53,洛陽にて
「白陽!」
彼女との約束を守るために、俺は次の行動をするために影の名を叫んだ。
「ここに」
「牛金と藍陽を呼んでくれ。
藍陽は遊撃隊の状況を見て、可能であった場合でいい」
「承知いたしました」
すぐさま影から出てきた白陽に短く指示を飛ばせば、白陽もすぐさま行動へと移していく。
「というわけで霞、疲れてるだろうけど協力してくれるか?」
「ウチが冬雲の頼みごとを断れるわけないやろ?
なーんでも言うてみ?」
ぼろぼろだっていうのに、なんてことはないように立ち上がって笑ってくれる霞が頼もしい。
「冬雲、どうするつもりだ?」
秋蘭の問いかけに俺は真剣な表情を変えることもなく、戦場へと視線を向けて口を開く。
「俺達は鬼神と麒麟の両名を捕らえることが出来ずに洛陽へと逃げられ、英雄は虎牢関の戦線を維持するために部隊を指揮して戦う。
負傷した夏候惇・夏侯淵将軍は報告のために後ろに下がり、この事を報告する」
俺はそこで言葉をきって、今ここに居る春蘭、秋蘭、霞の三人へと視線を向けた。
「っていうことにするから、あとで一緒に華琳に怒られてくれないか? 三人とも」
最後だけを三人にしか聞こえない程度の声量にして、俺は笑いかける。
すると春蘭と秋蘭は呆れたような視線を、霞はさっきから少しも変わらない楽しそうな視線を俺へと向けてきた。
「冬雲は武だけやなくて、頭までようなったんやなぁ。
ホンマ、なんべんウチを惚れ直させるんや?」
「牛金を呼んだのはそのため、か・・・・」
「というよりも既に白陽に指示を出した時点で、巻き込まれることが決まっていたんじゃないのか?」
褒められ、当てられ、貶されるを順番にされるという貴重な経験をしながら、俺は周囲を警戒しつつ、次の事へと頭を巡らせる。
「うんまぁ、春蘭の言う通りなんだけどな。
この建前を使っても、あとから起こることで帳消しにするから罰せられはしないと思う。
けど、その建前の裏側で俺がすることは完全に独断だ」
いくら現場での判断が必要なことであっても、この連合での俺の独断行動は危険すぎる。
「結果次第で、怒られるだけじゃすまなくなる」
俺の行動一つで、この軍が連合の敵になりかねない。
そうしないように動くつもりだが、絶対に成功するという確証もない。
もう決めたことだから迷いはない。
でも、その結果が起こすことでみんなが傷つくのはやっぱり恐ろしい。
「冬雲!
そんなしけた面をするな!!」
言葉と共に春蘭の手が俺の背中を思いっきり叩き、振り向けばそこにはどんな時でも堂々として、真っ直ぐな魏武の大剣。
「もしもの時は一緒に怒られてやる! どんなことでも乗り越えてやる!
だから、絶対に帰って来い!! いいな?」
張り手と一緒にかけられた春蘭の言葉に俺は目を丸くして、一瞬でも悩もうとした自分が馬鹿みたいだった。
あーぁ、ホント・・・ 真っ直ぐだよな、春蘭って。
「返事はどうした? 冬雲」
「はいはい・・・」
「冬雲、『はい』は一回やで?」
「はい」
そんなどっかの子どもみたいなやり取りをしてから、俺は何の前触れもなく落ちていた連理を蹴りあげて拾い、その切っ先を霞へと向ける。
「おっと、あっぶな!」
不意をついたつもりなのに、霞はいとも簡単に距離をとって口笛を吹いて馬を呼ぶ。すぐさま駆けてくる愛馬へとひらりと跨って、霞は俺へと目配せをした。
「ウチはこんなところで、捕まるわけにはいかんのや!」
偃月刀の一刀を俺達の足元へと道を塞ぐように振るってから、馬を翻して去っていく。
「鬼神が逃走した!!
だが我々の目的は鬼神の首ではなく、虎牢関を落とすこと!
私は戦線維持へと行動を移す!
