水鏡女学院にて 【水鏡視点】
明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
いつもは土日ですが、書けたので投稿します。
土日には出来たら番外辺りを投稿したいと思っています。
では、新年早々一発目の投稿は彼女から。
「先生」
久しぶりに聞いた声に顔をあげることもせず、私は最愛の存在に包まれながらその温もりを実感し続ける。
羽毛を利用した特製の彼女は私を温かく包み、彼は本来ある寝台の冷たさから私を遠ざけてくれる。
私を包む世界はあまりにも優しく、温もりに溢れ、愛に満ちている。
これ以上の幸せなどなく、存在しない。
否、彼と彼女がいることで私の世界は完成していた。
「先生、生きていらっしゃいますか?!」
慌てたような声とこちらに向かってくる足音に、渋々と数か月ぶりに咽喉を動かす。
「布団から出たら、死ぬー」
「・・・生きていらっしゃいますね」
呆れたようなみっちゃんの声がしたけど気にすることはなく、私は顔までしっかりと彼女達に包まれたまま、再び目を閉じて向こう側へと飛び立とうとする。
「用がないなら私はもう一回寝るよ、みっちゃん」
仮に用があっても寝るけどね、だってみっちゃんが次にいうことなんて私には簡単に想像出来るから。
この世界で私に予想できないことはなく、想像以上の出来事は起こらない。
考えることが出来てしまうことに驚きはなく、目の前に起こる事態の全ては確定事項でしかない。
ほんのわずかな想定外のことが起こっても、それが起こすであろう変化も、今後変わっていく様々な出来事も、私にとっては取るに足らないことでしかない。
「法正が帰還しました。
そして、先生への面会を・・・」
「それに対して取り次ぎなんて時間の無駄でしかないと言ったでしょう、水鏡。
それを起こす時も、話を聞かせる時も、行うべきことはたった一つ」
ほら、やっぱり。
私の想像通り、彼女の向こう側から聞こえてくる彼女の声に私はほんの少しだけ彼と彼女を強く掴んでおく。もっともこれも無駄な抵抗なんだけど、彼と彼女と離れたくない私の精一杯の抵抗だ。
外側から彼女を掴まれる感触を感じながら、強く引っ張られて成すがままに取り払われる。そして、扉の光りを背後に受けながら、彼女は私からはぎ取った彼女を遠くへと放り投げてしまう。
「あぁ! ジュリア!!」
最愛の親友を粗雑に扱われ、私は思わず彼女の名を叫ぶ。
「目は覚めているようね、水鏡。
さぁ、久し振りに出てきてもらおうかしら」
「えー・・・ やだよ、めんどくさい。
私は既に決まっている道筋になんて興味ないし、ここに居を構えたのだって引き籠るためだもん」
生活のためにたびたび著書を増やしたり、みっちゃんに書いてもらったり、学費を払わせたりして生きるのに困らない程度の活動はしてるけど、ぶっちゃけ才ある子を拾ってくるのはみっちゃんの趣味みたいなもんだしなぁ。
「大体さぁ、君は自分が劉璋に受け入れられないことを承知であそこに仕官したじゃん。
私ほどではないにせよ、君は私が二つ名をあげるほどには認めてあげた子だし、先を見るっていう意味じゃ水鏡女学院の卒業生じゃずば抜けてる・・・ ううん、一番って言ってもいいよ」
この子は賢いし、生き方も迷わない。
まっすぐで、誠意があるが故に誰に対しても容赦がなく、それでいて全てが自分の身勝手であるように見せることがとても上手。
彼女を悪く言うならば世渡りが下手な頑固者、良く言うならば芯のぶれない常識人。
「いいえ、先見の明があったのは私ではないわ」
「そうだね、君の妹である彗扇ちゃんの方がよっぽどあったかもしれない。
だけど、だから私は『卒業生』って括りをいれたんだよ。だって君の妹は卒業することなく、この地で命を終えたから」
彼女からほんの少し殺意にも似た感情が漏れてるし、その隣に並ぶみっちゃんも表情も硬くなる。
だけど、私はそんなことは気にしない。
人はいつか死ぬ。
それだけは誰しも平等で、のちに残るのは生き様のみで、語り草となる生を生きたいか・生きれるかは個人個人の努力次第。
もっとも、語り草になるかなんて望まないのも当然あり得るんだけどね。
「泡沫水仙、『泡沫の彗扇』。
