11,孫文台 【舞蓮視点】
本編でルビを振ってありますが『舞蓮』の読みは『ウーレン』です。
今回は中国読みを採用しました。
『舞蓮、そう先走るな!』
「珍しいわね、秋桜。あなたが夢に出てくるなんて」
夢に出てきたのは懐かしい人、私の夫だった存在。
私の言葉には何も返さず、ただ過ぎ去った思い出だけが繰り返されていく。
思い返すほどの思い出なんてない。
あるのは戦場ばかりで、『夫婦』というよりも『相棒』という言葉がしっくりくる。
武骨で、口数の少ない、ぶっきらぼうな武人である夫。
戦場では人が変わったようになる私の背を、黄蓋とともに守ってくれた存在。
愛していた。だから、三人の娘を授かり、共に生きた。
だが、結局家族五人で過ごした思い出では一度だけ。
しかもそれは戦場、最初で最後の一家団欒は彼の死の間際だった。
肩から腹まで斬られた夫を見て、私はようやく彼がどれほど自分にとって大切だったかを思い知らされた。
知っていたつもりだったのに、いつしか当たり前となって抜け落ちていた。
孫家の血の衝動すら忘れて、戦場を駆ける。
あの時の私は王でも、将でも、武人でもなく、ただの女であり、妻であり、母だった。
夫の最期を三人の娘に見せなければならない、会わせなければならない。それはいつもの勘でも、冷静な考えでもない、より本能に近いもの。
『最期だけでも家族五人で、迎えさせてほしい』
戦の勝利すら祈ったことのない私が、初めて神に祈り、願った。
そしてその願いを、神は聞き入れてくれた。
『舞蓮、雪蓮、蓮華、小蓮。
こんな俺だが・・・・ お前たちを、心から愛していた』
私によって担ぎ込まれた夫が最後に言ったのは、そんな言葉。
武骨な夫には似合わない。だが、単純で一番下の小蓮にもわかる言葉だった。
「あなたと、もっと話せばよかった」
もうじき、八年。
後悔は今も尽きない。
思いは消えない。
記憶も、愛することも、少しも霞まない。
「もっと、愛せばよかった」
もっと、家族でいる時間を増やせばよかった。
もっと、傍に居ればよかった。
もっと、好きだと伝えればよかった。
『舞蓮・・・・ いや、なんでもない』
『雪、華、小・・・・ もし、娘が生まれたら、お前の「蓮」の字にあわせて、真名にそうつけよう。
どれも儚く、美しく、小さな・・・ 俺の守るべき大切なものだ』
『戦場の武人たるお前も、政務を行う王たるお前も、女であるお前も・・・ 全て舞蓮だ。
俺の愛する孫堅文台、そのものだ』
少ない筈の彼の言葉が、私の中で繰り返される。
口数は多くなかったくせに、大切なことは言ってくれた。
欲しい言葉をくれた。行動で示してくれた。
そうしていつも、私を支えて、守り、愛してくれていた。
ねぇ、秋桜。それなのに、どうして今日はそんなに悲しげなの?
どうして、そんなに心配そうにしているの?
『舞蓮、自分を驕るな。
俺が守れれば良かったが、俺はもうそこに居ない。だがな、舞蓮。
俺は居ないが、お前は独りではないんだ。お前の周りには祭が、まだ未熟ではあるがたくさんの者がいる。
自分一人で立っている必要なんてない』
夫からは聞いたこともない言葉、珍しく雄弁な夫の言葉に私は笑う。
「私を一人にしたあなたが、よく言うわよ。
あなたのせいで私がどれほど寂しい思いをして、立っていると思っているの?」
どこか拗ねたようなこの言葉は、祭も知らない。
夫しか知らない私、そしてそんな私の不器用なところを一番に受け継いでしまったのはおそらくあの子だろう。
『すまない』
他人にはとてもそうは思っていそうにないようにしか見えない表情、けれどそれが彼の最大の謝罪の表情だということは、結局私と祭しか知らなかった。
「いいのよ、私だっていつかあなたの元に逝くのだから。
それは意外と早いかもしれないじゃない?」
『いや、それはない。お前にはまだ天命が残っている。
そしてそれを導く者は、もうそこに降りている』
「秋桜? 何を言って・・・?」
私は夫の言葉にわけがわからず、問い返す。
『生きろ、舞蓮。
だが、それは王としてだけじゃない。お前自身として』
夫がそう言って、消えるような笑みをこぼした。
そんな夫へと私は瞬間的に、激しい怒りを抱いた。
そんな笑みは認めない!
