見えないものと、視えるもの
「おはよう、灯」
「おはよ、蛍」
早朝。いつもと変わらない風景。
市内の高校二年生である俺、篠宮蛍は幼なじみでクラスメイトの雪下灯を迎えに行く。
「今日は一段と暑いな。日本海側では夜から豪雨らしいぜ」
灯は黒く艶のある長い髪が特徴的な大和撫子だ。ウチのクラスでは間違いなく一番美人である。
「うん、今日のニュース聞いたから。蛍、ちゃんと傘持ってる?」
「要らなくないか?だって快晴だ。絶対降らないって」
たわいのない会話をしながら彼女の雪のように白い手を握る。俺に応えるように灯も握り返す。
「蛍がそう言った時は必ず裏目に出るんだよね」
「まあまあ、きっと大丈夫だって」
これもいつものこと。端から見れば朝からイチャついている恋人同士と言ったところか。
そう見られることは大変光栄なことだが、残念ながら俺達は恋人ではない。
「……蛍、ゴメンね」
俺がいるであろう方向に申し訳なさそうな顔をする灯。
「謝るな。灯は悪くないんだから」
そして返事をする俺。これもいつものこと。
その後は二人で手を繋いだまま登校する。
これが目が見えない雪下灯と、その原因である篠宮蛍の日常である。
「蛍!ゲーセン行こうぜ、ゲーセン!」
放課後、隣の席の遠藤円香が話しかけてきた。彼女は茶色のセミロングが似合うクラスの中心的な女子だ。
円香とは一年生の時から同じクラスで、部活も同じ陸上部でかなり仲が良かった。
「……ああ、今日はパス」
それだけに……断るのは辛い。
「……今日"も"だろ?じゃあ部活行こうぜ。たまには自主トレも」
「円香」
「な、なんだよ……」
でも断らないと。それが俺の罪だから。
「悪いけど、そっとしておいてくれないか」
「でも蛍!」
「円香っ!」
クラスの視線が痛い。
この会話は勿論灯にも聞こえているはずだ。これじゃまた灯は自分を傷付けてしまう。
「……わりぃ」
「いや……スマン。じゃあな……」
逃げるように円香から離れ灯の席へ行く。
「……蛍」
俺の気配を感じたのか灯が声をかける。
……そんな悲しそうな顔、しないでくれ。お前は何も悪くないんだから。
「待たせたな、帰ろうぜ。勉強しなきゃな」
「……うん」
俺は灯の手を握り教室を去る。
背中に円香の視線を感じたが気にしない。気にしちゃいけないんだ。
「蛍」
灯と共に校門を出ようとすると声をかけられた。この凛とした声。間違いなく聞き覚えがあった。
「……会長」
ハーフであることを裏付けるような金髪と碧眼、そして端正な顔立ちをしている生徒会長の九条雲雀が立っていた。
「久しぶりだな蛍。隣にいるのは……?」
「幼なじみの雪下灯です。それじゃあ俺達はこれで」
足早に立ち去ろうとするが――
「待て」
「……何か用ですか」
そうはいかないらしい。
「随分な言いようだな。少し前までは同じ生徒会の仲間として、苦楽を共にした仲ではないか」
「……昔の話ですよ」
全ては終わったことだ。
一年間書記として生徒会にいたことも、選挙の時に二人で徹夜して演説を考えたのも……今となっては意味のないことだ。
「率直に言う。生徒会に戻ってこい」
「……っ!」
なのにこの人は…何でそんなこと言うんだよ。そんなの無理だって何回も説明したのに。
「……遠慮しておきます」
「その女のせいか」
「……会長、もう止めてください」
「君が蛍を縛っているんだろう!?」
「わ、私……っ!?」
灯に掴み掛かろうとする会長を俺が止める。
「会長!止めてください!灯は関係ない!」
「嘘をつけ!蛍、君がしていることは贖罪じゃない!ただ逃げているだけだ!」
「止めてくれ!!」
会長の手を払う。
……そんなこと分かっている。こんなことしたって意味ないことくらい、分かっている。
