻まで五時間もあるのに、僕はすでに待ち合わせ場所がある四条河原町周辺をウロウロしていた。我ながら浮かれている。恥ずかしい。

「そ、そうだ! 桐さんのところにでも……」

 ――なんか、浮気してるみたいだな。

 一瞬、そんな考えが頭を過ぎり、一人で苦笑する。

 自意識過剰すぎだ。美容院くらい誰だって行くだろうし、そこで女性の店員さんと仲良くなってしまっても、それは不可抗力というものだ。

 そんな風に自分を正当化する。もともと、女友達を五人作ってリスクを分散するという悪魔のような所業を行っていた人間とは思えない。……というか、そもそも小者の僕にはそんな風に複数の女の子を同時攻略するというのは無理な話だったのかもしれない。

 そう。やっぱり、男たる者、惚れた女には一筋であるべきだよね。

「たのもー!」

 そんな下らないことを考えている間に桐さんの美容院に着いたので、いつも通りにドアを開け、いつも通りの爽やかな笑顔を振りまきつつ、いつも通り余裕の態度で店内に入った。

「あ。新見くん、久しぶ――何かいいことあった?」

「え? 僕はいつも通り京都の女の子に好かれるタイプの爽やか男子ですよ?」

「う、うん。とりあえず、何かすごくいいことがあったのはわかったよ……」

 あはは……と桐さんがいつも通りの癒し系スマイルを浮かべる。

 ああ……この笑顔に応えて上げられない自分が悔しい!

「それで、なんか今日はすごい格好だねー。黒いジーンズに黒いシャツ。それに銀のストライプのネクタイって、軽く芸能人みたいだよー」

「そうですか? これくらい、いつも通りじゃないですか?」

「うーん。確かに髪形にはすごく合ってるんだけど、新見くん、そういう派手な服イヤがってたのにー」

「そんなことないですよ。桐さんこそ、今日も素敵なお洋服ですね」

「ありがとう。あたしこそ、いつも通りの仕事着だけどねー」

 ああ……女性を賛辞する言葉さえスラスラと出てしまう。これがイケメン達が持つ余裕のオーラがなせる技なのか!?

 そんな完全に天狗になっている僕に構わず、桐さんはいつも通り、嬉しそうにカットし始めてくれた。バイトを始めて以来、週一で通うのが難しくなったので、最低頻度を二週間に一度にしてもらっている。だから、その分髪を切る長さ・量も増えており、それが桐さん的にとても喜ばしいことらしい。

「うへへー。ガマンするのは辛いけど、こうやって一度にたくさん切れるのもいいよね!」

「うん……桐さんが相変わらず元気で何よりです」

「どうもー。もし髪の毛がキレーな人いたら、男女問わず紹介してね?」

「髪、ねぇ……」

 綺麗な髪の毛と言われれば、一番に師匠が思いつく。もちろん愛歌の髪だって最高品質だし、桐さんも、ついでに言えば東城さんも女の子らしい髪だったけど……やっぱり、一番は師匠だ。黒髪のロングストレートで人形みたいに滑らかだもんなぁ。ただし……。

「髪の毛自体は素晴らしい品質なんですが、性格が非常に難アリな人でして……」

「おー? なになに? 新見くんの周りには、新見くんと同じくいい感じの髪の人がいるの? ウハウハなの?」

「ウハウハって……。いやまぁ、僕のマンションの隣人なんですけどね? 髪の毛含めて外見は非常に優秀なんですが、性格がハチャメチャというか、スペックも規格外というか……。あちこちに投資して大金稼いでるネオニートで、趣味は人間をモルモットにすることなんですよ」

「なんか……すごい人なんだね……」

「お陰でひどい目に遭いました。毎日朝晩は目玉焼きを献上させられるし。僕のことオモチャにして遊ぶし。彼女のせいで何回恥かいたかわかりません。心臓が凍るような場面も何度もありましたよ……」

「あははー。それでもその人と関わるなんて、新見くんも変わってるよねー」

「いや……まぁ、それは否定しないですけど。ただ……お世話にも、なりましたからねー……。京都に来てから、いい意味でも悪い意味でも色々ありましたけど、その全てはあのニートのお陰かつ原因というか。楽しいことも嬉しいことも、しんどいことも恥かいたことも、基本はそのニートと一緒ですよ」

