61,桃園にて 始まりと終わりを告げる者 【××視点】
宝譿ではありません。
シリアスにしました・・・
シリアスにしました!
赤と橙、鮮血の赤とも違う眩さすら覚える炎の輝きと、その炎に包まれる洛陽がありありと見える桃の木に囲まれた四阿に、一人の老人が座していた。
「あぁやはり・・・ ここからは洛陽がよく見える」
ただ事実を言っただけとでも言わんばかりの、情が籠った様子のない言葉を零し、老人は卓に置かれた四つの盃に酒を注いでから、自分の最も近くにあった盃を左手で弄ぶようにしてから口へと運ぶ。
酒を口にしてなおも深く険しい皺の刻まれた顔は緩むことはなく、老人はただ燃える洛陽を見下ろしていた。
「役目は果たしてきたようだな、張譲」
「はっ」
視線を変えることなく私へと言葉を向けられた老人・・・ いや、 霊帝様と共に五胡から大陸を守った四人の英雄である『不変の曹騰』、『不死の張任』、『不老の田豊』の一角である『不動の王允』は私の短い返事にわずかに頷き、私もまたいつものように王允様の後ろへと控えた。
「かつて曹騰が、『この場所から、洛陽が掴めるようだ』と口にしていた」
黒衣を纏い、血の匂いをさせる私を気にすることなく、王允様は言葉を続けていく。
「私は不敬だと叱り、張任の阿呆は『どうせ掴むなら、胸がいい』などとほざき、田豊は『景色など遠くから見れば、そういうものだ』と切って捨てた。
だが、奴はそんな私達を『夢がないな』と笑い、掴むと言ったにもかかわらず、包むように洛陽へと両手を伸ばしていた」
笑うことも、過去を想うような素振りすら見せず、王允様は静かに右手を伸ばしていた。
「今なら少し、奴の言っていたことがわかる気がする」
老いてなお英雄の残滓たる覇気を纏い、伸ばされた手はこの方が歩んできた道を語るように、それら全ては今まさに燃えている洛陽を守るために刻まれてきた物の筈だった。
「本当によろしかったのですか? 王允様」
その問いかけにようやく王允様はこちらを向き、無言で問いかけてくる。
だがそれは、私の問いかけがわからないからではない。
私が言わんとしていることをこの方は理解し、その上でこうした視線を向けられる。
「洛陽を燃やし、政の中心たる場所を崩壊させ、中央の全てを再起不能として、よろしかったのですか?」
私の問いかけに対して王允様は、洛陽へと伸ばしていた左手を握りしめた後、口元をゆるませられた。
「その言い方ではまるで、私がこの大陸を混乱に貶めた黄巾の乱を。そして、黄巾の乱から生じた火種を利用して反董卓の乱を機に洛陽の都を燃やし、尊きあの方も、この国でもっとも地位の高い場所にあった宦官達すらも灰塵へと帰したようではないか。
なぁ? 張譲」
悪びれることもなく言い放つ王允様の視線は再び燃え盛る洛陽へと戻り、桃の花が彩る洛陽の火を飽きることなく眺めていた。
洛陽を守護し、霊帝様の言葉を民に届け、都を守る不動たる英雄と謳われたこの方の人生を費やし、同朋と共に守ろうとした場所が燃えていく様だというのに、王允様の顔に悲しみや後悔の感情は一切見られない。
「王允様、今のお気持ちを聞いてもよろしいでしょうか?」
再び沈黙を破る私の言葉。
いつもならば相手にされずに終わるのだが、珍しいことに王允様は視線のみをこちらへと向けられた。
「今日の貴様は、よく喋る」
「申し訳ございません」
不興を買ったかと思いすぐさま謝罪するが、王允様は特に気にした様子もなく、そして想定外の言葉を続けられた。
「いつもならば、無駄に囀るなと言っただろうが・・・ かまわん。
今日ぐらい、貴様の問いに応えてやろう」
「!?