あなたは江東の虎の夫、たとえ死んでもそんな笑みをすることは許さない!!
「秋桜! あなたを忘れるなんて、してあげないわよ!!」
忘れてなんかやらない。
一生、それこそ呪いのように執着し続ける。
『それでお前自身の良さを殺すというのなら願い下げだ!! 舞蓮!』
獅子のような金の髪、海の色を映しこんだような瞳に私が今まで見たこともないような怒りが宿っていた。
私はそれを見て、肩を下ろした。
「・・・・・それでいいのよ、あなたにあんな弱気な顔は似合わないわ」
『なっ?! 舞蓮・・・ お前。
・・・・・はぁ、死んでもかなわない』
頭を抱えて、心底疲れたように溜息をこぼす。それが一番見慣れた表情だった。
「それじゃぁね、秋桜。
これがあなたに会える、最後なんでしょ?」
夫は頷いて、私から離れていく。
「さよなら、愛してくれた人。
私は次の恋を探すわよ」
そう言って私も背を向けて、光の方へと歩いていく。と思ったが、一つだけ言い忘れたことを思いだして振り返った。
「だけど、忘れてなんかあげないからね? 秋桜。
あなたは私を最初に愛してくれた人で、三人の父親なんだから」
そう言ってほほ笑む私に対して、他所を向いてから実に夫らしい言葉が返ってきた。
『・・・・勝手にしろ』
「堅殿!」
私を起こしたのは祭の声だった。
「祭・・・」
自分の口から出たことを否定したくなるような不機嫌な声音が発生し、祭を睨みつけた。
「今度、私を『堅殿』って呼んだら、祭のことを『蓋殿』と呼ぶわよ?」
「うなっ?!
いい加減、主従なのだからそう呼ぶことを諦めんか! 舞蓮!!」
「主従だからって長年一緒にやってきた親友にまでそう呼ばれるくらいなら、こんな座いつでも娘にくれてやるわよ!」
「冗談でも言うではないわ! 馬鹿君主!!」
私たちが周囲をかまわず怒鳴り合っていると、雪蓮がケラケラと愉快そうに笑っていた。
「祭だけよねぇ、そうして母様と対等に喧嘩できる人なんて」
目尻に涙すら浮かべている娘へと笑い、祭の肩を抱きよせた。
「そうよ、雪蓮。
友はね、どこまで行っても友なのよ。主従なんて関係ないわ。
私にとって祭は、あんたにとっての冥琳よ」
「やめんか! 暑苦しい!!」
払われかける直前に手をどかし、祭から逃れながら私は雪蓮の頭を通り過ぎ様に撫でていく。
あの人と同じ、海色の瞳を受け継ぐ愛しい娘。私よりもずっと孫の血が濃く、血の衝動が強すぎるのがこの子の欠点。
将としては優秀でも、この子は王には向いていないだろう。
「あらっ、母様。ご機嫌ねぇ?」
「えぇ、久しぶりにあの人が出て来たわ。
私のところにはもう来ないそうよ、あなたたちの夢に出てくるんじゃない?」
上機嫌な私をおかしそうに見ながら、雪蓮は困ったような顔をする。
あらっ、この子はあの人が苦手だったのね。
「父様、ねぇ。よくわからない人だったなぁ、私には。
物言わぬ岩みたいなのに、戦場じゃ荒れ狂う嵐みたいなのに綺麗で、それなのに私たちを見る海色の目はいつも凪いでて・・・・」
・・・・正確に理解してるじゃない。
そう思うとどこか嬉しくなり、雪蓮の頭をもう一度撫でる。
「それだけわかってれば、十分よ。
あの人はそんな人だったもの」
秋桜、この子の中にあなたはちゃんといるわよ。
だから、大丈夫。あなたはいつまで経っても、この子たちの父親よ。
「どこへ行く気じゃ! 舞蓮!!」
「風が・・・ いえ、雲が私を呼んでるのよ!
