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Piece 3. 路上の死闘



「……前言撤回。貴女は師匠なんかじゃねぇ……鬼だっ!!」

 翌日。京都市中京区、三条通。

 京都一番の繁華街、そのすぐ傍で、僕は堪らず叫んだ。

「酷いこと言うなー。私はお前のことを考えてだなぁ……ふひっ。ふひひっ」

「後半思いっきり笑ってんじゃないですかっ!」

 大声でやりとりする僕たちに通行人が振り返っているが、この際どうでもいい。それ以上の問題が目の前にある。

 昨日、『彼女を作る』ということで今後の方針が決定した。

『普通に生きる事で普通の幸せを得る』……僕の人生におけるスローガンとも言うべき道標が、たった一日で瓦解してしまった。本来ならばここで、僕は自殺してしまっていたかもしれない。

 だけど、僕は踏み止まった。踏み止まれた。それはひとえに、僕の人生バイブルを木っ端微塵にした張本人が、僕の味方としてバックについてくれたからに他ならない。僕の人生指針を修正したこの人こそが、僕を新たな、正しい方向へと導いてくれる――そんな風に思った。だから、僕は今後の方針・方策を全て彼女に……師匠に一任したのだ。

その結果がこれだよっ!!

「だーいじょうぶだって。今時、ナンパなんてみんなしてるから」

「だからっていきなりハードル高すぎでしょう! こちとら、女友達すらまともにいない人生過ごしてるんですよ!?」

「フッ……何を言っているのかね、我が弟子よ。今、正に、キミの隣には超絶美人が立っているじゃないか」

「中身は超絶鬼畜で無理ゲーを吹っかけてくる鬼番長ですけどねぇ!」

 確かに、黙ってれば理想の女性と言っても過言ではない。

 しかし、如何せん、黙らない。それ以前に、やっぱり黙っていたとしても行動だけで中身がバレるから、口を閉じていたところでアウトだった。

「いいか、童貞ぼーやよ。お前は、女の子に慣れていない。加えて、彼女を作るには出会いが必要だ。その二点を効率良く満たす、とっておきの策。それがナンパだ」

「理論的に言ってるつもりかもしれませんが、それはニワトリに空飛べって言ってるのと大して変わらないですからね!?」

「ユー・キャン・フラーイ!」

「話を聞けぇーーー!!」

 両手を水平に広げて走り回るアホの子に全力でツッコむ。

 二十歳の美人なお姉さんが両手を広げて飛行機ごっこ……すげぇシュール。

「なんだよ、うるさいなぁ。そんなにイヤかよ、ナンパ」

「嫌に決まってんでしょうが!」

「ええー。なにがイヤなんだ?」

「何って……」

 強いて言えば、全部だ。嫌じゃないところがない。

「まず、単純に知らない人に話しかけるのが嫌です。次にナンパするのが嫌です。……気持ち悪いじゃないですか。向こうも迷惑がりますし。自分の欲望のために他人に嫌な思いさせるなんて最低ですよ。で、結果的に自分が惨めな気持ちになるのも嫌ですし……」

「あー、もういい、もういい。まったく……へらず口だけは一人前だなぁ」

 そう言って、師匠はごそごそとカバンの中を探り始めた。そういえば、大きめのトートバッグを持ってきているけど、何が入っているんだろう?

「じゃんじゃじゃ~ん☆ さーふぇいす~!」

「さーふぇいす?」

「Surface。マイクロソフトが開発したタブレットだよ。まぁ、そんなことはどうでもいい。ほれ、この記事見てみ?」

 そこには質問サイトがネットで開かれていた。

 例の無線端末でインターネットに接続しているらしい。

「……えーっと。『死ぬほど自由度の高いゲームがしたい。好きな職業につけて、どんな行動でも取れて、なおかつボリュームもあるやつ。GTAが近いけど、まだまだ自由度が足りない。 そんなゲームない?』……師匠、今はゲームの話してる場合じゃ……」

「くっくっく。なあ、この質問の答え、何だと思う?」

「はあ? だから、ゲームの話してる場合じゃ――」


『外へ出ろ』


「……………………」

 その質問に対する回答は、たった四文字だった。

「あはははははは! 初めて見た時は爆笑したわっ! くくく……なんつー上手い返し。これだから2ちゃんはやめられんなー」

 どうやら質問サイトではなく、2ちゃんねるのスレだったらしい。

「あのなぁ、少年。お前はきっとこれまで、真面目に人生生きて来たんだろう。だから、いつも一生懸命で、すげー力んでんだと思う。それもいいことだがな。でも、たまには肩の力抜いて楽に生きるのもアリだと思うぜ? どーせ人間、最後にゃ死ぬんだ。それなら、ゲームだと思って人生楽しんだ方がいい。恥かくのも失敗するのも、楽しもーぜ」

