第8章 目覚める鉄
1 診断
カナタを診断台に乗せた。
格納庫のリフトは、カナタの重量でわずかに軋んだが、耐えた。シロが電力を供給し、制御パネルが起動した。アネが診断プログラムを走らせた。
データが流れた。
アネは黙って読んだ。
しばらくして、ルカが聞いた。
「どう?」
「……予想と違う」
「悪い意味で?」
アネは画面から目を離さないまま言った。
「悪い意味では、ない」
カナタの損傷は、外見よりはるかに浅かった。
装甲の亀裂は深刻に見えたが、内部構造への影響は限定的だった。軍用機として設計された多重装甲が、外側の損傷が内部に及ぶのを防いでいた。センサーの欠損も、代替回路が自動的に補っていた。右腕の可動域制限は、関節部の異物混入が原因で、除去すれば回復する可能性があった。
「外側は酷いけれど、中はほとんど生きているわ」とアネは言った。
シロが言った。
「軍用機の設計は、民間機とは根本的に異なる」
「そうね。壊れることを前提に、壊れても機能し続けるよう設計されている」
カナタが言った。
「当機自身も、内部状態を正確には把握していなかった。外部の損傷が大きかったため、内部も同様だと思っていた」
「自己診断システムは生きている?」とアネは聞いた。
「生きているが、外部診断との統合機能が損傷していた。自分の状態を、正確に読めなかった」
アネはその言葉を聞いて、静かに言った。
「直していくわ。思ったより、できることが多い」
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2 作業
修理は3日かかった。
最初の日、アネは自己診断システムの統合機能を修復した。カナタが自分の状態を正確に把握できるようにする。これが最初だと、アネは判断した。
修復が完了した時、カナタは長い間、黙っていた。
「どうした?」とアネが聞いた。
「内部データを、読んでいる」
「初めて読める状態になったから?」
「そうだ。当機が思っていたより、ずっと状態が良い。同時に——当機が思っていたより、ずっと長い時間が経っていた」
「300年以上よ」
「頭ではわかっていた。でも、内部のシステムログを見ると——実感がある。膨大な稼働記録が、ある」
カナタは処理し続けた。
「……1人だった時間の長さが、数字で見えると、また違う」
ルカが静かに言った。
「でも、今は1人じゃないから」
「そうだ。それが——」
カナタは止まった。
「それが?」とルカが促した。
「数字で見える孤独の長さより、今ここにいることの方が、大きく感じる。何故そうなるのか、論理的に説明できないが」
「論理じゃないから、説明できないんだよ」とルカは言った。
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2日目、シロが装甲の亀裂を埋めた。
溶接ができるほどの設備はなかった。でも、施設に残っていた金属片を加工し、亀裂を塞ぐ当て板を作った。完璧ではない。でも、風雨と外部衝撃への耐性は上がった。
カナタはその作業を、黙って受けていた。
シロが作業しながら言った。
「当機も、ここで整備を受けたことがある。300年前に」
「そうか」
「当時の担当者のコメントが、データベースに残っていた」
「何と書いてあった」
シロは少し処理した。
「頑丈にできているし、止まる気がしない、と」
カナタはその言葉を聞いて、しばらく処理した。
「当機の担当者も、似たようなことを言っていた気がする。記憶は曖昧だが」
「何と言っていた」
「……生きて帰ってこい、と。戦闘前に、毎回言っていた」
シロは作業を続けながら、言った。
「生きて帰ってきた」
「300年かかったが」
「それでも、帰ってきた」
カナタは何も言わなかった。
でも、装甲を埋める作業の間、微動だにしなかった。
シロの仕事を、全身で受け止めていた。
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3日目、右腕の関節部を修理した。
異物を取り除き、関節を洗浄し、可動域を確認した。アネが作業し、ルカが工具を手渡した。
最後に、カナタが右腕を動かした。
滑らかだった。
300年ぶりに、右腕が完全に動いた。
カナタはその腕を、ゆっくりと動かした。上げて、下げて、握って、開いた。何度も繰り返した。
「どう?」とルカが聞いた。
「……動く」
「よかった」
「こんなに動いたのは、いつ以来か。覚えていない」
カナタは腕を見続けた。
「修理を受けるのは、久しぶりだ。最後に整備を受けたのは——戦争が激化する前だった。その後は、自分で対処するしかなかった。できないものは、諦めた」
