55,洛陽大脱出 後編
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あの後、先行しすぎた董卓殿の首根っこを俺が掴み、これ以上顔が明らかにならないように白陽から予備の仮面を貰ってつけてもらい、俺達はどうにか宝物庫へと到着した。
「それにしても、壮観だな」
既に開いていた重々しい扉をくぐれば、そこに並ぶのは宝の数々。
大陸中から集められた煌びやかな装飾品、宝剣、玉、貴重な書物などが所狭し飾られていた。
「荀家にも規模は小さいですがありますね。
ここまで大きくなく、貴重なものばかりではありませんが」
「まっ、洛陽の宮廷の宝物庫だからねー。
あたしは誰にも見られないで隠されたままの宝なんて、何の意味もないと思うけど」
俺の言葉に樹枝が頷きつつ返せば、千里殿は笑って意味がないとまで言い切ってしまう。
「金に物言わせて飾っとるだけの悪趣味なもんにしか、ウチには見えんけどなー」
霞は言葉にしながら、手近にあった宝剣らしきものを指で弾き、香炉らしきものを手にとっては放り投げる。
「こんな財を貯め込むよりも、換金して全員に行き渡るようにするわよ。ねぇ、月」
「貴重な物は文化財としては意味があるんでしょうが、食べられませんから」
こうしたものに対し興味を示すかと思っていた賈詡殿と董卓殿すら言外に意味がないと主張し、俺は改めて宝が並ぶ宝物庫を見渡した。
ここに居る誰もが比較的な裕福な立場にあることも影響してるんだろうが、一般的に宝と呼ばれている物に対して、酷く珍しい対応をしているとは思う。
「これだけ有名だと換金しても足がつきそうですが・・・
となると、一度溶かし、加工し直すぐらいしか再利用の方法がないかと思われます」
「白陽、お前ですらそんなことを言うのか・・・」
まさか白陽からそうした言葉が出てくるとは思わず、俺はやや呆れたような声が出てしまった。そりゃまぁ、真桜を連れて来たら片っ端に素材として宝剣とか奪い取りそうだけどな?
ここにある物の多くが向こうから来た俺にとっては歴史的にも意味があり、貴重な物だという認識であっても、実際に生きる者にとっては普段目にしている物の一部でしかないのかもしれない。
もっとも俺自身、これらを欲しているわけではなく、貴重な物という認識しかないが。
「扉が開いていた割には荒らされてないな・・・」
「やな」
持ち出しやすいような香炉や装飾品の一部が袋に詰められた途中で放棄され、貨幣を覗かせた箱も開けられたままの状態だった。
「可能性としてあり得るのは袋を用意して、あとから詰めて持ち出す・・・ だろうけど、これはあまりにも不自然すぎるわね」
「まぁ、宝持ち出して逃げようとしてる奴らが、ちゃんと考えて行動してるかどうかは微妙だけど・・・
誰かがこの先にある物のことを知ってたら、奥に向かうかもだし」
「複製を作った方たちですから、知っていても不自然ではないですしね」
俺と同じように状況を見て頷きながら、宝物庫の奥に用意されている個室の扉へと視線を移した。
扉は閉まり、他から隔絶されているだろう部屋から物音は聞こえない。
だが、今の状況から考えて、それは不穏すぎる。
「全てはあの扉の先に、か」
後衛の白陽達に視線をやれば頷き、中央にいる千里殿達を守るように距離を縮めてくれる。
「董卓殿、なるべく中衛の樹枝のところへ。
俺と霞で入っていくから、その後に続いてくれ」
「扉、斬ってもええか?」
「それは・・・」
判断に迷い、中を知っているだろう三人へと視線を向ければ、問題ないというように深く頷かれた。
「中には玉璽以外の物なんて置かれてない筈だから、問題ないよー。
もし居たら、そいつの方がおかしいから。容赦なく殺っちゃって」
「了解」
一応ここに勤める者としてどうなんだろうと思わなくもないが、状況が状況だ。
「ほな、行くで」
霞にしては声量を落とし囁かれた言葉の後に偃月刀は振るわれ、扉は両断される。
扉が切られたと同時に俺が突撃すれば、そこには広がっていたのは ―――
無数に転がる十常侍らしき者たちの死体と、顔を隠した黒衣の者。
両手に持った小刀からは血が滴り、この者達を死体にしたのが暗に示しているようだった。
「こいつら・・・ 十常侍じゃない?!」
「見事なもんやなぁ。
全員、小刀で急所をバッサリってか」
背後から二人の声を聞きながら、俺は右手に持っていた連理を突入の勢いのまま、黒衣の者へと飛びかかった。
「よくも俺の獲物を!」
俺は驚きから怒りへと変わった感情を叫びながら、剣を振り下ろす。
が、黒衣の者は剣を受けることもなく、後ろに下がることで躱してしまう。
「ふむ・・・ それは失礼した。
怒りを露わにする青年よ」
黒衣の者はそう言いつつも視線を死体へと向け、その死体を確認している千里殿を見ていた。
「んー・・・
ここに居るのは全員確かに十常侍だけど、一番ここにいそうだった張譲がいないかな。
宝より命が惜しくなって、もう洛陽から脱出されちゃったかなー?」
千里殿の言葉を聞きながらも、小刀をしまわずにこちらを見ている黒衣の者を睨む。
だが、それを気にした様子もなく、順に自分で殺めたであろう死体へと視線を向けていた。
「青年よ。
お前はこの愚か者たちを見て、何を感じる?