曹仁隊よ! 俺に続けえぇぇーーー!!」
俺もまた夕雲に跨り、号令をかければ、白陽が呼んでくれたであろう部隊が俺を包むようにして進んでいく。
最高の頃合いだよ、白陽。
内心で白陽の仕事を褒め称えながら、俺は隊の動きを見て、隊列の微調整を行う。
「冬雲、この場は任せたぞ」
「任せろ」
場の混乱に乗じて秋蘭は春蘭と共に後ろへと下がるために、俺へと声をかけてくれる。
「おっと、そうだ。冬雲。
一つだけ、伝え忘れていた」
「ん?」
「どうせ華琳様に叱られることが確定しているのなら、思いっきりやって来い。
『半端なことをして、失敗しました』、などという報告を聞く気はないからな」
「わかっ・・・?!」
顔がぶつかるんじゃないかという至近距離で秋蘭が俺をじっと見て、一つ溜息を吐いてから渋々と言った様子で顔を離してしまった。
く、口づけされるかと思った・・・・
「・・・ここが戦場でなければしたんだがな、仕方あるまい」
秋蘭が最後に何かぼそって言った気がするけど、俺には何も聞こえなかった。そういうことにしておこう、うん。
「隊長!
牛金、今ここに参上いたしました!」
いつも通り、でかい声の牛金が俺の隣に並んだ。
「牛金、お前にだけ伝えておいたことを覚えてるか?」
「・・・っ!
あれを、ここでなされるんですか?」
俺の左隣へと並び立つ牛金に俺が短く問えば、意味を瞬時に理解したらしくすぐに問い返される。
俺と白陽、牛金のみが知り、華琳にすら内密にするほど徹底したことであり、俺がもしもの時に自由に動けるようにするためだけに用意していた策。
「あぁ・・・
白陽!」
「承知しております。
藍陽もここに」
「白陽姉様に聞きましたので~、少々失礼しますね~」
藍陽はいくつかの道具を右手の指の間に挟み、白陽に手渡された衣装を左手に抱えて、一度だけ深呼吸する。
「お二人とも、一つ瞬きする間だけでいいので、動かないでいてくださいね?」
いつもの穏やかな、間延びしたような口調すら消して、藍陽は隠密らしい速さと静かさで俺達の横を通り過ぎる。
それは本当に一瞬、藍陽が口にした通りの一つ瞬きする間での出来事だった。
「・・・ふぅ、こんなもんですかね~。
一人で二人同時は初めてですので、ムラがあったらごめんなさ~い」
藍陽の言葉で俺が目を開いて隣を見れば、そこには俺がいた。
正しくは仮面をかぶり、鬘をつけ、俺がついさっきまで着ていた鎧を纏った牛金が立っていた。
「いや、最高の出来だよ。藍陽」
いつの間にか頭につけられた一般兵の兜に触れながら、俺は礼を言う。
「隊長、何をなさるか俺にはわかりませんが、どうか御武運を」
「あぁ、この後の指揮は任せた」
小声でのやり取りをしながら、俺はそれ以上の会話をやめ、英雄へと接する一般兵のように礼を取る。
「では、行ってまいります。曹仁様」
「あぁ、頼んだぞ」
互いにそれ以上に言葉を交わさず、白陽達の姿はいつの間に消え、俺は馬にも乗らずに乱戦となっている戦場をただ走った。
その後、俺は戦場から少し離れたところで霞と合流し、俺の所属を表す要因となりかねない物を処分した。
そのため俺の格好はそこらの町民と何も変わらず、連理と西海優王のみを腰に差した状態となったし、その装備の薄さについて白陽と霞にあれこれ言われたが、俺の顔を知る者のいない現状を利用しない手はなく、顔の傷を晒した状態で霞の愛馬である黒捷の背に相乗りして洛陽へと向かった。
街に入る前に馬を降り、俺達は今、霞の先導の元で城の中を駆けていた。
「霞、千里殿が焦っていた理由に心当たりはないのか?」
「わからん!
せやけど、千里があれほど焦った顔するっちゅうことは、何かの緊急時やのは確かやけどな!
ウチにはそれぐらいしかわからん!」
霞は部屋という部屋を蹴り開けながら、俺は周囲への警戒を怠らない。
城までの道すがら街を見たが戦中であることがわかっている民はおらず、静かなものだったが、民家も、道も、雰囲気も荒れた様子は一切見られなかった。
なら・・・ やはり裏は・・・
「どこやーーーー!!」
駆けていく中で白陽は壁へと視線を向けているような気がして、おもわず問う。
「白陽、さっきから壁ばかり見てるけどどうかしたのか?」
「なんや? どないしたんや!」
「いえ、壁のあちこちに印が残されていまして、徐庶殿と行動を共にした妹がここを通ったようです。
張遼殿、この先には何が?」
ん? 何で隠密の緑陽が通常廊下の壁に印を残してるんだ?