 そして師匠は、いつも通りニカッと笑った。眩しいくらいの笑顔で。

「師匠の言い分は分かりましたけど……それにしたってハードルが高すぎますよ。さっきも言いましたけど、嫌な所が――」

「お前が言ってんのは全部、『やらない理由』だ。じゃあ、『やる理由』はなんだ? なんでお前はここに立ってる? どうしてお前は今からナンパなんぞしよーと思ってんだ?」

「……彼女が、欲しいから」

「わかってんじゃんか」

 とん、と軽く背中を叩いてくれた。

 ……なんでそんなに優しい顔するんだよ、と思う。

 この人は僕をオモチャにして遊びたいだけなんじゃないのか。せいぜい、僕と一緒に遊びたいだけなんじゃないのか。それなのに、まるで僕のことを心配しているような、見守っているような顔をするのはズルい。

「欲しいモンは、手伸ばさねーと手に入らねーぜ。どれ。仕方ねーから手本を見せてやる」

「…………は?」

「私が手本でナンパしてやるって言ってんだ」

「……マジですか」

「大マジだ」

 なんて答えつつ、手近なイケメンに近づいていく師匠。お、おいおい。マジでナンパするつもりなのかよ。

 男連れだと思われるのもアレかと思い、少し離れて店先の看板の陰に体を滑り込ませる僕。その間に師匠はイケメンに気楽に近づき、笑顔で挨拶していた。

 なっ……! なんというコミュ力!

 悔しいけど、すげぇ! っていうか、あの猫被りの笑顔はなんだ!?

 髪を茶色に染め、カラフルな服を着た今風の男は大層興奮している様子だった。それはそうか。師匠、外見だけはメチャクチャ優秀だしな……。

 しばらくして、師匠が男と一緒に歩き出した……が、五、六歩進んだところでわざとらしく僕の方に目を向けると、イケメンの男に片手を立てて謝り、一人で僕の方に走って来た。

「……? どうしたんですか?」

「ん? いやなに、ナンパは成功したんだが、その段階で彼氏に見つかったからすまん、と言って逃げて来た」

「あ、アンタって人はーーー!!」

 見ると、先程のイケメンが僕の方に恨みがましい視線を向けていた。その視線だけで僕の寿命は縮まりそうだ。

「うーん。やっぱり、逆効果だったかなー。『暴力彼氏に愛想を尽かして新しい彼氏を探しているんです』って言ったのは」

「なんてことを言ってくれやがるんですか、アナタは!! いいから、行きますよっ! これ以上いたら僕が殺されそうです!」

「いやん、痛い☆ きゃー。犯されるーーー☆」

「違う意味でボコボコにしたいわっ!!」

 僕は師匠の手を引いて全力でその場を後にした。

 途中まで追ってきたイケメンがマジで怖かったです。はい。



「ぜぇ……ぜぇ……。なんとか巻きましたね……」

「そうだなー」

「はぁ……はぁ……」

「おーう。そんな息荒くしてたらまた勘違いされちまうぞー」

「誰の……せいだと、思って、るん、ですか……」

「うーん……神様?」

「アンタのせいだよ! アンタの!!」

「なんだ、やっぱり神様のせいじゃないか」

 なんだ、アンタが神か。

 ……心中で大真面目にボケてしまうほど、酸素が足りないらしい。

「まー、なんだ。色々あったが、これでコツはわかっただろう? さあ! 次はお前のターンだな!」

「何一つ参考になってねぇよ! コツってなんですか!」

「うーん? つまり、アレだよ。ほら、美人に話しかけられて悪い気がする男なんていないってやつ?」

 それをどうやって流用しろというのだろうか。……女装? ふと頭にそんな単語が浮かんだが、それを口に出すと絶対この人はノリノリで実行するだろうから、固く口を閉じておく。

「美人に限らずイケメンでもそうだがな。しかし、たとえブサイクな軟弱ローニンでも、褒められて気分を害する女子なんていないと思うぞ? ほら、外見が足りない分はサービス精神で補うんだよ」

