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Piece 2. お金の使い方



「……それで、恩返しって具体的に何をするつもりなんですか?」

 一時の気の迷いで隣人のニートと遊ぶことを決めてしまった僕は、スタバを出てニートの部屋に戻っていた。

 理由は単純。この人と居ると否が応にも目立ってしまうからだ。まだ京都に来て日が浅い僕だけど、周囲の人達に変な印象を与えたくはない。もうしばらくは京都にいるだろうし。

「そうだな……。特に考えてなかったけど、今決めた。私はお前をフルサポートすることにする。言わば、シェンロンだよ、シェンロン。汝の願いをいくつでも叶えよう~ってやつ」

「いや、神龍は願いの数が限定されていたはずですが……」

「おお! それじゃ、めちゃくちゃラッキーじゃないか! お前専用のシェンロンは、どんな願いでも、いくつでも聞いてやるぞ?」

 どんだけサービス精神旺盛な神龍だよ。

「ほれ、なんでもお願い言ってみ? おねーさんが叶えてあげるぞ?」

 なんでも、か……。

 自室に帰ってきたため、ニートはお気に入りらしい薄手のドレスに着替えていた。別に意識したわけじゃないけど、つい視線が服越しに透けている肩に行ってしまった。……うん。口調や性格はアレだけど、基本的に超美人なんだよな……この人……。

「うん? なんだ、そういうのがいいのか? ほれほれ、おっぱいだぞ~」

 ……どんな美人でも、この発言は最低だと思う。ていうか、腕を組んで持ち上げようとしてるけど、どう考えても心許無い。他のパーツは優秀だが、唯一バストサイズだけは恵まれなかったらしい。

「……む。なんだか、失礼なモノローグが聞こえたぞ。言っておくが、私の胸は未だ成長中だ。このペースなら、二十四歳までにFは行くと見たね。そして、今でも十分柔らかい」

「はあ……さいですか……」

「ふっふっふ……だから、お前が望むならそういうことを教えてあげてもいいぞ?」

 女の子座りをして女性らしく体を捻り、上目遣いで妖艶なポーズを決めるニート。無駄なほどサマになっていた。普段から熱心にAV研究しているだけのことはある。直前までアホな会話を繰り広げていなければ、いくら草食系の僕でも危なかったかもしれない。

「……冗談はそのくらいでいいですよ。どーせ、実際にそんなお願いしたって上手く躱すつもりでしょ? それにそういうことは、ちゃんと努力して、恋人同士になってからするのがいいんです。大した努力もせずにご馳走もらったって美味しくないですよ」

「……なはは! やっぱり、お前は面白いなー」

 さっきのセクシーさを吹き飛ばすかのように豪快に笑い出す。なんか、笑ってばっかりだな、この人。何がそんなに面白いんだろうか。人生の悩みとか無さそうで、非常に羨ましい。

「……で、そろそろ本題に入ろーぜ。まー平たく言うと、私はお前を幸せにするってことなのさ。だから、お前が幸せに近づくことなら全部する。まずは……そう。軽く、お悩み相談とか行ってみようか。お前、なんか悩みとかないのか?」

「悩み、ですか……」

 ある。ありすぎる。ありすぎて何から話せばいいか分からないレベル。

 ていうか、僕は今、完全に人生が詰まっているのだ。いや、『詰んでいる』と言っても過言ではない。普通の人生を送りたかったのに、普通から極端に外れているのだから……。

 返答できずに悩み続ける僕に飽きたのか、ニートの方から提案があった。

「ま、フツーの人間なら悩み多くて当然だわな。お前の悩みがいくつあるのかしらねーけど、ここはおねーさんが、その中の一部を当ててやろう。ズバリ、お金・仕事・健康・人間関係だろう?」

「えっと……まあ、そうですね」

 お金は非常に死活問題だ。だって今、僕も無職のニートだし。そういう意味じゃ仕事の悩みでもあるかもしれない。

健康は……特に大きな病気とかないけど、最近食生活が乱れているせいで気にはなっている。人間関係なんて最たるもんだ。彼女どころかまともな友達だって少ない。

「にゃっはっは。どうしてそんなこと分かるの?って顔してやがるな! そんなの簡単だ! 人間ってのは、大抵その四つで悩んでるもんなのさ」

「はあ……そうなんですか……」

 なんか詐欺に遭った気分だ。

 これがネオニート。自分とは別世界に済む人間の知識か。

「お前が幸せになるためだったらどの分野だっていくらでも教えてやるけどな。時間は有限だし、物事には優先順位ってのがある。だから、お前が聞きたい順に教えてやるよ。さしあたって、一番聞きたい悩みが分かったか?」

