雨の日に買った本
雨は嫌いだ。
髪の毛が頬に張り付くのも、服が透けるのも嫌いだ。
でも一番嫌いなのは、本が濡れることだ。
暇なときに読もうと思って持ち歩いていた本が、濡れて歪んだことは一度ではない。
だからこそ、雨は嫌いだ。
今日は最悪だ。
雨が降っているというのに、傘を持って来ていなかった。
朝、家を出るときは晴れていた。
六月にしては驚くほどに澄んだ空だった。
天気予報を見ずにそんな空模様を見て判断したのが間違いだったらしい。
そんな綺麗な青空は、僕が帰ろうとしたときに姿を変えた。
裏切ったみたいに暗くなって、ぽつり、と一滴が落ちた。
その一滴はあっという間に勢いを増して、今はすっかり土砂降りに。
「最悪」
鞄を頭の上にあげ即席の雨よけとしていたのだが、さすがに限界だった。
とりあえず、近くの店へと足を速めた。
店には申し訳ないが、すこし雨宿りをさせてもらおう。
そんなことを思いながら入り口のドアを開けると、そこは本屋だった。
大きな店ではなく、店員もおじいさんが一人いるだけの小さな本屋。
「いらっしゃい」
店に踏み入れてすぐ、おじいさんが挨拶をしてきた。
僕はそれに軽く頭を下げて応えるが、その動きに反応するように頭から水滴が垂れた。
床を汚してしまったこと、そして本がたくさんある場所に濡れた状態できたことに僕はどんどんと心苦しさを感じていた。
「気にしないでいいよ」
そんな僕の心を見透かすように、おじいさんが声をかけてきた。
「これ使いなさい」
そう言っておじいさんはハンカチをこちらに差し出した。
悪いですよ、と断ろうとも思ったがこのまま濡れている方が申し訳ない。
そう思って、僕は素直におじいさんからハンカチを受け取り、顔や手を拭いた。
「遠慮せず雨宿りしていきな。本は逃げないから」
僕が軽く水滴を拭き終えてハンカチを返すと、おじいさんはそんなことを言った。
『本は逃げない』
おじいさんの言ったその言葉が妙に耳に残る。
意味を考えてみても答えはわからず、とりあえず近くの棚へと視線を向けた。
古い文庫本の中に一冊、気になる本があった。
『雨の日に読む本』
そんな本があるんだ。
素直にそんなことを思い、なんとなく手に取った。
「その本、売れないんだよね」
おじいさんが言った。
「みんな晴れの日にお店に来るからね。雨の日はなかなか来てくれないんだよ」
確かにそうだ。
僕もこの本が欲しくてこのお店に来たのではなく、あくまで雨宿りの場所として寄っただけだ。
「これください」
なんとなく、こんな出会いもありだと思って僕は本を買った。
おじいさんは僕から本を受け取ると、透明なビニール袋を一枚くれた。
「雨の日に買った本だからね。濡れたらかわいそうだ」
おじいさんの言葉に、僕の表情はすこし緩んでいた。
店を出る頃、まだ雨は降っていた。
だけどビニール袋に包まれて、鞄に入っているのなら大丈夫だろう。
家に帰って着替えを済ませた後に、鞄から本を取り出した。
『雨は多弁である。故に世間が声を潜める』
本に書いてある言葉を読んで、僕は部屋の窓を少し開けた。
『雨は多弁である』
その言葉の意味を知りたくて。
すると、その言葉の意味はすぐにわかった。
雨は様々な音を鳴らしていた。
屋根を打つ音、窓を打つ音。
打つ場所は同じでも雨粒の大きさが違うのか、ほんのすこし違う音がして。
本当に多くのことを語っているようだった。
雨の声を聞きながらページをめくる。
あんなに嫌いだった雨が、今はなんだか心地いい。
すくなくとも、雨の声はもう嫌いじゃない。
そう思えた。
嫌いなものは僕が思っているよりも、悪いものじゃないのかもしれない。
そんな気がして、僕はまた雨の日に本屋へと足を運ぶのだった。