「そうなんだー」

 そこで、少しだけ何かを考えるように、桐さんの手が止まる。

 そして数秒経ってから何事もなかったかのように散髪を再開し、いつものふんわりした口調で、当然のことのように呟いた。

「新見くんは、その人のこと好きなんだねー」

「ぶっ!!?」

 吹いた。完膚なきまでに吹いた。

 ネット上でよく「吹いたwww」みたいな書き込みを見るけど、それはまさにこんな状況なんだろうなと、今の僕ならわかる。それくらい、見事な吹きっぷりだった。

「あわわ。急に動いたら危ないよ?」

 のんびりした口調とは裏腹に、手元の櫛とハサミを素早く引き戻して僕の安全を確保してくれる桐さん。……桐さんがプロでよかった。下手したら、デート前に頭の一部が坊主になるところだったよ……。

「す、すいませんっ。でも、変なこと言う桐さんだって悪いんですよ……?」

「そうかな?」

「そうですよ。僕があのニートのことを好きとか。ありえないですって」

「うーん……。じゃあ新見くん、他に好きな女の子いるの?」

「えっと……まぁ、その」

「そうなの? おめでとー。やっとこの髪形を活用する時が来たね!」

 髪形を活用って、どうやるんだ。

 いや、京都の女の子に好かれるようにお願いしたんだから、そういう意味では正しいのかもしれないけど。

「その子はどんな子?」

「えっと……とりあえず、小さくて可愛い女の子ですよ。あと、歌が本当に上手くて! この前一緒にカラオケ行ったんですけど、震えるくらいすごい歌を歌うんです!」

「そうなんだー。プロなのかな?」

「いや、バンド組んでるだけで普通に高校通ってるみたいですけど」

 今、軽く目を閉じるだけでも思い出す。

 狭くて安いカラオケ屋の一室だったけど。その歌声は、本物で。

 きっと近い将来、世界中の人々を魅了するほどの声。その声で紡がれる、心の底から勇気を湧き上がらせてくれるような、力強い歌詞。

「実は今日、その子とデートなんですよ。だから、入念にセットをお願いしますね」

「そうなの? 了解しました!」

 冗談めかしてそんな風にオーダーすると、柔らかい口調とは裏腹に桐さんの目の奥がギラリと輝いた。どんな仕事でも、一流の結果を出す人ってほんと素直に尊敬する。今はまだニートと大差ないフリーターの僕だけど、将来は僕もそんな仕事をしてみたいなと、そんなことを思った。



 ……だがしかし。一流の仕事に尊敬はするけど、まさかカット~セットまでの工程に三時間以上かけるとは思わんかった。

「ぜぇ……! ぜぇ……!」

 待ち合わせ場所は河原町通りの四条から三条へ上がる中間くらい。つまり、バイト先であるカラオケ店の目の前なんだけど……桐さんのお店は少々奥まった場所にあり、ストレートに待ち合わせ場所へ向かうことはできない。

 裏路地みたいな細い道を通り抜けて、なんとかバイト先の店の前に出た頃には、待ち合わせ時間ギリギリだった。全力で走ってもこれなのだから、これ以上どうしようもない。

「はぁ……っ! はぁ……っ!」

 最後は河原町通を渡るだけ――と前方を見据えたところで、バイト先であるカラオケ店の入り口前に愛歌の姿が見えた。……げっ。完全に遅刻じゃないか!

 元はと言えば僕のせいである。師匠に比べればかなり一般人に近い桐さんではあるけれど、こと、『髪を切る』という一点においては師匠以上の変態さんなのだった。そんな変態さんに「入念にセットしてください」とかオーダーすれば、こんな結果にもなる。

 ちなみに、桐さんが全力でセットしてくれた髪形は過去最高傑作で、いつも以上に僕の髪形はキマっていたわけだけど……哀しいかな、ここまで全力疾走したせいで髪は乱れ、汗をかいたせいでワックスもほとんど落ちてしまっている。ほんと、何をしていたんだ僕は……。