ありがとうございます」
驚く私に対しても王允様は関心を示すことはなかったが、顎髭に手を当て、わずかに考えるようなしぐさをした。
「私の今の気持ち、か・・・
ふむ、そうだな・・・」
風に舞い盃へと迷い込んだ桃の花弁ごと酒を呷り、わずかに俯いた後、しばしの沈黙が場を包んだ。
老いず、変わらず、動かず、死なぬ者。
霊帝の元に集いし四人の英雄を称した言葉は、そのまま漢王朝を示すものであり、皇帝の存在そのものを謳ったものだと学者たちは囁く。
大陸を守り、霊帝を支えた彼らにこそ相応しいと霊帝様が直々に贈られた名こそが四英雄だった。
「かつて自らの力を尽くして守護し、共に称された三名と共に青春というに相応しい時を過ごし、己が人生の多くをあの場所で送った。
それが壊れる瞬間に立ち会い、自ら崩壊させることになろうとはな・・・・ あぁ、だが・・・」
王允様はそこで言葉を止め、左手を口元に添えられる。
一瞬、涙を拭っているのかと思ったが
「実に―――― 爽快なものだな」
笑うことも、嗤うこともなく告げられた言葉に、私はただ静かに王允様の真意を知ろうと耳をすませる。
今、この瞬間を逃せば、この方の言葉を、想いを聞くことはないのだろうから。
「これまでの全てを否定するような物悲しさと、あれほどまでに必死になっていた全てを崩壊させたという達成感と何とも言えぬ解放感・・・ あぁ、実に悪くない」
目を細め、わずかに弧を描く口元がこの方の感情の表現の限界かのように、それ以上動くことはなかった。
だが、心なしか声は弾み、かの地を見つめる瞳は揺らいでいるように見えたのは、私の見間違いかもしれない。
「ですが、王允様。
都を焼き尽くす必要まであったのでしょうか?」
貴重な文献や宝物は勿論、あそこには多くの価値あるものが集まり、それは物に限らず人材にしても同じだった。都に居を構える高位の者達は勿論、大商人と呼ばれるような者や技術者たちも多く存在した。
だが、それら全てはこの方の掌の上で踊り、多くが消し炭へと変わった。
「あそこで燃える全ては、新時代の幕開けを飾る薪に過ぎん。
張譲よ、貴様は私が何故こんなことをしたか、わからんようだな」
「はっ・・・」
都丸々一つを『薪』と言い切る王允様に恐怖を覚えるが、この方にそれを口にしたところで『くだらない』と一蹴されることだろう。
「貴様に任せていた十常侍、その中に袁家と関わっていた者はどれほどいた?」
「袁家、ですか?」
王允様率いる清流派と、私が率いる十常侍。
大陸に広まるほどの険悪な関係すらも、この方が作り上げたものでしかなかった。
それがこの方の描く思惑の一部でしかないことないことは薄々感づいていたが、突然出てきた袁家の名に私は問い返す。
「袁家の血縁者や支援を受けて推挙された者、あの都に居る高位の者の多くは何らかの形で袁家と関わるものが多い。
それこそ袁家と対等な家格を持つか、あるいは袁家と対立する道を選ぶ者以外のほぼ全てが袁家の息が掛かっていると言っても過言ではない。
そしてそれこそが袁家の狙いであり、代々に渡る悲願たるものだった」
「まさかっ・・・!」
そこまで言われてようやく全貌を理解した私に王允様は頷き、王允様が何故十数年をかけてまで洛陽を燃やしたかの真意の一端に触れ、私はただ目を見開く。
「袁家は何十年もかけて地盤を固め、皇帝となろうとしていたというのですか?」
代を重ねて忠臣という位置を確保し、その上で中央の者達を自分の息が掛かった者達を並び替える。
言葉にしてしまえば容易だが、それには根気と慎重な采配が必須となる。
そして、悲願を叶える最大であり、最難関の条件である自らの庇護下に皇帝の血族たる者をおくことすら、袁家は成し遂げていることを私は知っていた。
「私からしてみれば、年々悪化していく妄執に過ぎぬがな。