「だからって、いきなりお世辞言いながら近寄ってくる男なんて不審すぎるでしょう……」

「まっ、そうだけどな。パレートの法則じゃないが、男が女をナンパして成功する確率は20%前後らしい。女から男に逆ナンした場合の成功率は80%なんだがな」

「なんという理不尽な世の中……。もっとも、その結果が当然と言うことも分かりますけども……」

「だからまぁ、気楽に行けってことさ。どーせ八割失敗するんだ。なら、『自分好みのかわいい女の子と話せてラッキー!』くらいのテンションで行く方がいいぞ」

 ……話は理解できるが、そもそも彼女を作ることが目的ではなかったのだろうか?

 なんか、目的がブレている気がする。好みの女の子と一言二言話せても意味は無い。というか、その後、精神的に傷つくことを考えると、リスクに対するリターンがあまりにも少ないんじゃないのか。

「この世界は、与える者は与えられるようにできてんだ。だから、お前が女の子からあーんなことやこーんなことをしてもらいたいと思うなら、先にお前の方から女の子を気持ちよくすることが大切なのさ。……おっと。気持ちよくといっても性的な意味じゃないぞ? 念のため」

「誰も勘違いしてねぇですよ」

「なんかお前……徐々に私への尊敬の念が無くなってないか?」

 その原因は自分の胸に問いかけて欲しい。

 さておき、どうもこの人は本気で僕にナンパをさせるつもりらしい。一応、僕の『彼女が欲しい』という目標からスタートした企画だが、最初のビッグステップを前にして、早くも僕の決意は挫けてしまった。できることなら今すぐこの場を逃げ出したいところだが……このニートがそんなことを許すとは思えない。

 …………仕方ない、か。

「分かりました。それじゃあ、次は僕の番ですね」

「そうだ! 私はリバースカードを一枚セットしてターン・エンド! 次は貴様のターンだ!」

 何言ってんだ、この人。面倒なことはスルーに限る。

 というわけで、僕は諦め半分のため息をつきつつ、通りを歩く人達に視線を向けた。

 平日の昼間だけあって、人通りは少ない……のだが、それは休日と比較した時の話で、道のそこかしこに老若男女、たくさんの人がいた。

 ふと視線を上げると『寺町通』という看板が目に入る。一つ隣の『新京極通』や、さらにもう一つ隣の『河原町通』ほどじゃあないけど、この寺町通も左右にびっしりとお店が建ち並んだ繁華街だ。だから、平日にも限らず人がいるんだろう。……地元が田舎の僕には信じられない光景だ。

「なにモタモタしてんだよー。サッと行けよ、サッとー」

 隣でニートが暇そうにブーブー言っている。知ったことか。こちとら、どこぞのスーパーニートと違ってコミュ力ゼロの引き篭もりなのだから。

 大学生なのか、平日の昼間なのに若い女の子もちらほらと道を歩いている。その中に一人、気になる女の子を見つけた。

 肩より少し下まで伸ばした髪を金にも茶にも見える色に染め、耳にはピアス。派手な色の洋服に身を包み、肩からブランド物のバッグを提げている。

「それじゃあ、僕はあの人に行きます」

「…………マジで? お前、あんなのが好みなわけ?」

 断じてそんなことはない。最近のトレンドに一歩も遅れをとらない僕は、もちろん草食系だ。あんなティラノサウルスみたいな女子が好みなはずない。もっとおとなしそうで、髪の毛だって黒い子がタイプだ。

 だけど、これからするナンパはほぼ失敗する。さっきのニートのデータが当てになるかどうかを別にしても、僕みたいな冴えない奴の第一回目のナンパが奇跡的に成功するなんてあり得ない。それなら、中途半端に好みの女の子に行ってショックを受けるよりも、どうなろうが関係ない、全く好みじゃない女の子に声をかける方が正しい戦術のように感じたのだ。