泡のように儚く、彗星のように通り過ぎ、水仙のようにその身に毒を宿して、自らが生きた証を大地に残していく。
本当にあの子は、良い子だった」
全部がわかるからこそ全てに興味を失った私と、常に死が近くにあったからこそ達観して物事を見つめた彗扇。
興味関心を持てずに引き籠った私と、全てを見たい願っていたのに自由の翼を持つことすら許されなかった彗扇。
「君は嫌がるだろうけど私とあの子はとても似ていて、価値観はとても遠かった。
ある意味で、あの子は私の唯一の教え子なのかもね」
ここの学院の生徒の多くは本来の司馬微のことを知らず、みっちゃんを司馬微だと思ってる。だけど、ごく稀にみっちゃんが司馬微ではないことを気づいて、私のところまで自力に辿り着く天才がいる。そして、そうした存在こそが本当の天才であり、ある種の才能を持っている。
もっとも時間差はあるし、その内臥龍や鳳雛も気づくかもしれないけど、そんなことは今はどうでもいい。
「私は」
だってほら、私の目の前で彼女はあんなにも怒ってる。
「あなたとあの子の思い出話をしに来たわけではないわ」
「そんなことはわかってるよ、緋扇」
彼女の真名を口にすれば、すっかり鋭くなっている彼女の眼差しはさらに鋭くなる。
あらら、彗扇ちゃんに向けていた目はどこに行ったんだか。
「君が私に許したのは真名を呼ぶ権利だけ、でしょ?」
女学院に訪れながら師を仰がず、ただ一人で知識を吸い込んでいき、妹を安全な場所にいることを望んだ存在は、妹を失って尚も歩みを止めることはない。
「えぇ、忘れていないわ。
それが、あなたが妹を忘れないでいることへの対価よ」
私を見つけた彼女にあげたご褒美は、私が彗扇という少女のことを忘れないこと。
そして、ご褒美を素直に受け取らない彼女が私に対価として渡したのは自身の真名。
一人の存在の人生を、生き方を覚えてほしいなんて傲慢な願い。
「生きづらそうだよね、君の人生って」
「生きやすい人生というものがもしあるのなら、それはきっとあなたのような人生を言うのでしょうね」
「ま~ね~」
体を起こしつつ返事をすれば、久し振りに人の顔を見る。
「久しぶり。みっちゃん、緋扇」
私とみっちゃんの顔はよく似てるし、年齢だってみっちゃんの方が下。
ただ、たまたま真名が同じ漢字で違う読み方ってだけで、私がここを作って間もない頃に拾った孤児だか捨て子だかよくわからない子だった。
で、ちょうどよかったからみっちゃんには表の私になってもらったってわけ。
司馬微として必要なことを叩き込んで、人として必要なものも与えて、必要だから情も教えた。他人から言わせれば人間らしくなく、横着な私が育てたとは思えないほど苦労人になっちゃったけど、それはまぁ・・・ 多分みっちゃんの個性だと思う。
姿形はよく似てて、水面に映った鏡のように私とみっちゃんは一つの存在。
けれど、似ているのは見た目だけで、その中身まで似ているかどうかなんて水面越しに誰にもわからない。
でも、いい加減やめないとね。この子の杖はうならせると怖いから。
「黄忠と璃々を追いだしたのは何故かしら」
ほら、怒ってる。怖い怖い。
「追い出したなんて、人聞きが悪いなぁ~。
勝手に男を追いかけて出て行っただけじゃん」
「あなたが水鏡を使って追い出した、の間違いでしょう」
あらら、やっぱり気づいてる。
まぁ、気づいたって問題ないし、どうだっていいんだけどね。
「そこまで気づいてるなら、私が追い出した理由もわかってるじゃない?
だって君、賢いし」
「いいえ、わからないわね。
庇護を求め、娘の教育を求めた黄忠を追い出した理由がはっきりとしない。
水鏡から聞いたのは赤の遣いが訪れたことと、何らかの理由あって滞在した高位の者が関係していたとしても、二人を追い出す理由にはならない」
「なるよ。
ていうか、それが最大の問題」
欠伸を一つしてから、私は緋扇を指差す。
「私が才ある卒業生達に二つ名をあげて追い出したのも、今まで私を操ろうと金を渡そうとしてきたどっかの領主とかを断ってきたのも、ぜーんぶそう言う勧誘が面倒だから。
荀家の誘いに乗ったのは二つ名の子達が出て行きやすいように場を揃えるためだし、こちらとの接触も出来るだけ少ないように条件づけたしねー。
なのに、黄忠って何?