「それじゃあ、まずはお金ですかね。貴女も知っているでしょうけど、僕は今、浪人やってて、かなり金銭的に厳しいんですよ……」

「ふーん。で? それ、改善する気あんのか?」

「? ええ、もちろん」

「あー。じゃあ、ダメだわ。お前、覚悟が足りないからな」

 酷い物言いにガックリ来てしまった。

こんなことにならないために、このネオニートが一番得意そうなお金の分野を相談したのに……。

「お前さ、貯金、いくらあんの?」

「いや、そんなプライベートなことを……」

「別に奪ったりしないって。私には十分な資産があるしな。単純に、お前の現状が知りたいんだよ」

「……高校の頃バイトしてて、そのお金が五十万くらい、です」

「はあ!? 五十万!?」

 ニートが素っ頓狂な声を上げる。それを聞いて、僕は少しだけいい気分になった。

 高校生の頃、時間を縫って必死にアルバイトしたお金なのだ。部活もせず、稼いだお金でゲームを買うのも我慢して、必死に貯めた。正に、僕の血と汗と涙の結晶。

「お前、たった五十万しか持ってねーのに、このマンションに住んでるわけ!?」

その結晶を、たった一言で砕きやがたった! このニート!

「た、確かに、貴女の収入に比べたら少ないかもしれませんけど、僕にとっては命のお金なんですよ!? そんな風に言うのはやめてください!」

「いや、私は別にお前のことをバカにしてるわけじゃない。そこんとこ、誤解するなよ? あー。ほら。お前、ここの家賃いくらか知ってる?」

「? ええ。当然じゃないですか。ネット代・共益費込みで五万五千円です」

 確かに一般的な一人暮らしの大学生(仕送りなし)よりは高いかもしれないが、そもそも京都の家賃が高めなのだ。それにここは、JR京都駅から徒歩五分という好立地。この条件、その辺のマンションだったら七万~九万円くらいの家賃がかかる。そういう意味では、これでもかなり安い物件だ。

 そんなことは、このマンションのオーナーであるニートも知っているハズだが……なぜか彼女はため息を吐いた。

「あー……。そりゃ、そうか。お前みたいなのが世間的にはフツーなんだよな……。自分本位で考えちゃいけないよな、何事も……」

「何なんですか。文句があるなら、はっきり言ってくださいよ」

「仕方ねー。……はーい☆ おねーさんが教える、学習コーナーだよー☆」

「…………」

 なんだ、その変なテンションは。

「きゃぴっ☆ お金を節約するコツはねー? 『固定費』から手を付けることなのー☆ 交際費とか食費とか、月によって変動する費用を管理するのは大変~。だから、『家賃』、『車にかかる費用』、『保険料』みたいな、毎月必ずかかる費用を抑えてみようね☆ 食費を一万円節約するより、家賃を一万円下げる方がずっと楽ちんなのー☆ 覚えていてね♪」

 人差し指を立て、猫撫で声で解説の後、最後にウィンクまで決めたニートは、その体勢のまま静止。僕の反応を待っている。

「…………情緒不安定?」

「お前のために分かりやすく説明してやったんだろーがっ!」

 殴られた。なんて理不尽な。

 しかし、そうか。確かに言われてみれば、その通りかもしれない。もちろん、ある程度まで食費を削ることは可能だけど、必要最低限からさらに一万円も節約するのは大変だ。その点、家賃なら最初から一万円安い物件を見つければ済む話。……もっとも、部屋のランクを下げることになるかもしれないけど。

「住めば都、ってな。どんな部屋だって慣れるもんだよ。あと、最近だったらネット代やケータイ代も『固定費』として見てもいいかもな。……ほれ」

 そう言って、ニートは小型の端末を取り出した。

 えーと。モバイル回線だろうか?