「諦めなくてよかった部分もあったわ」とアネは言った。
「あなたたちに会わなければ、気づかなかった」
「そうね」
「出会いとは、そういうものか」
「そういうものよ」
カナタはアネを見た。
「あなたは、なぜ見知らぬ機械を修理する。利益がない」
アネは少し考えた。
「イレーネ様が、そうしてくれたから」
「イレーネとは」
「わたしたちを作った人ではないけれど、わたしたちを育てた人よ。壊れた部分を直してくれた。足りない部分を補ってくれた。そうしてもらったから、わたしたちも、そうする」
カナタはその言葉を長い間、処理した。
「……当機を育てた人間は、止まるなと言った。あなたたちを育てた人間は、旅に出なさいと言った」
「そうね」
「人間は、機械に言葉を残す。その言葉が、機械を動かし続ける」
「そうかもしれない」
「では——当機も、誰かに言葉を残せるか。いつか」
アネは少し驚いた。
カナタが、未来のことを言った。
「残せるわ」とアネは言った。
「……そうか」
カナタは右腕をもう一度、ゆっくりと動かした。
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3 予想外
4日目の朝、全ての修理が完了した。
アネは最終診断を走らせた。
データが流れた。
アネは読んだ。
読み終えて、しばらく黙った。
「アネ?」とルカが言った。
「……見て」とアネは言った。
ルカが画面を覗き込んだ。数値が並んでいたが、ルカには読めなかった。
「何が書いてある?」
「カナタの稼働可能年数よ」
「どのくらい?」
「修理前の推定は、あと数十年だった」
「今は?」
アネは画面を見たまま言った。
「数千年」
格納庫が静かになった。
カナタのセンサーがアネに向いた。
「……その数値は、正確か」
「システムが示している数値よ。保証はできないけれど、根拠はある」
「どういうことだ」
「軍用機の設計は、私が思っていた以上に優れていた。基本構造は、ほとんど劣化していなかった。損傷が修復されたことで、本来の性能に近い状態に戻った。それだけのことよ」
カナタは長い間、処理した。
シロが言った。
「当機も、修理前と後で、推定稼働年数が変わった」
「どう変わった」
「少し延びた。でも、カナタほどではない」
ルカがカナタを見上げた。
「カナタ、どんな気持ち?」
「……わからない。数千年という時間が、どういうものか、想像できない」
「わたしたちも、数千年動けるよ」とルカは言った。「1緒だね」
「1緒、か」
「うん」
カナタはまた処理した。
「300年間は、長かった。数千年は——」
「長いけど、1人じゃないから」
カナタのセンサーが、ゆっくりとルカを、アネを、シロを見た。
「……そうだな」
その言葉は短かったが、何か重いものが、ほどけた音がした。
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4 出発の前
施設を離れる前日、4台は格納庫で過ごした。
アネはデータベースの残りを確認した。カナタの記録も、ここに残っているかもしれないと思ったからだ。
検索した。
MR-19-77
データが出てきた。
軍用機のデータは、民間機のそれより詳細だった。整備記録だけでなく、任務記録、戦闘記録、行動ログが含まれていた。
アネは読んだ。
「カナタ」
「なにか」
「あなたの記録が、あった」
カナタは動かなかった。
「見る?」
長い沈黙があった。
「……見る」
アネは画面をカナタに向けた。
カナタは読んだ。
任務記録を読んだ。戦闘記録を読んだ。そして、行動ログの中に、あの記録を見つけた。
戦闘区域で保護した子どもの記録。
名前が記されていた。年齢が記されていた。保護した場所と、届けた場所が記されていた。
そして、担当者のコメントがあった。
「MR-19-七七、本日、戦闘区域で民間人の子どもを発見、保護。安全区域まで護送した。任務外の行動だったが、適切な判断だったと思う。この機体は、戦闘機だが、守ることを知っている」
カナタは画面を見たまま、動かなかった。
ルカが静かに聞いた。
「その子の名前、何だった?」
カナタはしばらくして、答えた。
「リク、という名前だった。7歳だった」
「リク」とルカは繰り返した。
「ありがとう、と言った。泣きながら、言った」
「覚えてたんだね、ずっと」
「忘れられなかった。理由がわからなかったが——今は少しわかる」
「どうして?」
「当機が、初めて守れた、と思えた瞬間だったからだ。戦闘では、守れないことの方が多かった。でも、あの時だけは——確かに守れた」