 しかし、そんなことを正直に言うと反感を買うことは分かっていたので、ここではこう言っておく。

「フッ……僕だっていつまでも腰抜けじゃないですよ。やると決めたからには、腹括ります。僕はこう見えても、やる時はやる男ですよ?」

「な……なんだと……。我が専属のドMシェフがカッコよく見える!」

 だから、シェフじゃねーよ。あと、僕はドMでもない。

「それじゃあ、行ってきます!」

「健闘を祈るっ!!」

 ニートと二人で敬礼をし合い、女の子の方へ近づいて行く。

 近づくに連れて、その子がすごく今風の子で、顔にしっかり化粧しているのが見えた。……うげぇ。どう考えてもタイプじゃない。できれば一生関わりたくない部類の女子だ。

 僕は心の中で彼女のことを『ギャル美さん』と名付けた。『美しい』という字が非常に皮肉めいていて、心の中で笑ってしまう。

 しかし、そんなくだらないことを考えられたのは、彼女との距離が目測で五歩となった地点までだった。今から僕がこの子に……ギャル美さん(仮名)にナンパすると考えると、緊張で手が震え、情けないことに脚も笑った。

 僕がずっと見ていることに気づいたのか、ギャル美さん(!)も僕の方を向く。距離、残り三歩。お互い向かい合わせに歩いているので、合流するまで半秒もかからない。さあ、声を掛けるぞ――と、気合を入れたところで。

「…………」

「…………?」

 僕とギャル美さん(?)は、何事もなかったかのようにすれ違った。

「お前ぇぇええええええ!!」

 少し離れた所で大声を上げる不審者(女性。顔だけはいいのに、挙動がやたら男っぽい)に周囲の人の注目が集まる。

 まったく……誰だよ、あの人。恥ずかしくないのかね。

 そんな風に現実逃避する僕だった。

 だけど、ここで逃げたら、後で絶対文句言われるんだろうなー……。しかも、それだけでは済まず、罰ゲームとか言って、さらに酷いことさせられるんだろうなぁ……。

 逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

 某パイロットの如く胸中で呪文を唱えつつ、不審者の声に立ち止まっていたギャル美さん(?)に再度接近。意を決して後ろから声をかけた。

「あ、あ、あの、すすす、すいません!」

「……はい?」

 声が震えたのは仕方ない。どーせヒッキーのコミュ障だ。

 それよりもさらに問題なのは、ギャル美さん(冷)の声と目が想像以上に冷たかったことである。どーやらこの人、相当ナンパされているらしい。目から、「ナンパなんてウゼーことしやがったら、ぬっころ☆」みたいなメッセージが飛んでくる。

「すす、すいません! その、え、映画館を探しているんですけど、ご存じないですか!?」

 そこで、途端に機転が働いた。なんだかんだで、追い詰められると頑張る僕である。主にその頑張りは情けない方向に向くわけだけど。

「……映画館なら、一つ隣の通だと思いますけど?」

「そ、そうですかー。いやー、すいません。あじゅじゅじゅっしたー」

 噛んだ。もう、そんなことはどうでもいい。

 僕は無駄にその場で立ち止まるギャル美さん(怒)を放っておいて、這う這うの体で逃げ出した。



「いやー! 実に見事なナンパでしたねー!」

 近くのタリーズコーヒーでエスプレッソシェイクのショートを飲みつつ、僕は爽やかな笑顔を浮かべる。……うん。一仕事した後のお茶はおいしいよね。

「……ほう。もしあれがナンパだとしたら、この地球のナンパという概念を書き換えてもらう必要が出てくるわけだが?」

「……すいませんでしたー」

 平謝りである。机に額もつけた。プライド? なにそれおいしいの?

「……まぁ、初陣にしては頑張ったということにしておこう。普通は話し掛けられもせず終了するパターンも多いからな。それに、『道聞きナンパ』なんてジャンルもあるくらい、一応は理に適ったアプローチだったわけだし」

 対面のニートは季節限定のピンクレモネードスワークルにバニラアイスやチョコレートソースなんかをどっさりトッピングしている。これが貧富の差か。

「情けない結果だったかもしれませんけど、今の僕にはあれが精一杯です。ていうか、軽く限界超えました。イーストブルーからいきなり新世界が見えました」

「はっはっは。いいじゃないか、新世界!」

 新世界、という表現が気に入ったのか、ニートが豪快に笑う。

「やっぱ、面白いものっては基本、『新世界』にこそあると私は思う。今後も一緒に新世界を冒険するとしようぜ、相棒!」

「無理です。レベル1で新世界とか、五秒も持ちませんよ」

「五秒だけでも新しい快楽が味わえるなら、いいと思わないか?」

「そんな刹那的な生き方は嫌だ!」

「はっはっは。とは言え、久しぶりに楽しかったよ。ここのお茶代はご褒美として私の奢りにしておいてやろう」

「それなら僕もアイスをトッピングすればよかった……」

「そういう素直なところ、私は好きだぞ。よし。もう一つご褒美として、とっておきの『彼女を作る方法』を教えてやろう!」

「……とっておき?」

「ああ。なんてったってこれは、今、日本で一番有名なカリスマホストが、モテない男子に彼女を作らせるために考えたプログラムの序章だ。面白そうだったから、十万円出してそのノウハウを買ってみたんだが、意外とためになるんだよ」