「ご、ごめんっ! 遅くなった!」

 最後の横断歩道まで全力疾走で渡り、愛歌の前に駆け込むと同時に頭を下げる。久しぶりに本気で走ったせいで変に喉が詰まり、咽て咳き込んでしまう。

 そんなみっともない醜態をさらす僕に対して、愛歌はいつも通りの澄ました表情で出迎えてくれた。

「大丈夫ですよ、センパイ。別にお店もすぐに閉まるわけではありませんし。……それより、息を整えてください」

 愛歌が優しい子で良かった……。昨日、深夜にパソコンで『デート マナー』で検索をした際、最初の一項目目に『遅刻は厳禁』なんて文字が躍っていたけど、愛歌はそれほど気にしていないようだ。……いやいや。ひょっとしたらめちゃくちゃ怒ってるけどそれを顔に出していないだけという可能性もあるから、安易に安堵せず、慎重に行くことにしよう……。

 そんな反省をしながら顔を上げると、ようやく愛歌の姿を見ることができた。

「……………………」

 愛歌は音楽をやっているだけあって、基本的にロック調というかカッコイイ系というか……そんな感じの服を着ていて、悪い言い方をすれば『女の子らしい服』を着たところを一度も見たことがなかったんだけど……今日は、違った。

 オシャレで可愛い帽子を頭に被り、服は清楚なワンピース。足下は夏に相応しく、涼しげで上品なサンダルだった。

「なんか……珍しい格好だね」

「そ、そうでしょうか? これくらい、いつも通りですが?」

「そうなの? バイト先やこの前大阪で会った時は『これぞロック!』みたいな格好してたから、今日のためにお粧して来てくれたのかと思っちゃった」

「はぅ!? ち、ちが……っ」

 いつも通りそっぽを向くも、そのタイミングで帽子が落ちてしまった。

 条件反射なのだろう。落ちた帽子を拾おうとして僕の方を振り返ってしまい、そこでもう一度目が合ってしまう。愛歌の顔は……真っ赤だった。

「愛歌ってさ……赤面症だよね」

「ひぅっ!? そ、そんなこと……!」

「だって、今も、ほら」

「ち、違うのです! 今日は暑くて……!」

「いや、これまでだって僕から視線を外す時、耳が真っ赤だったし……」

「なっ――!? 気づいていたのですかっ!? って、あわあわ……」

 うーん。赤面症って、そんなに恥ずかしいことなんだろうか。

「そんなに気にしなくてもいいんじゃない? 別に顔が赤くなっても、困ることなんてないじゃん」

「うっ……。これでも結構、苦労することも多いのです。好きな人とか一瞬でバレますし……って、い、今のはナシでっ!!」

 あー。確かに。そういう意味では不便かもしれない。

 ……って、そうじゃなくて!? そうか! そういう風にも利用できるのか! つまり、これまでのことを考えて、僕と接する上で赤面することが多ければ、愛歌の高感度は高いということか!?

 僕は全力でこれまでの記憶を検索する。愛歌と一緒にいた時、赤面してくれたことは何度かある。……よし。じゃあ次は、平時と比較してどれくらい赤面していたかを――

「……って、わかるわけねぇじゃん……」

 僕といない時の愛歌がどれくらい赤面しているかなんて、第三者に聞かない限り知りようがない。くっ……こんなことなら、愛歌以外のバイトスタッフとも仲良くしておくんだった!

「……センパイ? その、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。ごめん。大丈夫だよ」

 でも、それが分からなくて、逆によかったかもしれない。

 今さら、後には引き返せない。愛歌の気持ちがどうであった所で、僕の気持ちは変わらないし、この後の行動指針も変更できるわけないんだから。

「それじゃあ、行きましょうか。特にどんなものにするかは決めていないのですが、チーフは日本贔屓ですし、なにか和風のものにしようかと思っています」

「そっか。それなら、京都という立地は丁度いいかもしれないね」

 特に目的のお店も決めていないようなので、なんとなく二人で三条通の方に向けて歩き出す。繁華街だけあって、道には若いカップルが何組もいた。他人から見たら僕と愛歌も、そんな風に見えているんだろうか。

 そんなことを考えて、少しだけ愛歌の方に視線をやると……いつも澄ました表情で固定されている愛歌の顔が、微笑を湛えていた。

「……………………」

 ニヤけるのを我慢できなくて即行視線を戻す。

 え、なに。僕と一緒に歩くの、そんなに嬉しいの?