「これはポータブルなモバイル回線でな。外でもネットができる。月額3880円だ。だが、それだけじゃない。これはこうして使うのさ」

 そう言って、ニートはさらに携帯電話とiPhoneを取り出す。

「このiPhoneは契約を切ってある。つまり、月にかかるお金は〇円だ。だが、このモバイル回線があればiPhoneでネットができる。そして、こっちのケータイはPHSだが、月額2200円で月に10分間の電話が五百回までかけ放題だ」

「えっと……つまり?」

「お前のケータイ、たぶんスマホだろ? ケータイ代は全く使わなくても月に六千円。普通に電話してりゃ一万円はかかるはずだ。それに加えて本来はネット代がかかる。……まぁ、ウチのマンションは無料だがな。もし別のマンションでそのネット代に四千円かけているとしよう。すると、一ヶ月の通信費は一万円~一万五千円程度になる」

 計算が早すぎる。何言ってるんだ、この人。僕も理系だから暗算や計算は得意なハズだけど、目の前のニートが話すスピードについて行けない。

 ちょっと中断させてもらって、改めて計算してみた。……なるほど。確かにそれなら、月にかかる通信費は一万~一万五千円になる。そして、ニートのプランを実行した場合の通信費は……月に六千円程度。差額、五千円~一万円が毎月浮く計算になる。

「……今お前、「たかが五千円くらい……」って思っただろ?」

「うっ……」

 図星だ。ニートがニヤニヤしている。

「だーから、お前はいつもお金の心配をしなくちゃいけないんだよ。いいか? たとえ月に五千円だったとしても、二ヶ月で一万円、一年で六万円も変わってくるんだぞ?」

「……え!?」

 言われて、再度計算してみる。一ヶ月で五千円、二ヶ月で一万円。一年は十二ヶ月だから、二ヶ月分の六倍で……うわ。マジで六万円浮く計算になる。

「もし一万円の差だったら、一年で十二万円の差だな。家賃にも同じことが言える。今より五千円低い家賃の物件に住んでみろ。何もしてないのに、一年で同じく六万円。一万円低い物件に住めば、同じく十二万円。通信費と合わせると、年間二十四万円も違うぞ?」

「なっ…………!」

 すげぇ! その通りだ!

 なんてこった! これが金持ちの頭脳かっ!!

 僕が心底驚愕の眼差しで彼女を見つめていると、照れたのか、ちょっと頬を赤くしながらそっぽを向いてしまった。

「僕はこの二ヶ月間……貴女のことを、ちょっと頭のユルい金持ちのボンボンだと思っていました」

「…………おい」

「でも、実際は違ったんですね……。貴女はちゃんと努力して、今の財を為したんですね……」

「えーっと……ま、まぁ、そうだな。……おい。あんま、そんな目で見んな。テレるって」

いつも尊大な態度をとっているくせに、いざ尊敬の眼差しを受けると慌てふためく彼女。

 その姿を見て、なんだか一層、尊敬の思いが強くなってしまった。真昼間からAVや昼ドラを大音量で垂れ流すようなダメ人間だけど、やっぱり高収入を得ている人間はすごいんだなと、素直に思う。




 その日、僕は一日中ニートからお金のことを教わった。

 最初、投げやりにお金のことを問いかけた時には、てっきり『稼ぎ方』を教えてくれるものだと思っていた。だけど、ニートからの教えは『使い方』に終始した。今でも、彼女が語った衝撃的な話が耳に残っている。

『世の中にはな。年収一千万円でも破産寸前のアホがいるんだ。どうしてだと思う? それはな、そいつらが収入に応じてお金を好き放題使っちまうからなのさ。年収三百万で年に二百五十万使う人間よりも、年収一千万で年に一千万使う人間の方が貧乏なのさ。さらに言えば、年収一億で年に一億二千万使う奴が一番貧乏だな』