「ぶっ!? じゅ、十万……?」

 それ、ぼったくりじゃないのか。目に見えないものに十万円も払うとか、正気の沙汰じゃない。

「うん? そうか。お前みたいな一般ピープルには馴染みがないかもしれんが、最近は『情報ビジネス』なんてのもあってな。情報が売れるんだよ。価値ある情報なら、それだけで億万長者になる奴もいるらしいぞ? 結局、そういうのも含めて自己投資だしなー」

 確かに僕みたいな一般ピープルには信じられない話だ。

『自分へのご褒美☆』なんて言葉に寒気を感じる僕は、同じように自己投資という言葉にも拒絶反応がある。なんだよ、自己投資って。投資は株や不動産にするもんだろ。

「貧乏人にはわからんだろうが、この世で最も金持ちな民族・ユダヤ人が投資する一番のものは『教育』らしいぞ? ダイヤも金も奪われれば終わりだが、頭の中の知識だけは強盗にだって奪えないからな」

「ふーん。そんなもんですかねぇ……」

「む。話が脱線してるな。ま、その辺の金持ち哲学は今度話すとして、今は彼女の作り方だったな」

 そう言ってニートは、すっと右の手のひらを挙げ、僕に向けた。

「ズバリ、五人だ。五人、女友達を作れ。そうすれば、彼女ができる」

「はあ……」

「大体、お前みたいなモテない男は間違ってるんだ。いきなり恋人を作ろうとするだろ? そんなの無茶だ。同性の親友を考えてみるといい。そいつといきなり親友になったか? 違うだろ? まず、知り合って、顔見知りになる。んで、友達になって、さらに時間を重ねて……で、紆余曲折の末に親友になったんだろ? だったら、彼女だって同じさ」

「…………」

 なるほど。一理ある。

 確かにいきなり彼女を作ろうとしたって無理な話だ。僕だって道でいきなりナンパされて、それがびっくりするくらいの美少女だったとしても、いきなりその子と交際をスタートするなんてあり得ない。

「そう。お前みたいな素人ドーテーでさえそうなんだから、いわんや、世の美少女をや」

「素人ドーテーは余計です」

「結論、ナンパでも友達になることを目指せってことだな。ネット上ではいきなりホテルに連れ込んだみたいな記述があるかもしれんが、あんなのは一部の例外か、もしくは死ぬほど数こなしてんだよ。お前みたいなのには、普通に友達作るとこからスタートした方がいい」

 ちうーっとピンクレモネードスワークルを吸うニート……いや、師匠。

 なんだろう。ほんと時々、マジですごいよな、この人。なんでそんな色んなことを知ってんだろ。実年齢は僕と一つしか違わないのに。僕が一年後に、彼女と同じだけの知識を持っているとは到底思えない。

「てことで、女友達を作ろう。ナンパもできるようになった今のお前なら、多少は緊張せずに女と話せるだろ」

「いや、たった一回だけですから、今でも全然緊張しますけどね……」

「……うん? でも、私とは普通に喋ってないか?」

「…………」

 そりゃアンタが、めちゃくちゃ特殊だからだ。



 そんなわけで、僕は翌日、京都で有名な美容院に髪を切りに来ていた。

『ゼロから女友達を作る一番楽な方法は、強制的に女と話す環境に身を投じることだ。美容院が一番オススメだな。ついでに女好みの髪に切ってもらえ』

 とは、ニート師匠の弁である。

 一応、髪は美容院で切っていたけど、京都に来てからは一度も散髪に行ってない。お金の問題もあるし、安い床屋で済ませようとしていたのだが……師匠のアドバイスを参考にして繁華街にある美容院に行くことにした。事前にネットで調べた情報によると、美容師の腕が良く、しかもその美容師さんが美人であるらしい。