 こんなことを言うとまた師匠に素人どーてーとか笑われそうだけど、そんなギャップ萌えを披露された日には、僕だってプラス方向に勘違いしてしまっても仕方ないだろう!

「あ。センパイ、そこのお店入ってみましょう。なんだか、和風っぽいキーホルダーとかありますし」

「え、う、うん! そうだね! そうしよかっか!」

 どうやら僕が愛歌の表情を盗み見していたことは気づかれていないようだ。何が楽しいのか、愛歌は軽やかな足取りでお店の展示品に近づいていく。

「かわいいですねー」

「そ、そうだね」

「……でも、チーフには似合わないかもしれません」

「あー…………」

 ちなみに、チーフは女性で年齢は二十九歳だと聞いた。一応彼氏はいるようだけど、結婚の予定はないらしく、プライベートな話題を振ると途端に機嫌が悪くなるため、バイトスタッフの間では業務上必要な話題以外をチーフに投げることは厳禁とされている。

 ……女性は色々大変だよね。

「確かに、チーフにはこういうかわいい系のものはダメかもね。それに、誕生日プレゼントにキーホルダーっていうのも少し微妙な気がするし……」

「……そうですか? わたしはちょっと変わったものの方がいいような気がしますけど」

「攻めるなぁ……。僕だったらこういう時、基本的に無難なものを選ぶよ」

「……ロックンローラーですからね!」

 そう言って愛歌が楽しそうに笑う。

 おおうっ!? 愛歌が笑うだけでもレアなのに、自分から冗談を言うなんて非常に珍しいぞ。これは、ひょっとすると、マジでひょっとするかも……!!

「扇子……という手もありますが、チーフが扇子を使っている場面が想像できません」

「確かに。あの人、基本的にクーラーを愛しているからなぁ……。扇子で扇ぐ労力とそれによって得られる涼しさを天秤にかけて悩みそう」

「……すごくありそうです」

 愛歌のことばかり考えていたからすっかり忘れていたけど、チーフのプレゼントを選ぶのってすごく大変な気がする。そもそも僕、そんなに仲良くないし。バイト中も基本的に馬車馬の如く走らされているから、厨房にいるチーフと会話する機会は皆無だし。

 バックルームでパソコンを使っているチーフに何度か話しかけれたことがあるけど、その時も他愛のない話しかしなかった。……なんか、その時の話題も日本と言うか和風のもだったような気がする。要するに、それ以外の情報を僕は持っていない。

 一通り商品を見るも、そのお店にはチーフのプレゼントに良さそうなものがなかった。仕方なく、愛歌と二人で店を出る。そのまましばらく通りを歩いてみたけど……やっぱり、ピンとくるものは見つからなかった。

「うーん。もういっそ、最終手段はケーキかな。和風っぽいものなら、抹茶のケーキとか」

「……それも良さそうですね。でも……やっぱり、できれば変わったものにしたいです」

「さすが、ロックンローラーは違うね!」

「……そのネタ引っ張るの、やめてください……」

 バレたからもう隠すことを諦めたのか、愛歌が俯いて赤面する。

 うん……女の子が顔赤くしてるのって、すごく可愛いです。頭なでなでしてあげたいです。

「あの……セン、パイ……?」

 気づくと、無意識の内に僕の右手が愛歌の頭をなでなでしていた。……って、ええっ!? いくらなんでも調子乗りすぎというか、これはセクハラで訴えられても成立するレベル!?

「ご、ごめん! 愛歌が可愛かったから、つい!! 別にやましい気持ちはなかったんだ! ほんとごめんっ!!」

「……い、いえっ。ちょっとビックリしましたけど、別にイヤではなかったので……っ。そのっ。だ、大丈夫です……」

 ただでさえ赤かった愛歌の顔がさらに真っ赤になる。

 あああ……可愛いけど、これはさすがにやりすぎだ。いつから僕は配慮無く女の子に手を出すような最低男になったんだろう……。愛歌とデートだと思って浮かれ、調子に乗っていたのかもしれない……。