宦官という立場が如何なる者か、お前にはわかるか?」
「どういう意味だ?」
突然の問いに俺は理解できず、鋭く視線を向ける。
「いや、言葉通りの意味よ」
言葉と視線のみが向けられているのを感じ、俺は警戒しつつも言葉を聞く。
「女が強いこの大陸において家督も得られず、地位も低く、武も、智の才もない者達が自ら男の根を斬り落とすことを選び、何かを成そうと最後に行き着く場がこの宮廷。
帝に仕え、国に仕え、自分も必要であることを示すための最後の足掻き。
ある意味でここは肉体的に男であることを捨てた男たちが、せめて心の在り方を男であろうとした場所だった。
だが・・・・ いつからであろうな。
それが権力を振るい、富だけを求める者の巣窟となったのは」
黒衣の者はどこか自嘲気味に言いながら、言葉を続ける。
「真面目に働く者、自らの力を振る舞おうとする諸侯達を変えようと志を抱く者、帝への忠を尽くそうとした者も確かにいた。
だがこの大陸において、男という身分が・・・ そして、男であることすら捨てた者達に向けられる視線はけして優しいものではなかった。
耳朶を打つ言葉は侮蔑・軽蔑・罵詈雑言に彩られ、この閉じられた宮廷という世界において、民とはひどく遠く身勝手に映り、自らが手にする金がどこから生じたものかも忘れ、多くの者が拠り所を求めるように富へと縋りついていった」
他人事というにはあまりにも詳細に語られているその話に、俺はただ黙って耳を傾けた。
そこには俺の知らないこの世界の現実があり、あの時の俺にも見えていなかったものがあった。
いいや、きっと俺だけじゃない。
あの時の華琳達ですら触れようとしなかった、この大陸に生きる男達の物語があった。
「悪いのは何だ?
女尊男卑であるこの国の体制か?
『女が強い』という事実か?
それとも仕事を全うするが故に書簡上で金のみを追いかけ、人を忘れた宦官か?
はたまた、宮廷という閉じられた世界で作られ、『洛陽』と名付けられたこの箱庭か?」
仮面の下で表情が見えないまま、ごくわずかに垣間見せる感情が突き刺さる。
「あなたは一体・・・ 何者ですか?
何故、そんなことを知っているんです?」
樹枝がこの場に居る者を代表にするように向けた問いかけに、黒衣の者はしばらく考えるように顎に手を当て、また死体へと視線を移した。
「私か?
私は、何も出来なかった者。
変革することも、留まることも、傍観することも、富を築き満足することすら出来なかった。
そこに転がるひとときの栄華を求め、男である全てを捨てた哀れな骸達と同じ・・・ ただの愚か者だよ」
そう言って黒衣の男はひらりと身を翻し、扉以外でただ一つだけ存在した高窓へと足をかけ、俺達を見下ろした。
「青年よ。
この愚かな語りを『下らぬ』と斬って捨てることもなく耳を貸し、最後まで笑わずにいてくれたことを感謝する」
黒衣の者はその場から頭を下げ、じっと俺を見つめて続け、俺もまた視線を交わす。
「お前は一体・・・ 何がしたかったんだ?」
「言わずにはいられなかったのだよ。
誰も知らず、誰も語らず、この先において『欲深き者』としか語られることないであろう、この哀れな骸達の始まりを」
高窓の格子を破壊し、黒衣の者は壁へと手をかけた。
「なら、俺も感謝するよ。
俺の見えていなかった世界を・・・ 知ろうともしなかった世界を教えてくれたお前に」
俺の言葉が黒衣の者は想定外だったのか、一瞬体が硬直させ、わずかだが仮面越しに笑ったような気がした。
「ふっ、お前のような男がもっと早く現れていたのなら・・・ 何かが違っていたのかもしれぬな」
もうすでに起こってしまったことを前にして希望を並べても、虚しいだけ。
変わることのない今がある以上、どんな形であっても前に進むしか手段はない。
そしてそれは、誰もが同じだった。
「一人の者に見える世界は狭く、己の意見すらない者に世界はない。
世界は広く、見つめる者は一人だけではなく、多くが敵となり、味方となりえる。
だが、等しく言えるのはこの世に老いぬ者はなく、変わらぬものはなく、動かぬ時代もなく、死なぬ存在もまたいない。
そして今、この大陸は激動の時代へと差し掛かった。
青年よ。
お前はこの時代をどう生き、何を目指す?」
「俺は日輪と生き、日輪が照らす世界を守る。
それだけは、何があろうと変わることはない」
俺はそのために戻ってきた。
何があろうともそれは変わらないし、変えるつもりもない。
俺の言葉に黒衣の者は興味深そうに見つめ、その身を翻した。
「もっともどれほどの言葉を並べたとしても、その骸達が卑劣な罪人であることには変わりはない。
玉璽の複製を作成し、勅令と称して民を偽り、多くの命を弄んだ。そして、その仕上げとして小悪党どもを雇って、この洛陽を火の海にしようとするほどの、な」
「?!」
「なんですって?!」
その言葉を最後に男は高窓から消え去り、測ったかのようにあちらこちらから炎の音が近づいてくるのを感じた。
「チッ! まんまと時間稼ぎされたってことかい!!」
「まぁ、そうなるよね。
こっちもこっちで警戒するしかないわけだし、あんな高い所じゃ殺せないし。
ここの死体漁っても原物どころか、複製の玉璽出てこないし。
ってことはもう誰かに持ってかれたか、さっきの奴が持ち出しちゃったかな?」
「白陽!