「いらっしゃいませー」

 緊張しながらドアを開くと、快活で明るい声が店内に響いた。

「初めての方ですかー?」

「は、はい。よろしくお願いします」

 新しい美容院に行くなんて久々の経験だったから、めちゃくちゃ落ち着かない。

 対応してくれたのはHPに載っていた美容師さんだ。上品に染めた茶色の髪の毛にはウェーブがかかっている。身長が少し低いけど、清潔そうな雰囲気と人懐っこい笑顔が確かに魅力的だ。

 基本的に茶髪の女性が苦手な僕だけど、やっぱり例外はあるんだなーとか思った。この美容師さんには、そんな悪い印象を持たない。接客業だから、色々気にしているからかもしれないけど。

「それじゃあちょっと、失礼しますねー」

「え? え?」

 なんか知らんけど、いきなり頭をナデナデされる僕。

 たぶん年上で、低身長で、美人なお姉さんが、一生懸命背伸びしながら僕の頭をナデナデする。……なんだろう。特殊な性癖があるわけではないけど、このシチュエーションはどこかくすぐったいと言うか、気持ちいいと言うか……。

「……うむ? うむむ?」

「あ、あのー……」

 美容師さんはそのまま頭頂部から手をスライドし、サイドの髪の毛を指先で触りながらなにかを確かめているようだ。

 一見ふざけているような行動を真剣な表情で取り組むというシュールな時間を過ごすこと数十秒。手を離すと、美容師さんが改めて僕に向き直り、ちょっと照れたような、はにかんだ笑顔で僕の顔を指差した。

「キミのこと、好き!」

「……………………は?」

 ……なぜか告白された。

「すっごいあたし好みの髪の毛! びっくりした! 女の子みたいにしなやかなのに、どこかハリもあって……まさに、あたしが切りたい理想の髪の毛なの!」

「え、えっと……?」

「ねえ、キミ。よかったら、あたしの専属モデルになってくれない? カット代は一ヶ月五百円でいいから、最低一週間に一度、あたしに髪を切らせてほしいの!」

 何を言っているんだろうか、この人は。

 全くもって意味不明だが、とりあえず、話を合わせてみる。

「えっと……だけど僕、そんなに短い髪の毛が好きではないので、そんな高頻度で髪を切るわけにもいかないんですが……」

「人間の髪の毛は一日に平均0.4cmくらい伸びるの。だから、一週間で約2.5cm。その分をあたしに切らせて欲しいの! お願い! それ以上は切らないからっ!!」

 確かにヘアスタイルを最善の状態に保てるなら、それは素晴らしいと思う。しかも、一ヶ月のカット代は五百円。僕は今まで二ヶ月に一度カットしていたけど、それでも千円では済まなかった。ニート師匠にもお金を大切に使うように言われているし、そういう意味でもこの提案に乗るのは悪いことじゃない。むしろ、メリットいっぱい。