あんな二つ名がついてるし有名だし、子どもなんて言う格好の囮や脅し要因まで連れてきた。挙句、まさかこの大陸で超有名な赤の遣いと一緒に行動してきて、他所の軍までここに攻めてくるときた」
親友の一人であるアリシアを引っ張り出し、彼女に包まれながらも咽喉を使う。
「それじゃ困るんだよね。
私は引き籠るためにここを作って、自分がより良く生活するのに必要だから学院を用意したんだよ。別に子どもの避難所でも、大陸からの世捨て人のための場所でもないの」
私は私という天才が生きるために、女学院を創りあげた。
そして、それを満たす延長線上でみっちゃんがいろんなところから才ある子達をかき集めた。
「天才に必要な環境と秀才に必要な時間。そして、それらが間違わないある程度の常識を得るためにあるのが水鏡女学院。
私の住処で、みっちゃんの居場所だよ。
どっかの領主様達みたいに私は別に名声が欲しいわけでも、金が欲しいわけでも、何か成し遂げたいわけじゃないもん。
何でもかんでもわかっちゃう理解出来ちゃう私は、この退屈な大陸で、ただダラダラと生きていたいってだけだよ」
死にたいなんて馬鹿なことは思わない。
だけど、生きているのが楽しいとまで実感する何かがない。
なら、流れてくる少しの情報で退屈を誤魔化して、馬鹿みたいな二つ名を卒業生達につけて、布団の中で日々を過ごしたい。
「・・・そう。
なら、あなたは私が望んでいることもわかるでしょう」
呆れることも、失望することも特にせずに緋扇ちゃんは私を見据える。
真面目だよねぇ、まったく。本当に生きにくそう。
「もっちろん。
女学院のはずれに薬草園を作りたいんでしょう?
君はもうどこに行っても評判最低だろうし、そんな君をしつこく勧誘してくる物好きもいないだろうから安し・・・」
そこまで言いかけて私は言葉を止め、彼女についてのことを思い出して溜息を吐いた。
「あー・・・ でも君を追いかけて白の遣い君が三顧の礼とかしてきたら、迷いなく追い出すかな」
「その時は、私自身が対処しましょう。
こちらに迷惑をかけるようなことをしないわ」
「うん、まぁ・・・ そうしてくれると嬉しいね」
まぁ、君ならそう言うと思ったし、仮に来たとしても綺麗に片づけると思ってる。そもそも来ない可能性の方が高いわけだし。
「それにしても君は、本当によくやるよね。
あのままだと身の程も知らずに赤の遣いに嫉妬して、おかしな方向へと道を違えそうになった白の遣いに現実と身の程を自覚させることで矯正。
で、自分自身はあそこから身を引くことであの軍がバラバラになることまで避けた」
拍手をして称えても、緋扇ちゃんが私を見る目は変わらない。
むしろ、さらに苛立っているようにすら見える。
「君はさ、自分が思っている以上に矛盾に溢れてる存在だよ。緋扇」
「許可が下りた今、あなたとこれ以上話すことはないわ。水鏡」
会話を断ち切るように、彼女は私に背を向ける。
いつものように杖を突いて、あの子を助けようと足掻いた結果足を悪くして、それでもなお真っ直ぐ歩く彼女に私は特に思うことはないけれど、彗扇ちゃんを思い出して少しだけ笑う。
「気を操る医術の彼に、君は何を見たのかな?
希望? 絶望? それともありもしない願望?」
「そのどれでもないわ」
私の皮肉めいた言葉を彼女はきっぱりと否定して、わずかに振り返る。
「私は私が突き詰めるべき学問が見つけ、それを実行するだけの財力と知識を得てきた。
私はここでそれを実現するために戻ってきた、ただそれだけよ」
私には無縁な強い力を宿した瞳を直視することに疲れて目を伏せれば、みっちゃんが私のジュリアを連れてきてくれた。
「先生、あとのことは・・・」
「ん~、まぁなるようになるでしょ。
私はまた引き籠るから、あとよろしくね。みっちゃん」
交代するようにみっちゃんの手を叩いてから、私は再び目を閉じる。
あぁ、本当にこの大陸は忙しない。
けれどまぁ、死ぬまでは生きてやってもいいし、退屈しのぎにはなるから別にいいかな。
だが、そのような彼女が築いた学院から輩出された者達は各地において多大な功績を残し、その師である彼女の名と共に歴史に刻んでいくこととなる。
もっとも、彼女自身はそんなことは欠片も望んではいないだろうが。
『向こう側の水鏡』、彼女は己のことをそう自称する。
天才であるが故に起こりうる全てのことを理解し、大陸の全ての知識を得ている彼女には、既にこの大陸の結末すら見えている。
故に水面の向こう側から覗き込むように、微睡の中に身を潜めた。
「騒がしくなるねぇ」
次は本編、もしくは番外ですかね。
そろそろあの子達に視線を向けたいですねぇ。
法正を緋扇と予想としていた読者の方々、おめでとうございます!