「この先て・・・ 玉座?!
玉座で千里が焦るっちゅうことは・・・!
あんの堅物君主ーーー!!!」
ふと浮かんだ疑問に白陽が気づいてくれたのか、答えようと口を開きかけたがその瞬間に霞の怒号が響き、さっきよりも一段上の速さで駆けていってしまった。
「我々が普段遣いの通路を使うことから考えられるのは二つ、よほどの緊急時か・・・」
「通路を使用する誰かと合流した、ってところか?」
「そして、これまで交戦の痕跡をない所を見ると後者の可能性がありますが・・・ もう一つあり得るとするのなら・・・」
「今は、霞の後を追いかけよう。
その答えも含めて、この先にあるだろうからな」
白陽の頭に軽く撫でてから、俺はそのまま白陽の手を引いて駆け出した。
「千里ー、無事かいな?」
「約束通り、助力する!」
霞の突入に続き、俺達が玉座へと突入した。
だが、そこに広がっていたのは俺達が想像していなかった光景。
十数名の死体が転がり、床だけではなく壁にすら血が舞い、死体の一部は転がっている。そして、その中心地点であろう玉座中央へと佇む血塗れの少女。
俺はその少女に、前に一度だけ出会っていた。
凪達と共に洛陽の城を調べようとした時、城から出てきたお姫様だと思った子の一人。
そう、か。彼女が董卓だったのか。だからあの時・・・
「兄上!?」
「おっ、さっすが霞と英雄さん。
来るの早いなー」
久しぶりに聞く樹枝の声と、千里殿の声に考えを振り切ってから視線を向ける。
樹枝は話に聞いていた通り女官服姿だったがそれは樹枝のために触れず、服が少し血に濡れていることも気になったが、こちらから見る限りでは怪我も見られないし大丈夫だろう。
「久しぶりだな、樹枝。
無事でよかった」
「兄上・・・!
そのお姿は?」
「『英雄』は、なにかと動きにくくてな。
緑陽、白陽と共に周囲の警戒を任せていいか?」
「お任せを」
俺はそれ以上話さずに、霞が向かった彼女達の元へ足を向ける。
彼女を囲った血と死体を越えて、こちらへと警戒を露わにする賈詡殿と思われる少女の視線を浴びて、二振りの剣を床へと放る。
「あなたが英雄・曹仁さん、ですか?」
中央に佇む少女は煌びやかな衣服を血に汚し、華奢な体躯には似合わない無骨な鉈を両手に持ち、どこか虚ろな目を俺へと向けてきた。
「あぁ」
「お願いです。
私を殺し、この乱を終わらせてください」
「月!!」
「月、いい加減にしなよ?」
「ふざけるのも大概にしぃや!」
そう言って頭を下げる彼女に、俺が何かを返すよりも早くその場の三人が怒りを露わにする。
だが、彼女は周囲の反応など聞こえていないかのように、言葉を続けた。
「鬼の面を被り、蒼き衣に背負うは曹の一字。
二振りの剣をもって戦場を進み、乙女を救わんと戦場を駆ける。
あなたが噂通りのお姿で来なかったということは、こちらに来るまで尽力なさったことがわかります。本当にありがとうございました。
ですが、もういいんです」
その微笑みは俺が見てきた誰よりも儚い筈だというのに、強い意志が宿っているようだった。
「霊帝様の命をお救い出来ず、御子様達を遠ざけることでしか守れず、託された都すら戦渦に呑まれようとしています。
私は、何も守れませんでした」
泣くどころか顔を歪めることもなく、彼女はただまっすぐ俺を見つめていた。
まるで俺ならば、言葉の意味を理解するとでも信じているかのように。
「何も守れなかったこんな私を、命をかけて守ろうとする人がいます。
ですがそれは自分を守るためだけに兵を殺し、生きるために民を巻き込み、将を使い捨てることと、何の違いがありますか?」
彼女から紡がれる言葉の一つ一つが、彼女を縛っていた鎖。
自ら雁字搦めとなることを選び、その責務を果たすことを選んだ君主の、一つの在り方だった。
「ですが、英雄さん。
それでも私は君主です。
この洛陽を託された者です」
そう言って彼女は左手に持っていた鉈を一切迷いもなく、自分の首へと振るおうとした。
「「「「月さん!!??」」」」
響き渡る四人の絶叫。
だがそこに、血の雨が降ることはなく、雫となって血が落ちていくだけだった。
「間一髪、だな」
彼女の首と鉈の間に入った俺の手が、彼女の首の代わりに血を流し、刃が進むことを阻んでいた。
「どう、して・・・
私が責任を果たさなくちゃ、いけないのに・・・ あなたが傷つくことなんて・・・」
鉈から手を離して、傷ついた俺の右手に触れ、目の前の事態を拒むように首を振る。
「どうして・・・ どうして、私を庇ったりなんてするんですか?