そんなことを脳内で考察した。

 決して、お願いしてる美容師さんの仕草が可愛かったからではない。決して。

「は、はい。じゃあ、それで……」

「ほんと!? ありがとうっ! これ、あたしの名刺ね~」

 そう言って渡された名刺には『上方かみかた きり』と書いてあった。……なんか、正に髪の毛を切るために生まれてきたようなネーミングだ。

「はい、じゃあこっちにきてくださーい」

 通された場所にはリクライニングシートみたいな、散髪用の椅子が一つしかなかった。

「あの……椅子、一つだけなんですか?」

「うん。あたし、気に入った人の髪しか切らないんだ~。だから、お客さん少なくて」

「どんな美容師だよっ!」

「だから毎月、お店は赤字ギリギリなのです。もうちょっと収入増えるといいんだけど」

「ぜひ、他のお客さんの髪も切ってあげてください」

「ええー。それはやだよぅ~。えーっと……キミ、名前は?」

「名前…………」

 あ、危ねぇ……。しばらく自分の名前を名乗ることも呼ばれることもなかったから、すっかり記憶の奥底に沈んでしまっていた。

「えーっと。新見といいます」

「そう。よろしくねー、新見くん!」

 初対面なのに、すげーフレンドリーだった。これが美容師さん効果か。とてもじゃないが、コミュ障な僕には真似できそうにない。

「あたしのことは桐でいいよ~。で、新見くん。キミは好きな食べ物って何かあるかな?」

「そうですね。強いて言うならステーキです」

「な、なんて男らしい……。そう。なら、新見くんは毎日ステーキ食べたいって思わない?」

「まあ、それは。たまには」

「だからあたしは、毎日ステーキを食べているのです!」

「散髪が食事だと……!?」

「えへー。新見くん、意外とお喋りさんなんだねー」

 断じてそんなことはない。僕は正真正銘、コミュ障だ。

 ただし、相手がただの変態・変人なら、ざっくばらんにコミュニケートすることができる。

「それで、どんな髪形にしようかー?」

「あ。じゃあ、こんな感じでお願いします」

 そう言って僕は美容師さん……桐さんに紙を渡した。

 ニート師匠に、言葉で説明するのは大変だから紙で希望を示すことを勧められたのだ。『どーせお前じゃ女の好みなんてわからないだろうから、私が要望を書いておいてやる』と、決心が鈍らないようにそのまま中身を見ず、紙を渡すように言われた。 

 ……って、あれ? 今、冷静に考えると、それは非常に危険なような……。

「に、新見くん……ぷぷっ。ほ、ほんとにこれでいいの……?」

 桐さんが笑いを必死に堪えている。

 それを見た僕は慌てて紙を取り返した。そして、大急ぎで中身を確認すると、そこにはこのように書いてあった。

『なんかボンバーヘッドな感じのアフロで! ワイルドでロックな感じ! 参考画像→』

 そこには僕とは別世界に住むロックなミュージシャンが、アフロな頭を振り乱しながら魂をシャウトしている画像が添付されている。

「あんのニートがぁぁああああああああああああ!!」

 僕は力の限り参考資料を破り捨てた。

「ねえ、ねえ。アフロにするの? ボンバーヘッドなの? ……うぷぷ」

 桐さんが口元を抑えながら笑っている。……死にてぇ。

「違います。今のはイタズラです。イッツ、アメリカンジョーク。普通の感じでお願いします」

「そう。でも、『京都の女の子にモテるような、爽やかな感じ』がいいんだよね?」

 ニヤニヤしながら聞いてくる桐さんの手元にはもう一枚紙が。

 どうやら二枚組みになっていて、上一枚がネタ用・下一枚がマジレスだったらしい。

「あ、いや、それは――――」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。さ、切りますよー」

 その後何を言っても取り合ってもらえず、終始ニヤニヤした桐さんに『爽やかな』髪形にカットしてもらいましたとさ。



「後悔はしていない。だが、反省はしてやってもいい」

「問答無用で後悔も反省もしろや、コラ」

 桐さんに髪を切ってもらって帰宅後、すぐにニートを正座させて問い詰める作業に移行。

「ほら、話題作りだよ、話題作りー。ネタがあると打ち解けやすかっただろ?」

「打ち解けるっつっても方法があると思うんですがねぇ! アレ、下手したら僕の頭がマジでアフロなボンバーヘッドになっていた可能性もあるんですが!」

「その時はその時だよ。アフロなボンバーヘッドとして人生を生きるのだって、いい経験になると思うぞ。……うくくっ」

「最後笑ってるでしょーがっ!!」

「まあまあ。そう怒るなって。結果オーライだろ?」

 そう言って、僕に鏡を向けるニート。

 僕の頭は、かつてない程オシャレさんになっていた。ワックスとスプレーでセットされているためか、軽く芸能人チックな髪形だ。テレビや雑誌に登場するイケメン達が、一体どうやって髪をセットしているのか常々疑問に思っていたけど、どうやらこんな風にしてセットを行っているらしい。

「うーむ……やっぱ、人間外見だよな~。服と髪形変えただけですごい変身っぷりだぞ、我が弟子よ」

 今の僕は髪形だけじゃなく、洋服も新境地だ。

 僕の髪形を危機に晒した謝罪のつもりか、ニートが僕に私服をプレゼントしてくれた。最初は「こんな服着たくない!」と思うほど派手なものだったのだが……着てみると、案外今の髪形にマッチしていた。……チャラチャラしたお兄さんが着てそうなファッションだから、やっぱり僕は落ち着かないけど。