「ほ、ほんとごめんねっ!! あ、ほ、ほら! あのお店とかどうかな!?」

「そ、そうですね! あそこに入ってみましょう!」

 苦し紛れに僕が指さしたのはお茶屋さんだった。

 湯呑みやお茶碗なんかも置いてあるので、少しは和風っぽいものが見つかるかもしれない。

「湯呑みとか、どうかな……? なんか、チーフはよくお茶飲むとか言ってたし」

「そうですね……。確かに、キーホルダーよりはアリかもしれません」

 二人で棚に並べてある湯呑みを手にとってみる。茶色で、いかにも和風と言った感じの湯呑みだった。手に持ってみるとかなり重量があり、造りもしっかりしている。普段百均の食器ばかり見ている僕が言うのだから間違いない。下手したら僕には一生縁の無いクラスの湯呑みだ。

 これは結構な値段がするぞ……と湯呑みをひっくり返して底を見てみると、そこに書いてある値段は三千円だった。湯呑み一つに三千円かとも思ったけど、造りや見栄えがかなり立派だったので、思わず僕は安いと思ってしまう。

「結構リーズナブルですね。こういうところに置いてある湯呑みは、もっと高いかと思っていました」

「そうだね。お茶碗も同じくらいの価格だし……ここで何か買おうか」

 二人して棚の陶器を片っ端から品定めして行く。

 結納品になりそうな大皿やら、普段使いの箸、お茶を淹れる急須なんかもあった。ただ、それらはあまり日常向けじゃあないし、プレゼントとしてもどうかと思われたので却下。

 結局、湯呑みかなー、なんて思っていると、隣で同じく品定めしていた愛歌が何かに気づいたかのように、はたと手を止めた。

「……センパイ。非常に残念なことに気づいてしまいました」

「うん? なになに?」

「チーフ、和風の物が大好きで、あれだけ日本贔屓なのですから……マイ湯呑みとか、持っていそうじゃないですか?」

「……………………」

 確かにその通りだ。

 あれだけ日本のものが好きで、日頃からお茶を愛飲しいるらしいチーフなのだから、当然、自宅にはマイ湯呑みを持っている可能性が高い。

「結局、振り出しかぁ……」

 苦し紛れに出したアイデアとは言え、我ながらいい考えだと思っていたので、少しヘコむ。

 また次の店に移ろうと仕方なく顔を上げたところで……そのお店の一番の商品であるお茶が目に留まった。

「……なぁ、愛歌。マイ湯呑みを持っていそうなくらいお茶が好きなチーフなんだから、お茶をプレゼントするってのはどうだろう?」

「…………あ」

 盲点でした、と言わんばかりに愛歌が目を見開く。

 さすがお茶屋さんだけあって、そこには少量で数千円するようないいお茶もたくさん置いてあった。湯呑みに三千円払うくらいなら、少しの量で三千円するようなおいしいお茶をプレゼントした方が喜ばれそうな気もする。

「……さすがセンパイです。いい案を出されますね」

「ありがとう。完全にマグレだけどね」

 店内の最奥、お茶の葉が並べられている棚に近づき、二人で眺める。

 こうしてみると、お茶にも本当に色々な種類があるんだなぁ……。僕は緑茶と麦茶と紅茶くらいの分類しか分からないけど、ここには宇治茶とか玉露とか、僕の未知の領域でお茶が分類されている。

「京都は宇治茶が有名ですよ」

 僕たち二人があまりにも熱心にお茶を見つめているのが面白かったのか、お店のお上さんが笑顔で話しかけてくれた。

 人見知りな僕は曖昧な作り笑いで会釈して、愛歌の方に振り返る。……と、愛歌はある一点を必死に凝視していた。

「なになに? 何か、いいものあった?」

「……いえ、お茶の味自体はわからないのですが。……その。名前が……」

「名前……?」

 そうして愛歌の視線を追った先にあったのは、『天龍』という名が付いた玉露だった。

 ……天龍て。一体、どんなお茶なのだろう。飲むと、ドラゴンの如く力強くなったりするんだろうか。……ただでさえほんわか笑顔でバイトをこき使うチーフが、ドラゴンの力まで手に入れるのかと思うと、軽く寒気がする。僕が階下を走る量が倍になってもおかしくない。あの人、『動かざること山の如し』を全力で体現するチーフだからなぁ……。

「そのお茶はこちらの宇治茶とセットなんですよ」

 そう言ってお上さんが棚から下ろしてくれたお茶の缶の色は……金。

 そして、そのお茶の銘柄は『金龍』だった。ドラゴン尽くしだ。これで僕は下手をすると三倍の量を走ることになるかもしれない。そうなったら大人しく辞めよう。……ああっ! でもそうするともう、愛歌と一緒にバイトできなくなってしまう!!