 確かに、その通りだと思う。要は、お金の使い方が金持ちになる秘訣ってことなのだろう。

 僕は運動がてら二十分歩き、京都で有名なスーパーFrescoにて夕飯の買出しをしていた。

「特売品……豚肉百グラム98円……」

 果たしてこれは、安いのか。たぶん、一般的な判断基準から言えば安い。ステーキ用だから厚さもしっかりしているし、シンプルに塩コショウで焼いたら最高だと思う。

 だけど……僕は今、ニートなのだ。収入ゼロの僕にとっては、この特売品すら贅沢なのかもしれない。

「……昼間、スタバでキャラメルスワークルなんて飲むんじゃなかったなぁ……」

 美味しかったけど。でも、スーパーの特売品すら購入を躊躇する今の僕には、あまりにも贅沢な品だったと思う。

 そんなことを考えて苦笑した。どうやら僕は、完全に彼女の教えに洗脳されたらしい。

「宗教でも始めればいいのに」

 絶対上手く行くと思う。……いや、だからこそ、絶対に始めさせるわけにはいかないが。

 とにかく、今夜も貧乏人らしくTKGたまごかけごはんで凌ぐべく、僕は卵コーナーに向かった。



「美ん味いっ! やっぱり、お前の目玉焼きは最高だなー! もうシェフって呼ぶわ、今日から!」

 ……まさか夜も呼び出されるとは思わなかった。

 意気揚々と卵を買って帰ったところを見つかったのが運の尽き。節約生活を決意し、当分TKGで凌ぐ予定だった僕にコンビニでハムまで購入させ(僕のお金がっ!)、ディナーの目玉焼きを調理させられて今に至る。

「いやー! やっぱ、目玉焼きにはハムだよなー!」

 いつもは「ベーコンが一番だなー!」って言ってるくせに、どの口が言うか。

「んー? そんなムッツリするなって。ほれ、お代やるよ」

 そう言って高級ブランドの長財布から取り出すのは、やっぱりユキチさん。

 さっきまで散々お金の大切さ・使い方について説いていた人間とは思えない所業だ。

「……あのですねぇ。今日一日中「お金は大切に使え!」とか、「結局お金の使い方が下手だから貧乏になるんだ!」とか偉そうに解説してたのに、なんで貴女はそんなにお金の使い方が派手なんですか!?」

「え? だって私、お金あるし」

「…………」

 こんの金持ちがぁぁぁあああああああ!!

「冗談だよ。そんな怖い顔するなって~」

「冗談は貴女の顔だけにしてほしいもんです」

「お? なになに。そんなに私の顔ってキレイ? 冗談じゃないほどに?」

 ツッコミを間違えた。非常に残念だが、このニートの顔は冗談なくらい整っているんだった。

「さておき、ほんとに半分は冗談なんだよ。お金があるから使うってのもあるが、結局、お金はいつか使うものだからな。ある程度は貯めたり投資したりするのも必要だが、それも最終的には使うためだ。で、どうせ使うなら、感謝と愛情をいっぱい込めて使いたいじゃないか。私はお前が作ってくれる目玉焼きには感謝しているし、愛してる。だから、喜んで万札を払うんだよ」

 それがお金持ちの流儀なんだろうか。現在進行形で貧乏人の僕にはよくわからない。

「……さってと。お腹も膨れたし……シェフよ。そろそろ、本題に移ろうぜ」

「本題? って何ですか?」

 あとシェフってなんだ。まさか、これからもずっとニートの食事を用意しろってことなのか? それなら、断固拒否する。

「んー? だから、恩返しだよ、恩返し。私の恩返しはお前を幸せにすることだからな。まぁ、お金だってその一部だとは思うが、お金があれば幸せってもんじゃない」

「僕はお金があれば幸せです。なんなら、あなたが所有している不動産をいくつかタダで譲ってくださいよ。それで十分幸せですから」

「それでいいなら、やるけど?」

 きょとん、とした顔を向ける。

 いかん。この人、本気だ。

「じょ、冗談です! 冗談ですって! もう……」

「はっはっは。だと思ったよ。大体な、逆なんだ、みんな。お金が欲しい、お金が欲しいって言うだろ? でも、さっきも言ったけど、お金なんて使うためにあるんだよ。だから、『~をするためにお金が欲しい』って言うのが本当なのさ。お金は手段であって、目的ではない。そこんとこ、最近は勘違いしてる奴が多いよな~」

「へへぇ~。さすがお金持ち様は言うことが違いまして」

「うむうむ。良きに計らえ」

 冗談めかして平伏す僕に満足気な彼女。うん。やっぱりSだ、この人。

「で? お前のやりたいことってなんだよ? ほれ、言ってみ? お前がどんな鬼畜な欲望を抱いてても、おねーさん、ちゃんと引かずに聞いてあげるからさぁ~」

 ニヤニヤ。ニヤニヤ。

 まるで僕がエロいことを提言するのが当然という態度で待ち構える彼女。ほんと、どんな女だよ……。最近、僕の中で女性というカテゴリーに想定していた条件が次々と崩れ落ちているような気がする。僕が信じていた女の子は、間違っても彼女のようにはしたない言動をとらない。

「たとえば僕のしたいことが『ハーレム』だったとして、貴女は協力してくれるんですか?」

「ハーレム! いいね! そいつは面白そうだ! 最高に燃えるじゃねーかよ、オイ!! イイっ! それで行こう!」

 マジでハーレムを実現させる気か!?