「良きかな、良きかな。これでやっと、ナンパもスムーズに行えるな。その髪形、ちゃんと自分でセットできるようにするんだぞ?」

「マジですか……。もういっそ、魔法と言っても差し支えないくらいの謎技術でセットされたんですけど……」

 げんなりしつつ、桐さんの手つきを思い出す。

 ほわほわした笑顔を浮かべる割に、僕の髪をセットする手つきは異常に早くてテクニカルだった。とてもじゃないが自分でセットできるとは思えない。

「まぁ、やってる内に慣れるさ。さて、それじゃあ、さらなる女友達を探す旅に出るとしよう!」

「嫌です。超嫌です。ていうかもうナンパとかしたくないです。なんだったらもう、彼女作るの諦めたいです」

 心の底からの気持ちを口に出すと、ニート師匠は「お前って奴は……」とため息をついた。だけど、それが僕の本音なのだから仕方ない。彼女は欲しいが、あんな苦痛を味わうのは二度とご免だ。

「お前にいいことを教えてやろう。金持ち業界では有名なことだ。お前は、なぜこの世界には金持ちとそうでない人間がいると思う?」

「それは金持ちになりたいと思わない人間もいるからでしょう」

 揚げ足取りのつもりだったけど、その答えはむしろニート師匠的に満足の行くものだったらしい。

「なるほど、いい答えだ。実際、それは正しい。『金持ちになりたい』とか『もっとお金が欲しい』という人間も、その望みを実現するために必要な努力を起こさない奴が多いんだ。……いや、正確に言うなら、『そんな努力をするくらいなら、金持ちになれなくてもいい』といった具合なんだろうけどな」

「……正に、今の僕と同じ状態ですね」

「しかし、な。残念なことにそういった奴らは幸せになれない。なろうとしない。夢が叶わない原因は大きく分けて二つある。一つは、その夢を忘れてしまうこと。もう一つは、情熱が足りず、途中で努力をストップしてしまうことだ」

「…………」

 返す言葉もない。

「だから、まずは夢を忘れないこと。そして、その夢に情熱を燃やし続けることが大切なのさ。想像してみな? 彼女がいる生活を。お前好みの理想の女の子とお前が付き合っている世界を。それがお前にとっての、本当の幸せじゃないのか?」

「本当の、幸せ……」

 ……そうなのかもしれない。これまでの十八年間、ずっと独り身でいたせいもあって、『彼女がいる生活』というのは妄想するだけでも十分に幸せを感じられる。さらに言えば僕の場合、そこまで距離感が近い親友もいなかったから……余計、その幸福度は高い。

「だからさ。一度決断したんなら、最後まで情熱的に行動しろよ。そりゃあ、やり方が難しいっていうなら、方法は変えてもいい。だけど、できるだけその難しい方法ってのも頑張ってみる方がいいぞ。困難な状況っつーのは、結局、そいつが成長できる唯一のチャンスでもあるんだからなー」

「……ほんと師匠は時々、びっくりするくらいいいこと言いますよね」

「お。なになに? 見直した? 尊敬した?」

「まぁ、それなりに」

「うーん。お前のそれもどうにかした方がいいよなー」

「それ、と言いますと?」

「なんかお前、基本クールっつーか……無表情なんだよなー。もっと笑えよ。面白かったら笑えばいいし、つまらなかったら笑えばいいし、びっくりするくらい不幸なことが起きても、変わらず笑えばいーだろ」

 そう言って師匠はニカッと笑った。

 それを見て、なんだか僕は羨ましいと思ってしまった。

普通を夢見て。普通になるために生きて来た僕は、何事もスタンダードにこなしてきた。だから、何かが特別面白かったり楽しかったりしたことはほとんどない。

 だけど、この人と色々話している今はそれがすごく勿体無いことだったんじゃないかって、そんな風に思う。世界はきっと、面白いことで満ちていて。その気になれば四六時中笑えてしまうような楽しい世界なのに、そんなことに気づくこともなく、暗い表情で下を向いて歩いている僕は、なんだかとても勿体無い。

「貴女と過ごしていたら、なんだか僕まで変人になりそうな気がしますよ。24時間、意味もなく笑いそうです」

「そいつはいいじゃねーか。24時間、365日、年中無休で笑っちまえ」

 そう言ってニートはまた、嬉しそうに笑った。

「で、次の作戦なんですけど、やっぱりナンパって効率悪いと思うんですよ。僕がやりたくないってことを抜いても。だから、ここは王道として、バイトでもやってみようかと思います。女の子多めなカフェとかどうですかね?」

「おおっ。なんだよ、お前もやる気になればいい案出せるじゃねーか。それで行こう!」

 師匠の回答を聞くと同時、二人してニヤニヤ笑い合う。

 ……なるほど。笑ってるだけで何となく楽しくなり、それでまた笑う……という無限ループも、案外悪くないかもしれない。




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