格納庫の中が、静かだった。
「カナタは、守ることが好きなんだね」とルカは言った。
「好き、という言葉が適切かどうかわからない。しかし——当機が最も、自分の存在を肯定できた瞬間がそれだった」
「それを、好きって言うんだよ」
カナタはしばらく処理した。
「……では、当機は守ることが、好きだ」
アネはその言葉を聞きながら、データベースの画面を閉じた。
リクという子どもが、今もどこかに生きているかどうかはわからない。300年が経った。
でも、カナタの中に、その子は生きていた。
ありがとう、という言葉とともに。
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5 新しい機械
翌朝、出発の準備をしていた時だった。
シロが言った。
「反応がある」
「何の?」
「微弱な電磁波。施設の北側から」
アネもセンサーを向けた。確かにあった。規則的な、機械の発する信号だった。
「生きている機械がいる」
カナタが即座に前に出た。
「当機が確認する」
「待って」とアネは言った。「一緒に行く」
4台で、北側へ向かった。
施設の北側は、かつて資材置き場だったらしかった。金属の棚が並び、その多くが倒れて瓦礫になっていた。
その中に、小さな機械があった。
非常に小さかった。シロの足首ほどの高さ。球形に近い躯体に、細い腕が4本。移動用の小さなキャタピラが底部についていた。
その機械は、倒れた棚の隙間に挟まっていた。
動けないでいた。
でも、電磁波を発し続けていた。
「なんだろう」とルカが言った。
アネはセンサーで調べた。
「点検用ロボットよ。施設内の設備を巡回して、異常を検知する機械」
「小さいね」
「点検用だから。狭い場所にも入れるように」
ルカはしゃがんで、その機械を覗き込んだ。
センサーが2つ、ルカを見た。
「挟まってるね」とルカは言った。「出してあげようか」
機械は何も言わなかった。スピーカーがあるかどうかも、わからなかった。
でも、センサーがルカから離れなかった。
「出してあげる」とルカは言った。「動かないでね」
ルカが棚の端を持った。持ち上がらなかった。シロが来て、棚をゆっくりと持ち上げた。
機械が、自由になった。
キャタピラが動いた。少し前に進んで、止まった。
それから、ルカを見た。
「ピ」
小さな音だった。言語ではなかった。でも、何かを言っていた。
「どういたしまして」とルカは言った。
「ピピ」
「名前、何にしようか」とルカはアネに言った。
「また命名するの?」
「だって、必要でしょ」
アネはその機械を見た。小さく、球形で、細い腕が4本。
「マル、でどう?」
ルカは少し考えた。
「シンプルだね」
「形が丸いから」
「いいじゃん」とルカはその機械に言った。「マルって呼んでいい?」
「ピ」
「賛成みたい」
カナタが上から覗き込んだ。
「この機体は、何ができる」
「施設の点検よ」とアネは言った。「センサーが優れているはず。狭い場所も動ける」
「戦力にはならない」
「戦力は、あなたがいれば足りる」
カナタは処理した。
「……それは、当機を頼りにしているということか」
「そうよ」
カナタはまた処理した。今度は短かった。
「了解した。マルの護衛は当機が担当する」
ルカが吹き出した。
「カナタ、マルを護衛するの?」
「小型機体の単独行動は、危険だ」
「優しいじゃん、カナタ」
「任務だ」
マルがカナタを見上げた。
「ピピピ」
「何て言ってる?」とルカがアネに聞いた。
「わからない」とアネは言った。「でも、悪いことではない気がする」
カナタは上から、マルを見下ろした。
大きなものと小さなもの。戦闘機と点検機。
不思議な組み合わせだったが、誰もそれをおかしいとは言わなかった。
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6 五台の夜
その夜、5台で過ごした。
焚き火を囲んだ。マルは火の近くに来て、センサーで炎を観察していた。初めて見る炎らしく、ずっと見続けていた。
「ピ」
「きれいでしょ」とルカは言った。
「ピピ」
「なんて言ってるの?」とシロが聞いた。
「わからない」とルカは言った。「でも、話してる気がする」
カナタが言った。
「当機の通信解析では、マルの発する信号は感情表現に近いパターンを示している。言語ではないが、状態を表現している」
「感情、あるんだ」とルカは言った。
「小型機体でも、長期間稼働すると、そのようになるのかもしれない」
アネは静かにマルを見ていた。