当然、袁家とて広い。様々な考えを持つものもいたが、家の考えに沿わぬものなど不要。身内同士の殺し合いも、この大陸ではそう珍しいことではない」
憤ることも、誇ることもなく、淡々と言葉を並べていく王允様は今一度酒を呷った。
「我々が気づいた時にはもう遅く、五胡の侵略とも重なった。
その間は大人しくしていたが・・・ 曹騰達が去るのを待ち、私だけならば相手になると踏んだらしい」
王允様を除いた四英雄が五胡からの侵略を治めた後、大陸のあちこちへと散って行った。
多くの者は『各地に散ることで大陸を守ってくれる』などという真実かどうかもわからぬことを語っては彼らを褒め称えたが、その真意は定かとなってはいない。残された英雄たる王允様の口からも、その真意を語られることはなく、詳細は不明となった。
「だが全てが全て、私の想定通りになったわけでもない」
「二人の天の遣い、ですか・・・」
私の言葉に頷きながら、王允様は口を開き、言葉を続けた。
「それ以外にも、想定から外れたことはいくつか存在した。
海を任せた虎の訃報と、真偽のわからぬ噂が漂った狼の病。
特に董卓を洛陽に呼び寄せたことは、英断多きあの方が最後に犯したたった一度の愚行であった」
この方の指示の元動いていた私には信じられぬような想定外の出来事の多さだが、結果として予定通りに事を動かし、洛陽を滅ぼすことに成功した。
「虎の死も、虚偽である狼の病も、結果としては正体の掴めぬ天の遣いの存在によって成功し、これから起こりくる時代に立つに相応しい者が揃った。
これ以上ないほど役者が揃ったこの時代に、乱が訪れても何もおかしなことではあるまい」
わずかにだが満足そうな声音で王允様は言い放ち、私はまた浮上した問いかけを口にした。
「では、王允様はいずれ乱が起こっていたと?」
「形は異なっていたかもしれんが、考えの違う者たちが揃い、力を持っている以上、争いは避けられん。私はそれを、少しばかり早めただけに過ぎん。
それ以前の仮定も、以降の仮定ももはや意味をなすことはなく、今この瞬間に目の前に広がる大火こそが全てとなる」
王允様は盃を卓へと叩き付けるようにして立ち上がり、目の前に広がる景色を指し示さんばかりに腕を広げられる。
「この大火こそが一つの時代の送り火にして、新たな時代を告げる狼煙となる。
そして私は、一つの時代を支えた者でありながら、終わりと始まりを告げる者となったのだ」
声を張り上げたわけでも、叫ぶわけでもなかったというのに、王允様の口にした言葉には力が宿っているようだった。
その力に圧倒されるように私は再び、王允様へと深く頭を下げる。
「張譲、あれを」
「はっ」
宝物庫から奪ってきた偽の玉璽を卓の中央に置けば、王允様はしばしそれを眺めて鼻で笑った。
「前皇帝が現皇帝に渡すことによって意味を成し、皇帝が使用してこそ力を示すものよ。
皇帝の血筋の手から離れた今、偽も真ももはやなく、誰が持っても意味を持つことはない。
時代の終わりを見届けるは偽の玉璽か。
だが、それもまた一興」
腰に差した剣を抜き放ち、王允様は卓から背を向けられた。
一瞬の間をおいて響いた、卓が崩れる音に両断されたことに気づく。当然、置かれていた盃も酒瓶も割れ、わずかに形を残してその場にとどまるのみだった。
「さらばだ。
私の生において、友と呼ぶに相応しかった者達よ」
最後に告げられたその言葉こそが、かの英雄達へと贈られた友誼を示すものであった。
そして、不動たる者が動き出す。
私は影としてこの方と共にあり、いずれ訪れるこの方の最期を看取り、共感し、行動を起こした者として死ぬだろう。
だが、それこそが何も出来ずにいた愚か者に相応しい末路であろう。
シリアスでしたーーー!!
さて、次も本編。
頑張って書いていきますよー。