私の好きな、海が運んだ雲がね」
祭の止める声も聞かずに、私は何かに導かれるようにして駆け出す。
長く伸ばした紅梅色の髪が翻り、髪留めが心地よい音を鳴らしていく。
「フフッ、そう言えばあなた、この音が好きだったわね」
自分自身が動いて鳴る音なんて気にかけたことなどないのに、今日はどうしてか夫を想うことが多くてしょうがない。
そんなことを考えながら私は、あの場所へと向かっていた。
樹に隠れて日中でも人気がない、川のすぐ側。
ここはずっと私のお気に入りの場所。
もし死んだら堅苦しい墓など立てずに、ここに何も刻まないで石でも置いてくれればいい。
「まぁ、『石すら置かずに、樹でも植えておけ』なんて言う変り者もいたけどね」
ここに来る途中にあった私たちの髪と同じ色をした花が咲く樹が、彼の墓標だと知る者は私と祭だけ。
それを知らずに、三人の娘たちはあの花を好んでいた。
「ねぇ、そろそろ出てきてもいいんじゃない? どこかの隠密さん?」
私はそう言って南海覇王を抜いて、その場に殺気をまき散らす。
「じゃないと、殺しちゃうわよ?」
「そのようですね」
その言葉と同時に降りてきたのは、白い装束の顔を隠した小柄な存在だった。
南海覇王の切先が向けられた先で顔をあげずに、こちらを見ようとはしない。
殺意もなく、ここで殺されてもどうとでもないかのような無防備な姿だった。
「・・・・あなた、ずっと見ていたわね。何しに来たのかしら?
殺意が全くないから最初は偵察だけかと思ったのだけど」
彼女はわざと、私に感づかせている節があった。
私以外、それこそ祭の目すら誤魔化せるほどの隠密がどうしてそんなことをしたのかがわからない。
今もそう、私の声を聞いて逃げるわけでなくこうして姿を現した理由に興味を惹かれた。
「ある方より、あなたにこれを預かりました」
顔をあげず、一つの書簡が捧げられる。
「・・・・これを見ている瞬間、襲ってくるとかはなしよ?
そこの樹の上に居る、お仲間さんらしき二人とかね?」
私の言葉に震える様子もなく、隠密は立ちあがって懐から小刀を取り出す。
私が構える暇もなく、隠密は
自らの左腕へと小刀を突き立てた。
「・・・へぇ?」
血が飛び、白い装束が赤く染まっていく。
その行動に私は驚きながらも、平静を保つ。
樹の上は少し騒がしくなったけど、仲間内でも予想外の事態だったのかしら?
「望むならば、右腕も。
命さえあるのならば、私はどこが傷つこうとかまいません」
そう言って私へと柄を向けて、手渡してくる。
「あなたにそれほどまでさせるほど、価値があることなのね? これは」
私の問いに短く頷き、隠密は血が滴る左腕を気にする様子もない。おそらく私が読むまでは治療する気などないだろう、あるいはこの用事が済むまで、かもしれない。
「フフッ、あなたを気に入ったわ。
欲しいわね、あなたのような人材が」
私はそう笑いながら、書を開く。
『突然の文、大変驚いていることだろう。
まず、名を明かさぬこと、また自身でもなく、こうして正式な使いの者ですらない、このような形で文を渡す非礼をお詫びする。
俺は「赤き星の天の遣い」と呼ばれている者だ。
俺はあなたとは違うが、同じような存在を知っている。そして、その者の最期があなたと同じになる確率が現状では高い。
そのため一つ忠告をと思い、こうした手段をとらせてもらった。
こんな曖昧な情報を正式な使いなど出せば、突き返されることは目に見えている。故に、こんな形でしか送ることが出来なかった。
どうか自分の力を驕らず、友を、部下を頼ることを忘れないでくれ。
何の事だかわからなくてもいい。だが、気に留めておいてほしい』
曖昧な内容、予測なのか、事実なのかもわからない。
あまりにも一方的で、もし当たっていたとしてもこれを送った側の利益が見えてこない。
視線は先程、何の躊躇いもなく左腕を突き刺した隠密へと向ける。
これほどの臣を失うかもしれないことを覚悟してまで送られた文が、伊達や酔狂で書かれた物とは思えなかった。
「・・・・これを真実だと示すものはあるのかしら?