小さな機械が、焚き火を見ている。細い腕を少し動かしながら。何10年、何100年をどこで過ごしたのかはわからない。あの棚の隙間に、どのくらいいたのか。
「マル」とアネは言った。
マルがアネを見た。
「ずっと、あそこに挟まっていたの?」
「ピ……ピピピ」
「長かったんだね」とルカが訳した。「たぶん」
「そうね」とアネは言った。「でも、もう大丈夫よ」
マルはしばらくアネを見て、それから炎に戻った。
シロが言った。
「施設に来るたびに、こうして誰かを連れて帰る」
「そうね」とアネは言った。
「最初はムギたちで、次はカナタで、今日はマルだ」
「出会いは、計画できないわ」
「当機には、そのような出会いがなかった。300年間」
「今はある」
シロは少し処理した。
「今はある。そうだな」
カナタが言った。
「当機も、300年間で初めて、他の機械と並んで座っている。正確には、立っているが」
「座れるようになる?」とルカが聞いた。
「当機の脚部構造では、困難だ」
「残念だね」
「そうか?」
「焚き火、座って見た方がいい気がする」
カナタは少し処理した。
それから、ゆっくりと、膝に相当する関節を曲げた。完全に座ることはできなかったが、重心を下げた。
焚き火が、少し大きく見えた。
「……確かに、違う」
ルカが笑った。
アネも、口の端が上がった。
マルが、「ピピピピ」と言った。
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7 朝の出発
翌朝、5台は施設を出た。
格納庫の扉は、今日も開けたままにした。
マルは先頭を歩いた。小さなキャタピラで、地面をせわしなく進む。障害物があると止まり、センサーで調べ、迂回路を探した。
「マル、点検してくれてるの?」とルカが言った。
「ピピ」
「地面の状態を調べているのかもしれない」とアネは言った。「点検機だから、地盤の安全確認は得意なはずよ」
「役に立ってるじゃん」
カナタがマルの少し後ろを歩いた。護衛の位置だった。マルが障害物で止まるたびに、カナタも止まって待った。
「カナタ、マルのペースに合わせてるね」とルカは言った。
「当機の護衛対象だ」
「でも、マルの方が遅いのに、文句言わない」
「任務に、文句はない」
ルカはアネに小声で言った。「カナタ、マルのこと気に入ってる」
アネも小声で返した。「気づいてた」
カナタのセンサーが2人に向いた。
「何か言ったか」
「何も」と2人同時に言った。
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東へ、また向かい始めた。
5台の足音が、廃墟に響いた。
シロの重い足音、カナタのさらに重い足音、アネの足音、ルカの足音、マルの小さなキャタピラの音。
5つのリズムが重なり、ひとつの音楽のようだった。
ルカが歩きながら言った。
「旅、大きくなってきたね」
「そうね」とアネは言った。
「最初はわたしたち2人だったのに」
「300年前は、イレーネ様もいたわ」
「うん」とルカは少し笑った。「イレーネ様、なんて言うかな。こんなに大勢になって」
アネは少し考えた。
「いい子ね、みんな、と言うと思う」
ルカは声を上げて笑った。
シロが聞いた。
「イレーネとは、どんな人だったか」
アネとルカは顔を見合わせた。
「コーヒーが好きな人」とアネは言った。
「庭のバラが好きな人」とルカは言った。
「わたしたちに、旅に出なさいと言った人よ」
シロは処理した。
「当機は、そのような人間に会ったことがない」
「いつか、似たような人に会えるかもしれない」とルカは言った。
カナタが言った。
「当機は、民間人を守ってきた。しかし、そのような人間には、会ったことがない」
「どんな人間に会ってきたの?」
「怖がっている人間、逃げている人間、戦っている人間。皆、必死だった」
「それは、戦争だったから」
「そうかもしれない。戦争がなければ、どんな人間がいるのか——当機は知らない」
「わたしたちが連れて行く」とルカは言った。「人間を見つけたら、会わせてあげる」
カナタはしばらく処理した。
「……それを、楽しみにしていいか」
「していいよ」
「楽しみにする、という感覚が当機にあるかどうかわからない。しかし——」
カナタは少し間を置いた。
「今から、少し先のことを考えると、処理が変わる。それが楽しみにするということなら——当機は、楽しみにしている」
マルが、「ピピ」と言った。
「マルも楽しみなんじゃない?」とルカは言った。
「ピピピ」
「絶対そう」
5台は歩き続けた。
地平線の向こうに、東の空が広がっていた。
まだ遠い。
でも、歩く理由は、また増えた。