「……センパイ。これにしましょう」

「……マジで?」

「絶対気に入ります。チーフ、こういうのすごく好きですよ」

 愛歌はチーフがドラゴンの力に目覚めて三倍こき使われるのも平気なんだろうか?……なんて下らない方向に現実逃避していた思考を軌道修正する。

 うーん……。ただ、改めて考えても僕にはよく分からない。もちろん、愛歌がそう言うなら、僕としては反論の余地も無いんだけど。

「あの……これ、おいくらですか?」

「三千円になります」

「それじゃあ、お願いします」

 お茶に三千円か……。もっとも、それだけいいお茶なのだろうし、これでチーフが喜んでくれるなら何よりだ。

 せっかくなので、僕も半額出させてもらうことにする。バイト仲間で割り勘になるらしいので、余剰分は後日返してくれると愛歌が言った。

「ありがとうございました」

 お店を出る僕たち二人を、お上さんは丁寧にお辞儀して見送ってくれた。京都の人は冷たいなんて話も聞くけど、僕の周りにはあまりそういう人がいない。やっぱりそんなのは噂話で、どこだって色んな人がいるんだと思う。……もっとも、現在の隣人みたいな変人が全国各地にいたら、それはそれで問題だとも思うけども。

「……これで、目的は達成しましたね。センパイ、付き添いありがとうございました」

「どういたしまして。……大してなにもできなかったけどね」

「いえいえ。センパイのお陰でチーフにぴったりのプレゼントが見つかりましたから」

 そう言って愛歌が紙袋の中を覗き込む。

 ……チーフには悪いけど、僕にとってはここまでが序章。ようやく今日のノルマも終えて、自由時間だ。

「……あのさ、愛歌。もしよかったら、この後、ご飯でもどうかな?」

「……へぅっ!? え、えっと……こ、こちらこそよろしくお願いしますです……」

「ありがとう。すぐそこに、いい雰囲気のカフェがあるんだけど、どうかな?」

「は、はい。どこでも大丈夫です……」

 よっしゃぁぁあああーーーーー!!

 口にも表情にも出さなかったけど、僕は内心でガッツポーズをしていた。よし! ……よし!! 予定通り、ちゃんと食事に誘えたぞ! 京都に着た当初よりは僕のコミュ障具合も大分改善されているようだ!

 結局、三条通周辺で目的のプレゼントが購入できたため、僕が目をつけておいた新京極通のカフェまでそんなに時間はかからなかった。昨日必死に調べたのだが、初デートでの食事はカフェなんかが無難らしい。別にお金ならいくらでも払うつもりでいたけど、最初から変に高級なお店に行くのも、それはそれで女の子の心象が悪くなるらしいと、ネットの情報を入手していた。

 金色の筆記体で『Le-noble』と書かれたオシャレ店に入る。本当は下見とかしておくのがベストなんだろうけど、さすがにそこまでは時間がなかった。……ああっ。桐さんに長時間髪を切ってもらうくらいなら、昼間の内に一度来てメニューや店内をチェックしておけばよかったっ!

「……………………」

「……センパイ? どうしたんですか?」

「い、いや、別に……」

 僕みたいな小市民には場違いなんじゃないかと思うほど煌びやかな店内に、一瞬気後れしてしまった。……しかし、『デートにおいて男性側に一番必要な要素は余裕である』というネット知識を思い出し、必死に取り繕った。

 すぐにお店の店員さんが近寄ってきて声をかけてくれる。まるで執事みたいな男性だ。しっかりとしたセミフォーマルな制服に身を包み、優しげな笑顔で一礼する。うん。もう、この人は執事だ。それ以外の呼称は相応しくない。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「二人です。……えっと。個室って空いてますか?」