というか、あなたはこの書の内容を知っているの?」
「いいえ、何一つとして知りません」
私が何気なく問うと、答えはすぐさまに返ってきた。
が、私は返答されたことと、その言葉を聞いて驚愕する。
「あなた、この書の内容を知らずに何の躊躇いもなく左腕を傷つけたというの?!
いいえ、それだけじゃないわ!
もしかしたら、私があなたを殺していた可能性だってあったのよ?」
「存じております」
返ってきたのは短い『知っていた』という言葉、私はおもわず書を落としそうになる。
この隠密をここまでさせる『赤き星の天の遣い』とは、一体何者なの?
『舞蓮、自分を驕るな。
俺が守れれば良かったが、俺はもうそこに居ない。だがな、舞蓮。
俺は居ないが、お前は独りではないんだ。お前の周りには祭が、まだ未熟ではあるがたくさんの者がいる。
自分一人で立っている必要なんてない』
そして、夢の中で夫が言っていた言葉とかぶる忠告内容。
「・・・・・・興味深いわね、赤き星の天の遣い」
もしこれが当たっていれば、私は彼に大きな借りを作ることになる。
どうすれば返せるかわからないほどの、大きな借りが。
あるいは私の対応すらも、試されていたのかもしれない。
「見定められているのは私、ね」
私は南海覇王を鞘へと納め、書を川へと放り捨てる。本来ならば燃やしてしまいたいところだが、それが出来ない今はこれが証拠隠滅の簡単な方法だろう。
「あなたの主に伝えなさい。
『ご忠告、ありがたく受け取らせてもらう』とね」
これほどの覚悟を見せつけられて、相手の善意を悪意で返すことは出来ない。
相手の利益が見えない今、受け取る以上の最善の方法はないだろう。
何よりも、私の勘が『信じろ』と言っていた。
「はっ」
短い返事をして、その場から気配が三つ消えていく。
「羨ましいほど有能ね・・・・
ウチにも三人とは言わないから、一人くらい欲しいものだわ」
「舞蓮は甘いの」
木陰から聞こえ来たその声に、私は肩をすくめる。
やっぱり、彼女は気づいていた。どれほど私が気づいていないと思っても、私とほぼ同じ感覚で共に並んでくれる。
貴重な友であり、信頼できる部下であり、かつては同じ男を取り合った宿敵だった。
「気づいていたのなら、言ってくれればいいのに。祭ったら、性悪ね。
だから、婚期を逃すのよ?」
私は祭が一番気にしているところを、わざと口にした。
「誰のせいだと思っておる!
お主に秋桜をとられさえしなければ、儂とて今頃三児の親じゃ!!」
額に血管を浮かべて怒りだす祭を見ながら、私は陽気に笑う。本当に面白いわね、祭をこれでからかうのって。
「あらあら、負け犬の遠吠え?
大体それは秋桜に言ってよね、私は祭となら一緒でもよかったのよ?
責めるべきはあいつの狭量でしょ? 『たった一人しか愛さない』なんて、どこの考え方だ! ってのよね」
「じゃが、儂も主もそんな奴に惚れたんじゃろうが。どっちもどっちじゃ」
「それもそうね。
それで祭、そのお酒は何?」
祭の肩に担がれたのは大きな酒瓶。そう言えばこの印、見たことがあるわね。確か・・・
「あぁ、奴の好きだった酒蔵の新酒じゃ。
たまには三人で飲むのもよかろうて」
「・・・・そうね。
いつ振りかしら? 三人だけで飲むなんて」
私は祭の横に並んで歩きだす。
「奴も酒が好きだったからのぅ。
久方ぶりの酒じゃ、泣いて喜ぶことじゃろうな」
「あいつが泣くところなんて想像できないわねぇ」
これから、まだどうなるかはわからない。
だけど今、一つだけわかることがある。それは
「カカッ、言えておる!」
久しぶりの古き友だけで飲む酒は、きっと格別に美味しいだろうことだけだった。
誤字脱字、感想等々お待ちしております。
・・・・次、どこ書こうかなぁ。