「ちょちょちょ、ちょーっと待ってください! 冗談です! 冗談ですって! そもそも僕、彼女だってできたことないですし……!」

「あーん? お前、マジで童貞だったのかよ。女ならいいけど、男にとってその手の欲望って生きる原動力なんじゃねーの? お前、今まで何のために生きて来たの?」

 激しく放っておいてほしい。僕だって気にしているのだから。

 普通であることを何よりも重んじていた僕は、当然、高校時代に可愛い彼女を作って青春を謳歌するという事象にも憧れた。憧れたさ。……だけど! 僕にはそんなフラグ、全然成立しなかったんだ! その結果がこれだよっ!!

「んじゃあ、とりあえず、彼女作ってみるかー」

「えらく簡単に言いますけどね。自慢じゃないですが、僕、モテないですよ? この状況でどうやって彼女ができるって言うんですか?」

 至極真っ当な問いかけをしたつもりだったけど、彼女は心底可哀想なものを見るような目で僕を見つめた。

「……お前、本当にアホだな。お前みたいに何の努力もしてない人間がモテるわけないだろ。ライバル達はみんな、死ぬほど努力してんだ。それが普通なんだよ。だったらまず、お前も必死に努力して、どうにかこうにかスタートラインに立つのが当然だろーが」

 投げやりに手をヒラヒラさせながら語る彼女の言い分は、しかし、真っ当なように思えた。確かに僕は、今まで一度もそういう努力をしたことがない。というか、何かにつけ、努力をしたことがなかった。

『普通』を目指す僕は常に平均値を狙っていたのだ。高校時代、女の子の目を意識して外見に力を入れる男子も居たが、そんなのは少数派で、残りはみんな『普通』に生活していた。だから僕も、その通り『普通』にしていたのだ。

「お前はアホか。普通にしてたら普通か、普通以下の結果しか得られるわけないだろう」

「で、でも、僕は『普通』を人生の信条にしていましてっ! 普通であることを何よりも重んじると言うか……とにかく、普通じゃないことはしたくないんです」

「はぁ~~~。お前はアレだな。完全にアホだな。せっかく目玉焼きの焼き加減はシェフ級なのに、それ以外はてんでダメだ」

 つまりそれは、全てダメだと言われているに等しい。目玉焼きの焼き方が一流でも、人生的には何のメリットもない。

「いいか、よく聞け。ほんとはこの世に『普通』なんてないのさ。あるのは『特別』だけだ。ある分野で普通に見える少年も、絵を描かせれば一流かもしれねー。料理のできない女が、実は隠れ巨乳かもしれねー。人生ってのは、人間ってのはそういうもんだ。もし仮に全ての能力が平均値の人間がいたとしたら――そいつは『普通』じゃなくて、びっくりするくらい頂点の『特別』だろーよ」

「……………………」

 固まった。いや、僕は震えていた。

 それは、僕の人生観を百八十度変える言葉……教え、だった。


『普通』は無い――――


 僕は普通になりたかった。普通に生きて、普通に死んで。そうすれば、少なくとも人並みの……普通の幸せが手に入ると思っていたんだ。

 それが一番効率良くて、それが一番幸せなんだって思っていた。それが一番、『楽に』幸せになれる方法なんだって、思ってた。

 だけど、本当は違っていたんだと思う。

 僕は、間違っていたんだと思う。

 きっと、僕が求める『幸せ』と世間一般の人が手に入れる『普通の幸せ』は違っていて。

 それどころか、僕が求める『幸せ』と全く同じ『幸せ』を望んでいる人も、まして手に入れている人もいなくて。

 みんな『特別』で、みんな自分だけの、オンリーワンの幸せを得るために頑張っているのかもしれない。

「お? なになに。感動したの? だったら私のことは今後、『師匠』と呼ぶように。人生的にもニート的にも師匠だしな!」

「わかりました、師匠」

 僕は、素直にそう呼んでいた。




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