「個室でございますね。少々お待ちください」

 執事(みたいな店員)さんは、そう言ってカウンターの奥でパソコンを操作し始めた。

「個室なんてあるんですね」

「うん。珍しいでしょ? ディナータイム限定で二部屋しかないらしいんだけどね」

「……物知りですね、センパイ」

「いやその……そういうのに詳しい友達がいてさ」

 パソコンとグーグル先生だけが、僕の友達だ。

「お待たせしました。空室のお部屋がございますので、ご案内させて頂きます」

 恭しくお辞儀した後、背筋をピンと伸ばして階段を上る執事さんについて行く。予約ができないから、空いていなかったらどうしようかとビクビクしていたけど……珍しく幸運の女神が僕に微笑んでくれたらしい。日頃、ハードラックなことが多いから、その分の埋め合わせをしてくれたのかもしれない。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 案内されたのは、スライド式の扉がついた部屋だった。中には一階で使用されているものと同じテーブル・椅子が設置されている。本当に、ゆっくりとディナーを楽しむためだけの空間のようだ。一階の席と比べて特別豪華な点は見受けられない。……金額が同じなんだから、当たり前なんだけどね。

 マナーとして愛歌を奥の席に通し、向かい合って僕も座った。椅子は四脚あったけど、二人とも一つを荷物置きにして通路側に座る。何となく僕たちの性格を表しているようで、少しだけ笑ってしまった。

「はい、メニュー。好きなもの頼んでね。ここは僕の奢りだから!」

「ええっ!? だ、大丈夫ですよ。センパイは一人暮らしされて大変でしょうし……」

 ……うん。ぶっちゃけ、かなりカッツカツな生活をしています。

 師匠から最初に教わった通り、家賃がかなりネックになっている。今後は固定費関連の物事に関しては真剣に考えよう……。

「そうだけど……ほら、この前、カラオケでいい歌聞かせてもらったから。そのお礼ってことで」

「……ありがたいのですが、その……わたし、結構食べますよ?」

 これは意外。愛歌は非常に小柄なので、勝手に小食だと思っていた。

 愛歌自身も恥ずかしいのか、顔は真っ赤。……なんか、女の子の間では小食なのが可愛いという風潮がある、みたいな記事を以前にネットで読んだ。正直、僕にはよくわからない世界だ。

「大丈夫だよ、お金はちゃんとあるし。それに僕は、しっかりごはんを食べるような、健康的な女の子の方が好みだから」

「……はぅ。……。……。……それでは、お言葉に甘えさせて頂きます……」

 メニューとにらめっこした結果、僕はパスタを。愛歌はパスタの他にほうれん草のソテーとチキンナゲットを恥ずかしそうにオーダーした。

 結構食べると言ってたから、メニューの端から端まで注文されることも覚悟していた僕は拍子抜けしてしまう。

「それだけでいいの? 全部のメニュー一品ずつ!、とかでもいいよ?」

「さ、さすがにそこまでは無理ですよぅ……」

 そんなに恥ずかしいなら小食のフリをすればいいのに……とも思ったけど、だからこそ、正直にそれを言ってくれた愛歌には好感が持てた。何事も、嘘はよくないよね。

 しばらくすると先ほどの執事さんがにこやかな笑顔で食事を運んで来てくれた。今気づいたけど、たぶん執事さんには僕と愛歌が初々しいカップルとして映っているんだろうな……。だから、あんなに優しい眼差しをしているんだろう。

「……はわ~~」

 そして、料理を見た愛歌はもの凄く目を輝かせていた。

 いや、一応いつも通りの澄まし顔ではあるんだけど。目は口ほどにものを言うって、ほんとなんだな……。

 さっそくフォークを使ってパスタをクルクルし始めた愛歌に向かって、とりあえず世間話でも振ってみる。

「そういえばさ。愛歌、今度ライブやるって言ってたけど、いつやるの?」

 食事をしながらの会話って、すごく難しい。下手したら口の中のもの見えそうだし。あと、どのタイミングで食べてどのタイミングで待機すればいいんだろう?