私に守られる権利なんて、命をかけてもらう資格なんてないんです。
何も出来なかった私が悪いのに、私がもっとうまく出来ていたら・・・ 私が気づけていたら・・・」
淡々と言葉が紡がれ、彼女はただ自分を責め続けていた。
あぁ、彼女はまるで月のようだ。
自分の輝きは自分の物ではなく、照らしてくれている物がいるからだと思い、夜が輝くのは自分のおかげではなく、他のおかげだという。
でも、そうじゃない。
月があるから人は支えられ、他と適切な距離を保っていられる。
存在したことが偶然だったとしても、月が果たす役目はなくてはならないものだった。
「よく、頑張ったな」
「っ!
わたしは・・・ 何も・・・」
「出来てないなんて、何も知らない俺でも信じない。
だって俺は、二つの関で君を守ろうと必死になっている人達を見てきたから」
まだ否定しようとする彼女を半ば無理やり抱き込み、怪我をしていない左手で優しく頭を撫でていく。
華雄将軍が連合に宣戦布告した姿も、飛将が関を守ったことも、千里殿が血相を変えたことも、霞が心配して走り続けたことも、俺は知ってる。
「守りたいものに届かなくて、守りきれないのは辛いよな」
前の時、あの人すらも救いたいと願ったことがあった。
でも、力も何もない俺には出来なくて、手からこぼれ落ちていく命を眺めては無力を噛み締めた。
「守りたいのに守られてる自分が情けなくて、力になれないことが嫌だよな」
隣に並べない自分が情けなくて、守りたいのに守られてる自分が嫌で嫌でたまらなかった。
武でも、智でも力になれなくて、日々が必死だったという言い訳を使う自分に失望した。
「だから君は・・・ 自分の命一つでみんなを守れるなら安い物だって思ったんだろ?」
その言葉だけを彼女の耳元で囁くように告げると、彼女は驚いたような顔をして俺を見つめた。
「どうして・・・」
「わかるよ。
だって俺も、そう考えたことがあるから」
今の彼女と同じで自分の命程度でみんなが生きていてくれるなら、それでいいと思った。
でも同時に、俺も彼女もは残された側の気持ちなんて・・・ みんなの気持ちなんて、考えてもいなかった。
だけど、今なら少しわかる。
「でもさ、こっちが命をかけたっていいって思うのと同じで・・・」
俺は腕の中から彼女を開放するよりも早く、半ば奪うようにして眼鏡をかけた二つ縛りでおさげの賈詡殿が彼女を抱きしめる。それに千里殿と霞が続き、樹枝までもが彼女に抱き着いていた。
「月の馬鹿!
月が死んだら僕は・・・!」
「あんたって子は本当に!」
「死んだら、それで終いやん! 阿呆!!」
「そうですよ!」
「詠ちゃん、みなさん・・・」
驚いてる彼女を置き去りにして、誰が何を言っているかもわからない言葉の数々は彼女を想う言葉ばかり。
「ほら、な?
愛されてるだろ?」
血塗れなことも、鉈を持っていることも、誰も気にしない。
彼女が彼女であったから好きになって、心配で、死んでほしくなくて、必死になった。
「だからさ、もう少しだけ抗ってみないか?」
俺は俺で白陽に右手を応急処置されながら、空いている左手を大切な仲間達もみくちゃにされている彼女へと伸ばす。
「死んで終わりじゃなくて、生きてこの先を一緒に見よう」
【月は地球が惑星がぶつかったことにより出来た欠片から生まれたものであり、そして月があるからこそ地球は太陽との適切な距離を保ち存在しているとされています(一説ではありますが)
月の輝きもまた月自身が輝いているのではなく、太陽光を反射したもの】
知識として太陽光だとわかっていても、私は月の優しい光りが好きですね。
次も引き続き本編です。
本当はもう少し内容的に進めたかったのですが、仕方ない・・・