でも、それでも止めるわけにはいかない。
「……蛍」
「失礼します」
俺は灯の手を握り、会長から逃げるように背を向けた。
あれは三ヶ月前。ちょうど二年生になりたての時だった。
いきなり灯に「家に来て欲しい」と言われて、彼女の家に行った。
中学までは良く一緒にいたが、高校生になってからは部活や生徒会で忙しかったので、灯とはあまり会っていなかった。
「どうした?いきなり呼び出したりして」
「久しぶりだよね、蛍が私の部屋に来るの」
「そういえば、中学以来だな」
いつもと様子が違う。彼女を見て何となくそう思った。
「あ、あのね……」
「……どうかしたのか」
沈黙が部屋を支配する。しばらくして灯を見ると――
「お、おい」
「……辛いよ」
彼女は泣いていた。
「何で……何で会えないの。部活って何……生徒会で……朝帰りって……何?」
目には光がなく静かに泣きながら呟く。まるで何かに取り付かれたように。
「あ、灯?」
「私は!私は蛍のことずっと前から!」
「わっ!?」
反射的、だった。つい迫ってきた灯の身体を突き飛ばした。
「あっ……」
灯は倒れていく。彼女の後ろには机があって。全てがスローだった。そのまま灯は机の角に頭を……。
「灯っ!?」
叫んだ時にはすでに遅かった。倒れた灯の後頭部からは血が出ていて。
その後は……あまり覚えていない。
気が付いたら病院にいて。命に別状はないけれど失明――。
とにかく灯の両親に土下座したのは覚えている。 これは自分のせいだと、責任を取らせてくれと言って。
後はジェットコースターのよう。部活も生徒会も止め、俺は彼女の目になった。
たった、それだけ。
「「いただきます」」
夜。外は雨が降っている。早めに帰ってきて正解だったようだ。
「……うん!相変わらず蛍は料理上手だよね」
「まあな。親が海外事業で家にいないと、自然と料理も上達するもんだよ」
灯の両親もあまり家にはいないようだ。
その為、ほぼ毎日俺が灯の家に行き、料理を作ったり彼女の身の回りの世話をしたりしている。
勿論それは俺が灯の世話をすると言ったからで、俺がやらなければならないことの一つだ。
「……本当にゴメンね」
「今日のことなら気にするな。今度会ったら二度と関わらないよう言っておくからさ」
「……うん」
「だからそんな顔しないでくれ、な?」
「……じゃあ……お願い、してもいい?」
「ああ……」
俺は灯に近付いてキスをする。彼女が光を失ってから俺に求めてきたもの。
この関係は決して恋人ではない。それでも彼女が望む限り、俺は……。
「今日もありがとう。お休み」
「お休み。じゃあまた明日な」
軽い挨拶をして蛍は帰っていった。
光を失って三ヶ月。少しずつだけれどこの生活にも慣れてきた。ベットに横になる。
「……また明日、か」
確かに光を失ったことは不幸以外の何物でもない。でもそれでも良い。
なぜなら今の私には蛍がいてくれるから。見えなくても"視える"のだ。
彼が部活や生徒会、そして彼に媚びを売る虫けらよりも私を優先してくれる様子が。
「私が蛍の一番なんだもん……」
昔から、ずっと昔から決まっていること。蛍と私は結ばれなきゃいけない。私が光を失ったことは必要な犠牲だったんだ。
おかげで蛍は私の目になることを選び、私たちの世界が完成した。
「ふふっ、あははははははは!」
……見たかったなぁ。虫けら達の悔しがる表情。
蛍が、自分の人生と私を天秤にかけて私を選んでくれた時の、表情。
……まあ仕方ないか。代わりに貰ったから。
「蛍の一生をね」
これからも蛍は見続ける。私の人生を、私の目となって。
そして私は蛍を通してそれを"視る"んだ。