 そんなことを真剣に考えつつ、手を止めて愛歌の返事を待った。

「……この間言っていたライブは、実は中止になってしまったのです」

「ええ!? どうして?」

「……その。メンバー同士がケンカしてしまいまして。さすがに雰囲気が悪いままライブというのも、ちょっと……」

「そうなんだ……」

 人生ソロプレイヤーな僕には想像しかできないけど、集団で生きている人間にも集団だからこその苦しみがあるんだと初めて知った。常に友達に囲まれて羨ましいとか思っていたけど、ひょっとするとソロプレーに徹するのも案外悪くないのかもしれない。

「……ちょっと本格的なケンカで、当分仲直りしそうにないのです。もしかしたらこのままバンドが解散になるかも……」

「マジで!? 愛歌はどうするの!?」

「…………」

 それは愛歌自身も考えていたことなのか、少しだけ間があった。

 そして、あらかじめ考えていた自分の答を決定するかのように頷き、真っ直ぐに僕を見る。

「わたしは、一人でも音楽を続けます。……あまり人前で歌う期間を空けるとよくないので、八月三十一日には路上で歌おうかと思っています」

「路上で!?」

 前に師匠と大阪に行った際、大阪駅で歌っていた人もいたけど……まさか、自分の知り合いがそんなことをするとは思わなかった。

「でも、京都駅とかで歌ってる人、見たことないよ?」

「……そうですね。京都駅ではあまり見ません。でも、木屋町とかにはたまにいますよ」

「木屋町……か……」

 木屋町は河原町通から少し東に行った辺りの地区だ。飲み屋や……『お姉さんのお店』があるような地区。そんなところに愛歌が一人で向かうというのは、そこはかとない不安があった。

「あのさ……それ、僕も一緒に行っちゃダメかな?」

「センパイがですか?」

「うん。その……ほら、警備じゃないけど、あの辺って変な酔っ払いも多いから。一応、男手もあった方がいいんじゃないかな?」

「それは……。確かにそうして下さると助かりますけど、そこまでご迷惑をかけるわけには……」

「僕が、そうしたいんだ」

 その言葉は、思いの外、強く口から零れた。

 別にキツイ言い方をしたわけでもないし、大声を出したわけでもない。だけど、なぜか力強い響きがあった。

 そしてそれは、僕だけの主観ではなかったようだ。

「……どうして、そんなに優しくしてくださるんですか?」

 息を呑む。

 ……ここだ。ここで言うしか、ない。

 ここを逃したら、もう二度とチャンスは巡ってこない。

 僕は今日――愛歌に、告白しに来たんだから。

「それは…………」

 言え、言うんだ。

 大丈夫。きっと、愛歌の好感度は低くない。

 密室で二人きりになるにもかかわらず一緒にカラオケしてくれたし、愛歌の方から今日の買い物にも誘ってくれた。何度か赤面してくれたし、食事にも付き合ってくれている。

 だから、客観的に考えても好感度が低いなんてことはあり得ない。

 僕が自分の都合のいいように解釈して勘違いしているという可能性も確かにある。だけど、客観的に見ても好感度がマイナスだってことはあり得ない。それなら、告白するメリットは十分にある。

 昨日必死に調べた告白マニュアルにも、『たとえ断られることになっても、告白されて悪い気になる女の子はいない』と書いてあったじゃないか。ナンパと同じだ。褒められたり、好きだと言われて、悪い気になる人間なんかいない。逆の立場で考えてみたって、僕もまったく守備範囲外の女の子から告白されたって、それはそれで嬉しいじゃないか。

 だから……言え。言うんだ!

「……センパイ?」

「…………ぁ、」

 声が出ない。

 これだけ理論で武装しても言葉が詰まる。

『普通』を目指し、ただただ論理的に生きて来た僕にはびっくりするような現象だ。これほど理論で証明されている命題になぜ苦しむのか。

「…………っ、……」

 思わず、手元にあったグラスの水を一気に呷る。

 僕はお酒なんて飲んだことがないけれど、これはお酒なんだと自己暗示する。

 大量の水を一気に飲み干す僕を見て、愛歌が驚いたような顔をしているのが見えた。先程の、糸が張り詰めたような緊張感が少しだけ和らぐ。

 そこで、一気に言った。


「僕、愛歌のことが好きなんだ。僕と、付き合ってほしい」


 ……言えた。言えたぞ。

 まず始めに胸中に浮かんだ言葉は、そんなことだった。愛歌の返事がどうとか、そういったことよりも先に、その驚きが僕を包んだ。

 人生初の告白。

 ずっと普通を目指して。ずっと普通のラインに自分をセーブしてきた僕が、人生で初めてそのラインを破った。

 ここから先は未知の領域。まごうこと無き新世界。

 果たして。

 その、答えは――――


「……………………ごめんなさい」




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