火の手はどれくらい上がってる?」
霞の舌打ちと千里殿の言葉を聞きながら、俺も慌てて白陽へと情報を求める。
「城内ではなく、城を囲む自分達の屋敷だったところに火をつけたらしく、火の手は徐々に広がりを見せています。
私と緑陽は先行し、曹軍への合流経路を確保してきますので、皆様は・・・・」
「ちょっ?! 民の避難はまだ全員ではないんですよ!?
そんな火のつけ方をしたら、街まで・・・!」
「それに城の中には一部の女官達もまだ残っているのよ!」
『全員ではない』 『一部の女官達』
言葉の節々から見られる董卓軍がしてきたことに俺は嬉しくなり、白陽へと笑いかけた。
「白陽」
「義理でも兄弟、ですか・・・
承知いたしました。
私達も経路確保時に見かけた者を保護し、無事に安全な場所へと導くことをお約束しましょう」
小さな溜息を吐きながらも、すぐさま対応してくれる白陽は良くも悪くも俺で慣れていた。
ていうか、さっきから樹枝と賈詡殿の無意識であろう阿吽の呼吸に驚かされると同時になんだか微笑ましい。
「白姉さま、私は・・・」
「緑陽、あなたは皆様の通路の確保として供を」
「はい!」
緑陽と短いやり取りをしたのち、白陽は飛びだしていく。その後に今度は董卓殿が俺達を先導するように前へと走り出した。
「私の鉈が道を作ります。
この城の構造は、私と詠ちゃんが一番よく知ってますから!」
「お願いします! 月さん」
そう言いながら駆けだす樹枝はさっきまで持っていなかった筈の二本の剣を腰に下げていたが指摘する間もなく、俺達は駆け出す。
こいつが理由も無しに火事場泥棒をするとは思えないし、何かしらの理由があるんだろう。
「千里殿!
献帝様は・・・」
脳裏によぎったあの日の少女を思い出し、俺は言いようのない不安に駆られて千里殿へと問うた。
彼女にとって俺がもう知らない誰かであっても、ほんのわずかな間だけ真名を交わしてくれたあの少女のことを俺は忘れることはなかった。
「そっちはとうの昔に洛陽から逃げてもらってるから大丈夫!」
焼けていく城を、街を、誰よりも守りたかった筈の彼女達が悲しむこともなく、前に進んでいく。
そんな彼女達の方が俺なんかよりもずっと強く映って、彼女達や樹枝の心境を考えると胸が潰されそうになる。
でも、当事者達が潰れてないのに、俺が潰れるわけにはいかない。
「絶対に全員で生きて、この城を脱出する!!」
俺が声をかければ、全員がそれぞれ返事を返してくれる。
「はい!」
董卓殿は簡潔に。
「あったりまえや!」
霞はいつも通り、頼もしく。
「何、当然のこと言ってんのよ!」
賈詡殿は俺を叱るように。
「詠さん、ツンデレありがとうございます!」
樹枝に至ってはまともな返事じゃないが、いつも通りだから大丈夫だ。多分。
「攸ちゃん、こんな時までふざけないの!!」
千里殿、その発言も十分悪乗りだと思うぞ。
「ったく、しまらないよな・・・
でも・・・」
悪くない、そう感じた。
さぁ、これで反董卓連合においての戦は一段落です。
が、まだ連合は続きますので、もう少々お付き合いを。
次は白、その次に本編というのを予定しています。
明日日曜の午後から、月曜の午後まで忙しいため、感想返信が遅れます。
来週も頑張って投稿するつもりですが、忙しいため出来ない恐れもありますことをここにご報告させていただきます。




