風呂に潜って
「絶対に笑わないで下さいね、約束ですよ?」
そう言った後輩の斉藤は真剣な顔で話を続けた。
「僕、タイムスリップした事があるんです」
その『タイムスリップ』の単語が突拍子も無さ過ぎて笑うどころか茶化す為の一言さえ喉の奥に消え去っていた。
「え?」
「あの、だから自分が昔の時代に巻き戻るって言うか…」
「いやいや、違う違う。タイムスリップの意味はわかるんだけどね」
「え?もしかして青山先輩もタイムスリップした事あります?」
「…いや、無いけど」
興奮しているのか俺の話は全く耳に入っていないようだった。
斉藤とは部署は違うが、喫煙所でよく一緒になりここ最近は何度も飲みに行くほどの仲になっていた。
「それで僕、子どもの頃から風呂の中で潜るのが好きで未だによくやってたんですよ」
「あ〜俺も小学生の頃やってたな」
俺は4杯目のぬるくなったビールを一気に喉に流し込みながら何故か懐かしい気分に浸った。
大学時代ラグビー部ガタイもよくて顔もまあまあイケメンな斉藤。
この斉藤が小さな風呂の中に潜っているのを想像してあまりの不恰好さに少し吹き出す。
「それで、いつものように潜って出てみたら実家の風呂だったんですよ」
「ほうほう、それで?」
「今、青山先輩笑ってました?だから笑わないで下さいって最初に言ったのに」
すごく真剣な顔で話すもんだから俺も慌てて真顔になった。
「それで、訳が分からなくなって慌てて浴槽から出たら風呂場の鏡に小学生の僕が映ってるんですよ」
「でも記憶は今のままなんだろ?」
「そうなんです」
酒も回り始めたせいなのか、久しぶりにワクワクしている自分に気付いた。
「それで、風呂から上がったら両親がテレビにツッコミをいれて笑ってて。カレンダーを見たらやっぱり僕は小学2年で」
「なんで小学2年なんだろうな?」
「そこなんですよ。あのですね!僕の初恋は、同級生の七海ちゃんだったんですけど…」
斉藤は少年のように目をキラキラさせて続けた。
「その七海ちゃんが小学2年の時、引っ越しちゃって。僕みんなに茶化されたくなくてちゃんとさよなら言えなかったんですよ」
「それが心残りだったからタイムスリップしたって事か?」
「多分そうなんです。だってタイムスリップした日が七海ちゃんの引っ越し前日だったんですよ」
想定もしていないあり得ない話をここまで力説されると青山は話に飲み込まれていってしまう感覚に陥っていた。
「それでお前はその七海ちゃんに会えたのか?」
「そりゃあ、これは神様がくれたチャンスだと思って無我夢中で会いに行きましたよ」
「それで?」
青山は話しに夢中で放置されていたイカ焼きを口に放り込みながら聞いた。
「結果から言うと、やっぱり気持ちは伝えられなかったんですよ」
「なんでだよ。そこは男として言うべきだろ!」
30半ばの男と今年40になったばかりの男が夢のような。いや、夢か妄想かもしれない青春話に花を咲かせて2人してテーブルに身を乗り出し語っていた。
「引っ越しの日、小学生の自分は七海ちゃんの家の近くまで行ってとんぼ返りしてしまうんですよ」
「意外と意気地なしだったんだな」
「だってあの頃は好きな子にいじわるしたりするような時期ですよ?」
「まぁ、そんな可愛い時もあったな。40のおっさんがいじわるなんかしたらパワハラだなんだってただ嫌われるだけだがな」
笑いながら斉藤はビールのおかわりを頼んで続けた。
「それで、今回こそは七海ちゃんの家まで行って告白するつもりだったんですよ」
「でも、出来なかった理由は?」
「家までは行きました、今度はちゃんと。でも先客がいたんですよ」
「お、恋敵か?」
「隣のクラスで1番人気がね、七海ちゃんの家のインターホン押してるわけですよ」
「それ見て諦めたのか?」
「結局僕は中身が大人になっても意気地なしのまんまだったって事ですかね」
「おいおい!期待させといてそんな終わり方許さねぇぞ」
「先輩、はやまらないで下さいよ。僕にだってタイムスリップしてきた意地があるんです」
「お、なんだなんだ」
「プレゼント。僕プレゼントを七海ちゃんのお母さんに渡したんですよ」
「斉藤、さすが俺の後輩だ。で?なにをあげたんだよ」
「それがプレゼント渡す予定なくて焦って近くにあったライラックの花を枝ごと拝借して…」
「おいおい、それ人ん家のだろが」
「い、いや〜そうなんですけど、時間なかったですし。
でもそれが僕に幸運を運んでくれた紫のライラックだったんですよ」
青山は喉を鳴らしてビールをかきこんだ。
「で、まだ続きがあるのか?」
「この間それと同じライラックをたくさん植えている庭があって見とれてたんですよ、僕」
「そしたら、後ろから声を掛けられて…
斉藤くん?って」
しばらく言葉が出なかった。
何故か他人の俺が2人の再開を心待ちにしていたのだから。




